身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

by NACS-J認定 自然観察指導員 松田 照之

もう一つの違和感・・・外来魚駆除について

2019年09月27日 18時52分44秒 | その他
先ほどの記事で、地球温暖化防止ということに違和感を感じるとお話しましたが、もう一つ環境問題について違和感を感じていることを思い出しました。

それは「外来種駆除」です。
これは多くの場合、池の外来魚駆除として行なわれます。

しかしながら、一度入ってしまった外来魚を根絶するのは、まず無理です。
それよりも本当の目的は在来種を守ること。外来魚の駆除は手段の一つであって目的ではないはずです。
手段としては、多少の外来魚がいたとしても、在来魚が逃げ込んだり生き延びたりすることのできる環境づくりの方が大切なのではないかと思うのです。
以上の理由から「外来魚を駆除しよう!」には違和感を感じます。
「在来種を守ろう!」であってほしいです。

もう一つ。
池の中だけに外来種がいるわけではありません。
植物も在来種の野草が次々と絶滅へと追いやられています。
地面を舗装したり土手を削ったり、野草を刈って花壇にしてしまうからです。
花壇に植える植物は園芸植物で外来種。在来種ではないです。

私ももちろんですが、在来種の野草を守ろうとする人たちも、ちゃんといます。
でも、世の中では在来種の生育環境をどんどん壊して外来種をたくさん植えているのに、在来種の野草を守ろうとする人が非常に少ないことに違和感を感じざるを得ません。


最近の環境の話題にモヤモヤしています

2019年09月27日 18時25分58秒 | その他
スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリさんが話題となっています。
賛否両論ああるばかりでなく、賛成意見を示す人を批判したり、否定的な意見を示す人を批判したりと色々です。
こうした意見のやりとりを見ていて、私もモヤモヤしているので、ここで私なりの考えをまとめておきたいと思います。
水と緑と生命の星としての地球の環境を守っていく必要があるということを大前提とします。

まず、たった一人で地球環境を守ろうだなんて、無理です。(地球規模で環境を守ろうということは無理だという意味です。)
だから多くの人々に訴えるのです。
多くの人々による環境行動や社会的な変化を促そうとする目的で訴えることは悪いことではなく、むしろ良いことなのではないでしょうか。

環境問題を訴える人物は、しばしば次のような批判を受けます。
それは、「あなたも現代文明の恩恵を受けているではないか。それなのにその現代文明を否定する資格などない。」などというものです。
しかしながら、おそらくグレタ・トゥンベリさんは、自分のできる範囲でできることはやっていると思います。
金銭や人気取りなど、不純な動機の環境活動家もいることはいますが、そうではなく純粋な気持ちで活動している人たちの方が主流だと私は思っています。
このように純粋な気持ちで活動する人を批判すべきでないと思います。
なぜなら、本当はみんなが考え行動しなくてはならないはずの問題だからです。
今回のような話題に乗ってブームとして活動する人たちも中にはいらっしゃるでしょう。
もちろんブームに終わらず、長くまた核心に迫るようにして活動していっていただけたら更に良いなとは思いますが、それがきっかけに環境に関心を持ってもらえたなら、それだけでも悪くないのではないかと思っています。

もう一つ、環境問題に関する訴えに対して、次のような批判のあることもあります。
それは、環境を第一に考えるなら人間は滅んだ方が良いとか、原始時代に戻らないとそんなことはできないというものです。
ですが、そういうことではありません。
人は元々、自然環境から大きな恩恵を受けていることを理解していて、共存を図ってきたのです。
世界の中には、そうではない国々や歴史も見受けられますが、少なくとも私たち日本人も自然と共存する文化を持っていました。

私たち日本人は元々、里山の暮らしという、自然と共存する文化を持っていました。
いまでも田舎と呼ばれる環境の地方、地域にはそうした暮らしが残っていると思います。
人間は滅んだ方が良いとか、原始時代に戻らないとできないとかいうことではなく、田舎の暮らしや環境を都市にも少しでも残すこと、少しでも取り入れることが肝要なのです。
それは国や市町村レベルで取り組むことは勿論不可欠なことではありますが、個人レベルでも行なおうことも決して不可能ではないと思います。

