東南アジア
インドでは生死の問題について考えた。特に生きること、漫然と生きることではなくて命のほむらを燃やして、一生懸命に生きることを真剣に考えた。
ベトナムではフランスに代わって、アメリカ流のビルディングが建ち初め、サイゴンはそこに住む人々の発するエレルギーの溢れんばかりの大きさに、気後れすると同時に積極的に勇気づけられた。
カンボジャでは無実の中で、無残に殺されていった百万人以上の人々に、同情の涙を流し、タイ、バンコックでは日本以上の経済成長に目を見張った。
五十階建てのビルがあちこちに散見されるので、大阪以上の経済力かと評価したが、それはバブルであったことが近ごろ分かり、これから先、十年の苦難が想像出来る。
総じて、僕が歩く東南アジアは二一世紀に向けて元気がよい。押し寄せる大波の地響きのようなあの活気が感じられるが、それが何ともいえない魅力である。その活気やエネルギーを身にうけて、僕も大いにやる気が出るのである。すくなくとも日本に帰り着いて三ケ月間は、やる気が体内に充満している。三月は持つ。その間に取材の整理をして、それからまた出掛ける。治る事のない海外旅行病にかかっているのかもしれない。いやきっとそうだろう。