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かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

後立山縦走

2008年01月30日 | 追憶の山
北アルプス後立山連峰 白馬岳~爺ヶ岳縦走
1975年8月13日~8月17日
参加者 KM、KT、MY、KA、KZの5名

共同装備 ホエーブス2、コッフェル、ポリタン2L×5、1/5万地図、コンパス、ラジオ、食器5、コップ5、メタ、白ガソリン2L,カンキリ、ナイフ、ロールペーパー2、救急薬

個人装備 健保、雨具、ヤッケ、替え下着2、靴下2、軍手、タオル2、古新聞、洗面具、ヘッドランプ、予備電池、帽子、その他身回り品

経費 交通費 14570円 食費 3880円 宿泊休憩料 5080円 計23580円/一人当り


天候 曇り時々晴れ
コースタイム 8/13 小郡(18:02)→広島(19:01~19:12)→名古屋(22:17~23:35)→8/14 白馬駅(5:00~5:20)→猿倉(5:40~7:00)→白馬尻(7:50~8:10)→葱平(9:35~9:50)→お花畑(10:50~11:25)→頂上宿舎(11:45~12:00)→白馬山頂(12:30~12:45)→頂上宿舎(13:00~13:30)→天狗山荘(16:00)

昨年、剱岳の山頂で雲海上に浮かび出ていた山なみ「後立山連峰」に旅立つ日が来た。今回の山行は美男子も紛れ込んでいるのでHHCの会員多数の見送りを受ける。差し入れその他色々とありがとうございました。

名古屋までは順調に見えたが、ここからはデッキ、トイレの横に雑魚寝することになり、白馬駅まではじっと我慢の子であった。白馬駅で登山届を出すとバスで一路猿倉へ(約20分)。
猿倉で朝食を済ますと、白馬尻に向う。尻までは特徴のない道が続くが、ここを過ぎ少し歩くと、日本三大雪渓の一つである白馬大雪渓の登りとなる(8月中旬頃になると十分踏まれているのでアイゼンは不要)。時折、稜線より冷風が吹くので暑さは感じなく、むしろ寒いぐらいなので快適に歩ける。

葱平より傾斜の急なジグザグ道で少し辛いところであるが、高山植物がチラホラ咲いており、目を楽しませてくれる。小雪渓をトラバースして少し歩くと一面のお花畑となり、一つひとつの花の名前を確認したいところだが、我々はそんな高尚な趣味は持ち合わせておらず、オービューティフル、ワンダフル、ユキガフル??という程度(この頃は高山植物など興味なし、今思うともったいないことをしたなと思う) 

頂上宿舎に着くと荷物を置き、白馬岳を往復する。タフネスを誇るKM、KTコンビは飛ぶようにして頂上に向かうが、アンチの私はラストでゆっくりと登る。頂上には200kg近くある風景指示盤があるが、これを運んで死んでいった小見山氏の労苦が偲ばれる(注:小見山氏は強力伝の主人公小宮正作のモデルと言われる)。

さて今日は頂上宿舎までの予定だったが、時間も余裕があるため天狗山荘まで足を伸ばすことにした。国境主稜を南に下がるとすぐ丸山という小さなこぶを通り、杓子岳の山腹をトラバースする。急登りが続き、鑓ヶ岳の山頂に着くと丁度ガスも晴れ、杓子の非対称山稜の地形(信州側がガクンと落ち込んでいる)が良く分かる。また今日の宿泊予定地の天狗山荘も確認出来た。

山荘に着くと比較的空いており、水も自由に使えるため、素泊まりとし、自炊することにする。楽しいディナー、ティータイムが終るとスリープタイムとなり、各自大満足で大の字になって寝る。男ってイイナー・・・・。






