トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

『ブタがいた教室』 ホール上映に行く

2010-02-15 00:39:01 | 映画
 日曜日は、午前中、朝食をとってから、さっそくいちょうホールへ出かけました。「八王子親と子のよい映画をみる会」による「ブタがいた教室」の上映があるからです。この会は、出来てから40年も経っているそうで、今回の作品は、101回目の上映にあたります。三多摩でも、同様の会がありますが、八王子ほど、上映回数が多くはありません。

 僕も、かなり前に、この会のおかげで、色々な映画を観ることが出来ました。「はだしのゲン」や、「大地は天使でいっぱいだ」などを観ています。

 それから、ずっと、この会の上映会とはご無沙汰の状態でしたが、会の方は、活動を継続していた訳です。

 久しぶりの映画に行くことになったのは、「ブタのいた教室」を、前々から観たかったこと、それと、最近の会の様子も知りたかったからです。

 会場には、親子連れや、おばあさんと一緒の子どもたちの姿が見られました。

 内容が、かなり深刻なテーマを含んだ作品でしたが、大人たちと違い、子どもたちがどう感じたのかは、興味のある所です。

ブタがいた教室 - goo 映画ブタがいた教室 - goo 映画

ブタがいた教室


 原作となった、実際の行われた授業と共に、この映画を観た人の間では、賛否両論があるでしょう。実際、低い評価を与える人もいます。

 しかし、僕自身は、人間という存在が、植物や動物という他の生物を食べることで、大脳を発達させ、また、現在、こうして、生きていることが出来ることを、認識出来る映画だと思っています。現在は、人の死も病院において迎えるケースの方が圧倒的に多くなり、子どもたちをはじめ、死の実感がわくことが少なくなった世の中になっています。学校でも、死というものに対する教育がほとんどされたいないのではないのでしょうか。生というものを、認識したり、その価値を認めるためにも、死というものに、真正面から向かい合う教育も必要なのではないのでしょうか。大学生の中にも、死者のよみがえりを単純に信じている学生が少なくないそうです。死の感覚が、だんだんと希薄になっている。それは、ズピリチュアリズムのような非合理主義の蔓延を招いている危惧すら感じています。

 同じホールで、先日行われた涅槃会の集いでの、作家の石川英輔氏の講演の中にも、映画に関連するような話がありました。

 ヨーロッパの女子修道院を訪れた日本人の話です。ご存じのように、修道院は、自給自足の生活が原則になっているという歴史があります。そこで、シスターが、食事に使うために、飼っている鶏の首を、ハサミで次々を切り落としていたそうです。日本人は、シスターに、そういうことをしていて、何にも感じないんですかと聞いたところ、動物には、魂がないから、別に、残酷だとも思わないという返事だったそうです。キリスト教では、創世記に書かれているように、魂があるのは、人間だけで、人間が他の動物を支配することになっています。
 日本人の愛犬家が、自分のペットが死んだので、教会の神父にミサをあげてもらうように頼んだところ、当然、断られました。動物には、魂がないからですね。仏教でも、動物に対しても供養が行われる。これは、輪廻転生の考えが反映していることと、日本では、山川草木悉有仏性ということがいわれていることが関係しているのでしょう。
 でも、原始仏教でも、肉食を厳格に禁止したのは、提婆達多の教団の方だったという研究もあるようです。
 
 映画の中に、転校生だった少女が、ブタのピーちゃんが最後に子どもたちとサッカーボールで遊んでいる時に、転がってきたボールを足で蹴り返すシーンが出てきます。彼女は、最初から、ブタを食肉センターに送ることには、反対の立場でした。続くシーンでは、誰もいない校庭に残されたサッカーボールが映し出されます。そこまでの展開が、命のバトンを象徴しているように感じました。

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豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日
黒田 恭史
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1 コメント

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ブタがいた教室 (O)
2010-02-15 16:42:57
ご鑑賞ありがとうございます。
周りの皆様とゼヒ話し合ってみてください。
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