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作者の優しい視点、教育とは、学びとは何なのでしょう/絵本『からす たろう』

2010-05-20 02:19:06 | 絵本・児童文学
からすたろう
八島 太郎
偕成社

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 作者の八島太郎氏は、小林多喜二のデスマスクのデッサンを描いた人です。あの治安維持法という悪法の下、人々が自由に行動することや、自由な思想を持つことが許されなかった時代、戦争に反対し、その後、妻と共にアメリカに移住して、日本人に対して空からまかれた反戦ビラを書いた人でもあります。

 アメリカで出版されたこの絵本は、作者の子どもの頃の思い出や、恩師の記憶が元になっている作品です。

 入学式の時から、教室の床下に隠れていた「ちび」と同級生に呼ばれた少年は、クラスには、勉強にもなじめず、みんなから「うすのろ」とか「とんま」と呼ばれながらも、毎日、学校に通ってきました。いそべ先生が担任となった6年生の時に、僕たちは大切な事を学びました。
 いそべ先生は、よく学校の裏にある丘の上に生徒達を連れていきました。ちびは、のぶどうや山芋のありかを良く知っていました。そのことに、先生はとてもご機嫌でした。クラスで花壇を作った時も、ちびはとても花の事に詳しかったのですが、いそべ先生はそのことにとても感心していました。先生は、ちびの描いた白黒の絵や、でたらめのようにしか見えないちびの習字も壁に張り出しました。そして、時々、周りに誰もいない時に、ちびと二人だけで話をしていました。
 それから、学芸会の時に驚くことが起こったのです。ちびが舞台に上がったのです。いそべ先生が、ちびがカラスの鳴き声をすると発表しました。
 ちびのカラスの鳴き声は、観客の心に響きました。その鳴き真似を聴く時は、まるで自然とその情景が浮かんできたのでした。最後に、山の奥の一本の古い木の上で鳴くカラスの声を聴いた時、ちびが住んでいる遠くて寂しい情景がはっきりと浮かんだのでした。
 先生は、ちびの鳴き真似が終わった後、ちびが何故カラスの鳴き真似ができるようになったのかを説明しました。日の出とともに家を出て、日没に家に帰りつきながら、今日まで6年間、ずっと通いながら……。
 僕たちは、その6年間にどんなに、ちびに対してひどい仕打ちをしてきたのか思い出して泣いてしまいました。
 大人たちも泣いていました。
 そして、卒業式の日に、ちびは一日も休まずに学校へ通ったので、クラスでただ一人、皆勤賞をもらいました。 
 その当時は、卒業したら、大抵の子どもは働きました。ちびも、遠くの家から、炭を売りに町に出てきました。クラスの子とも町で時々会いました。でも、もう、彼のことを「ちび」とは呼びませんでした。「からす たろう」、それが彼の新しいあだ名。彼が、町から家に帰る時、カラスの鳴き声が聞こえてきました。

 この絵本を読んでいて、教育とは何か、学ぶということは何かということを考えざるを得ませんでした。はるかアメリカから、時間を超えてこうした本を書いた八島氏の優しいまなざしを感じて、胸が熱くなりました。
 もちろん、画家としての八島氏の絵を観ることも、また、大きな喜びでもありました。