今日のうた

思いつくままに書いています

あちらにいる鬼

2019-06-18 09:36:34 | ⑤エッセーと物語
井上荒野著『あちらにいる鬼』を読む。
作者の父である井上光晴とその妻、父の愛人であった瀬戸内寂聴をモデルに、
作者が5歳の1966年から2014年までをそれぞれの目線で書いている。

読みながら、「なぜ作者はこの小説を書いたのだろう?」
「なぜ書かねばならなかったのだろう」と、何度も何度も考えた。
当事者が当事者の目線で書くなら解る。
また子どもである作者が、彼女の目線で3人を描くのなら解る。
また3人が故人というなら解る。(両親は亡くなっている)
自分の記憶や瀬戸内に聴いた逸話などを膨らませながら、
フィクションとして書いたのであろうが。

瀬戸内はなぜ、彼女が書くことを許したのだろう。
愛した人の忘れ形見に、二人のことを記録させたかったのだろうか。
あるいは、彼女が文壇で活躍する手助けをしたかったのだろうか。

私が一番印象に残っている場面は、瀬戸内が井上と愛し合おうとする
まさにその時に、そして彼への当てつけに若い男と関係を持とうとする
まさにその時に、突然生理が始まり、二人の男の指を赤く汚す。
私の勝手な解釈だが、作者は父や瀬戸内に復讐したかったのではないだろうか。
二人の関係がたとえどんなに特別なものであったにしても、
それを書かずにはいられなかったのではないだろうか。 (敬称略)

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