トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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人間として生きたい/『派遣村、その後』

2009-09-08 00:58:50 | 読書
派遣村、その後
小川 朋,「年越し派遣村」実行委員会
新日本出版社

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 去年の暮れから、今年のはじめにかけて、社会に対して日本の貧困化をはっきりと見せることになった派遣村。しかし、そこに参加できた派遣切りや雇い止の労働者な全体のごくわずかであった。社会に対するメッセージは、大いに発信できたが。

 政権が交代し、労働者派遣法の全面的な改正が望まれるし、社会におけるセーフティーネットの十分な構築も今後の課題となっている。民主党は、財界寄りのところがあり、また、連合傘下の一部労働組合の企業寄りの姿勢もあることから、しっかり、改正や社会保障制度の整備に対して監視し、働きかけを続ける必要がある。

 本書では、最初に、東京日比谷公園での派遣村の解散以後、全国160か所で行われた「派遣村」「街頭労働相談会」のうち、群馬県高崎市前橋公園で行われた「派遣村」のルポから始まる。労組や民主団体、地方議会の議員たちの支援活動が、その準備段階から紹介されて、この地でも派遣切りの問題点があぶりだされた。
 依然として、派遣切りや雇い止目になった労働者に、「自己責任論」の強い影響がみられる現実。ネット右翼などが、盛んに主張していたことが、派遣切り労働者の意識にまで強い負の影響を与えていた。また、彼らお得意の既得権益論は、労働組合に加入している正規雇用の労働者と派遣労働者・期間工の対立をあおり、経営者の利益にかなうものであった。しかし、本書では、労働組合員と派遣社員の共同活動の模索も取り上げられている。

 派遣切りや偽装請負などを、法律的に解説することも試みられ、本当に意味のある労働者派遣法の改正のポイントも述べられている。

 そして、「派遣村」が問題となる前に、既に、こうした問題に取り組んできた労組の活動も紹介されている。

 また、派遣切りを体験して労働者の、最初の戸惑い、怒り、労組への気持ちなども当事者の声が紹介されている。

 「派遣村」は、日比谷公園で終わったのではなく、今も、反貧困の訴えを含めて、現在進行形で運動が展開されている。コンプライアンスを忘れ、株主への配当中心の考え方をとる企業に対する働きかけや闘いも今後も続ける必要がある。先進国でも、高すぎる役員報酬への制限などの施策が実行に移されようとしている。日本は、ヨーロッパと比べて、貧困化対策、労働政策がはるかに遅れた国である。

 人間らしく生きられる社会を作ることにもつながる運動の展開は、今後も続く。政権交代に際して、真の労働者派遣法の改正を目指すとともに、低すぎる失業保険給付金や生活保護水準の引き上げも視野に入れた運動が求められる。本書が、多くの人に読まれ、(特に派遣労働者の人たちに)、生きづらい世の中を変える武器となることを希望する。

芸能の起源を探る

2009-09-08 00:19:36 | 読書
の異神と芸能
谷川 健一
河出書房新社

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 7月に訪れた三井記念美術館で開催されていた、いとも変わった展示「知られざるタオの世界 道教の美術」は、魅力あるもので、大いに好奇心を刺激された。なお、現在は、大阪市立美術館へ巡回している。

 この中で、気になる神像図を拝見した。日光輪王寺に伝えられる「魔多羅神の曼荼羅」である。画面中央に描かれた魔多羅神は、唐制の幞頭(ぼくとう)をかぶり、日本風の狩衣をまとい、腰をかけ、包みをとって打つ姿である。その口辺には、怪しい微笑が見て取れる。左右に配された童子は、右手に笹の葉、左手に茗荷を持って待っている。上方には、北斗七星。この図は、どこかで見た記憶があった。朝日新聞の文化欄であった。最近、芸能史で話題となっている神様であった。

 京都太秦の広隆寺は秦氏にゆかりの寺であるが、そこには牛神社という変わった社があったのではないか。また、そこで行われる牛祭は、魔多羅神が赤鬼と青鬼の四天王を伴い、祭文を朗読する奇祭である。

 また、説教節の「しんとくまる」が、自殺直前に籠っていたお堂は魔多羅神を祀ったものとの指摘が本書にあった。

 魔多羅神に関しては、その正体をはじめ、天台宗の寺でどのような扱いを受けていたかなどは、本書の開設が興味ある内容であった。

 蝉丸、逆髪伝承をはじめ、知的冒険を楽しめる書であった。

 本書のキャッチコピーは、『海の民、山の民。国家からこぼれ落ちた放浪者がカミと出会い、芸能を生んだ。信仰と芸能の起源と展開を追う、『季刊東北学』好評連載「民間信仰史研究序説」ここに完結。』とある。

