身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

by NACS-J認定 自然観察指導員 松田 照之

自粛警察・・・

2020年05月10日 19時14分50秒 | その他
新型コロナウイルス感染症拡大防止策として、国や県から自粛要請が出ていますか、コロナで騒がれるずっと以前から自粛警察と呼ばれるような人はいました。
今はコロナが全国的な課題となり話題となっているため、報道で取り上げられているだけです。

自粛警察という呼び方は、今回の自粛要請に関わることでの呼び名。
コロナに関わる以外のことでも、ずっと前からいる、そのような人たちのことを 自粛警察 と呼ぶのは変なので、なんて呼んだら良いのでしょうか。
「正義の味方もどき」「正義漢ぶった人」という感じになると思いますが。

たとえそれが正義感から出てくる行動だったとしても、節度や礼儀も一緒に携えてコミュニケーションを図らなければ、不快な思いを強く与えるばかりで伝えたいことが伝わらないですし、それ以前に思い違いかもしれませんから、ちゃんと確かめる必要もあります。

私も自然観察会や自然環境保全に関わる意見を表す際には、どうしたら伝わるかということをよく考えながらしています。
それでも、なかなか伝わらない場合があるほどです。
最低限、確認や表現の節度、礼儀を持ってほしいものです。
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希望を持ち、恵みを感じ感謝する。そうしていれば、なんとなく道筋が見えてくるはずです。

2020年05月03日 19時49分45秒 | その他
別のgooブログ「ネイチャー・コンタクト ~ 自然とディープにふれあおう ~に載せた記事なのですが、多くの方に見ていただきたいと思い、こちらにも掲載します。



今年1月に葉山で撮影しました。
綺麗な海と富士山が見えます。
鳥居は神聖な場所を示し、灯台は正しい安全な航路を示してくれます。
鳥居に関してもう少し詳しく言うと「ここから先は神聖な場所」ということを示します。神社がこちら側にあるので、こちら側の神社を示していると思われますが、富士山もまた神聖な場所。風景としては富士山が見え夕景も美しい鳥居の向こう側が神聖な場所とも見ることができます。
私としては、鳥居の向こう側もこちら側も、この風景と風景を形成している環境一帯が丸ごと神聖な地のように感じられました。



夜が迫り暗雲が立ち込めてきました。
けれども、神聖な地はそのままあります。
灯台も光り始めました。

新型コロナウイルス感染症が拡大し、私たちの日常は一変しました。
けれども世界が終わったわけではありません。
日は昇って朝が来て、沈んで夜も来てくれます。
雨も降ってくれ、また止んでくれます。
春から初夏へと移り変わり、木々や草花の緑は生き生きとしていて、花も美しく咲かせています。

私たちの生活は大きく変わり、不安もあります。
人間社会は大きくダメージを受けていますが、地球も太陽も変わらずにあり続けてくれています。

希望はあります。
希望というもの、希望を持つということは大切なことです。
心を静かにし、周りにある良いこと(善いこと)や恵みを探してみましょう。
そして、たとえ小さなことでもかまわないので、自分が良いこと(善いこと)や恵みの発生源となることも大事ですね。
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偶然のようで偶然ではないのかもしれないこともあります

2020年05月03日 19時38分56秒 | その他


今年の2月のことです。
なぜがわかりませんが、とにかく夜の江ノ島に行ってみたくなりました。

明確な目的がなかったので、朝出勤する直前まで迷っていたのですが、行くことに決めてカメラを持って家を出ました。

仕事帰りに江ノ島に直行。江ノ島の上の方まで登っていきました。
江ノ島タワーや桜のライトアップは確かに綺麗ではありました。

何か物足りなさを感じてはいましたが、一通り見るものは見ました。
江ノ島から引き上げようと江ノ島大橋を渡ろうとすると、右の方から綺麗な月が上がってきているではありませんか!

急いで撮影に適した場所を探し、撮影したのがこの写真です。
そして撮影しながら思ったのです。
明確な目的がないのに夜の江ノ島に行きたくなったのは、このためだったのだと。
そういうことってあるのですよね。

月は暗闇の中に1本の道筋を光で示してくれているようでした。

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たとえ姿が見えなくても光はそこにあります

2020年05月03日 19時29分57秒 | その他


ここ数年、私は同じ場所に初日の出を見に行っています。
今年の初日の出は日の出の時刻から10分経っても20分経っても太陽が姿を現さず、帰っていく人々の中から「今年の初日の出はダメだ。」という声が聞こえるくらいでした。

それでも何とか写真になるような瞬間を待ちたいという雰囲気のカマラマンたちが、私を含めて何人か残っていました。

そうして撮影できたのが、この写真です。

たとえ雲が立ち込め、その姿が見えなくても、太陽は地球を照らしてくれています。
姿が見えなくても、光は雲の向こう側にちゃんとあるのです。

本当の「光」はそこにあるのに、単に「光のように感じられるもの」を追い求めるということはないでしょうか。
また、そのために本当の「光」をないがしろにしているようなことはないでしょうか。

あなたにとって本当の「光」は何ですか?
私にとってそれは、心の中にある「希望」であり、無償で与えられる「恵み」であり、なんとなくですが薄々感じられる「導き(のようなもの)」です。

このような「光」はほんらいお金で買うようなもの、お金で買えるようなものではありませんね。
みなさん、心の中では本当は、なんとなくでもおわかりになっていることと思います。

「光」は人によってちがうという意見もあります。
けれども、人として本当に大切にしなかればならないものも共通してあるということも事実です。
でも、そうした本当の「光」を自分の「光」として探して感じ取っていただきたいと思っています。
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