地球が危ないという表現とガイア説について

2019年09月27日 18時09分29秒 | その他
地球レベルでの環境問題を提起する時、地球が危ないという表現が用いられる場合があります。

これはガイア説に基づいたものです。
ガイアとはギリシャ神話の大地の女神のこと。
ガイア説とは、大地を女神とみなすように、地球を一つの生命体のように見立てたものです。

私たちの身体は細胞からできていますが、細胞は組織を作り、組織は器官を作り、それらで身体ができています。
生きものたちもそれを同じ。さらに様々な生きものたちが関わり合って生態系ができています。
そして、地球の大気や海洋と生きものたちとは切っても切れず、お互いに絡み合う関係であることなどから、ガイア説が提唱されました。
現在では地球システム科学とも呼ばれていて、研究が進められているようです。

ガイア説のような視点で地球を見ることの知らない方にとっては、地球が危ないといってもピンと来ないかもしれませんが、地球が危ないというのは地球全体の生態系、地球レベルでの生態系が危機に陥っているという意味なのです。

地球レベルという意味で地球を擬人化するような半面、個々の生きものたちやその生息環境の危機にふれられにくい傾向があります。
環境問題は両方の視点が大切となると思います。

私個人が行なうには、地球レベルの環境問題への取り組みはちょっと大きすぎると感じています。
これに関しては情報や知識を取り入れるのみとなるかもしれません。
生物生息環境の保全や自然体験としての自然観察会の運営は、これからも行なっていきます。

環境問題・・・本当に守るべき環境

2019年09月27日 15時55分02秒 | その他
環境問題というと地球温暖化がまず取り上げられるのですが、私はこれに違和感を感じるのです。

それは、環境問題で本当に守るべき環境とは、水と緑と生命の星としての地球の環境だからということが、まず一つ。
そして、その環境を壊しているのは温暖化だけではないからということが二つ目の理由です。

環境問題に取り組む場合、「温暖化を防止しよう!」ではなく、「(地球の、国の、地域の)自然環境を守ろう!」や「生物多様性を守ろう!」または「森や湿原、川や池(その他、干潟やサンゴ礁など生物の生息環境)を守ろう!」などと言った方が、私はスッキリしますし、わかりやすいです。

地球温暖化について

2019年09月26日 07時38分48秒 | その他
地球温暖化については、ずいぶん前から指摘されていました。
1980年代に「西暦2000年の地球」という書籍が出版されましたが、この本の中で述べられていたと思います。

しかしながらその後、「二酸化炭素の増加で地球温暖化が起こるなんて嘘だ。」とか「温暖化自体が起こっていない。」などとする地球温暖化懐疑論と世呼ばれる学説(?)も出始めました。
現在ではさらにその懐疑論も嘘だと言われ、混乱をきたしています。

さて、本当のところはどうなのでしょう。
地球の平均気温は上昇し続けています。各国による気象衛星による計測等によるものでしょうから、嘘ではないでしょう。
地球温暖化は起こっていない。逆に氷河期に突入していきているという話もありますが、それはここで消えます。

では温暖化の原因ということなのですが、地球の平均気温の上昇が大気中の二酸化炭素濃度の上昇と比例しているため、二酸化炭素の排出が原因だといわれています。
その他、太陽活動の影響だとか、地軸がズレたためだとか、いくつかの話があります。
太陽とか地軸が原因だとすると、それは人間の影響が原因なのではありません。
でも、本当に人間の影響によるものではないのでしょうか?
人間が自然環境すなわち地球上の自然環境に与えている影響というのは、微々たるものでしょうか?
人間がその活動によって二酸化炭素を排出し、自然を壊しまくっても、地球の自然環境に大した影響はないのでしょうか?

ヒートアイランドという現象があります。
都市はアスファルトやコンクリートばかりでできているため、熱がこもり、周囲と比べて気温が高くなるという現象です。
アスファルトやコンクリートが原因となってはいますが、元々そこが都市でなく森林や草原水辺があったのだろうということを考えると、人間が都市的環境を拡大したり強化したりすることで、森林や水辺を壊したためにその環境調節機能が失われて起こるという見方ができます。

マイクロプラスチック、劣化プラスチックの問題も大きく取り上げられるようになっています。
私たちが普段使用するプラスチックでできた様々なものが最終的に海に行きつき、海洋生物を死に追いやっているというものです。

一人一人では小さくても、都市という大規模な人の居住圏として見た場合、また自然に分解しない物質の物を私たちのほとんどが使用していることを考えれば、地球の自然環境には大きな影響は当然あると考えられます。
ですから私たちは環境問題に取り組む必要があります。
水と緑と生命の星としての地球環境を守っていくためです。



温暖化防止も大切かもしれませんが、生物多様性の保全を忘れないで!

