トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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第14回目のアートムーチョ ②

2010-05-24 00:16:03 | 日記
 アートムーチョでは、可愛いものも売られている。今回、小さな豚の素焼を見つけた。幸せの豚だそうだ。この手のものには、心が惹かれる。

 僕は、理性の分野では、合理主義者でありたいと思っている。でも、心情的には、宗教に心が惹かれるのである。この矛盾は、別に気にしていない。人間の弱さを補うものとして、仕方ないものと思っている。

 宗教家でも、尊敬すべき人物が歴史上でも少なくない。いつも、障害者や病者や、女性をはじめ、弱い立場の人間に寄り添って信仰を広めた人がいた。

 現代は、宗教ビジネスという言葉があるように、エセ宗教家が世に満ちている。派遣村やホームレスの存在が問題となった時も、積極的に動いた宗教団体は果たしてどれほどあったのだろうか。イラク戦争が起こった時、戦争に反対した教団がどれほどあったのか。

 高齢者の孤独死や、無縁死が増える現代社会で、高齢者や弱者の居場所として、宗教施設を開放した宗教家はどれほどいるのであろうか。

 我が街に、また一つ、宗教施設ができた。巨大教団の施設も存在する。イスラム教のモスクもある。小さな名も知れぬ教団のビルも、いつの間にか建っていたりする。在日の人とは違う、最近、わが国にやってきて働いている韓国人のための教会が、街の至る所に出現している。経済の問題も関係している。商店街のシャッター街かに伴い、空きビルの空き部屋に、急遽作られた教会。古本屋で、ハングルの聖書を見かけた。

 古くからの信仰を集める薬王院のある高尾山は、休日ともなれば、原宿並みのラッシュ状態である。外国からの観光客も増加しているという。ミシュランの観光ガイドの3つ星獲得が大いに影響しているようだ。しかし、少し前までは、そんな喧騒状態の山ではなく、聖地であったはずだ。

 この街は、何故か、商店街や経済の衰退に伴って、宗教色を強めている。

 さて、今回のぶた、この前買ったタイガーアイで作られたガネーシャの彫りものと一緒に、適当なきんちゃく袋に収まった。御守りもいくつか持ち歩いているが、その仲間入りした結果になる。心情的に、原始的な宗教心を持ちながら、エセ科学と、ブランド品に身を固め、お布施の額と信仰心が比例するとする宗教家に、大いに敵意を持っている自分の姿を、自然と受け入れている。