 と呼ばれた人たちと、能楽狂言等の芸能との関連や、サンカなどの山の民などの、身分制からみて低い地位に会った人たちの歴史を、柳田国男、折口信夫などの著作や古事記・日本書紀などの古典、それにフィールドワークなどの手法で読み解く民俗学の冒険は、検証の難しさと、想像力の豊かさが求められる世界であった。

 琵琶法師など、盲人と芸能、宗教の歴史も、障害者の歴史の一面としてやはり興味を惹かれるテーマであった。

多様な生き物との共存/『15歳の寺子屋 ペンギンの教え』

2009-08-25 01:39:55 | 読書
15歳の寺子屋 ペンギンの教え
小菅 正夫
講談社

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 動物たちの「行動展示」で、日本中で有名になった人気動物園の旭山動物園名誉園長の小菅正夫氏による、15歳の寺子屋シリーズの中の命の授業。

 6時間の授業を通して、小菅氏の生き方が語られていく。

 人間は何故生きているのだろうという哲学的疑問を動物に聴く氏の話。回答は、う余命少ないカバの最後の繁殖の機会に教えられた。

 また、将来の進路は性急に決める必要はないという、氏の体験談。その時に打ち込めるものがあれば打ち込むこと。勉強をする機会が来たらば、無我夢中で自分の力を最大限に生かした勉強すること。聴くべきことがたくさんある。

 旭山動物園の経営難で、閉園の危機を仲間たちとどう乗り越えたかというエピソードも多くの事を教えてくれる。

 また、動物園の役割も再認識させてもらえる。動物は決して「かわいくない」。彼らの生存が人間により脅かされている今、動物園で、動物を繁殖させていつかは自然に帰したい。多様な生き物が共存している環境こそが、人間にとっても望ましい環境であるという、小菅氏の思いが15歳を中心にした青少年に伝わることができれば、本書の目的の一つは達成できるだろう。

 題名に関しては、動物園で行われているペンギンの行進では、フンボルトペンギンが参加していないことに由来するのだろう。フンボルトペンギンは、まったくの人嫌いだそうだ。動物園で孵化したヒナでさえ、動物園の人間が近づいても逃げていく。これは、かつて、自生地で受けた人間からの迫害の歴史が、負の記憶として世代を超えて受け継がれていったのかもしれないと小菅氏は指摘する。我々人間が、今までにしてきた動物への仕打ち。北海道の自然も、アイヌの生活ではおかされることなく共存できた。それが、明治以降の人間に都合のよい「開発」の名の下に環境が破壊されたいった歴史も忘れることができないのである。

今年は世界天文年/『ガリレオ (天才!?科学者シリーズ 1)』

2009-08-24 01:22:17 | 読書
ガリレオ (天才!?科学者シリーズ 1)
ルカ・ノヴェッリ
岩崎書店

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 今年は、ガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で天体観測を始めてから400年目の年にあたる。また、国際天文年の年であり、各地で催しが開かれている。

 ガリレオの人間としての生涯を、親しみやすいイラストと文でイタリアのルカ・ヴェッリが書いたのが本書である。

 なかなか、就職先が決まらず、おなかをすかしていた一時期、「幾何学および軍事的コンパス」というヒット商品を生み出したこと、ダンテの神曲をもとに悪魔ルシファーの腕の長さと身長を割り出した話等、興味あるエピソードの満ちた本である。

 しかし、ピサの斜塔での落下の実験や、コペルニクスやケプラーの地動説の正しさを主張していく大事な話もわかりやすく語られている。

 当時の30年戦争や、ペストの流行、そしてカトリック教会の異端審問との緊張感も読み取ることができる。彼の真理への探究心を通して、宗教の持つ問題点もあぶりだされる。現代も、カルト宗教や、スピリチュアリズムといった非合理主義が世の中にはびこっている。こうしたことも、本書を通じて、科学する目から見ていく必要があることを認識させられる。ガリレオの時代から、むしろさらに後退している非合理主義が存在し続けているのである。

 ブレヒトの戯曲もあった。ガリレオの生き方は、今日の我々にも多くの事を語ってくれる。幽閉されている時にも、『新科学対話』を書き、後の世に地動説が認められることを工夫して書きあげた。『裁判では負けたが、わたしは負けていない」。

 1968年、ガリレオの死後3世紀以上も経ってから、ガリレオを有罪とした異端審問の裁判の見直しが、教皇パウロ6世によりやっと始められた。そして、教皇ヨハネ・パウロ2世の時に教皇庁科学アカデミーは、ガリレオ事件について、「率直に認めるべき過ち」であるとの見解を発表した。

星界の報告 他一編 (岩波文庫)
ガリレオ ガリレイ
岩波書店

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天動説の絵本―てんがうごいていたころのはなし
安野 光雅
福音館書店

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ガリレオ・ガリレイ―宗教と科学のはざまで (オックスフォード科学の肖像)
ジェームズ マクラクラン
大月書店

