彼は東大の医学に入学した。
ある日、解剖実習があったが、それを機会に自分にとって、医学部は手におえないとやめてしまった。
人間の生体を知るために医学は是非必要だということはわかるが、人体を切ったりはつったりすることは自分の性格に合わないと彼は悟ったらしい。
そこで彼は文学部のドイツ文学科に転部した。
そんなことは初めから分かっているはずだから、医学部に入ってくること自体が間違っているというのは、健全な常識の持ち主の言うことで、こういう論理は彼自身には通じない。
彼によると、己の判断以外は何でも「糞くらえ、」なのである
卒論の提出のときもそうだった。大学生活の集大成として、大学ではどこでも卒業年度になると、卒業論文を書かせて提出させる。
東大ももちろん卒業するためには、卒論の提出が必要である
提出期限が迫ってきても一向にその気の見られない彼のことを心配した友人たちは、本人以上に気をもんで卒業させるために、卒論を書かせなきゃいけないと、いろいろな方面からアドバイスを繰り返した。
そして、やっとその気になった彼は友人に頼んだ。
いわく「卒論クソくらえ」。
これをドイツ語に訳して表紙をつけ、名前を書いて教務に提出してくれと他人ごとみたいなことをいう。
友人たちはあきれながらも、恐る恐るそのとおりにした。
提出する相手は日本国中にその名の知れた高名なドイツ文学者の教授である。
教授はカチカチの学究である。恐らく、こんな前代未聞の卒論は見たことはないだろう。
高名な俺を馬鹿にしやがってと怒ったか、これはドイツ文学を冒涜するものであるとカンカンになったか、はてはこの学生は間違って入学してきた、ちょっと頭の弱い同情すべき学生だと憐憫の情を感じつつ、不合格と書いたかどうかは知らないが、とにかく結果は不合格であった。 当たり前の話だ。こうなることは目に見えていた。
全くもって、常識的な判定である。この不合格という結果には当然のことながら、面倒を見てきた友人たちも、本人も、それは当然のこととして受け止めた。従って、彼は留年するか中退かという選択をせまれることになったのである
そのうちに寮では彼の姿は見かけなくなった。心配した友人が実家に電話したら、偶然、彼が電話口に出て
「東京は嫌になったから。故郷に帰ってきて、今は私立の女子高校で、万葉集を教えている。俺はこれで結構楽しいから、もう東京に戻るつもりは無い。そちらの大学の方はよろしく頼む」といったという。
全くもって、あいた口がふさがらない奴だと友達は苦笑したが、何かよい名案があるわけでもなく、学籍はそのまま放っておく以外に手はなかった。それからどうなったのか。学友は全員卒業したので調べようがないし、彼とも連絡はとれないから、彼のことは、ようとしてとして分からない。
そんないい加減な彼と私は不思議に気があって、会話を交わすことが多かった。
ある日、学寮の共同洗濯場で下着をゴシゴシ、もみして洗濯している私に向かって彼は言った。
「おい、お前。洗濯の仕方を知らないのか。洗濯というのはこうするものだ。たらいに水を張り、それに上から洗剤を入れてよくかき混ぜて、洗濯物を入れ、その上から化学洗剤をパラパラとまいておけばそれでよいのだ。あとは洗剤が勝手に、垢を落としてくれるんだ。
お前みたいに昔のバーさんじゃあるまいし、ゴシゴシやるなんて最低だ。考えてみろ。何のために洗剤があるんだ。洗剤は水に溶けて汚れを分解するように作ってあるから。水には均一に解け垢は落ちるはず。だから手でもむ必要などさらさらない。お前は遅れてるぞ」
「へえ。そんなもんか。ところで、お前一度手本を見せてくれ。俺もそうやってみるから」と私は切り返した。
彼は先ほど口頭で説明したとおりに、水をあふれんばかりに、たらいに入れて、汗臭く酸味さえ放つ衣類の上から、砂でもマクようにさらさらと洗剤をふりかけて、小一時間ほどそのままにして、もみ洗いもしないで、物干し竿にぶら下げた。
夏の強い日差しの下で、竿に乾された下着やその他の衣類は、ほどなく乾いたが、よく見ると、白い粉のツブツブが、あちこちに付着している。それは彼が先ほど衣類にふりかけた洗剤であった。かき混ぜる事もなく、手もみするわけでもないから、彼の理論とは裏腹に溶解しないまま衣服に付着し、それが乾燥して白い粉となっただけのの話である。
