今年ももう夏が終わろうとしています。
2018年8月14日に掲載した記事を少し加筆修正して再掲載します。
同じような文章になってしまいますが、このことはとても大事なことで忘れたくないこと。
毎年夏に再掲載を繰り返してい行くことになると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夏になると思い出すのが、子供のころの夏休みです。
子供のころ、夏休みというとワクワクするものでした。
大人になり、仕事などに忙殺される今でも、やはり夏になると、「短い今年の夏を悔いのないように過ごしたい。」と思う私です。
昔、篠原園地の隣接地に野外活動センターがあり、私の小学生のころ町の子供会で施設を借りて、宿泊施設に宿泊したり、キャンプファイヤーをした記憶があります。
高校生の時は生物部で、合宿でバンガローやテントで睡眠をとった経験があります。
また社会人になってからは、横浜市の野外活動指導者養成講座を受講し、そこでキャンプや野外生活を経験しました。
野外生活というのは、不便なものです。
食事は野外炊事場で自炊します。
街灯などはほとんどなく、コンビニエンスストアはもちろん、スーパーマーケットさえも車で買い出しに行かなければならない距離にありました。
1日目、2日目はつらいと感じる部分もあるかもしれません。
しかし3日目、4日目と経つに連れ次第に慣れてきて、心地よさや楽しさを感じ、帰るころには「もう少しいたい。」「帰りたくない」と思うようになっているのです。
キャンプファイヤーというものは、豪快に火を燃やし騒ぐものではありません。囲炉裏や落葉焚きを囲むように、静かに燃える火をみんなで囲んで、交流を図るものなのです。
具体的にはキャンプの時に歌う定番の歌を歌ったり、ゲームをしたり、語らったりします。
子供のすることのようですが、これが楽しくてたまりません。
野外活動指導者養成講座では、そうした中で少ししんみりした静かな歌をみんなで歌っていると、涙を流し始める人が何人かいました。
私は涙までは流しませんでしたが、何か感じるものがありました。
それは、自分は今ここでいきている。自然の中で、みんなと一緒に。という確かな実感と感激です。
これが人間ほんらいの姿なのではないかと思うのです。
大人になると、また社会人になると、子供のころのように無邪気に過ごしてはいられないものですね。
それはただ忙しいばかりでなく、建前があったり、しがらみがあったり、立場があったりと色々なものに付きまとわれて、本来のありのままの自分ではいられないためなのでしょう。
野外生活の中では、そういったものが取り払われるのだと思います。
そういう意味で、少しでも野外生活のような状況を作り出すこと、そうした機会にふれることというのは、私は大切だと思います。
真夏の夜、「夜の自然探検」の活動の中には、そういった状況(雰囲気)を作り出せるよう、来年に向けてさらに力を入れていきたいと思います。
2018年8月14日に掲載した記事を少し加筆修正して再掲載します。
同じような文章になってしまいますが、このことはとても大事なことで忘れたくないこと。
毎年夏に再掲載を繰り返してい行くことになると思います。
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夏になると思い出すのが、子供のころの夏休みです。
子供のころ、夏休みというとワクワクするものでした。
大人になり、仕事などに忙殺される今でも、やはり夏になると、「短い今年の夏を悔いのないように過ごしたい。」と思う私です。
昔、篠原園地の隣接地に野外活動センターがあり、私の小学生のころ町の子供会で施設を借りて、宿泊施設に宿泊したり、キャンプファイヤーをした記憶があります。
高校生の時は生物部で、合宿でバンガローやテントで睡眠をとった経験があります。
また社会人になってからは、横浜市の野外活動指導者養成講座を受講し、そこでキャンプや野外生活を経験しました。
野外生活というのは、不便なものです。
食事は野外炊事場で自炊します。
街灯などはほとんどなく、コンビニエンスストアはもちろん、スーパーマーケットさえも車で買い出しに行かなければならない距離にありました。
1日目、2日目はつらいと感じる部分もあるかもしれません。
しかし3日目、4日目と経つに連れ次第に慣れてきて、心地よさや楽しさを感じ、帰るころには「もう少しいたい。」「帰りたくない」と思うようになっているのです。
キャンプファイヤーというものは、豪快に火を燃やし騒ぐものではありません。囲炉裏や落葉焚きを囲むように、静かに燃える火をみんなで囲んで、交流を図るものなのです。
具体的にはキャンプの時に歌う定番の歌を歌ったり、ゲームをしたり、語らったりします。
子供のすることのようですが、これが楽しくてたまりません。
野外活動指導者養成講座では、そうした中で少ししんみりした静かな歌をみんなで歌っていると、涙を流し始める人が何人かいました。
私は涙までは流しませんでしたが、何か感じるものがありました。
それは、自分は今ここでいきている。自然の中で、みんなと一緒に。という確かな実感と感激です。
これが人間ほんらいの姿なのではないかと思うのです。
大人になると、また社会人になると、子供のころのように無邪気に過ごしてはいられないものですね。
それはただ忙しいばかりでなく、建前があったり、しがらみがあったり、立場があったりと色々なものに付きまとわれて、本来のありのままの自分ではいられないためなのでしょう。
野外生活の中では、そういったものが取り払われるのだと思います。
そういう意味で、少しでも野外生活のような状況を作り出すこと、そうした機会にふれることというのは、私は大切だと思います。
真夏の夜、「夜の自然探検」の活動の中には、そういった状況(雰囲気)を作り出せるよう、来年に向けてさらに力を入れていきたいと思います。