バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

私に力を与える言葉

2020-10-31 07:33:06 | 礼拝説教
2020/11/1 礼拝説教
【テーマ】  人を生かす言葉
【説教題】 「私に力を与える言葉」
【聖書箇所】 Ⅰコリント1:18
1:18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

○ 私は何か考える時、日本語で考えます。というより、私にはそれしかないのです。英語の堪能な方は英語で考えるといいます。それぞれ母語があり、基本的には母語で考えるのです。
 
Ⅰ.御言葉を蓄える
A.安心できる音声
1.赤ちゃんはお腹の中にいる時から言葉を聞いて蓄えていると言われます。お腹の中でお母さんの声を一番よく聞いています。寝付かない赤ちゃんにお腹の中で聞いていた音を聞かせると落ち着いてすぐ寝付くといいます。一番安心できるところで聞いてきた音だからでしょう。
2.語る言葉も音ですが、その音には気持ちがこもっています。ですから私は時々活字調のメールで困ることがあります。気持ちを表し切れていないからです。最近は絵文字、スタンプなどで表すことができるのかもしれませんが、まだまだ限界があります。

B.良い言葉を蓄える
1.子どもは成長していく中で、良い言葉も悪い言葉もわからずどんどん蓄えます。人間は脳に蓄えた言葉でしか考えることはできないのですから、悪い言葉を蓄えると悪いことを考えます。良い言葉を蓄えると良いことを考えます。だから子どもには良い言葉を与えるのが大事なのです。良い言葉の宝庫は聖書です。大人も子どもも聖書の言葉、つまり神の言葉を蓄えると良い考えができるようになります。
2.今日のテキストに 十字架のことば とありますが、これはイエスの言葉です。イエスの言葉で救いを得た人がたくさんいます。聖書の言葉を少しでもいいから蓄えると人生に大きな変化があるのは間違いの無いことです。

Ⅱ.御言葉を使う
A.言葉を正しく使えるように
1.言葉を覚えて、その言葉と実際の「もの」が繋がることで言葉に意味が出てきて話が通じます。「水」という言葉と「水」そのものが一致していると「みず」と言っただけで「水が欲しいんだな」とかわかるわけです。言葉と実物を違って覚え込んだら通じないばかりか、後々の思考にも影響します。言葉を蓄えて正しく使えるようになることが必要なわけです。
2.聖書の言葉、つまり神の言葉も同じで、正しく理解していないと人生そのものがおかしくなります。昔、アメリカ映画の中で犯罪人が警察に捕まった時に、警官から「名前は?」と聞かれて、彼は「カイン」と答えました。警官は「珍しいな」と。すると彼は「両親が聖書をよく知らなくて、良い人物の名前(アベル)を付けたつもりだったらしい。だからこんな人間になっちまったよ」と言うのです。聖書を正しく知っておくことが大事です。

B.言葉で神の思いを知る
1.人とのコミュニケーションに言葉が必要なことは当然です。言葉を豊かにすることで自分の気持ちをより的確に表現できますし、頭の中で整理できます。そして、言葉で自分の気持ちを神に言い表すこともできるのです。それが祈りですね。祈りというのは神との会話とも言われています。
2.そして、同時に神の言葉である聖書を通して、神の思いを知ることができるようになっていきます。神の言葉を多く蓄えることで、聖書の全体像を掴み、神のお考えが見えるようになって来ます。そうして聖書の言葉を思い巡らすことで、自分の正しい生き方を決めることができるようになるのです。
3.神は今も生きて働いておられますから、私たちが祈る時、神も話しかけてくださるのです。多くの場合、それが聖書を通して語られるのです。

Ⅲ.御言葉で生きる
A.大きな力を持つ言葉
1.人の言葉は他の人にイヤな思いをさせることもありますし、反対に励ましたり慰めたりすることもあります。言葉が人を生かしもし、殺しもするということです。傷つける言葉、辱める言葉、結構悪い言葉は多いものです。近年のネット環境は多くの人を苦しめる言葉が多すぎるのではないでしょうか?
2.イエスはそういう人間の内側をこのように言われました。 マルコ7:20 イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。7:21 内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、7:22 姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、7:23 これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」 人の内側には良い言葉もありながら、悪い事を言いやすいようです。
3.ですから、言葉で人を生かすことができたらどんなに嬉しいでしょうか。自殺を考えた人がいのちの電話に電話して生きることにした人が多くおられます。人の言葉でも大きな力を持っています。ならば、神の言葉はもっと大きな力をもっていると思いませんか。

B.十字架の言葉
1.今日の聖書にある 十字架のことば に力があるのです。十字架の上での言葉を一つ取り上げてみたいと思います。 ルカ23:34 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 このイエスの言葉は当然神の言葉です。自分の罪を認めて悔い改める人にこのイエスの言葉は実行されます。つまりイエスを十字架につけるほどの罪が神に赦されるのです。
2.イエスを信じる者には 十字架のことば 聖書の言葉は神の力となるのです。 ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 とあるように、イエス・キリストが神の言葉です。イエス・キリストを私たちの心に迎えることが救いで 救われる私たち と言えるわけです。 十字架のことばは、救われる私たちには神の力です。 と言えるのです。

★ あなたにも十字架の言葉で救いがすでに用意されています。ぜひ、イエス・キリストをあなたの救い主として信じてください。そして、神の言葉