(地図が切れぎれになっているが、一枚にするとサイズ制限で縮小されるのでお許しを頂こう)
天候 曇り時々晴れ
8月15日 天狗山荘(6:55)→不帰キレット三峰(10:00~10:10)→唐松山荘(11:10~11:35)→五竜山荘(13:15~13:25)→五竜岳(14:05~14:20)→キレット小屋(17:20)

天狗山荘からはまずゆるい登りになり、天狗尾根の最高地点に出るが、少し下ると急降下になる。天狗の大下りである。下る分については天候が良ければ問題ないが、逆に登りとなると大変である。このあたりから見る剱岳は鹿島槍あたりから見るものとかなり違って尖峰が美しい。

下りきるとそこが不帰のキレットで一峰、二峰、三峰と通過するが、二峰の登り、通称:不帰の嶮は慎重に登りたい。唐松岳に着くと東京のパーティと一緒に休む。話を聞くと今朝、白馬山荘出て今日はキレット小屋まで行くらしい。こちらは五竜山荘の予定である。負けそー!我々も頑張らなくっちゃという気持になる。

唐松山荘で昼食を取り、五竜山荘を目指す。山荘からまず大黒岳を目標にガレ場(やせ尾根)を通過し、少し歩くとハイマツの間から可愛いやつが顔を覗かせる。やまいたちである(通称:山の神のチンコロ)。体長20cm位で全員がその姿を認めるとハイマツから顔だけ出して我々にコンニチワと言ってくれた。最近、数が少なくなり絶滅の恐れがあると言われている。こんな可愛いやつを保護できないだろうか?残念なことにカメラに写そうと思った時は姿を消していた。今回の山行は天気は順調ではないため展望は多くを望めない。だが花や小動物とは楽しめたようだ。

また、途中落し物を見つけ、五竜山荘まで届けると運良く五竜岳で落とし主に出会う。山に登る人は信じられる。いい人ばかりとは落とし主の弁。一同気を良くしてキレット小屋まで足を伸ばすことに決定!(アンチタフネスのT・Aがいるのに)。
果たして、キレット小屋まであと5分というところでT・A両名は先に小屋に行ってもらうことにする。申し訳ないが無理は禁物です。

キレット小屋に着くと収容人員も少ないため満員だった。夏の間この小屋は外した方が良いと思われる。少し遅く着いたため寝城は各自バラバラで一人30cm?ぐらいで横になったが、体を休めるだけで全員寝れなかったようだ(これも修行?のうち)。



天候:曇り時々晴れ
8月16日 キレット小屋(5:30)→鹿島槍南峰(7:05~7:20)→冷池(8:20~9:20)→爺ヶ岳(10:10~10:25)→種池(10:45)→扇沢(12:35~14:40)→大町(15:05~15:25)→松本(16:30~22:27)→8月17日 大阪(5:56~6:49)→小郡(10:27 解散)

今日は縦走の最後を飾る鹿島槍に登る日である。小屋から急登を終えると危険と聞いていた八峰キレットの通過だが、慎重に歩けば問題なく通れる。槍~北穂間のキレットに比べれば恐怖感も無く、スケールも小さい。だが、このコースでは五竜岳~キレット間が一番危険が多いように思える。

八峰キレットを通ると前方に鹿島槍北峰が望まれるが、近くに寄ると鹿島槍も単なるピークという感じで一同失望の色隠せず。やはり少し離れて眺める山だろう(昨年、立山からのそれは双耳峰のピークが端正すぎるほどの優美さで私の脳裏に焼きついていたものだが・・・)。
しかし、鹿島槍南峰のピークに立つと、今まで歩いてきた後立山連峰、立山、剱岳、槍、穂高連峰と展望の良さでは北アルプス1、2ではないだろうか。今日も快ペースで来たため、針ノ木岳まで足を伸ばそうという意見も出たが、皆の意思とは裏腹に天候が急に悪化の兆しを見せてきたので、種池より扇沢に下ることになる。

