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戦禍の記憶(1)

2019-07-20 12:01:35 | ⑤エッセーと物語
大石芳野写真集『戦禍の記憶』を読む。
市の図書館で『長崎の痕(きずあと)』を探したのだが、見つからなかった。
(7月20日に予約できました)
新刊案内で『戦禍の記憶』があるのを知り、お借りすることにした。

大石さんは今年になって3月に『長崎の痕』、4月に『戦禍の記憶』を上梓している。
写真集は価格が高いので、図書館で借りられるのはありがたい。
だが『戦禍の記憶』は私が借りるまで、誰も借りてはいなかったようだ。
そして今も、どなたも借りてはいない。
見るのがつらい時もあるが、こうした写真集を直視ことが
歴史を知るきっかけになるのではないだろうか。
見たくない歴史から目を背けていたのでは、都合の悪い歴史をなかったことに
していたのでは、また同じ過ちを繰り返す。

保阪正康さんがこの写真集の前書き、「歴史の記憶を共有する想像力」を書いている。
その中の一部を引用させて頂きます。
大石さんは写真を撮るだけではなく、さまざまな方を訪ねて、
彼らの体験を聞いていたのだ。

 しばらく彼はどなっていた。やがて息を荒げ、目を黙している私に気づき、うつむいた。
 5分ほど後になろうか、興奮を抑えて、「軍隊時代の記憶に触れると怒りが抑えられ
 なくなってしまう」とつぶやいた。「日本の軍隊は人間を獣に変える空間だったのだよ」
 ともつぶやき、そして努めて明るい口調で、「今日は帰ってほしい」というのであった。

 中国戦線で残虐行為を働いた元将校は、公式には日本軍はそういう行為を働いて
 いないと強弁していた。しかし私との対談で、「実は」と言い、「大隊に命令を出して
 捕虜を処刑した」とあかした。「決して書かないで欲しい、もし書くなら
 私の名は出すな、孫子に迷惑がかかるので」と言った。
 このような例を私はいくつも聞いているのだが、戦争は人格を変えなければできない、
 というのが彼らの結論でもあった。
 彼らはそのことを口にできず、密かに悩んでいたのである。
 しかし心の底では自らの苦悩を口にして、死んでいきたいと考えていたとも告白する。
 戦争によって変えられた人格を心の底から消して死にたい、と漏らした
 将校の言に私は驚いた。

 戦争体験や戦時の兵士体験を聞いていて、私は次第に私自身が彼らの悲惨な、あるいは
 非人間的な行為の苦しみを共有することになった。加害、被害にかかわらず、
 戦禍の記憶や記録を次代に伝えようとすることは、つまりその役を引き受けた瞬間に
 彼らと共に懊悩も悔恨も、そして自省も引き受けるとの覚悟が
 必要とされることに気づいた。

 この写真集のタイトルは「戦禍の記憶」だ。大石さんは
 「アフガニスタン 戦禍を生きぬく」という写真集も出版している。
 「戦火」ではなく「戦禍」。「戦火」ならば、銃弾が飛び交う中、
 兵士や住民が撃たれる場面を撮る戦場カメラマンの仕事になる。
 大石さんは「戦禍」にこだわる。
 戦争が終わった後、住民たちがどのような人生を歩まされたのかを
 追うことを主たるテーマにしているからだ。
 「戦争は人間が犯した政治の暴力で最も罪深いもの」と大石さんは言う。
 「その戦争に普通の人たちが翻弄され、命をもてあそばれていくのは
  許し難いと思っている」。

 いつの時代、どこの国であっても、戦乱に巻き込まれて最も苦しみ、悲しむのは
 弱い立場の女性や子どもだ。アフガニスタンやコソボなどで、
 大石さんは多くの子どもらに接し、撮影した。
 それらの写真を見ると、背後にある優しいまなざしを感じることができる。
 (2につづく)





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