2019年09月26日 06時16分15秒 | その他
2012年に愛知県でCOP10が開催されました。
生物多様性条約締結国会議の第10回目です。

その時「生物多様性2012-2020」が採択されたのですが、その後この施策はどうなっているのでしょう。
ちゃんと進められてきたのか、どれくらい進んだのか、ちょっとわかりません。

トゥンベリさんが地球温暖化について気候行動サミットで演説したということが、広く報道で取り上げられ、数年ぶりに環境問題が大きく取り上げられたという話も出ています。

ただ、温暖化だけが大きな環境問題なのかといったら、それは違うのではないかと思います。
温暖化は確かに地球規模の大問題ではありますが、トゥンベリさんも言っているとおり、生きものたちの大量絶滅ということが本当の大問題なのです。
人間の活動により温暖化が起こり、それによって絶滅が起こる。これは確かです。
ですが、絶滅の原因は温暖化だけではありません。
むしろ直接自然を壊すことで生きものたちの絶滅は進んでいるのではないでしょうか。

私たちが守らなければならないのは、水と緑と生命の星としての地球の自然環境です。
その自然環境は、生きものたちの集合体であり、地球の海や大地や空との結びつきです。
こうした環境問題を考える時、どんな環境を守らなければならないのか、そのことを忘れないようにしましょう。

気候行動サミットの話題

2019年09月26日 05時22分24秒 | その他
9月23日にニューヨークで行われた気候行動サミットで、スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリさんが演説したことが各種報道で話題となっています。
発言内容や、トランプ大統領の反応などが取り上げられていました。

トゥンベリさんは演説の中で「私たちは大絶滅の始まりにいる。それなのに、あなた方が話すことと言えば、お金や永続的な経済成長というおとぎ話ばかりだ。よくもそんなことを!」と発言したといいます。
永続的な経済成長というおとぎ話・・・。私は「持続可能な発展」という言葉に内心は大変疑問を持ちながら、外に向けて「永続的な経済成長というおとぎ話」とまで強く言う表現はできませんでした。

都市というのは建物や道路や管(水道やカス管)や線(電線など)ばかりでできており、水や食物、その他いろいろな環境調節作用を周囲の自然豊かな環境に頼っています。
都市、都市に暮らす私たちも自然豊かな環境、田舎的な環境に支えられているのです。

「都市の環境の方が良い。自然環境を壊して都市環境を広げ強めて行こう!」と言って、そうしていってしまったら・・・。
ですが、そうしてしまっているのが世界また日本での傾向です。

発展というのは今のところ、自然を壊すことで成り立っています。
その自然を壊し尽くしてしまったら、持続可能な発展なんてありません。
こう考えると、それはグレタさんの言うように、おとぎ話でしかないのです。

バブル経済が崩壊した直後も、3・11の直後も「これからは物質的豊かさでなく、精神的豊かさが求められるようになってくる。」というようなことが言われ、確かに一時的にはそのようになりました。
でも世間一般では、もうそんなこと忘れられてしまっていますね。
残念なことです。

私にはトゥンベリさんのように社会に広く訴えていくようんな活動はできません。
それでも、これからも個人の生活の中でできることや、身近なところに働きかけて活動をしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。




2019年内の活動について

2019年09月22日 09時01分56秒 | 1-1.菊名エコクラブの町なか自然教室
もう来年のカレンダーの販売が始まっている、そんな時節となりましたが、今年はまだ秋と冬が残っています。

