2014/1/26礼拝説教
【テーマ】 一致への努力
【説教題】 「『好き』から『一致』へ」
【聖書箇所】 エペソ4:1-3
4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
○ 今日は教会会議をします。皆さんに是非、新中野キリスト教会を愛しいただきたい、好きになって頂きたいのです。
Ⅰ.好きが原動力になる
A.嫌いから好きに
1.私は小学生の時、音楽の授業が大嫌いでした。できなかったからです。6年生の時、音楽のテストで0点を取った時はさすがに参りましたね。
2.その私が音楽を好きになったのは、中学の音楽の先生のお陰です。中学に入学して部活はサッカーか剣道かと思っていたところ、友人が「一緒にブラスバンド部に入ってくれ」と頼むので、とりあえず見学に行きました。顧問はあの楽しい音楽の先生でした。それで入部したのです。この先生は音楽の授業中叱ったことが無いのです。ある日、私は先生に聞きに行きました。「どうして先生は叱らないのですか?」「藤井、叱られて楽しく歌えるか?音楽は音を楽しむのだから、楽しくなければ歌えない!だから叱らないんだ」と。それで私は音楽が好きになりました。
B.好きがもたらすこと
1.好きになるということは、心理学的にも大きな力が出ることを証明しています。好きな先生の科目では成績が上がったり、好きな人の前では頑張れたりするのです。好きになると自ら成長しようという力が湧いてくるのです。
2.私はアッセンブリー教団に入る前、福音派の教会に6年間所属していました。教会が好きになった私は、時間があれば教会に行き、掃除したり、トラクト配布したりしていました。教会の向かいの家のおじさんは恐くて、「うるさい!」など度々文句を言ってきました。私は教会の前とその家の前をいつも掃除していました。ある日、おじさんが出てきて、「いつも、ありがとう」と言ってくれ、おじさんの文句が無くなりました。私はただ教会が好きでしていただけなんですが。
C.教会を好きになる
1.先生を好きになると勉強ができたり、好きな人が出来るときれいになったり、頑張ったりと、「好きになる」ということは大変大きな力を発揮します。
2.教会に対しても同じ事が言えます。自分の所属する教会を好きになると、教会に対する関わり方が変わります。生き方、考え方、性格まで変わるものです。
Ⅱ.「好き」を超えるところに・・・
A.好きから一致に向かう
1.「好き」の力は大きいのですが、それだけでは教会の一致には繋がりません。高南中学校の合唱祭を見に行きましたが、とても美しいハーモニーでした。そして、クラスの代表者が努力したことを語るのです。練習中なかなか一致できない、真面目に取り組んでくれない、音が合わないなど一致の困難さでした。しかし、それを乗り越えて、こんなに立派に歌えるようになったという喜びを語るのです。彼らは輝いていましたし、PTAも感動して聞いていました。
2.合唱やオーケストラには一致無しに良い音楽はありません。指揮者を無視して歌ったり演奏したらめちゃくちゃです。技術力も成長しなければなりませんが、同じ方向を見るということが必要です。
B.賛美に見る一致
1.旧約聖書には Ⅱ歴代 5:13 ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、【主】を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と【主】に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち【主】の宮は雲で満ちた。 と書いてあります。神様への賛美には一致はなおさら必要で、その一致の中に神様の臨在があるというのです。
2.私たちは神様が大好きだから歌うのです。それはそれで良いのですが、賛美は神様への生け贄と言われています。神様が喜ばれなくてはなりません。上手な歌を求めてはおられません。みんなが一つになって賛美することを願っていらっしゃるのです。
3.旧約聖書に出てくる聖歌隊は一致していたようです。私たちも神様が好き、教会が好き、賛美が好きという段階からさらに一致に向かうことが大事なようです。
Ⅲ.一致に向かう努力
A.一致に必要なもの・赦し
1.一致するためにはかなりの努力を必要とします。しかし好きであればその努力自体も楽しくなるものです。それ自体は世の中も教会も変わらないと思います。しかし、教会が世の中と違うのは、聖霊によって一致するという点でしょう。それは、イエス様が好きとか教会が好きとかを超えて、イエス様を愛し、教会を愛するからこそです。
2. コロサイ3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 とあるように、愛こそが教会の一人一人を結び合わせるのです。この部分の前後を見てみましょう。コロサイ3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 とあります。
3.このパウロの教えは 深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け 感謝の心を持つ人 になるように努力すること、赦し合うことが教会に求められているのです。こうした姿こそがクリスチャンの姿だというのです。
B.聖霊から来る赦しの力
1.赦し合うという言葉は教会ですからよく使います。最近はこの「赦す」ということが教会外でも大事な事として使われています。しかし、赦すのも自力で赦すというのはなかなか大変なものです。
2.「イエス様の十字架の赦しを思えば私たちの赦しなんて当たり前の事」と言いますが、理屈ではわかっていてもなかなかできるものではありません。これこそ聖霊に導かれないと赦せないのかも知れません。
● 意地悪なお姑さんを愛せなかったある姉妹。寝付いたお姑さんのおむつを強烈に冷たい水で洗いながら、過去のお姑さんからの嫌なことがいっぱい浮かんでいました。ところが、その日、洗い始めると、感謝ばかり湧いて、過去の嫌なこと自体が思い出せなくなったのです。聖霊が姑さんを愛する力をくださったようです。
★ 神様の赦しがみんなに必要なように、教会も互いの赦しを必要としている場合が多いのです。一致の霊である聖霊は私たちの心に働いて赦しをくださいます。