日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

歌雑念

2018年09月24日 | Weblog

知識人は感傷という
だが有力な感傷など何になろうか
泣く代わりに歌うことで人々は耐えて生きることができる

プロデューサーの立てた企画を最も効果的にレコード化することだ

レコードは商品だが歌はそれだけのものではない

良い歌を作るのは人間の感動である電子計算機で大衆に愛される歌はできない

会社は歌の本質は何かという議論には関心がない

どうすれば売上を増加できるかそれだけを考えているそれが仕事である

レコード会社の不振は制作部門における企画の貧困にある

レコード制作に関するすべてはディレクターに一任これを改めて新たにプロデューサーシステムを作る

作詞作曲の専属制度を廃止してアーティストの自由な交流を図る年功所属にこだわらず企画内容にふさわしいスタッフをその都度ピックアップして適材適所を使用する

コンピューターシステムによるレコード情報センターの新設

レコードの企画はベテランの経験や勘に頼るやり方を改めて科学的な分析と予測を重視する

作詞作曲歌手のキャスティングから作品の傾向内容まで売上の選定プレスの適正な数量までを決定する

販売面の合理化パソコンを導入して事務の簡素スピードか在庫の適正化売り切れの防止生産販売計画の精密化を実現する

おごった心では演歌は作れない

流行歌手というものは生きていることの楽しみを心の底に叩いていなくてはならない

演歌調の歌に根強い嫌悪感とある種の共鳴を同時に感じている

組織の中にいる人間でも心情的に孤独なやつは演歌に惹かれる

孤立無援の人間の歌

演歌を無視したところで日本人のナショナルソングは成立しない、

演歌のどこがそんなに極悪なんだろうか
浪花節みたいに唸るところなんかとても子供達には聞かせられない

演歌は押さえつけられ差別され踏みつけられている人間がその重さを食いしばって全身で跳ね除けようとする唸り声みたいな感じだ

大組織の組合にも属さない宗教ももたない仲間の連帯も見出せない人間そんなバラバラで一人ぼっちで生きている人間が変化を必要としているんだ

艶唄とは恨み歌でもある

庶民の口に出せない怨念や悲しみを艶のある詩曲に転じて歌う転じるるところに何かがある

泣く代わりに歌うのだ無力な干渉と知識人が言うが有力な感傷など何になろうか

これから大衆に迎えられる歌を作るのは合理的なシステムとコンピューターだ

歌は心だなんてセリフは古い浪花節の中の文句だ

これからは組織と集団が歌を作る

外国のヒット曲を分析しデータを整理し外国とは国の社会状況の落差を計算して味付けをする
それを強引な電波媒体の利用で大衆に上から流せば大衆は必ずついてくる

手作りのお歌一人一人の人間が作る歌そして自然にじわじわと人々の中に広がってゆく歌それが僕の考える歌

歌謡曲流行歌ポップスフォーク演歌何でも構わないけれど歌を作る仕事を産業にまで高めた

時代遅れの演歌が廃れていくのは歌のせいだけではないそれを支える精神風土がもうこの世ない中に受け入れられなくなってきた

恨みつらみの演歌が時代は間違いなく進んだが大事なことを置き去りにして進んでしまった

受けたのは昔の話今はそんな時代ではない

近代化合理化もいいけど何かがこぼれをしているそいつを拾って集めて一つの時代遅れの歌を作る

彼は音楽を産業にしてしまった流行歌は商品でいいがそれは手作りの血の通った商品でなくてはならん

音楽のための産業と産業のために音楽を利用するのとは違う小学生や高校生の子供にとって音楽は水や空気みたいになくてはならんものである

フォークやロックの引き出しの中には音楽が人間の意識を変え世界を変えると考えている

ポップスの分野に登場してきて圧倒的に若い音楽ファンの共鳴を集めている新しいグループのバックで少し目先の変わった LP を作りたい

仕事を着実にしてレコード界や
楽会での自分たちの地位を築こうとかうんと金を稼ごうとか言った気持ちはまるで持っていない

あくまで自分たちの音楽をエンジョイするために演奏しその楽しみのおこぼれが仕事だと考えている

今の歌手は歌の心を忘れているよ作っている連中が皆そうだ外国の流行ばかり追うかけて本当の人間の心を歌う歌をどこかへ置いてけぼりにしてしまった

演歌は古いと言うが古いものは古いだけの値打ちがある本当はみんなが演歌を好きなんだそれをごまかして新しいカっているだけだ

口で演歌をけなしながら自分一人になると演歌を歌っている

若くても年寄りじみた曲を作る人もいるし年をとっても若々しいメロディーを持っている人もいる

歌は心だなんて言ったって誰も今頃は振り向くはしない

血も涙もない合流主義者の作った音楽が人の心を打つことがあるだろうか

新しい時代には新しい歌が起こる演歌だって変わっていく悔しい思いをして生きている人間がこの日本に残っている限り演歌は滅びない正しい形は変わっていくだろう

当時流行っていた歌の文句を聞いているうちにドット涙が出たたわいない話である


1968年以降オリコン年間シングルチャートに100位に入らないレコード会社の撤退演歌歌手のリストラ

60代後半から70代以上の高齢者限定のジャンルになる

2010年以降は年数回
ものまね紅白歌合戦

に日本の歌テレビ東京
あなたが聴きたい歌のスペシャル TBS

毎日演歌のレギュラー番組を自主制作する会社
千葉テレビテレビ埼玉

新歌謡曲
j-pop の中に勝手の歌謡曲の様子を備えた歌が復権する

1970年代ジャンルの細分化精鋭化が激しくなって

歯が持っていた普遍的で視野文学に通じる要素つまり子供から高齢者までがぬこの身に口ずさむ様子は重視されなくなった

歌謡曲の全盛時代1970年代
スター誕生レッツゴーヤングザベストテン
テレビとの結びつきが子供から年寄りまで国民的ヒット+生まれる

アイドル歌謡を聞いて育った戦後生まれは中年層になってもロックフォークなどで演歌を歌わない

2000年代
YouTube や Web 上の音楽配信のために CD が売れなくなる CD 不況

1970年代歌謡曲の全盛
1990年 j-pop 全盛


六十歳定年

2018年09月24日 | Weblog
六十歳定年
今は少し伸びて65才になっているようだが定年後は何もすることがない健康なうちは暇を持て余すよりは仕事をして働いている方が健康にも良い

小人閑居して不善を為すと言う

何かすることがなければしかもその仕事は社会的につながった仕事である場合は意欲が出てきて健康維持に役立つ

人生やりたいこともあるだろう
また毎日出勤するのはちょっと体にこたえるだから週に2、3回程度で良い労働だと思う個人差はあるけれど一概には言えないけれど
やはり暇を持て余すよりは社会参加をしている方が健康維持には良いように思う
暇であるということは耐えられない部分がある

もちろんこのことについては個人の事情が大きく作用する趣味とか生きがいとか健康とかの事情は人それぞれによって異なる