秋には三ツ池公園で「どんぐりの自然観察会」と「秋の野草たちの観察会」があります。
また、自然観察会ではなくボランティア作業となりますが、水生植物の生育場所の草刈り等を同じく三ツ池公園にて行なうつもりです。
「どんぐりの自然観察会」はお子様向けと言われることがありますが、どんぐりの種類や見分け方をお話しますので、大人の方たちも楽しんでいただけると思います。
「秋の野草たちのの観察会」は野に咲く秋の草花を歩きながら見つけ、ちゃんと名前があり、雑草ではないということをお話していきたいと思っています。

日程は近日中に載せます。



野外生活の思い出(2019年夏)

2019年09月02日 10時36分47秒 | その他
今年ももう夏が終わろうとしています。
2018年8月14日に掲載した記事を少し加筆修正して再掲載します。
同じような文章になってしまいますが、このことはとても大事なことで忘れたくないこと。
毎年夏に再掲載を繰り返してい行くことになると思います。

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夏になると思い出すのが、子供のころの夏休みです。
子供のころ、夏休みというとワクワクするものでした。
大人になり、仕事などに忙殺される今でも、やはり夏になると、「短い今年の夏を悔いのないように過ごしたい。」と思う私です。

昔、篠原園地の隣接地に野外活動センターがあり、私の小学生のころ町の子供会で施設を借りて、宿泊施設に宿泊したり、キャンプファイヤーをした記憶があります。
高校生の時は生物部で、合宿でバンガローやテントで睡眠をとった経験があります。
また社会人になってからは、横浜市の野外活動指導者養成講座を受講し、そこでキャンプや野外生活を経験しました。

野外生活というのは、不便なものです。
食事は野外炊事場で自炊します。
街灯などはほとんどなく、コンビニエンスストアはもちろん、スーパーマーケットさえも車で買い出しに行かなければならない距離にありました。

1日目、2日目はつらいと感じる部分もあるかもしれません。
しかし3日目、4日目と経つに連れ次第に慣れてきて、心地よさや楽しさを感じ、帰るころには「もう少しいたい。」「帰りたくない」と思うようになっているのです。

キャンプファイヤーというものは、豪快に火を燃やし騒ぐものではありません。囲炉裏や落葉焚きを囲むように、静かに燃える火をみんなで囲んで、交流を図るものなのです。
具体的にはキャンプの時に歌う定番の歌を歌ったり、ゲームをしたり、語らったりします。
子供のすることのようですが、これが楽しくてたまりません。
野外活動指導者養成講座では、そうした中で少ししんみりした静かな歌をみんなで歌っていると、涙を流し始める人が何人かいました。
私は涙までは流しませんでしたが、何か感じるものがありました。
それは、自分は今ここでいきている。自然の中で、みんなと一緒に。という確かな実感と感激です。
これが人間ほんらいの姿なのではないかと思うのです。

大人になると、また社会人になると、子供のころのように無邪気に過ごしてはいられないものですね。
それはただ忙しいばかりでなく、建前があったり、しがらみがあったり、立場があったりと色々なものに付きまとわれて、本来のありのままの自分ではいられないためなのでしょう。
野外生活の中では、そういったものが取り払われるのだと思います。
そういう意味で、少しでも野外生活のような状況を作り出すこと、そうした機会にふれることというのは、私は大切だと思います。

真夏の夜、「夜の自然探検」の活動の中には、そういった状況(雰囲気)を作り出せるよう、来年に向けてさらに力を入れていきたいと思います。



2019年8月31日の活動報告

2019年09月01日 12時29分22秒 | 1-1.菊名エコクラブの町なか自然教室
昨日の2019年8月31日に行なった活動は、自然観察会や自然教室などのような参加者の方たちの前に出てお話するような活動ではなく、下準備・裏方的な活動です。

三ツ池公園に展示してある、たらいのミニビオトープを更新しました。

昨年の9月に創出したこのビオトープは、その時に現地の土を使用したことから、腐植質が多く水が黒っぽく濁りやすい状態でした。
と言っても決して水が酸素不足になったり、ボウフラが大量発生するなどというような悪い状態ではありません。
ヤゴが脱皮した痕跡もあり、中にモツゴ(クチボソ)を入れていたためか、ボウフラも発生していませんでした。

ただ、ショウブとミクリが元気に育ち、その他の水生植物は消失してしまったため、植え替えも必要だったのです。
パークセンターの裏側から表側へと置き場所も変わりました。


更新前


更新後