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科学する心と自然の多様性/『マリモを守る。―若菜勇さんの研究』

2009-08-22 00:57:06 | 読書
マリモを守る。―若菜勇さんの研究
千葉 望,荒谷 良一,若菜 勇
理論社

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 自然界の多様性を、阿寒湖のまりもの保護活動を通じて認識できる児童・生徒向けの適所である。
 阿寒湖のまりもの生息地も今や4か所から2か所に減ってしまった。このまりもを保護するために、北海道大学から藻類の研究者の若菜勇さんが呼ばれた。若菜さんは、それまでに日本では、本格的にまりもの研究がなされてこなかったことから、まりも保護のためにも、まりもの科学的調査を本格的に始めた。エヴィデンスによる科学的研究が、それまでの神秘的な存在にすぎなかったまりもの生態を明らかにする事に貢献し、それが、まりもの保護につながるのである。

 まりも自体は、世界中に生息するが、丸くなるのは、阿寒湖の特殊な自然環境がもたらすものである。それは、湖だけではなく、湖を取り巻く森林も関係する。しかし、現在の白樺林は、本来の原生林ではなく、生物にとっても、多様性を保つ環境ではない。本来の原生林は、明治以来の開発により伐採され、その後に植林されたのが白樺であった。アイヌは、自分たちの生活の分しか自然からの恵みを受け取らなかった。それは、自然環境と共存し、生物の多様性を侵すこともなかった。

 丸い阿寒湖のまりもは、ある意味で奇跡的な存在である。まりもを保護することは、周りの環境も含めて自然界の多様性を保証することにつながる。本書は、そうした多様性を知る上で、科学の目から見た最適の本であろう。

言葉の力、日本語の魅力/日本語ぽこりぽこり・日々の非常口

2009-08-22 00:41:21 | 読書
日本語ぽこりぽこり
アーサー・ビナード
小学館

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日々の非常口
アーサー ビナード
朝日新聞社

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 アメリカ出身の詩人アーサー・ビナード氏のエッセイ集である。声に出して読みたい云々という良く売れた本があったが、日本語の文章に対する愛情は、アーサー・ビナード氏に落ちるようだ。先人の作品を、売らんかなの商品主義に陥っている品位のなさで、ビナード氏に負けているのである。

 日本語に対して向き合った時の、楽しいエピソードや新たな発見に驚かされる。アメリカで送った生活に関するエピソードも楽しい。言葉の使い方に、かけ言葉やシャレなどの遊びもみられ、その表現はさすがである。

 日米の政治に対する痛烈な批判も大いに参考になる。

 我々は、政治家や官僚の言葉のごまかしに騙されないように、言葉への感性や理解力を高めなくてはならない。

 アーサー・ビナード氏の憲法9条に対する思いもしっかりと受け止めなくてはならない。
 『今まで「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、本気で外交に取り組んだ内閣はあっただろうか。古くて手垢がついたどころか、憲法九条はまだ新品同然だ。』

 ※そういえば、ニコ動の経営母体の会社で、ネット上の世論調査をやったら、自民党の支持率が民主党を上回ったという。ネット上で、麻生氏を支持する行動として彼の著者を購買する呼びかけにこたえて、その売り上げ部数が伸びたことがあった。家なり、ネット上は、一般社会と違ってネット右翼がうようよ状態が続いているようだ。彼等に対する警戒は怠ることのないように注意しなくてはなるまい。NHKの台湾の日本の占領政策に関する訴訟の原告の多くがネット右翼と、ネット上で暗躍する右翼のようである。彼等は、自分たちのバイブルとして、「古事記」『日本書紀」「万葉集」くらいは当然原典で読んでいるのだろうよ。なんせ、伝統を重んじる「愛国主義者」なんだから。「伝統」「愛国」、この言葉の胡散臭さにも気を付けよう。

日々の非常口 (新潮文庫)
アーサー ビナード
新潮社

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読書『害虫の誕生―虫からみた日本史』

2009-08-20 08:18:03 | 読書
害虫の誕生―虫からみた日本史 (ちくま新書)
瀬戸口 明久
筑摩書房

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 「害虫」―人間の手で排除すべき有害な生き物という概念が、近代国家がもたらしたものであるということは、当初は意外な感もした。

 黄金虫は金持ちだという、童謡こがねむしに出てくるこがねむしは本来は、ゴキブリのことだと言う。江戸時代などにも、ゴキブリは、餌となる食糧が多く存在する金持ちの家にしか生息しなかったからだ。また、一茶の俳句にも出てくるハエも、衛生害虫という概念がなく、かわいらしい虫と解釈する例も珍しくはなかった。
 農業に関しても、稲作に関する害虫は、一般には、「自然にわいてくるもの」という自然発生説の考えをとるのが普通であった。だから、そうした虫が大発生した場合、ないしは予防するためには、神仏の力を頼み、寺社のお札を使用したり、虫送りなどの行事を行っていた。
 こうした考えに対して、明治政府から始まる近代国家が、国民に「害虫」という概念を力を持って啓もうしていった。食糧増産という国策によるものであったが、当初は、農民たちの「サーベル行政」に対する反発も当然のように起こった。
 大正期からは、病気を防ぐという「衛生害虫」の概念が国民に広められていった。

