(共同通信)
三宅一生さん
三宅一生さんが米紙に原爆体験 「倫理的責務」と(共同通信) - goo ニュース
三宅一生さん、米紙に原爆体験寄稿 大統領演説が触発(朝日新聞) - goo ニュース
三宅一生さん、被爆体験告白=オバマ大統領の広島訪問期待-米紙(時事通信) - goo ニュース
三宅氏が7歳の時に広島で被爆していたことは、初めて聞くことであった。
今までは、『原爆を生き延びたデザイナー』と呼ばれたくなかったために、広島に関わる質問は避けていたそうだ。オバマ演説に感銘を受けての、核兵器廃絶と世界平和の実現を呼び掛けた。「もし世界から核兵器をなくそうと思えば、(被爆体験は)議論されなければならない問題である」との表明は、平和の願う気持ちの表れで、核兵器の廃絶を進める運動に力を与えるものであろう。
自らの被爆体験(「目を閉じれば、誰もが決して体験してはならないことが今でも見える)を通じて、自分が被爆者であると声を上げることが、個人としての道義的責任とも表明している。
また8月がやってくるが、原爆の記憶を風化させてはならないし、我が国における核兵器配備論者にも警戒を怠ってはなるまい。
それも、被爆されているなんて。
毎年被爆者の方の数が減っているので、原爆の悲惨さを語れる方が少なくなってきているようです。
それも気になることですが、今の子供たちは8月6日が何の日か知らないんですよ。
それがショックです。
今私は呉に住んでいますが、呉では世界初の原爆投下の日よりも、空襲の日を重んじています。
私にとってはどちらも忘れてはいけない日だと思うので呉の教育に携わる方に大きい声で問いたいです。
どうして、呉にこだわるのか?
戦争がいけないことなので、尊い命がたくさん失われたことを伝えていかなければいけないんではないんでしょうかと…。
この目には悲惨な光景が焼きつかれていて、
忘れることができないのでしょうね…。
私も被爆2世になるのかな?
父方のおばを原爆で亡くしました。
父は微量ながら黒い雨にあたったようです。
亡くなった祖母は娘を探しにいきましたけど、
見つからなかったと言っていました。
…そういう家族に生まれたんで、原爆のお話は私も真剣に考えたいと思うんですよ。<(_ _)>
丸木美術館の原爆の図との出会いが、私に多くの事を開眼させてくれました。
丸木位里・俊さんご夫妻が、広島の被爆後すぐに広島市内を訪れて、この絵を描き上げた事は、その時知りました。
沖縄戦の図とともに、忘れられない衝撃を受けました。
三宅さんのお話は、新鮮な驚きと嬉しさで知りました。
多くの方に、三宅さんの思いが伝わるといいですね。