2014/2/2WS礼拝説教
【テーマ】 柔和な人
【説教題】 「求む!柔和な人」
【聖書箇所】 マタイ5:5
5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
○ 短い短い聖書の言葉です。前に見た 5:3心の貧しい者は幸いです。 と 5:4 悲しむ者は幸いです。 は理解しにくいけれども、ここの 柔和な者は幸いです。 は納得できそうです。とは言え、柔和な人とはどんな人なのでしょうか?
Ⅰ.柔和な人とは?
A.柔和の意味
1.辞書では 「性質や態度が、ものやわらかであること。」とあります。
2.聖書辞典には、柔和という言葉の元の意味は「卑しい、抑圧された奴隷状態にあること」で、そこから転じて「自分を神の貧しいしもべと見なし、神の意志に完全に服従し、隣人に対しても怒りや傲慢な思いを抱かない状態」と言っています。
3.英語の聖書では meek(おとなしい、柔和な、温和な、いくじのない、ふがいのない、屈従的な)、humble(謙そん[謙虚]な、偉ぶらない、つつましやかな)、gentle(優しい,、親切な、思いやりのある、厳しくない、寛大な)の3つの言葉が見つかりました。
B.柔和な人の意味
1.バークレーば注解書の中で、柔和な人のことを「怒るべき時に怒り、怒るべきで無い時に怒らない人」と言っています。そして、「いつ怒るべきか、いつ怒ってはいけないか、という問いに対しては一つの原則があり。それは、自分に加えられた侮辱や損に対しては怒ってならない。クリスチャンは恨んではならないということである。しかし、他人が傷つけられた時には怒らなければならない場合がしばしばある。自分中心の怒りは罪であるが、自我を滅した怒りは、この世の偉大な道徳の力である」と言っています。
2.塚本虎二はここのところを「踏みつけられてもじっと我慢している人」と訳しています。前田訳は「砕かれた人々」です。
3.こうしてみてみると柔和な人というのは、自分のために幸せを求めているような人では無く、他の人に幸せを運ぶ人のように見えます。
Ⅱ.柔和な人は幸いなのか?
A.犠牲的な生き方が幸せか?
1.ひろさちやさんの「幸福論」という本の中に、インドでは「幸福」という言葉の代わりに「いい状態」という表現を使っているということが書いてあるそうです。不幸は「悪い状態」だそうです。何が「いい状態」で何が「悪い状態」なのでしょうか? どうしても一般的に「いい状態」はお金があって、健康で、トラブルが無いことかも知れません。
2.とすれば、前に見てきたマタイの福音書 5:3心の貧しい者は幸いです。 と 5:4 悲しむ者は幸いです。 はインドではとても幸福とは言えないわけです。いや、私たちの周りでも同じでしょう。
3.多くの人は「柔和になれる人は、幸福に満ちているからなれるのだろう」と考えるのではないでしょうか? しかし、どうも聖書が言う柔和はかなり犠牲的な姿に見えます。
B.聖書は柔和な人になることを求めている
1.ゼパ 2:3 主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。【主】を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、【主】の怒りの日にかくまわれるかもしれない。 とあり、柔和になれば裁きの日に救われるかもしれないようです。
2.柔和になる事を求めている聖書箇所は、コロ 3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 Ⅰテモ 6:11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。Ⅰペテ 3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。 など他にもあります。
3.人に対する態度も ガラ 6:1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。 Ⅱテモ 2:25 反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。 エペ 4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 などがあります。
Ⅲ.柔和な人はイエス様
A.本当に柔和な人とは?
1.新改訳聖書は 民 12:3 さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。 と書いていますが、この「謙遜」という言葉は、口語訳聖書では「柔和」となっています。つまり、モーセが一番柔和な人であったようです。
2.ところが、 ゼカ 9:9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。 と預言されたのはイエス様です。
3.イエス様こそ誰にもまして柔和なお方でした。なぜなら ガラテヤ5:22-23 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 とあり、御霊の実を結んだのイエス様だけですから。柔和の実を結んだイエス様は その人たちは地を受け継ぐから のとおり、この地をサタンから勝ち取られました。
B.私たちも柔和になれる
1.私たちはとてもイエス様のようにはなれません。モーセのようにだってなれないと思います。「柔和な人」というのは私たちにとってあまりにもかけ離れた姿なのでしょうか?
2.しかし、私は自分の周りを見回しても「柔和な人」を思いつけるのです。もちろん、イエス様と同等という意味ではありません。.そして、私もやはりその柔和な人が好きです。安心できます。心が開けられます。
3.でもその本人は自分が「柔和」だと気づいていないかも知れません。柔和とかいう品性は滲み出るものだと思います。イエス様のようにです。時間をかけて実を結ぶものなのでしょう。
● 先日、天に帰られたマクレン先生は柔和な方でした。そばにいるだけでホッとできました。お会いした時はいつも温かな笑顔でしたし、過剰で無いハグをしてくださる先生でした。
★ イエス様にへばりついてる人、イエス様から離れない人、イエス様が好きで、人を愛する人は柔和になってくるようです。 その人たちは地を受け継ぐから。 と、神様もそういう人に安心してこの地を与えてくださるのです。
最後に詩篇37編34節を読みます。
【主】を待ち望め。その道を守れ。
そうすれば、主はあなたを高く上げて、
地を受け継がせてくださる。
あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。