今日のうた

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自由思考 (2)

2019-09-03 16:11:29 | ⑤エッセーと物語
⑥不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。
 それは別にいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、
 過去の汚点(おてん)、第二次大戦での日本の愚(おろ)かなふるまいを
 なかったことにしようとする。
 「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら
 気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。
 そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか
 「強い政府」を肯定しようとする場合がある。
 これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、
 経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、
 「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が
 働く流れを指摘している。

⑦僕たちは今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、
 いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。
 政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、
 格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことが
 できるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるの
 ではなく、あらゆる方面からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで
 見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導
 されることが多々ある。
 いずれにしろ、今年(注、2016年)は決定的な一年になるだろう。

⑧原発は、生命をもつような、怪物と言っていい。人は怪物を飼いならしながら
 生きている。そういう場合、人間の側は、一瞬の隙も見せてはならないはずだった。
 でも、隙だらけだった。現場の人間がではない。方向性を決める者、管理する者、
 指導する者がだ。要するにずっと昔から、いかにも日本的に、大丈夫大丈夫と
 言い合いながら、政官民で馴れ合っていたわけだ。

 情報が集まるにつれ、僕が柔らかい自分の身体を感じているしかなかったあの激しい
 揺れの数分という時間が、大勢の人間の命が亡くなった時間であり、さらに大勢の
 人間の命を失わせることになる、津波という巨大なエネルギーの誕生の時間であり、
 人間に飼い慣らされている振りをしていた、原発という、まるで生命をもつような
 怪物が、暴走を開始した時間であったことも知る。

 国は、福島第一原子力発電所の完全廃炉まで云(うん)十年、などと言っていないで、
 完全廃炉にする「速度」を速めるための「技術革新/研究」に、全力を尽くすべきだ。
 現在の技術だけで進めてはならない。事故の収束への技術、廃炉にするための
 「速度」を上げる技術を、革新的に飛躍させるべきだ。一体、そのための研究や投資を、
 国はどれだけしているというのだろう?口だけで希望といっても現実は変わらない。
 のんびりしている暇は一瞬もない。問題は「速度」なのだから。

⑨表現の自由、という言葉の解釈は歴史的にも多岐(たき)にわたるが、基本的には、
 国家権力に検閲(けんえつ)されず、たとえ国家権力にとって都合の悪い主張でも 
 表現できる自由を指す。だから、懐(ふところ)の狭い独裁政権には、
 表現の自由がない。
 少数派を傷つける言動を守る言葉として、本来使われるものではない。

⑩さらに言えば、今回(注、2017年の衆院選)は台風の影響もあり投票率が
 戦後2番目に低かったが、投票に行かなかった人も含めた全有権者の割合で
 見ると、比例で自民党に投票した人は約17%しかいない。
 積極的に選挙に行き、比例で自民党に入れた人がそれだけしかいないということだ。
 この中には組織票も当然あり、北朝鮮のミサイルを考え入れた人もいるだろうから、
 積極的自民党支持者の割合は今、とても低くなっていることになる。
 なのに、議席は全体の6割を占める284議席。
 結果は虚像としか言いようがなく、議席の錬金術(れんきんじゅつ)のようである。

⑪安倍政権を何でも擁護する人たちにとっては、そもそも都合の悪い文書もデータも
 見たくないから、それでいいのかもしれない。政権もニコニコし、支持する人たちも
 ニコニコしながら、実際の事実はないがしろにされ続け、この国はどんどん劣化して
 いくだろう。私たちは今、国家というものが私物化されていく、めったに見られない
 歴史的現象を目の当たりにしている。メディア内部では今、必死に政権の
 忖度(そんたく)に走る上司がちらほらいる噂も聞く。いい大人がみっともない。
 存在として恥ずかしくないのだろうか。部下からどう見られているか
 少しは考えた方がいい。
 もううんざりではないか。自民党はこのままでいいのか。

⑫日本の政治から、恥の文化が失われたのかもしれない。
 恥には周囲の目を気にする概念と、自分で自分を見つめた時にどう思うか、の
 概念があるが、今の政治には二つともないのかもしれない。
 森友問題にしろ、加計問題にしろ、首相や首相周辺を守るために役人がうその
 答弁を国会で吐き続け、文書を隠し、時に改ざんしていると多くの人にみられている。
 そんな状態の国会へ、首相は一体どんな気持ちで行くのだろうか。
 昔の日本人なら、周囲の目を思い、また自分自身を省(かえり)みて潔(いさぎよ)く
 辞任しているように思う。                       ③につづく
 



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