鹿島槍からの下りは今までのやせ尾根がうそのような平坦かつ、のどかな道となり、種池付近もお花畑でいっぱい、ハイキング的な道だった。
途中より東京のパーティと一緒になり扇沢に下ると、河原で残った食料を全部出しての大昼食会、無事を祝って楽しいひと時を過ごした。

また、帰りには信州会館に立ち寄り、風呂に入り、祝杯を上げるいつものコースで、汽車の時間ギリギリまで東京パーティ、山口パーティ合同で大騒ぎをする。
最後に今回の山行で色々と尽力頂いたCLのM氏に感謝したい。メンバーの皆さんもお疲れ様でした。

晩秋の莇ヶ岳

2008年01月29日 | 追憶の山
S49年11月10日


某会理事長のY氏より莇ヶ岳に行かないかとの誘いを受け、晩秋になるといつも行きたくなる莇ヶ岳に行くことにする。
某会社のきれいどころが多数参加すると聞き、チョンガーのA・Y両名は期待を持って集合場所に急いだのだが、こういう期待はいつも裏切られることになっているらしい。おまけに集合していた唯二の女性も参加を中止したいとダダをこねている。
副会長のH氏になんとか説得してもらい半ば強制的?に参加してもらう。

かくして療養中止のY氏を除いて男性4名、女性2名のパーティが出来上がり、莇ヶ岳を目指して元気に出発する。今回はザイルを用意しているので莇の岩場に取り付けるのが楽しみだ。途中鹿野で会費300円を集め不足分の食料を買う。

登山口に急ぐと某会社がマイクロバスで林道を進んでいる。最奥部の広場まで進入は無理なようで途中で引き返した。おかげで我々は莇を前にして20分も待ちぼうけ。腹が立つと胃が活発になるのか車を止め、少し早いが1回目?の昼食とする(ワンタッチライス、カレー、果物、クラッカー)。ついでに広場のごみの山を清掃する。莇ヶ岳も段々とポピュラーな山になり、汚れもひどい。少しでもきれいにと思って実施する。

全員腹六分目ぐらいで山頂目指して出発する。Y氏を先頭に快調に進む。小枝と別れた?枯れ葉がサクサクと気持ち良い音を立てる。こんな感じが陽だまりハイキングの良いところだ。この音に魅せられてこの時期になると毎年莇に登るのだろう。

紅葉には少し遅いがそれでも所々モミジが葉を一段と赤くして、青い空、白い雲に映えて美しい。H・Y・Aの3名は名作を撮るべくいろんなアングルで撮りまくる。段々エスカレートし、最後にH・Y両氏はモミジによじ登る始末、他の4名は付き合いきれないらしく先に行くことにする。

頂上直下の分岐でM3名は鎖場ルート、残りは尾根ルートで山頂へ。山頂に着くと老若男女のグループで一杯、遠く十種ヶ峰の特徴あるピークが見え、山肌がきれいに連なっている。一休みの後ヤング派は食事の準備、オールド?派は岩訓練を始める。莇の岩場はホールドが小さく、陶ヶ岳のそれとは違って微妙なバランスが要求され訓練にもってこいである。鎖場横のルートで2~3回繰り返し、2回目の昼食(鍋焼きうどん、ラーメン、特製パン入りスープ)の後、鎖場北のルートに移る。40mザイルを一杯に伸ばし、快適なクライムを楽しむ。

楽しくやっていると下の方から聞いたことのある声がする。ミスターYとS・H嬢が来たのだ。先ほどの両嬢と違って勇ましく鎖場を登って来る。全く頼もしい限り、3名が加わったことで一段とにぎやかになった。ミスターYは今日、写真に重点を置いているらしく岩登りをしながら、良いアングルを狙って写真を撮る。アクロバット的な姿勢で御苦労さまでした。

帰路はワイワイ騒ぎながら、落ち葉の中を滑ったり、転んだりしながら下山した。車に乗って車窓から見た夕日に映える双耳のピークの金峰山も印象的でした。最後に参加された皆さんお疲れ様でした。来秋も莇ヶ岳へ!

