トプカプ宮殿ね・・・
1472年に造営が始まったと聞いて、ふうん、結構新しいわと思う自分のモノサシの変化にちょっと驚く
BSでやっているドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム」を観ている人は、
サクサク理解できるみたいです。
これ、ハマっている人結構多いし、何を隠そう?S夫君もです
まあ・・・日本の大奥だよね。
勿論、厳重な身体検査、持ち物検査は、二度も
銃を構えた兵隊に護られています。
この表敬の門から入ります。
ちょうど、馬に乗った兵隊さんも出てきました。
とにかく、イメージ的には、門→庭園→建物→門→庭園・・・エンドレスって感じで平屋が広大に続く感じ。
第四中庭まであり、横にも広がり・・・
流石、当時、世界を牛耳っていたオスマン帝国の皇帝の政治の場であり、生活の場だっただけあるわって、豪華さと広さでした。
↓写り悪いけど、地中海を挟んで、ヨーロッパ、アジア、アフリカまで領土を広げていた地図。
そうそう、トルコのカラスって、おしゃれなツートンカラーでした。
一羽だけ、突然変異なのかと思ったら、みんなツートンでした。by サメ氏撮影
さあさ、宮殿内へ。
説明不能です。
頭が落ちこぼれていたので
流石、タイル、凄いな、と。
地味だけど、地面も、石がモザイク模様でした。
可愛くてアップ↓
ハレムの通路と、ハレムの門。
白人の宦官と、黒人の宦官がいて、一番偉いのは黒人の宦官長
女性の側に行かれるのは黒人の宦官のみ。
不義密通によって生まれた子は自動的に発覚するシステムだったとか・・・
ちょっと興味深い文章を発見。
以下、勝手ながら抜粋↓
側室となった女性も、もとはすべて奴隷市場で売られていた少女達です。
オスマン帝国は民族による差別はなかったので、奴隷商人から売られて様々な国や民族の女性がこの宮殿に入ってきました。
その天涯孤独の少女たちを側室にしたのは、妃の一族が権力を持つことを避けるため。
オスマン帝国が弱体化する要因は作らないという理由だったのです。
イスタンブールの奴隷市場から連れてこられた少女達は、各所におかれた宮殿の一つで、宦官によって、歌舞音曲、礼儀作法、料理、裁縫、アラビア文字に詩や文学などあらゆる教養を身につけさせられました。
その後トプカプ宮殿のハレムへ移され、地位を得ていくのです。
でね、例え運よく王子を産んでも、後継ぎでなければ、後継ぎが継承した時に全員、殺されるか幽閉されるらしい
日本より、ずっと残酷な世界?
↓スルタンの母の間の天井タイル
ハマム(浴室)
スルタンの大広間(皇帝の長椅子)
↓ハレムの寵姫達が暮らした建物(何故か、吉原を連想してしまう。。。)
第四中庭に?出ました。
金閣湾、ボスフォラス海峡越しに新市街を望む。
下を見ると、カフェと、城壁の名残りがありました。
流石、トルコブルーだよね こんな窓越しの景色も良いかな、と。
なんか、冬枯れの木立の中で礼拝を知らせるアザーンの歌?読経が心にすっと入ってきて・・・と・・・カラス、再度。
宝物館の中は、撮影禁止なので、購入した図録から↓
三つのエメラルドが埋められた黄金の短剣 86カラットの巨大なダイヤモンド
今夜の宿は、ザ リッツカールトン、このツアーで一番豪華なホテルです。
先ずは・・・毎度の・・・厳重な、手荷物&身体検査から。
でも、ああ、やっと・・・豪華な気分に。
翌日は、皆さん、大満足の笑顔でした。
お部屋に配られたチョコは、ゴディバでした
コーヒーマシーンがあったけれど、チャレンジする余力が皆無。
ミネラルウォーターも瓶入りで4本ありました。
10階だったので、夜景も美しく、ボスフォラス海峡と橋が眼下でした。
夕食は、徒歩で近くのホテル内にある和食レストランへ。
今夜泊まるリッツカールトンが夕暮れに立っていました。
↓レストランがあったホテル
レストラン入り口 メニュー
味はね・・・いやはや・・・
まあ、トルコ人に合わせた味、料理なのかしら、と。
その後男子組は、ベリーダンスショーへ、いそいそと。
↓S夫君撮影
↓サメ氏撮影 民族ダンスからスタートしたらしい
踊っている内に、チップが腰に・・・
ヘソ踊り的だったらしい
女子組は、S夫妻の部屋で女子会
何でも言える仲なのでね。
が、わりと早く男子組が帰ってきたのでした
ガイド氏が家に帰る為に、早めに中座させられたそうで。
結構なお金、払っているのにね・・・
とにかく、
やっと、幸福な気分で快眠しましたよ
くちこ的には、明日は帰国と思うと、安堵もありありで。
注)でもね、一番大変だったのは、明日でした・・・
だって、この日は、一万歩弱で、翌日は、二万三千歩ですから