 このように、「害虫」概念と「害虫」対策は、科学の進歩と同時に、国家の国策により、国民の間に広められて行った。その過程で、牧歌的な昆虫学を専攻していた昆虫学者も「応用昆虫学」という分野で、国策の協力に組み込まれていった。後には、他分野の科学者に置き換えられて行ったが。こうした動き、科学者の関与は、戦時において顕著な動きを見せた。農薬をもとに毒ガスが製造されたり、毒ガスから農薬が製造されたりすることが行われた。

 日本においても、台湾をはじめとする植民地統治政策や、第二次世界大戦の侵略における「マラリア」対策における、「害虫」「衛生害虫」対策も本書では詳しく述べられている。

 人間が自然をコントロールするこうした国家による歴史観が、「害虫」概念を通して本書では語られていく。そこには、科学研究が社会と国家に無関係に展開されたものではないことを指摘する。今、台湾に関する報道の対する右翼やネット右翼による攻撃が行われているが、まずは、事実を冷静に見つめる必要があろう。本書における「害虫」対策が台湾において積極的に進められ、戦地でも展開されていた意味を良く考えてみる必要があるだろう。

言葉の力/『出世ミミズ』

2009-08-11 00:32:44 | 読書
出世ミミズ (集英社文庫(日本))
アーサー・ビナード
集英社

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 アーサー・ビナード氏をテレビで初めて見たのは、東京のローカル局のMXテレビの番組であった。秋葉原を紹介した番組の中で、白人の男性が自転車に乗って、色々な所を訪れ、俳句なども詠んでいる。もちろん、話す時も流暢な日本語である。はっきりした名前は覚えることはできなかった。

 第五福竜丸の本が出版されてるのを知った。ベンシャーンのラッキードラゴンシリーズの絵。その絵に言葉を付けたのが、あのテレビで見たアーサー・ビナード氏だと確認した。その時は、夢の島公園にある第五福竜丸で、その本に関する展示があるというニュースを見たのがきっかけであった。

 また、各地にできた憲法9条の会で、講演をしていることも知った。

 1967年、アメリカミシガン州の出身で、1990年に来日し、日本語での詩作・翻訳を始めた。そんなことを知ったのは、だいぶ後のことであった。

 今回は、エッセー集『出世ミミズ』を読んでみた。日本に来てから、習字を習い、短歌にいそしみ、謡いの稽古に通っているという。恐れ入りました。

 アメリカでの少年時代からの生活のこと、日本での日本語との関係についてなどの日本語によるエッセーは、呼んでいて楽しい。英語、日本語という言葉についての記述は、言葉の持つ意味や力を感じさせてくれた。また、どの小文も最後に落ちが付いている。時には、落語流のダジャレで落としている。われわれ日本人は、日本語を大切に扱っているのかな。

 また、政治的な自己主張もはっきりしている。ブッシュのイラク侵攻や、ボヘミヤ紛争に関するまなざし。

 7月28日付のしんぶん赤旗にアーサー・ビナード氏に聞くという記事が載っていた。言葉に対する力について述べられていた。一部は、『出世ミミズ』でも触れられていた内容である。

 言葉の力で社会を変えようというのは、いかにも詩人の言葉だ。そして、対抗勢力の使う言葉に対しては、“ウソ発見”の能力を高めようと呼び掛けている。

 「詩人の仕事は、読者と一緒に現実を発見すること。新しいところに、人々を連れていこうとすること。でも言葉がむしばまれてしまうと、それを立て直すのも詩人の仕事です。」

 たとえば、
「民営化」「官から民へ」の「民」は市民のことではなく、大資本の民間企業のこと。ネーミングによるすり替え。

「規制緩和」、大企業のために規制を緩めた社会では、市民が危険にさらされ、自然環境も犠牲になる。

 当然、アメリカでもすり替えが行われてきた。「war」を「defense」と言い替えることで、侵略戦争をカモフラージュしてきた。

「国益」は、最近は日本でもすり替えが行われて使われるようになった。国民の利益を指すのではなく、逆に大多数の国民の利益に反することが多い。

 言葉に騙されないこと、アーサー・ビナード氏は、ヘミングウェイが作家にとって必要なものは何かと聞かれた時の答え「ウソを見破る能力だ。どんな衝撃にも耐えうる完全内蔵型のウソ発見機」を紹介し、現代社会では、作家だけでなく、われわれ自身もそれを持たなくてはならないと。