大山冬山講習会

2008年01月28日 | 追憶の山

1975年2月8日~2月11日 大山で行われた山口県山岳連盟冬山講習会にH岳友会有志4名で参加。

共同装備
テント(3人用×2)、スコップ、ホエーブス2、メタ、白ガソリン3L、ローソク3本、コッフェル、トイペー2、ザイル(9mm×40m1本、11mm×40m2本)、救急薬品
個人装備
セーター、ズボン下、毛手袋、オーバーヤッケ(ズボン)、オーバー手袋、ロングスパッツ、アイゼン(12本爪)、ワカン、サブザック、ピッケル、シュラフ、シュラフカバー、雨具、テルモス、水筒、ポリタン、ヘッドランプ、ナイフ、コンパス、補助ザイル、笛、洗面用具、目出帽、替え(上、下着、靴下)、カラビナ2、エアーマット、食器、行動食、非常食。

コースタイム
2/8小郡(19:27)→岩国(22:00~22:59)
2/9大山口(6:16~7:20)→大山寺(8:00~10:10)→下山キャンプ場(10:45)→テント設営完了(12:00)→班編成(13:30)→ワカン歩行、ラッセル技術、雪洞訓練(終了16:15)→夕食(17:10~18:30)→ミーティング(19:00~22:00)

小郡駅からはYO、M、A3名が乗る。防府駅に着くとYA氏が乗り込む。H、Y氏とS嬢が差し入れと共に見送ってくれた。岩国までは我々4名の専用列車みたいなものでゆっくりと出来た。
岩国で別の汽車に乗り換えると山や、スキーヤーで一杯になる。暖房が利きすぎて暑くてたまらない。YOおよびAは網シャツ一枚になってフーフー言っている始末。なんやかんや言っているうちに浅い眠りにつく。

大山口に着くとS嬢の心のこもった弁当とコーヒーで朝食にする。大山寺に向うバスに乗り、外の風景を見ていると1年前の苦しかったが感動的な山行がよみがえり、自然と身が引き締まる。

集合場所の大山橋に着くとすでに2~3パーティが待っていた。時間があるのでスナップを撮ったり、南光河原で遊ぶスキーヤーを眼で追っていた。予定時間より1時間余り遅れ開講式が始まる。総勢73名冬装備の山やが一同に会するとさすがに壮観な感じがした。今日より3日間体が動いてくれるかどうか一抹の不安もよぎった。

下山キャンプ地に着くと早速テントの設営に取り掛かる。斜面を削り、平坦にして雪を踏み固める。時間も余裕があったのでブロックで風避けを作る。こんなに立派な壁を作るのは当会のみだった。立派な寝城?が出来上がると雪の食卓を囲んで昼食(ラーメン、ココア、パン)にする。

13:30班編成の後、訓練に移る。私は初級A2班、班長IS氏(下関山岳会)でメンバーはUB氏(日立山岳部)、II氏(宇部興産山岳部)、SA氏(徳山山岳会)と私の4名でバラエティーに富んでいる。下山キャンプ場を出発し、阿弥陀堂より夏道コースを外れワカン装着の歩行訓練に入る。ワカンによる本格的な歩行は初めてで、取り付け方法や急斜面の歩行、ラッセル技術までにおよぶ。冬山の技術については技術書で独学だったので実際に体験すると納得がいく。
ワカン歩行訓練の後は雪洞をつくる。雪が十分でなく、場所の選定のまずさはあったが、それでも4名が協力して二人は十分に入れる雪洞が出来上がる。当会のY・M両氏の班は雪不足のためイーグルに予定を変更、つくり方を見学に行く。