汚れも酸味も、異臭もなくなったわけではない。彼の意識の中では、洗濯は進んでいるのだが。常識的には洗濯以前の状態と大して変わってはいない。
乾いた後では彼は白い粉をつけたまま、しゃあしゃあとして着ているではないか。
私は彼の常識とやらを疑った。しばらくして、それが無駄であることを知った。
彼は自分が創り上げた自己流の理論に実に忠実で、他者の理屈や常識は一切受け付けないのである。また信じないのである。
余りにもふにおちない彼の洗濯に私は念を押した。
「それでもう洗濯は終わったのかい」。
「これで完了十分だ。お前も俺のようにやれば、手間が省けていいよ。」
「それにしても洗剤が解けないまま白い粉になっているがそれでもいいのかい。」
「お前は物事を理論的に考えないから困る。理屈で考えれば、これで洗濯は完了じゃないか」。
私はあいた口がふさがらないで、あっけにとられていたが、ほどなく彼を理解するために視点を変えた。
自分なりに理論を構築しそれに、100%の信頼をおく自信が羨ましい限りだと私は思った。
もちろん、「こいつはちょっと頭が変じゃないか、常識を働かせれば、自己中心にもほどがある」というマイナーの判断もできる。しかし、この世の中心は自分だと言わんばかりに行動する彼が羨ましかった。私などはひとりで、いちいち考え出すことの煩わしさから逃れて、常にビートにトラックの上を走る事ばかり考えているので、彼の常識にかなわない新鮮さ?に余計に惹かれていたのかもしれない。
学窓を巣立って40年が巡ってくる。全てが平凡の波の中に進んでいった学生生活の中で、彼のことが今では、とくに印象深く、光彩を放ち懐かしい。
彼は中退か。除籍になったのか。それは今も不明である。
今でも故郷で女子高校生を相手に万葉集を解いて、教えているのだろうか。
もったいないことだ。あれほどの秀才が。まともに洗濯も出来ない理屈をこねて自説は正しいと考えるところが、世の中の歯車とかみ合っていないばかりか、狂っている。
しかし何がどうあろうと、自分の信念や理屈を絶対に曲げようとしないところは、見上げたものである。全く人それぞれだ。
常識人の私にはどう考えてみても、これ以外の結論は出ない。
ある日、解剖実習があったが、それを機会に自分にとって、医学部は手におえないとやめてしまった。
人間の生体を知るために医学は是非必要だということはわかるが、人体を切ったりはつったりすることは自分の性格に合わないと彼は悟ったらしい。
そこで彼は文学部のドイツ文学科に転部した。
そんなことは初めから分かっているはずだから、医学部に入ってくること自体が間違っているというのは、健全な常識の持ち主の言うことで、こういう論理は彼自身には通じない。
彼によると、己の判断以外は何でも「糞くらえ、」なのである
卒論の提出のときもそうだった。大学生活の集大成として、大学ではどこでも卒業年度になると、卒業論文を書かせて提出させる。
東大ももちろん卒業するためには、卒論の提出が必要である
提出期限が迫ってきても一向にその気の見られない彼のことを心配した友人たちは、本人以上に気をもんで卒業させるために、卒論を書かせなきゃいけないと、いろいろな方面からアドバイスを繰り返した。
そして、やっとその気になった彼は友人に頼んだ。
いわく「卒論クソくらえ」。
これをドイツ語に訳して表紙をつけ、名前を書いて教務に提出してくれと他人ごとみたいなことをいう。
友人たちはあきれながらも、恐る恐るそのとおりにした。
提出する相手は日本国中にその名の知れた高名なドイツ文学者の教授である。
教授はカチカチの学究である。恐らく、こんな前代未聞の卒論は見たことはないだろう。
高名な俺を馬鹿にしやがってと怒ったか、これはドイツ文学を冒涜するものであるとカンカンになったか、はてはこの学生は間違って入学してきた、ちょっと頭の弱い同情すべき学生だと憐憫の情を感じつつ、不合格と書いたかどうかは知らないが、とにかく結果は不合格であった。 当たり前の話だ。こうなることは目に見えていた。
全くもって、常識的な判定である。この不合格という結果には当然のことながら、面倒を見てきた友人たちも、本人も、それは当然のこととして受け止めた。従って、彼は留年するか中退かという選択をせまれることになったのである
そのうちに寮では彼の姿は見かけなくなった。心配した友人が実家に電話したら、偶然、彼が電話口に出て
