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透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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生きていくことの意味/『いのちをつないで―ぼくは18トリソミー』

2010-05-15 01:00:18 | 絵本・児童文学
いのちをつないで―ぼくは18トリソミー
わたなべ えいこ
汐文社

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 先だって、医学の進歩が死ぬことのない障害者を増やしているという内容の発言をした市長がいましたね。透析患者である僕も、その中の一人なのでしょう。もう少し昔だったら、この世の中に生きていることはできなかったはずです。透析の導入に入った時期で、人間の運命が変わってしまいました。多くの人が、透析医療の進歩と、どの患者もその医療を受けることの恩恵にあずかることなく亡くなっていきました。中学生の頃、腎臓病の意味も分からずに、梅干を無性に食べたがるずっと寝た状態の子どもの心情が描かれた文章を読んだことがあります。当時は、腎臓病の治療といえば、減塩食と安静しかなかったのでした。また、小学生の頃に見たテレビドラマでは、腎不全の少女が登場していました。水分制限から、のどの渇きに氷をもらっていました。医師からは、腎移植の可能性が検討されていました。おそらく、少女の命は風前のともしびだったのでしょう。中学生のクラスメイトが腎臓病で長期欠席をしていた時も、本当の病気の意味は理解できませんでした。僕自身が、高校生の時に、1年以上も入院しなくてはならなくなるとは、思いもよりませんでした。その時も、治療といえば、安静と食塩を制限した食事療法しかなく、病院の中では、変化のない時間だけが流れていきました。その時に、若い女性が同じ病気で入院してきましたが、既に目が見えなくなり、間もなく死を迎えるだけだという噂が病室に広がっていました。まだ、透析医療がなかった頃のことです。

 生きられることと、生きていくことの意味は、透析患者なら考えずにはいられない問題でしょう。しかし、世の中には、まだ、たくさんの難病患者の人たちがいます。治療法ばかりか、原因もよくわかっていない病気も少なくはありません。

 この本に出てくる凱晴(かいせい)君は、現在は6歳だと思います。訪問学級の先生が家にやってくるといいます。
 かい君の病気の名前は、「18トリソミー」という聞きなれない病名です。遺伝子の変異による病気で、かい君が生まれた2004年2月6日の頃は、1万人に1人の確率で生まれるものだったそうです。『「染色体」という体をつくるプログラムが、ふつうの人とほんの少しだけちがうために、体のあちこちに病気がおこってしまうのです。そして、この病気の子は、なんとか生まれてくることができても、1さいまでに多くの子が亡くなってしまうのです』。なお、現在は、医療の進歩で、5千人から7千人に1人の割合となっていますが、難病であることには変わりがありません。
 かい君が生まれる前から、家族には、無事に産まれてくるかどうかという保証もないことが医師から伝えられていました。出産時も、医師側の対処は、諦めが前提で、出生後しばらく放置されていたそうです。しかし、かい君がその時に、自力で手を上げたそうです。それで、急遽、産後の処置が行われたそうです。それからも、医師からはいつ症状が急変してもおかしくないと言われ続けてきました。生まれつき、食堂が途中で途切れていたため、胃ろうという胃に穴をあける手術を受けます。唾液が胃に流れ込まないために、10分~15分に1回の唾液の吸引も必要とされました。また、胃液が気管に流れるために、気管にも穴が開けられました。でも、かい君のほほえみは、家族にたくさんの力を与えてくれました。命をつなぐ毎日が続いていきました。ところが、2歳の時に急性脳症を発症して、脳の大部分が破壊されてしまいます。ほほえむことができなくなりました。この間、病院も変わっています。医師の対処の仕方も違っていました。

 現在は、腎機能も低下して、人工透析にならないように治療を受けています。体力も低下して、病院からの外出も控えるようになっています。でも、かい君は、命をつないで生きています。

『どんな命も1人1人が宝物で、尊重されるべき命だと思います』、この本を書いたかい君のお母さんの言葉です。