天狗の恩がえし―大会 (お能の絵本シリーズ (第2巻))片山 清司アートダイジェストこのアイテムの詳細を見る |
日本の昔から伝わってきた話も、段々と子どもの世界で語られることが少なくなってきた。日本の伝統や、昔の人たちの思いが込められた伝承文学が若い世代に伝えられなくなることは、寂しいことだし、ある意味、日本文化にとっての危機といってもよい。
そのような古典や伝説、昔話の中にも楽しくて、面白いものも少なくない。
本書は、観世流の能楽師の片山清司氏によって、能の中から、子どものために、話を再構成して作られた絵本である。
「天狗の恩返し」は、能の「大会(だいえ)」に基づく。
いたずらをしたばかりに、トンビの姿のままに、子ども達に懲らしめられている愛宕山の太郎坊という天狗を、お坊さんが助ける。その夜、山伏姿の天狗の太郎坊がお坊さんの前に姿を現し、お礼に望みをかなえると申し出る。僧侶の身ゆえ、特に望みはないと返事をしたものの、天狗の熱心な申し出に、その昔、霊鷲山(りょうじゅせん)で、釈迦が弟子に説法をしている所を観たいと返答した。天狗は、この申し出を受けるが、お坊さんに「決して信仰心を持ってはならない」と条件をつけた。
お坊さんが眼をつぶっていると、世にも妙なる音楽が聞こえてきて、眼を開けると、眼前には、釈迦が弟子たちを前に説法をする姿が現れた。このありがたい姿に、思わずお坊さんは信仰心を持ってしまい、合掌するのであった。
すると、はるか天空から、仏法を護る帝釈天の一行が現れた。釈迦とその弟子たちは、見る間に、天狗の姿と変わっていった。天狗と子天狗たちが姿を変えていたのだ。天狗は、帝釈天に散々に懲らしめられ、遠くの山に去って行った。お坊さんは、残された天狗の羽を広い、今でも太郎坊を待っているという。
外道の存在とされる天狗に、けなげな姿と、仏法を馬鹿にしたと帝釈天になぶられる姿がおかしくも悲しい。
なお、この話のもとになった能「大会」は、未見であるが、なかなか演出の問題もあり、演じられることが少ない曲である。様々な演出が工夫されているとのこと、是非、観てみたい1番である。
能の絵本という発想は、子ども達に伝統文化を伝える意味もある。いつか、能楽堂に行く子どもたちが現れることも期待される。