「東京は嫌になったから。故郷に帰ってきて、今は私立の女子高校で、万葉集を教えている。俺はこれで結構楽しいから、もう東京に戻るつもりは無い。そちらの大学の方はよろしく頼む」といったという。
全くもって、あいた口がふさがらない奴だと友達は苦笑したが、何かよい名案があるわけでもなく、学籍はそのまま放っておく以外に手はなかった。それからどうなったのか。学友は全員卒業したので調べようがないし、彼とも連絡はとれないから、彼のことは、ようとしてとして分からない。
そんないい加減な彼と私は不思議に気があって、会話を交わすことが多かった。
ある日、学寮の共同洗濯場で下着をゴシゴシ、もみして洗濯している私に向かって彼は言った。
「おい、お前。洗濯の仕方を知らないのか。洗濯というのはこうするものだ。たらいに水を張り、それに上から洗剤を入れてよくかき混ぜて、洗濯物を入れ、その上から化学洗剤をパラパラとまいておけばそれでよいのだ。あとは洗剤が勝手に、垢を落としてくれるんだ。
お前みたいに昔のバーさんじゃあるまいし、ゴシゴシやるなんて最低だ。考えてみろ。何のために洗剤があるんだ。洗剤は水に溶けて汚れを分解するように作ってあるから。水には均一に解け垢は落ちるはず。だから手でもむ必要などさらさらない。お前は遅れてるぞ」
「へえ。そんなもんか。ところで、お前一度手本を見せてくれ。俺もそうやってみるから」と私は切り返した。
彼は先ほど口頭で説明したとおりに、水をあふれんばかりに、たらいに入れて、汗臭く酸味さえ放つ衣類の上から、砂でもマクようにさらさらと洗剤をふりかけて、小一時間ほどそのままにして、もみ洗いもしないで、物干し竿にぶら下げた。
夏の強い日差しの下で、竿に乾された下着やその他の衣類は、ほどなく乾いたが、よく見ると、白い粉のツブツブが、あちこちに付着している。それは彼が先ほど衣類にふりかけた洗剤であった。かき混ぜる事もなく、手もみするわけでもないから、彼の理論とは裏腹に溶解しないまま衣服に付着し、それが乾燥して白い粉となっただけのの話である。
汚れも酸味も、異臭もなくなったわけではない。彼の意識の中では、洗濯は進んでいるのだが。常識的には洗濯以前の状態と大して変わってはいない。
乾いた後では彼は白い粉をつけたまま、しゃあしゃあとして着ているではないか。
私は彼の常識とやらを疑った。しばらくして、それが無駄であることを知った。
彼は自分が創り上げた自己流の理論に実に忠実で、他者の理屈や常識は一切受け付けないのである。また信じないのである。
余りにもふにおちない彼の洗濯に私は念を押した。
「それでもう洗濯は終わったのかい」。
「これで完了十分だ。お前も俺のようにやれば、手間が省けていいよ。」
「それにしても洗剤が解けないまま白い粉になっているがそれでもいいのかい。」
「お前は物事を理論的に考えないから困る。理屈で考えれば、これで洗濯は完了じゃないか」。
私はあいた口がふさがらないで、あっけにとられていたが、ほどなく彼を理解するために視点を変えた。
自分なりに理論を構築しそれに、100%の信頼をおく自信が羨ましい限りだと私は思った。
もちろん、「こいつはちょっと頭が変じゃないか、常識を働かせれば、自己中心にもほどがある」というマイナーの判断もできる。しかし、この世の中心は自分だと言わんばかりに行動する彼が羨ましかった。私などはひとりで、いちいち考え出すことの煩わしさから逃れて、常にビートにトラックの上を走る事ばかり考えているので、彼の常識にかなわない新鮮さ?に余計に惹かれていたのかもしれない。
学窓を巣立って40年が巡ってくる。全てが平凡の波の中に進んでいった学生生活の中で、彼のことが今では、とくに印象深く、光彩を放ち懐かしい。
彼は中退か。除籍になったのか。それは今も不明である。
今でも故郷で女子高校生を相手に万葉集を解いて、教えているのだろうか。
もったいないことだ。あれほどの秀才が。まともに洗濯も出来ない理屈をこねて自説は正しいと考えるところが、世の中の歯車とかみ合っていないばかりか、狂っている。
しかし何がどうあろうと、自分の信念や理屈を絶対に曲げようとしないところは、見上げたものである。全く人それぞれだ。
常識人の私にはどう考えてみても、これ以外の結論は出ない。