こう雨が多いとバラなどの花の傷みも激しく、見ごろも短かくなる。
なかなか撮る気になれなかったが、せっかく咲いているので撮ることに。
淡い色のバラは特に変色が激しく、開花前に無残な姿になるが、赤やオレンジ色の
バラはなんとか鑑賞に耐える。
千日紅
アジサイは日陰の方が花持ちも良い。
昨夕は長男が珍しく陽の明るい内に帰ってきた。
「いやに早いが何かあった?」と聞くと、特別に何もなかったらしい。
ビワが食べたいと言うので、木に登り、ビワの実を収穫した。
摘花をしていないので小ぶりだが完熟しておいしい。長男の食べ方を見ると
どうも要領を得ない。無駄の無い食べ方を指南することにした。
私が小さい頃はビワの実とてご馳走だったので無駄なく、効率的な食べ方が
自然と身についているし、木登りなども苦にせず出来る。食べ方もそうだが、
木登りも歴然と差がついている。食糧難の時代になったら我々以上の年代が
しぶとく生き残れるような気がした。飽食の時代に育った世代はこういうのに
弱いのではないか?と思ったりした。
食べ終わると長男が何やら7月の末頃に、地元の料亭で一席設けてくれるらしい。
父の日に十分なことができなかったので子供達が金を出し合い優待してくれるとのこと。
その気持ちだけで十分なんだが、甘んじて受けるつもりでいる。
現在はそれぞれが自立しており、必要以上にかまうこともないし、
一歩、二歩と身を引いた形で静かに見守るようにしている。
自身の質素な生活を見るに見かねて、たまにはおいしい料理でも味合わせて
やろうという気持ちになったのかも知れない。知らぬ間に話がまとまっていたようだ。
頼りにならん親だが、少なからず感謝の気持ちを持っているらしい。
子供のために何か特別なことでもしてあげたこともないし、どちらかと言えば
頼りにならない親だと思う。となると子供の方は自分でなんとかしなくてはいけない
と思っているような気がする。
ここ数年、親として構い過ぎることが、子供のためにも良くないと思うようになってきた。
成人してからああせい、こうせいと言ったところで子供の人生と変われるものでもないし、
親の価値観を押し付けるのも良くない。ひたすら放任、自主性にまかすしかないと。
これとて難しいことだが、最近になり、ようやく少しできるようになってきた。
いろいろ苦労もするだろうが、自ら切り開くしか術はないのだからこうなる。
ベージュ色のグラジオラスが満開を迎えようとしている。放任していたら大きく育ち、
草丈も1.5mぐらいになった。この花は放任栽培が奏功したようだ。
ナンテンの花が開花を始めた。ナンテンは難を転ずるにひっかけで縁起のいい木らしい。
難に遭ったとしてもこれを転じて福となすような気持の余裕も持ちたいが、
人はすぐには気持ちは切り替わらない。時間をかけてゆっくりとといった
気持の長さも時として必要なようにも思える。
なんか最近、性急に結論を出そうとして返ってゆがみを生じているケースが
なきにしもあらずといった感じがしている。
確かにスピードが必要な場合が多いが、悠久の時の流れが解決することもありうる。
急いて事をしそんじることも散見される。あせりも禁物だ。
ネット知り合いのブログでターシャさんが92歳の生涯を閉じられたことを知る。
ターシャの庭なども一時はとてもあこがれたのだが、とても近づけないでいる。
じっくりと時間もかけて、あのような庭も造ってみたいものだ。