 そう、「国際社会」を政治家や官僚がいうときは、実は米政府の事をよんでいるんだと。「グローバリズム」=「一部の特権階級がいつでもどこでも、何の縛りも受けずに、ぼろもうけする『ムサボリズム』、「サブプライムローン」=「低所得者たぶらかし餌食住宅ローン」、「ソマリア沖の海賊」=「追いつめられた漁民」。
 詩人により立て直された言葉。

 言葉は人をだます道具になるが、ウソを見抜く道具にもなるというアーサー・ビナード氏の言葉、しっかり胸にしまっておこう。そして、ウソを見抜く力を付けよう。

 アーサー・ビナード氏の著作を続けて読んでみようと思う。

だますテクニックを知りましょう/『疑似科学入門 (岩波新書)』

2009-08-04 02:02:57 | 読書
疑似科学入門 (岩波新書)
池内 了
岩波書店

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 世の中にはびこる不合理主義と、疑似科学の相関関係は無視することができない。著者もいうように、どちらも自分の頭で考えることなく、そうした考えを何の疑問を持たずに受け入れてしまう危険があることだ。こうした傾向を利用したのが、ファシズムであった。「そのような現代人の傾向は、非常に危なっかしい。自分で考え決断して選択するという生き方を忘れ、私たちが社会の主人公であるという本来の民主主義から離れていくからだ。「観客民主主義」に堕していくのだ。それが身に染まってしまうと、ただ提示されたメニューから好みのものを指し示すだけとなり、それを民主主義と誤認してしまう。現に、「改革、改革」と一方的に宣伝されると、それが唯一の選択であるかのように思い込み、こぞって支持するようになったことを思い出せばよい。その行き着く先は、観客民主主義が政治的に利用されファシズムに導かれていく方向だろう」
 「思考停止」は、もっぱら、感情や感覚に頼ることになる危険性をはらんでいる。ナチスが感情に訴えた例を挙げるまでもないであろう。疑似科学も不合理主義に対しても、健全な懐疑主義が求められる。
 著者は、疑似科学を3つに分類している。第一種疑似科学(現在当面する難問を解決したい、未来がどうなるか知りたい、そんな人間の心理(欲望)につけ込み、科学的根拠のない言説によって人に暗示を与えるもの)。第二種疑似画学(科学を援用・乱用・誤用・悪用したもので、科学的装いをしていながらその実体がないもの)。第三種疑似科学(「複雑系」であるがゆえに科学的に証明しづらい問題について、真の原因の所在を曖昧にする言説で、疑似科学と真正科学のグレーゾーンに属するもの)。
 それぞれのだましのテクニックについての解説についての入門書となっている。

 疑似科学がはびこる社会的背景についての言及に関して興味ある本であった。
 著者が提唱する予防措置原則の応用については、関心のある方は本書をお読みください。

僕たちの誇り/『シリーズ憲法9条〈第2巻〉平和を求めた人びと』

2009-07-31 00:30:14 | 読書
シリーズ憲法9条〈第2巻〉平和を求めた人びと (シリーズ憲法9条 第 2巻)

汐文社

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 図書館に、扶桑社の新しい歴史教科書が置いてあった。今年は、それに関与したグループも内紛を起こし、自由社からの教科書と合わせて、戦前への逆行を思わせるものが2種類となった。図書館においてあったのは、一般読者向けのものであった。

 戦後、時間が進むにつれて、右翼思想はだんだんと縮小するものと思われたのに、小泉政権の誕生以来、若者の間にまで、ネット右翼という形で、亡霊が復活しつつある。安彦良和氏が、おたくとネット右翼との関係を論じた対談の中で、近現代史が教育現場で教える時間がほとんどない結果、歴史的知識の空白の中に、国家主義が抵抗もなく刷り込まれたことに言及していたことが印象に残っている。また、想像力の欠如ということも言われていた。要するに、もし、今、外国の軍隊が東京や大阪を占領して、たとえ、インフラ整備を行おうと、占領された国民はどんな思いかということへの想像力の欠如がネット右翼を生み出したのだ。同じことを、戦争中に日本が行ったことへの安易な肯定感。

 本書の最初に、敗戦の日に書かれた群馬県高崎市の国民学校の3年生の作文が紹介されている。
「 ぼくは、戦争がまけたので、くやしくてくやしくてたまりません。また二十年ぐらいたつと、またせんそうははじまるというきもちでべんきょうするのだ。…ぼくが大きくなったら、また必ずこのかたきをとります。」

