四国遍路札所には、市街地にある場合もあれば、遥か山の上にあることもある。
一概に「山の上」といっても、その多くが細い曲がりくねった道を通らなければならないし、
中には、その距離や危険を考えると尻込みしてしまう場所に建つ札所も数か所。
そういうお寺に楽して簡単に行ける方法として、ロープウェイで行けるお寺が2ケ所(太龍寺、雲辺寺)
ケーブルカーで行けるお寺が1ヶ所(八栗寺)あり、
まず遍路3日目に、太龍寺へ行くために、そのロープウェイに乗った。
101人乗りという大きなゴンドラは、川を越え、山を越え、
一気に海抜600メートルにあるお寺まで運んでくれる。
その距離は全長3キロ程で、現在では西日本最長の距離を誇っているようだ。
目指した「太龍寺」なのに、今年の台風で杉の木が倒れて本堂に直撃してしまい、
現在は修復中で、参拝は本堂に向かう階段の下でしなければならない。
ロープウェイで山の上まで連れて行ってくれることを有難いと思うべきだろうが、
「高い料金払ってはるばる来たのに、本堂で参拝も出来ないなんて」と、
不満ブツブツと下りのロープウェイ乗り場まで来た。
そして、その改札口の横に貼られた新聞記事の切り抜きを見つけた。
このロープウェイを建設した会社の会長さんの話だ。
記事を抜粋
【ロープウェーを建設】太龍寺に強い思い入れ 四国ケーブル会長
1972年に21歳だった長男を交通事故で亡くした。
それから仏教に関心を持つようになり、札所めぐりも始めた。
太龍寺から平等寺まで歩いていた夏のある日、暑さでくじけそうになった赤川さんに、
すれ違った中学生が「お遍路さん、ご苦労さん」と声を掛けた。
思いがけない励ましに急に体が軽くなり「息子に再会できた」という思いが込み上げた。
その場にひざをつき号泣したという。
その時から太龍寺への思い入れが強くなり、ロープウェイ建設につながっていく。
その記事を読んだ途端、私も泣いた。
悲しみを抱えた人は、いつもは自分の気持ちを奥にしまい込んでいるけれど、
それは決して、その悲しみが薄れたのではなく、忘れてもいない。
ただ、そうしなければ生きていけないから。
でも、その思いは一つのきっかけで、堰を切ったように溢れてくること。
それは自分でも押さえきれなくなることを、私は知っている。
この小さな切り抜きを見つけたことで、私にとっても忘れられない21番札所「太龍寺」となった。
一概に「山の上」といっても、その多くが細い曲がりくねった道を通らなければならないし、
中には、その距離や危険を考えると尻込みしてしまう場所に建つ札所も数か所。
そういうお寺に楽して簡単に行ける方法として、ロープウェイで行けるお寺が2ケ所(太龍寺、雲辺寺)
ケーブルカーで行けるお寺が1ヶ所(八栗寺)あり、
まず遍路3日目に、太龍寺へ行くために、そのロープウェイに乗った。
101人乗りという大きなゴンドラは、川を越え、山を越え、
一気に海抜600メートルにあるお寺まで運んでくれる。
その距離は全長3キロ程で、現在では西日本最長の距離を誇っているようだ。
目指した「太龍寺」なのに、今年の台風で杉の木が倒れて本堂に直撃してしまい、
現在は修復中で、参拝は本堂に向かう階段の下でしなければならない。
ロープウェイで山の上まで連れて行ってくれることを有難いと思うべきだろうが、
「高い料金払ってはるばる来たのに、本堂で参拝も出来ないなんて」と、
不満ブツブツと下りのロープウェイ乗り場まで来た。
そして、その改札口の横に貼られた新聞記事の切り抜きを見つけた。
このロープウェイを建設した会社の会長さんの話だ。
記事を抜粋
【ロープウェーを建設】太龍寺に強い思い入れ 四国ケーブル会長
1972年に21歳だった長男を交通事故で亡くした。
それから仏教に関心を持つようになり、札所めぐりも始めた。
太龍寺から平等寺まで歩いていた夏のある日、暑さでくじけそうになった赤川さんに、
すれ違った中学生が「お遍路さん、ご苦労さん」と声を掛けた。
思いがけない励ましに急に体が軽くなり「息子に再会できた」という思いが込み上げた。
その場にひざをつき号泣したという。
その時から太龍寺への思い入れが強くなり、ロープウェイ建設につながっていく。
その記事を読んだ途端、私も泣いた。
悲しみを抱えた人は、いつもは自分の気持ちを奥にしまい込んでいるけれど、
それは決して、その悲しみが薄れたのではなく、忘れてもいない。
ただ、そうしなければ生きていけないから。
でも、その思いは一つのきっかけで、堰を切ったように溢れてくること。
それは自分でも押さえきれなくなることを、私は知っている。
この小さな切り抜きを見つけたことで、私にとっても忘れられない21番札所「太龍寺」となった。