初日の訓練が終わり、岳友会4名が揃うと夕食に取り掛かる。メニューはワンタッチライス、たまごスープ、ビーフカレー、パン、焼肉、サンマの照り焼き、こうして書くと豪華そのものだが果たしてその実は?みな体力を使ったので食欲旺盛、快ペースでたいらげる。食事の後今日の感想を話し合う。初日は合格点らしい。

20:00からは全員大山寺の某食堂に集まり、ミーティング、自己紹介をする。役者揃いでユーモラスな紹介をする方もおられ、和やかなムードに包まれる。山の考え方も様々だったが、岡本会長、岡本敏氏、加藤秀樹氏の言葉が印象に残った。山口県も山に真剣に取り組む同好の士がこんなにいるのかと思うと意を強くした。

2/10朝食(6:00~7:00)→準備(7:00~8:00)→
下山BC発(8:00)→元谷(9:00)→六合目(11:00)→テント設営(11:00~12:30)→休憩(12:30~13:30)→滑落停止、制動訓練→六合目発(16:15)→シリセード~下山BC着~夕食(17:10)~就寝(22:30)

朝食は簡単なもちいりラーメンで済ませ、元谷堰堤まで班別に行動し、ここより1、2班合同でパーティを組み、別山沢を詰め、さらに八合沢の枝沢を詰める。ワカン装着のラッセル訓練の応用で次々にトップを交代する。更に最後の詰めではキックステップで足場を切り登高する。六合目でA班全体が集合し、男女別に急斜面にテントを張る。多人数なので楽に張れたが2~3名のパーティではルートも楽しめるが、むしろみじめな苦しさが大部分を占める。それなのになぜ冬山に登るのか?答えを出すにはあまりに経験が浅い。だが他のシーズンと違って何故か強く惹きつけられるものがある。

休憩の後、シリセードでゲレンデを作り、滑落停止訓練に入る。体を反回転させる度に顔を雪面に着けるため、顔は真っ白け、それでも夢中になってなんどもチャレンジする。時間の関係で完全に自分のものにならない内に制動確保訓練に入る。ここでは陶ヶ岳の岩訓練の成果が見られ一発でOK、2回目はスピードをつけてもらって制動確保を取る。肩がらみ、腰がらみ、グリップビレーといろいろとやってみる。しかし油断は禁物、本番では訓練の時のように足場は良くない。落ちる役もやってみたが以外にショックは少ない。やはり色々と経験してみるものだ。

六合目からの帰路は樹氷の中を元谷までシリセードで一気に下る。この一瞬が本日のハイライト、登高のラッセルの苦しさに比べ、下降の何と楽しいことか。

元谷からは吹雪になり、今日の疲れも手伝ってかフラフラしながら下山BCに着く。そうすると我々の片方の寝城がペチャンコになっている。消えたのかな?と思って除雪するとテントらしいものがある。なんとか落ち着いて休んでいると中級班のYA氏が帰ってくる。顔が揃ったところで夕食にする(ワンタッチライス、ハンバーグカレー、たまごスープ、シチュー、かつお照り焼き、焼き鶏缶・・・ん、ワンパターン?)。YA氏に聞くと中級の方は本番並みのハードなものだったらしい。中級の方に行かなくて良かったとほっと胸をなでおろす。夕食後横になっていると下松山岳会のテントが賑やかになってきたが、我々はそんな余裕も無く、身なりを整え就寝する。

2/11下山BC発(7:25)→大山頂上(9:45~10:00)→下山BC着(10:50)
閉講式・解散(11:20)→大山寺発(13:00)→米子(13:45~15:34)→津和野(20:32~21:12)→小郡着(23:00)

今日は講習会の最終日であり、計画通りモチいりラーメンを食べ、元気に出発したまでは良かった。だがAB両班合流パーティでA-2班のIS班長がトップでハイペースで4合目まで登られたので、厚着をしていた小生は汗をたっぷりかき多少バテ気味。しかしこれが普通のペースかも、体力の無さを痛感する。