 別の男の子2人も「あの、にくいにくい米英のためにまけてしまった。…よし、いつかはきっと、あのにくいにくい米英をやぶるために、まいにち、まいにち、いっしょうけんめいべんきょうをやっていこう。」「ぼくは戦争にまけてくやしいです。まるで夢のようです。…ぼくは、早く大きくなって、戦争には今度こそかちたいとおもっています。」と書いている。
 いま、この軍国主義に洗脳された子どもたちの思いと同じ亡霊が、一部の若者の精神をむしばんでいる。これは、恐ろしい連続体だと思った。

 当時のフランスの子どもが書いた作文。「『戦争は終わった!』うれしい。わたしたちはもとのように自由になったのです。そう思うとうれしくてなりません。そして、なん千という人が、もう戦争で死ぬこともなくなったのです。人びとは、喜びにかがやいています。もうけっして戦争をしないために、私たちは団結しなければならないと思います。あすの平和をのぞみ、国境をこえて、ドイツの子どもたちに手をさしのべましょう。日本の子どもたちに手をさしのべましょう。」

 この違いは何なのだろう。よく、考える必要がある。

 本書では、与謝野晶子をはじめ、平和を求めた人々が紹介されている。われわれの誇るべき先輩たち。彼らの意志を受け継ぐためにも、彼らの生き方を知る必要があるのだ。たとえば、日本国憲法の中に「戦争放棄」の条文を入れたのは誰かという説で有力なものは、本書でも紹介された幣原喜重郎首相の強い主張だとされる。ただ一人、大政翼賛会に入ることを拒否した人物でもある。

 こうした平和を求めた人々の残したものは、われわれの大切な遺産である。まず、そうした視点で歴史を学ぶことで、終戦の日にあのような作文を書いた子どもがもう出てこない世の中を作る必要があるのだ。

読書/『ハンドブック 青年期における自傷行為』

2009-07-17 21:51:06 | 読書
ハンドブック 青年期における自傷行為
クローディーン フォックス,キース ホートン,田中 康雄
明石書店

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 この本は、イギリスのオックスフォード大学精神医学教授・同大学自殺研究センター所長キース・ホートンとウォーリック大学プライマリーヘルス研究センター研究員クローディーン・フォックスによる著書の完訳である。

 監修者である田中康雄氏が本書の翻訳を思い立った経過があとがきに書かれている。児童精神科医として「自傷行為」といえば、発達障害の子どもたちに見られる壁や床に頭を打ち付ける、首を自分で絞める等の行為として真っ先に理解してきた。もう一つは、通称リスカと呼ばれる自傷行為がイメージされた。1972年にローゼンタールがリストカット症候群と名付けられた手首自傷行為で、日本では、79年に安岡誉氏らにより、26例の手首自傷患者が報告されたそうだ。
 しかし、2004年以降、田中氏は、「一般の」大学生や中高生に、自傷行為の存在することに直面することになった。普通の学校で、一部の生徒がリストカットしているというのである。

 治療法に関する研究所はあるものの、エビデンスに基づいた調査・研究・ケアの本は見つからなかった。そして、行きついたのが本書であった。イギリスにおけるエビデンスの集積された本であった。

 自傷行為に関しては、DSM-IV-TR(全米精神医学会)とICD-10(世界保健機構)の診断基準にも「故意の自傷行為」の診断基準は示されていないと指摘している。集められた様々なデータも完全なものとはいえず、今後のエビデンスの集積の必要性が求められている。しかし、本書では、出版時点での調査・研究・ケアの現状を知ることができる。

 自傷行為に関する用語の統一も現在行われたいず、そこから生じる混乱も見られること。
 社会には、「自傷行為をする人は注目されたがっている」「自傷行為には痛みが生じない」「問題の深刻さは傷の程度に比例する」といった誤解が存在する。
 学校での自殺的行為の防止のための教育プログラムや、メディアでの自殺報道が、かえって新たな若者のそうした行為を誘発する危険がある。以上の他にも、考察して、今後の対策を立てる必要性のある問題を知ることができる。

 

『日本の臓器移植----現役腎移植医のジハード』を読んで

2009-07-15 14:23:06 | 読書
日本の臓器移植----現役腎移植医のジハード
相川 厚
河出書房新社

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 日本の透析医療は世界一といわれている。アメリカと比べても、ダイアライザーの再利用などは行われることなく、透析医療の進歩も手伝って、長期生存することも可能になっている。07年現在では、39年8カ月の透析歴の患者が日本で最長となっている。しかし、透析患者は、週に4~5時間の透析を週3回は続けるようになり、実質、透析当日はかなりの時間を拘束されることになる。また、合併症の問題も起こってくる。最近は、透析導入の原疾患の第一位が、糖尿病性腎症となっている。糖尿病は、腎症の外にも、合併症を発症することがあり、透析に入っても、そうした合併症で苦しんでいる患者も少なくはない。糖尿病とその予備軍を合わせると患者数は約2200万人といわれており、今後、これらの患者から透析導入に至る患者が多く出れば、国家の医療費に占める透析医療の費用は、莫大なものとなる懸念が指摘されている。一度壊れた腎臓の糸球体は、2度と生き返ることもなく、一生透析を続けることから逃れるためには、腎移植という方法しかない。腹膜透析も、5年位しか続けることができず、その後は透析に入ることになる。再生医療に期待したいところであるが、その実現には、多くの時間が必要とされるであろう。

