1.17。あの地震から13年が経ったのですね。地震の恐怖と、かけがえのない人を失った方たちの涙。傾いた家とぺしゃんこになってしまった神戸の街。ガスも電気も水もない生活と、長い道のりを歩いて通った職場への道。避難所ではげまし合いながら生き抜いた人たち。それらすべてのことが、僕の心の中に、いまもしっかりと残っています。あの震災で命を落とされたすべての皆様のご冥福をいのりたいと思います。
震災から二三ヶ月後、宝塚で屎尿くみ取りの仕事をされている労働者の方に、インタビューをしたことがあります。自分たちの家が被災したにもかかわらず、震災の翌日から、くみ取りの仕事を再開したというお話しでした。余震の中で、いつ家が倒れてくるかも知れないという恐怖の中での仕事だったそうです。彼らの労働がもしなかったら、宝塚市はどうなっていたんだろうと、話を聞きながら思いました。
消防士の方々、市や県の職員の方々、電気やガスや水道の復旧に携わられた方々、被災者の心と体のケアーに尽くされた看護師の方々。そして、その他たくさんの人たちのがんばり。私たちがあの時知ったのは、命の重さと、私たちが生きているこの社会は、私たち一人一人の労働によって成り立っているのだと言うことだったと思うのです。そのことは、いつまでも忘れないでいたいと思います。
震災から二三ヶ月後、宝塚で屎尿くみ取りの仕事をされている労働者の方に、インタビューをしたことがあります。自分たちの家が被災したにもかかわらず、震災の翌日から、くみ取りの仕事を再開したというお話しでした。余震の中で、いつ家が倒れてくるかも知れないという恐怖の中での仕事だったそうです。彼らの労働がもしなかったら、宝塚市はどうなっていたんだろうと、話を聞きながら思いました。
消防士の方々、市や県の職員の方々、電気やガスや水道の復旧に携わられた方々、被災者の心と体のケアーに尽くされた看護師の方々。そして、その他たくさんの人たちのがんばり。私たちがあの時知ったのは、命の重さと、私たちが生きているこの社会は、私たち一人一人の労働によって成り立っているのだと言うことだったと思うのです。そのことは、いつまでも忘れないでいたいと思います。