最近は、八王子駅北口の西放射線通りで、色々な催し物が行われることが多くなった。透析帰りに、ふとその通りを通ってみると、何らかのイベントに出くわす機会も少なくない。帰り道、それをのぞいていくのも結構楽しいものである。
そうしたイベントの中でも、お気に入りの一つが「アートムーチョ」だ。アーティストやクラフト作家たちのマーケットである。僕の好きな鈴木ちささんの陶器の人形に出会ったのも、第1回目のアートムーチョの時であった。
昨日から始まったマーケットは、第17回目を数えるに至った。ただし、車は進入しないが、屋根のない通りは、雨天中止のリスクが高いのが気がかりだ。アートムーチョも、これまでに雨で中止になった日が少なくない。
今回も、今日は雨が朝から降っていて、残念ながら中止となった。
昨日、透析の帰りに見ていてよかった。いつものことであるが、アート作品よりは、アクセサリー類が多く売られている。売れ筋のものなのだろうが、もう少し、アートの香りがするお店が増えてほしいと思っている。
今回は、特に購入の予定はなかったが、ふと、ある絵の前で立ち止まってしまった。作品の絵ハガキと一緒に、オリジナル作品も売られていた。
その中の、犬の絵の商品が目についたのだ。千年死んだ愛犬を思い出した。トイプードルの老犬なのか、家の前に捨てられていたのだ。じっとしてその場から一歩も動かずに、我が家をのぞいているのに、朝食中の僕が気付いた。
体も毛玉だらけで、歯もかなり傷んでいた。犬だから、何という名前で、どこから来たのかも話すことができない。しばらく、情報を集めながら、我が家で預かっていたが、結局、うちで飼うことになった。足の裏の肉球も柔らかくきれいだったので、外に出て散歩などしたことがないようであった。肛門腺がひどく腫れて、直ぐに獣医に診てもらったが、その時に登録をしてもらい、年齢は推定9歳とされた。でも、本当のことは、誰も知らない。
うちの家族以外には、少しも慣れなかった。頭をなでられても、唸っていた。吠えることもしなかった。そこで、僕が吠えるように教えた。食事もろくに与えられていないようだったらしく、来た当初は、小食であった。食べるものも限られていたようで、新しい味を覚えるまで時間がかかった。その後は、良く食べる犬となった。
その当時、我が家に来たことは、家族の間の潤滑油になってくれたことを思うと、神さまのプレゼントのような気がした。
毎朝の散歩は、僕の担当であった。今のように夜更かしもしないで、毎朝、早めに起きて、冬の寒い時も一緒に散歩を続けた。僕の健康にも寄与してくれた。
プライドの高い犬であった。家族にも、強情なところがあった。
僕が見つけたその年に、僕は、慢性腎不全で透析に備えて、2回入院した。その間、留守番をして待っていてくれた。透析導入の年が、同じスタートの年となった。
しかし、犬の寿命の進み方は早いものだった。駆けるように散歩をしていた犬も、やがては、歩くのも億劫そうになった。気の強い犬でも、ひどく臆病な時があった。近所の他の犬たちが、花火の音におびえていたのに、一向に平気であった犬だった。それが、夜中に、恐怖に満たされたような声で鳴くようになった。死を感じていたのだろうか。
アートムーチョで見つけた小品は、そんな愛犬を思い出させた。
今は、部屋の中にある。生前、ほとんど写真を撮っていなかった。その絵は、彼の遺影でもあるのだ。
そうしたイベントの中でも、お気に入りの一つが「アートムーチョ」だ。アーティストやクラフト作家たちのマーケットである。僕の好きな鈴木ちささんの陶器の人形に出会ったのも、第1回目のアートムーチョの時であった。
昨日から始まったマーケットは、第17回目を数えるに至った。ただし、車は進入しないが、屋根のない通りは、雨天中止のリスクが高いのが気がかりだ。アートムーチョも、これまでに雨で中止になった日が少なくない。
今回も、今日は雨が朝から降っていて、残念ながら中止となった。
昨日、透析の帰りに見ていてよかった。いつものことであるが、アート作品よりは、アクセサリー類が多く売られている。売れ筋のものなのだろうが、もう少し、アートの香りがするお店が増えてほしいと思っている。
今回は、特に購入の予定はなかったが、ふと、ある絵の前で立ち止まってしまった。作品の絵ハガキと一緒に、オリジナル作品も売られていた。
その中の、犬の絵の商品が目についたのだ。千年死んだ愛犬を思い出した。トイプードルの老犬なのか、家の前に捨てられていたのだ。じっとしてその場から一歩も動かずに、我が家をのぞいているのに、朝食中の僕が気付いた。
体も毛玉だらけで、歯もかなり傷んでいた。犬だから、何という名前で、どこから来たのかも話すことができない。しばらく、情報を集めながら、我が家で預かっていたが、結局、うちで飼うことになった。足の裏の肉球も柔らかくきれいだったので、外に出て散歩などしたことがないようであった。肛門腺がひどく腫れて、直ぐに獣医に診てもらったが、その時に登録をしてもらい、年齢は推定9歳とされた。でも、本当のことは、誰も知らない。
うちの家族以外には、少しも慣れなかった。頭をなでられても、唸っていた。吠えることもしなかった。そこで、僕が吠えるように教えた。食事もろくに与えられていないようだったらしく、来た当初は、小食であった。食べるものも限られていたようで、新しい味を覚えるまで時間がかかった。その後は、良く食べる犬となった。
その当時、我が家に来たことは、家族の間の潤滑油になってくれたことを思うと、神さまのプレゼントのような気がした。
毎朝の散歩は、僕の担当であった。今のように夜更かしもしないで、毎朝、早めに起きて、冬の寒い時も一緒に散歩を続けた。僕の健康にも寄与してくれた。
プライドの高い犬であった。家族にも、強情なところがあった。
僕が見つけたその年に、僕は、慢性腎不全で透析に備えて、2回入院した。その間、留守番をして待っていてくれた。透析導入の年が、同じスタートの年となった。
しかし、犬の寿命の進み方は早いものだった。駆けるように散歩をしていた犬も、やがては、歩くのも億劫そうになった。気の強い犬でも、ひどく臆病な時があった。近所の他の犬たちが、花火の音におびえていたのに、一向に平気であった犬だった。それが、夜中に、恐怖に満たされたような声で鳴くようになった。死を感じていたのだろうか。
アートムーチョで見つけた小品は、そんな愛犬を思い出させた。
今は、部屋の中にある。生前、ほとんど写真を撮っていなかった。その絵は、彼の遺影でもあるのだ。