 透析導入に至った患者に対しては、腎移植の希望を問われることがある。希望者は、将来の移植に備えて、検査の上、移植ネットワークに登録する。しかし、将来、自分の体に適合した腎臓が見つかることは、宝くじに当たる位の確率に近いのかもしれないという意識で連絡を待つ覚悟がいる。それと、透析医療の進歩により、移植を希望して登録する患者も多くはない。

 また、透析患者は、移植における免疫抑制剤の使用や、ドナーの問題から、積極的に移植を希望する患者は少ないといえよう。生体腎の移植でも、健康な家族から強いてもらいたいと思う患者も少ないだろうし、家族もしがらみから、不本意で提供しているのではないかとの懸念も持っていた。また、喜んで移植を受けたものの、長年の透析から、尿道と膀胱が委縮しており、苦しんだ挙句に亡くなった人の話も、透析経験者の著作に出ていた。また、病気腎移植の問題も、移植したいばかりに、インフォームドコンセントを患者に十分していなかったのではないかとの疑問も根深い。

 本書の相川氏は、日本で最高の移植腎の生着率を維持し続ける腎移植医である。臓器移植には、真摯に向き合っておられる。

 本書の全般では、腎移植に関するテーマで話をされている。透析患者に対する、遺書に関する情報が十分に伝わっていないことが本書を通じて理解できた。免疫抑制剤の使用も、臨床を重ねるうちに、しっかりしたコントロールにより、副作用を低く抑えることができるようになったこと、腎移植と透析を比べた場合の、移植を選択するプラス面など、特に、成長期にある子どもの腎移植を進めたいということなどが、データ等をもとに詳しく書かれている。しかし、献体腎移植の少なさは、後半の臓器移植法の問題点につながって行く。

 病気腎移植に関して、なぜいけないのかは、綿密に調査した側からのきちんとした解説がなされている。

 後半は、臓器移植法に関する問題点を、外国の例などを挙げながら論証していく。なお、本書の刊行後に、臓器移植法が改正され、著者の考えも反映された。たとえば脳死は死である、子どもからの臓器移植も可能になった等は、ニュースに当たってもらいたい。

 今後、法律の改正を受けて、移植例が増えるかどうかは未知数である。しかし、著者が主張するように、教育現場での移植に関する情報の教育を通しての提供、移植を推進する専門職の配置などの方策は検討せねばならないことである。

 外国へ渡航するしか、命を長らえる方法がなかった状態を放置していた状況への批判はしっかりと受け止める必要がある。莫大な費用をかけて、渡航先のレシピエントの順番を送らせてまで手術をする必要がないように、国内で、移植が推進されることが求められている。また、腎移植では、フィリピンや中国で、日本の主治医に黙って手術を受けた患者の、帰国後の問題点も考えるべき問題であった。特に、中国では、死刑囚の臓器を移植するという医療倫理に反する方法が採られていたことへの、国際的批判も、しっかり認識しておく必要がある。違法な渡航移植も根絶されるために。

 臓器移植は優しさの医療、ドナーの優しさで成り立っている医療である、という著者の言葉に、今後、日本での移植手術が増えるためのキーワードが含まれている。本書には、まだまだ乗り越えなくてはいけない問題が立ちはだかっていることも指摘している。

改正臓器移植法 命のリレーを増やすために(読売新聞) - goo ニュース

臓器移植法改正案、「A案」成立(医療介護CBニュース) - goo ニュース

改正臓器移植法が成立 脳死は「人の死」 子供の提供可能に(産経新聞) - goo ニュース

食べること、食べられること/絵本『貝の子プチキュー』

2009-07-05 00:49:40 | 読書
貝の子プチキュー (日本傑作絵本シリーズ)
茨木 のり子
福音館書店

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 詩人の茨木のり子さんの絵本ということで読んでみました。
主人公が、貝というのも不思議なお話です。
それぞれが棲み分けをしている海の生き物たちは、自然と生きるルールを身につけているのでしょう。貝の子が住むのは、浜辺です。そこにいて、小さな口を開ければ、そこにミジンコや小魚やモズクや砂まで入ってきて、お腹がいっぱいになります。そして眠りにつく毎日の生活。ある日、波の泣きごとを聞いた事がきっかけで、自分の足で歩けることに気がついて、冒険に出かけます。今まで見たことのない世界をたくさん見ます。この度の様子は、不思議な雰囲気を持った山内ふじ江さんの絵を見ながら、絵本の中を旅してください。
 でも、貝の子にとっては、本当は、そんなに長く旅をすることは命をすり減らす事を意味していました。最後に、カニの子とけんかになります。プチキューもカニの事同じ海の子かどうかということでです。カニの子から見れば、貝の子は浜辺の子にしか思えなかったからです。争っているうちに、プチキューは旅の結末として息絶えてしまいます。そしたら、カニの子がプチキューの身体を食べてしまいます。しょっぱくておいしい味がしました。それで、カニの子はプチキューも海の子だったと分かります。でも、プチキューのことがかわいそうに思えて、自分の穴に戻ってさめざめと泣きました。

