今日のうた

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戦禍の記憶(2)

2019-07-20 12:00:20 | ⑤エッセーと物語
大石さんのあとがき、「戦禍の跡を辿って」の最後の部分を引用させて頂きます。

 終わっていない戦争が国内にもまだまだ随所に残っているだろうけれど、
 その最大が沖縄だろう。沖縄にはまさに現在進行形で激しかった沖縄戦の
 影が濃く遺っている。唯一の陸上戦になったことで住民が日米両軍の砲火の
 雨に晒され、米軍の艦砲射撃は「地形も変えた」と逃げ惑った人びとは言う。
 住民の4人に1人が亡くなった。
 ようやく平和が訪れるかと思ったら、すぐにアメリカ軍支配下に置かれて、
 27年間も「米軍の家族が飼っているペット以下の扱い」を受けたり、
 兵士による事件も後を絶たなかったりした。人びとは日本復帰に向けて運動を重ねて、
 とうとう1972年にそれを果たした。日本国憲法のもとに帰れると期待した。
 けれど沖縄の人たちは無視され裏切られ続けた。

 今も米軍基地は、狭い沖縄に7割以上が集中している。異常な事態だ。
 基地を減らす政策を立てるのが筋だろうに、撤去予定の普天間基地に代わる
 新たな基地を辺野古の海を埋め立てて造ることを、日米両政府は進め続ける。
 沖縄を同じ日本というよりは、単なるコマ合わせやご都合主義の対象としてしか
 見ないのかと疑いたくなる。

 激しかった沖縄戦の後遺症はこうした米軍基地に象徴されている以上、
 実は一人ひとりの心身の奥深くに生き続けている。
 時に激しく浮かび上がってくる戦場の記憶に酷く苦しめられる。その苦悩は、
 おそらく一生涯にわたって続くかもしれない。しかも土のなかや自然壕のなかには
 人骨がまだまだ散らばるように遺っている。そうした人びとに私たちはどれだけ
 心を寄せられるだろうか。
 人間のいのちや人権よりもアメリカに半ば従属するような政治的関係が大事だと、
 いつまで言うのだろうか。
 同じ日本人として、同じ時代に生きている者として、どのように沖縄に
 心を寄せていけるのだろうか。

 国際関係において、たとえ表面的に平和と見えたとしても、いちど戦争を体験すると、
 それぞれの国の個人のなかでは戦争がいつまでも続いている。終わりはない。
 だから、戦争は悪なのだと私は叫びたい。これからどうなるのだろうか。
 不安がよぎる状況を無視しないように心がけて、人びとの内なる闇を
 見逃さないように向き合いながら、私は写真で伝え続けていきたい。
 (引用ここまで)







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