六合目で小休止の後、初級のみアイゼンを着け頂上に向かう。一般ルートのため特に支障なく歩行出来た。今日は特に目新しいことはなく、交流が主体の登山になった。大山頂上ではYO、M、Aの3隊員が登頂記念に思いおもいのポーズでスナップを撮る。

帰路は六合目で班別のパーティを解き、下山BCまで各自のペースで下る。記録保持者?のYO氏は飛ぶような勢いで下ったという。小生はそんなの関係なく、樹氷の森を楽しみながらゆっくりと下った。下山BCに着くと閉講式となり充実した3日間も無事に終わった(以後の記録は省略)。


白峰三山縦走

2008年01月25日 | 追憶の山

白峰三山縦走記録
日程 1974年10月4日~10月9日
装備
地図(1/5万、1/10万)、ガイドブック、コンパス、ラジオ、天気図用紙、ホエーブス、メタ、燃料(0.5L)、コッフェル、ナイフ、健保、古新聞、ポリ袋、緊急薬品、時計、筆記具、チリ紙、マッチ(予備)、半シュラフ、洗面用具、ヘッドランプ、テルモス、ポリタン(2L)、雨具、チョッキ、セーター、替下着、ダブルヤッケ(上下)、靴下(予備)、 帽子、毛手袋、短スパッツ、非常食(チョコレート、氷砂糖、クラッカー、チーズ等)、食糧7食分

コースタイム
10月6日 甲府(6:00)バス→広河原(8:00~8:15)→二股(10:20~10:40)→小太郎尾根(13:30~13:40)→北岳肩の小屋(14:10)

10月7日 北岳肩の小屋(7:00)→北岳山頂(7:30~7:50)→北岳稜線小屋(8:30~8:45)→中白峰(9:20~9:30)→間ノ岳(10:30~10:50)→農鳥稜線小屋(11:50)

10月8日 農鳥稜線小屋(6:20)→西農鳥岳(7:10)→大門沢小屋(10:50~11:30)→奈良田発電所(14:10~14:20)タクシー→奈良田(14:25~17:00)バス→身延(19:00)

行動記録
10月6日 登山口でバスを降りると北岳登山口の標識があり、つり橋より登山道が始まる。最初は林の中を歩くがすぐに大樺沢に出て岩のペンキ印頼りに歩く。二股までは高度差もなく清流の音を聞きながら快ペースである。ゆっくりと高度を稼ぐと前方のバットレスが威容を持ってせまり、振り向くと鳳凰三山の特異なピークが拡がりを見せる。また吊尾根に目を転じて見ると樹林帯の緑、黄色、橙、赤、茶のハーモニーが抜群で南アルプスの重厚さが感じ取れる。クラシックでも聞いているような気分で2ピッチで二股に着いた。二股はバットレス登攀の格好のベース地であり、北アルプスの涸沢・剣沢に比肩する所でテントが15張ほど、トカゲを決め込む人やバットレスを撮る等でにぎやかだった。私もしばしバットレスと付き合う。

二股からは新道を経て小太郎尾根を目指す。ここからは急坂で調子よく取り付いたがそこは日本第2の高峰北岳、そう簡単には登らせてくれない。20kg余りのザックもやけに重く感じられ、気持ちをそらすものも無く単独行のつらさが身に沁みる。一歩々力をこめて登高する。途中九重を思わす草原に出るとホッとしたがそれから一時間余り苦しい登高は続いた。

尾根に出ると小太郎山の東側にガスがかかっており、仙丈岳のどっしりとした山容を北に見ながら冷たい風の吹く中を小さなコブを幾つか越えると肩の小屋に着いた。

10月7日 ご来光は小屋より拝むことにしヤッケを着込んで外に出てみる。温度計を見ると-5℃でさすがに寒さはこたえるが日の出前の鳳凰三山のシルエットが素晴らしい!富士の北側にご来光が上がり名作を撮るべくシャッターを押しまくる(ちなみにポジで撮っているので写真はありません)。