 何だろう、このラストの描き方。死んだプチキューを食べることは、カニにとっては自然なことです。でも、カニの子は無性に悲しかった。生きていくことの悲しさに気が付いたのでしょうか。本来は子どものための絵本なのでしょう。子どもたちをこの結末をどう感じるか、知りたいと思いました。

絵が好きです7絵本『ぼくのひよこ (わくわくたべものおはなしえほん)』

2009-07-02 18:57:27 | 読書
ぼくのひよこ (わくわくたべものおはなしえほん)
高部 晴市
農山漁村文化協会

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 夜店でカラーひよこという残酷なものが売られていたと聞いたことがある。ひよこにスプレーで色をつけたものらしい。

 そういえば、小学校の時に、校門の前でひよこを売っていた。このことは、別にブログに書こう。

 最近は、卵かけ御飯が流行っている。子どもの頃、祖母の家に泊まると、朝は卵かけご飯が出た。もともと、家事など出来ない人だったから、料理なんて期待できない。必然的にそういう朝食になる。変わっていたのは、それに砂糖を入れることであった。とても甘い卵かけごはん。でも、好きであった。今では、食べられないと思うけれども。

 「わくわくたべものおはなしえほん」の中の一冊が本書で、裏表紙に卵かけごはんの絵が描かれている。

 「ぼく」は、夜店でひよこを2羽買う。小さいのをおまけにくれた。怪しいおじさんは、売ってから何やらおまじないをした。
 翌朝、起きたら、ひよこが2羽のおんどりと1羽のめんどりになっていた。たまごが食べられるかもね。だから、一生懸命に世話を焼いたけれど、全然たまごを生んでくれない。父さんは、そんなら焼き鳥にして食べてしまうというしね。

 ある時、猫がめんどりを捕まえた。さあ、大変。そしたら、1羽のおんどりが猫めがけて攻撃開始。めんどりは無事だった。その時から、2羽は仲良くなって、ついにたまごを生んだんだ。さあ、たまごかけごはんにしよう。たまごを割ってと、あれ!

 高部晴市氏の文と絵による絵本である。馬糞紙に多色刷りガリ版という独自の画法だという。絵のタッチがいいですね。
 卵かけ御飯への愛をこめて、高部ワールドを楽しみましょう。

絵本『さるのこしかけ』/賢治の世界

2009-07-01 13:52:33 | 読書
さるのこしかけ
宮沢 賢治
小学館

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 宮沢賢治の童話「さるのこしかけ」の初めての絵本化だという。賢治の作品は、全部を読んだことがない。本作も初めて読むものであるが、絵本で読めるのは楽しい。

 家の裏にある大きな栗の木に、白いキノコが3つ出ていました。夕方、楢夫はそのことに気が付きましたが、何と、そのキノコの上に小さなサルが三匹腰掛けているのを見つけました。楢夫が頭の中で、さるのこしかけという言葉から、大将と二匹の兵隊の子ザルの事をイメージした後の事でした。

 栗の木の中に導かれ、賢治は読者を異世界に連れて行ってくれます。さいとう よしみの絵が、栗の木の中の様子を、不思議なイメージで表現してくれます。

 栗の木の中にある階段を登りつめると、賢治の童話ではおなじみの「種山が原」に到着します。ここで、リリパット国のガリバーよろしく、楢夫はサルの軍隊の演習の標的になり、小さな綱でがんじがらめ。胴上げされて、空高く身体が上昇していきます。そこから、楢夫の住む辺り一帯が眼下に見えます。サルたちは、楢夫の落下を待っています。その時、「危ないっ、何をする。」という大声がしました。山男です。

 山男に関しては、この絵本では、言葉による説明だけで、絵では表現されていません。読者が自分の頭の中で描くようです。と思いきや、この絵本の裏表紙に、ちゃんと山男の後ろ姿が描かれています。

 賢治が生前に出版した「注文の多い料理店」の中に、山男が登場する「山男の四月」という不思議な作品が載っています。賢治の世界で、つながっているんですね。

 さあ、賢治がさるのこしかけの先にある不思議な世界に、しばし、あなたを連れて行ってくれますよ。

 


宮沢賢治 種山ヶ原(歌)