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「ロスジェネ」の赤木智弘氏と浅尾大輔氏の対談『ぼくらの希望は「戦争」か「連帯」かを読む。
しかし、杉田氏の赤木氏の10年以上にわたるウェブ日記の分析の事が、頭から離れない。
赤木氏は、友人がいなくなったのは高校時代と嘆く。本来は、男女共学校へ進学すれば自分のチャンスが開かれていたとして、男子校に「行かせた」担任と両親を「殺したい」と書き込む。(98年8月5日)。そして赤木氏の精神の器が極度の混乱と殺意に満たされる98~99年半ば頃。1年間務めた会社を解雇され、公務員受験を志す迷走中の時期。
99年半ば過ぎ以降の、フリーター時代のウェブ日記は安定してくる。内容も社会時評化して長大化していく。
赤木氏の思考の原点は、両親への怒りと殺意から始まっていると指摘する。「動物以下」「虫けら以下」と親を日記に書き込む。自分の事をポチと称し、そういう自分は親以上に「動物以下」「虫けら以下」とする。でも、日記を続けている所を見ると案外自己愛は強いのかも知れない。
同時に実家の栃木的環境へのにじみ出る嫌悪感。給食に出る栃木県の郷土料理「しもつかれ」を、大根サラダと鮭茶漬けをたらふく食べた、泥酔サラリーマンの嘔吐物だと評する。
経済的な事情からの親との同居。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障が無くなるという不安感。しかし、攻撃は両親に向けられ、その修復が出来ないうちに、ウェブ日記というバーチャルな場で、攻撃対象が仮想敵へと変換してゆく。一定の人間に対する動物虐待的なルサンチマンがネットを舞台に展開されてゆく。
「ぼくらは卑近な親との戦争を通過し損ねているが故に抽象的な戦争希望に迷い込んでしまうのではないですか。」
赤木氏は「論座」で、東北地方で仕立て屋を営む老人(妻はアルツハイマーで長期入院中で、年金の多くが医療費で消えていく。生活保護は、葬式費用として貯めた貯金があるため受給出来ず)に対して、「あなたはそれでも恵まれている」と言い放つ。また、著作本では、手術に1億円かかる難病の子供1人を助けるより33名のフリーターを1人300万円で助けた方が「効率的」だと平然と書いている。なぜ世間はあんたらに同情しても、自分らフリーターには同情しないんだと、言ってのける。
世間には、自分の権利と人間的尊厳をかけた戦いを始めている、リアルな世界を生きるフリーターもいるのに、迷惑な言動である。
最後に、杉田氏の思い。『1970年代以降、身体障害者による自立生活運動では、障害者を「愛」の名の下に呪縛し時には殺す親の存在が批判されましたが、そこには、自分を親から解放することで同時に親をも自分から解放する、互いに自立的な関係を再構築する、という爽快な風が吹き込んでいました。ぼくはここにあなたの「31歳フリーター。希望は、戦争。」という問いのリミットがある、と確信するのです。』
次回は、対談を読み込んでいきたい。
しかし、杉田氏の赤木氏の10年以上にわたるウェブ日記の分析の事が、頭から離れない。
赤木氏は、友人がいなくなったのは高校時代と嘆く。本来は、男女共学校へ進学すれば自分のチャンスが開かれていたとして、男子校に「行かせた」担任と両親を「殺したい」と書き込む。(98年8月5日)。そして赤木氏の精神の器が極度の混乱と殺意に満たされる98~99年半ば頃。1年間務めた会社を解雇され、公務員受験を志す迷走中の時期。
99年半ば過ぎ以降の、フリーター時代のウェブ日記は安定してくる。内容も社会時評化して長大化していく。
赤木氏の思考の原点は、両親への怒りと殺意から始まっていると指摘する。「動物以下」「虫けら以下」と親を日記に書き込む。自分の事をポチと称し、そういう自分は親以上に「動物以下」「虫けら以下」とする。でも、日記を続けている所を見ると案外自己愛は強いのかも知れない。
同時に実家の栃木的環境へのにじみ出る嫌悪感。給食に出る栃木県の郷土料理「しもつかれ」を、大根サラダと鮭茶漬けをたらふく食べた、泥酔サラリーマンの嘔吐物だと評する。
経済的な事情からの親との同居。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障が無くなるという不安感。しかし、攻撃は両親に向けられ、その修復が出来ないうちに、ウェブ日記というバーチャルな場で、攻撃対象が仮想敵へと変換してゆく。一定の人間に対する動物虐待的なルサンチマンがネットを舞台に展開されてゆく。
「ぼくらは卑近な親との戦争を通過し損ねているが故に抽象的な戦争希望に迷い込んでしまうのではないですか。」
赤木氏は「論座」で、東北地方で仕立て屋を営む老人(妻はアルツハイマーで長期入院中で、年金の多くが医療費で消えていく。生活保護は、葬式費用として貯めた貯金があるため受給出来ず)に対して、「あなたはそれでも恵まれている」と言い放つ。また、著作本では、手術に1億円かかる難病の子供1人を助けるより33名のフリーターを1人300万円で助けた方が「効率的」だと平然と書いている。なぜ世間はあんたらに同情しても、自分らフリーターには同情しないんだと、言ってのける。
世間には、自分の権利と人間的尊厳をかけた戦いを始めている、リアルな世界を生きるフリーターもいるのに、迷惑な言動である。
最後に、杉田氏の思い。『1970年代以降、身体障害者による自立生活運動では、障害者を「愛」の名の下に呪縛し時には殺す親の存在が批判されましたが、そこには、自分を親から解放することで同時に親をも自分から解放する、互いに自立的な関係を再構築する、という爽快な風が吹き込んでいました。ぼくはここにあなたの「31歳フリーター。希望は、戦争。」という問いのリミットがある、と確信するのです。』
次回は、対談を読み込んでいきたい。