
写真説明:1年ぶりに蔵から引き出された地車(だんじり)は
組み立てられて,試し引きが行われました。
太鼓連も乗り込んで,ドンドン祭り囃子を響かせて町をゆきます。

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私の生まれは,京都市左京区下鴨下川原町(しもがもしもがわらちょう)でした。
近くの下鴨神社(世界遺産になってしまいました)の
広い境内が遊び場所でした。
下鴨神社の裏に,幼稚園はありました。
小学校は近くの下鴨小学校でした。

昭和16年12月8日に大東亜戦争が始まり,戦時体制になっていきます。
小学3年の夏,父親の仕事の関係で満州に家族で渡ります。
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艦砲射撃で焼け野原になった浜松の親戚を頼って満州から引き揚げてきました。
下鴨神社の裏にしばらくして帰ってきました。
私は中学3年生から京都で生活が始まりました。
京都はアメリカの空襲がなかったので,
渡満前の京都がそのまま残っていました。
私の満州時代は夢のように感じました。
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京都は無傷なので,市内電車は残っています。
高校時代,学校の帰りに,気が向くと乗ったことのない系統の市電に
乗って終点まで行きます。
そして終点から乗った所へ帰ってくる。
その系統を覚えるということを繰り返していました。
京都市内の大体の地図が頭にはいりました。
初めての系統の市電に乗るときは,どこへ行くのか方向が分かりません。
電車は線路の通りに走りますから,交差点で,
左に曲がるのかまっすぐに行くとかが分かります。
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世の中が進んで,モータリゼーション時代になって、
京都から市電が撤去されました。
市バスが交通手段になってしまいました。
市バスは市内をどう走るのか分かりにくいのと、
新しい系統の市バスに乗って終点まで行く情熱が沸きませんでした。
東京や大阪も市電が撤去されました。

京都の場合,日本で一番古い市電として,線路は狭軌で、
京都駅前西側→西洞院→堀川通→北野天満宮前までの
「チンテン」電車まで撤去してしまったのは、残念です。
大阪万博後、テーマパーク化した京都の観光の目玉が少なくなりました。
この「ちんちん」電車は,名古屋の明治村で満員の乗客を乗せて、元気に走っています。
写真の電車の屋根にビューゲルがついていますが,
もとは下の写真のように2本のポールでした。
京都の市電は全線2本のポールで集電していました。

時代小説の話を書こうと思っていましたのに,脱線してし舞いました…。