北岳へは小屋から稜線をたどり小ピークを一つ巻くと到着する。展望は当然抜群だ、槍穂高・後立山の稜線もはっきり確認できる。昨日全貌を見せなかった甲斐駒も白いピークを天に向けている。今日は私の好きな岩稜づたいのルートで間ノ岳まで快適なペースとなった。間ノ岳ではやわらかい日差しを頭上に受け、東に富士、西に中央アルプス、南に塩見・農鳥、北に鳳凰三山・八ヶ岳・甲斐駒・鋸岳そしてシンメトリーな北岳と360°のパノラマを欲しいままにする。間ノ岳は平坦なピークなので慎重にペンキ印を追い眼前にある農鳥小屋までゆっくりと歩いたのだが快ペースなので予定より1時間も早く到着した。20:00寝つかれず外に出てみると満天の空に星が一杯!富士も甲府の灯を前にして浮き上がって見えたが夜半過ぎより、強風が吹きあられが小屋の屋根をたたき幾度が目が覚めたがいつしか深い眠りの中にいた。

10月8日 今日はロングコースのため早く起きたが吹雪いていたため少し様子を見る。しかし吹雪は止みそうになく誰も出発しようとしない。6:20意を決して千葉工大のパーティと一緒に私がトップで出発し、ゆっくりと西農鳥の急坂を登っていく。西農鳥の頂上及び直下のトラバースルートが新雪(20cm)で消えていたが、地図とコンパスを合わせ慎重にルートを付けていき農鳥岳に着くと後発パーティも次々に到着する。

農鳥岳を過ぎ大門沢への下降地点近くまで来ると緊張感が取れたのかトップの私だけスリップする。雷鳥にゲーといわれて笑われる。やがて泣坂とも言われるジグザグの急降下をすると雨になりチョットした平地でヤッケを雨具に着替えるともう安全地帯(?)なのでトップを千葉工大のパーティに譲る。

大門沢の源流近くになると紅葉は一段と美しさを増し、リンドウも登山道を飾っている。大門沢小屋ももうすぐと思われたが行けども行けども着かないという感じで下降が続く。ルートは沢づたいに河原・まき道・渡渉・へつりありでバラエティに富んでいる。源流地点より一時間も下ると大門沢小屋に着いた。ここで昼食も兼ねて大休止とする。冷えた体に焚き火が有難かった。十分に体を温め奈良田を目指し元気に出発する。つり橋を6回渡り、最後の小坂を越えると奈良田発電所に着き、タクシーで奈良田に向かう。農鳥小屋より同行した千葉工大Pと無事下山したことを祝って乾杯し、温泉で汗を流し甲府を後にした。

今回は単独行であったが山はもちろん、色んな方との出会いも山行きに色を添えることになった。


剱岳2

2008年01月24日 | 追憶の山
197?年8月18日 天候曇り後晴れ コースタイム 阿曽原(6:40)→欅平(10:20)

6:20前夜の雨も上がり阿曽原を出発。黒部峡谷の谷は深い。道から真下に見る谷は深く、落ちれば命もないだろう。坦々とした道が続くとやがて左手にかなり高い滝がある。一休みしてまた平坦な道を歩く。岩を削ってつくられている道である。歩くこと3時間50分で欅平に着く。

室堂から立山三山、剣岳、剣沢、仙人池、阿曽原と歩き続けてきた30数キロの山旅もここからは黒部峡谷軽便鉄道(おさるの電車)で宇奈月へと下った。
やれやれといった安堵感と良く歩いたものだという満足感でいっぱいであった。富山からの列車はお盆の帰省客で混んだが、8月19日二人とも無事に自宅に着く。
この山旅で得たものは大きかったA氏に感謝したい(M氏の弁、原文のまま)