1日1日感動したことを書きたい

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人生の黄昏時だから、なおそう思います。

ペルセポリス(その2)

2008-01-24 20:43:06 | 映画
マルジャン・サラトビ監督の「ペルセポリス」を見ました。この映画は、マルジャン・サラトビの自伝コミックを、サラトビ自らが、映画化したものです。マルジャン・サラトビは、イラン生まれの37歳。現在は、フランス在住の女性です。
 映画は、イスラム革命以降の、イラン社会の抑圧的な状況をモノクロの画面で描いていきます。モノクロの画面は、抑圧的なイラン社会の象徴であるとともに、イラン社会から少し距離を置いて、自らの体験を一つの事実として、客観的に描こうとした作者の思いのあらわれのような気がしました。色を付けてしまうと、イラン社会への怒りと、そこを離れてしまったうしろめたさのようなものが、制御できずにあふれ出してくるように思えるのです。
 イスラム革命以降のイラン社会は、非常に抑圧的で重苦しい社会です。女性は、ベールを被り、肌を人目にさらすことを禁じられ、女性というだけで差別されています。ロックを聴くことも、アルコールを飲むことも、男女が人前で手をつなぐことも許されず、自由を求め、国家に異議を唱える人たちは、捕らえられ、処刑されていきます。
 主人公マルジのおじさんも、反革命分子として処刑されてしまいます。マルジの知人の女性のコミュニストは、処女を殺すことを禁じられているイスラム社会で、投獄され、革命防衛隊の男性に強姦された後に、処刑されます。
 こんな社会の中で生きるマルジは、ロックが大好きな女の子なのです。戦果を報告する国営放送のすぐそばで、大きなボリュームでロックを聴き、「パンクは死なない」というゼッケンをつけて街を歩き、国家の思想を教室で教えようとする教師に、授業中に公然と抗議したりするのです。こんなマルジのことを心配した両親は、マルジにオーストリア留学をすすめ、マルジもイランを後にします。
 ヨーロッパでの生活は、みずからが「異邦人」であることを、マルジに自覚させるものでしかありませんでした。ホームステイ先を何度も代わり、失恋をし、傷つき、街をさまよって、命を落としそうになる。マルジは、ベールを被りなおし、再びイランへと帰っていきます。
 しかし、ここでもマルジは「異邦人」なのです。イランに残り、革命と戦争で心身ともに傷ついた人たちと、ヨーロッパで平和な生活をおくった自分とのギャップに苦しみます。マルジはこの時、ロックの歌に自らの思いをこめて、イラン社会の抑圧ともう一度闘っていくことを決意します。しかし、強大な権力の前で、マルジ一人の力は、あまりに小さいのです。
 この映画を見ている間、僕の頭の中で、ハードロックが鳴り響き続けていました。イランにいても、ヨーロッパにいても、一人の女性として尊厳を持って生きたいというマルジの叫び。それが、マルジのロックなのです。国家の暴力と個人の生が激しく対峙するとき、緊張の中で軋みをあげる個人の叫び。それが、マルジのロックなのです。祖母のように私自身に「公明正大」に、おじさんのように私の自由を求めて、私は私らしく、一人の女性として生きたいというマルジの思いが、ずっしんと伝わってくる映画でした。マルジの「パンクは死なない」のです。