かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

香々地青少年の家での教育合宿

2014年05月15日 | Weblog
青空と青い海とに吸い込まれ 
          心も優しく友情育む






天気が心配されましたが、1泊2日の計画で、1年生の香々地青少年の家に「教育合宿」に行きました。1年生にとっても入学してきて1カ月が経ちました。やっと中学校のシステムにも慣れてきたのかなと言うところでしょうか。



青少年の家に行く前に、出発式が教室で行なわれました。
 「行く前と行って学校生活に戻った時に変化したものを見せましょう。」
と話をしました。どんなことが変わるか、話の中で、生徒に聞きました。



「みんなが今より仲良くなる。」
  そうそう、みんなが今のクラスの友だちと出会えてよかった と言えるようなクラスができるといいですよね。
「きまりを守れる。」
  今以上に、ルールとかマナーを大切にできる人になって欲しいですね。「あいさつ」がその典型です。ちょっとした時に、その場が柔らかく、幸せになるような言  葉づかいもできる人になって欲しいですね。




雨も降りましたが、予定していた「ウォークラリー」「プラネタリウムでの学習」「クラスレクリエーション」「飯ごう炊さん」「海岸の清掃活動」などすべてを行なうことができました。生徒どうしが無条件に楽しめる、ふれあえる行事などの機会が学校の中では少なくなっています。


男子も女子も楽しく過ごしている姿を見ると、とてもほのぼのとしたものを感じることができました。



集会の中では、生徒たちが生活する中でのマナーやルールで守れていないところなども指摘をしていきました。トイレのスリッパをそろえたり、あいさつの声が大きくなったりと生活のレベルが上がっていくのが目に見えました。

集団で宿泊をするということの意義でしょうか。



生徒たちの行動の中でたくさんの感動も出逢うことがありました。1年生にとっては明日から再び学校の中での生活が始まります。成長した姿を見ることができることを期待しています。



1泊2日の教育合宿が無事に終わることができ、ほっとしています。

大河ドラマブーム

2014年05月13日 | Weblog
閑散とたたずむ城も賑わいを
         大河ドラマで登城大勢





学生の頃から、大河ドラマを欠かさずに見ていました。そして、そのドラマのゆかりの地を訪れるのが楽しみにしています。昨年は、大河ドラマの「八重の桜」で「新島襄旧宅」に行きました。


「江」では「養源院」、「龍馬伝」では「亀山社中記念館」・「風頭公園」「料亭花月」などそのドラマの年に行くのがマイブームです。



先日、親戚の人たちがやってきました。「中津に来たなら、中津城に行ってみたい。」ということで、今NHK大河ドラマで「時の城」になっている中津城に行くことになりました。ふるさとが、まさか大河ドラマのゆかりの地になるとは・・・。


1年前では考えられないような人出となっています。道路も少し整備をして、貸切バスも何台が駐車場に止まっています。



資料によると、



「中津城は1587(天正15)年、九州を平定した豊臣秀吉に豊前六郡を与えられた黒田官兵衛(如水)が、その本拠として築城を開始したのが始まり。

周防灘と山国川の河口デルタを利用した天然の要害を目指しますが、在地勢力の反発や文禄・慶長の役などによって築城工事は進まず、関ヶ原の戦いで功績が評価された黒田官兵衛・長政親子は筑前52万石に大抜擢され、中津の地を去りました。」




 「黒田氏の入国を喜ばない宇都宮・野仲一族、これに随従する宇佐・下毛の諸将たちに対して孝高は討伐の軍を起こし、上毛郡日隈城を手始めに諸城を攻略して、野仲氏の籠もる長岩城の堅城を打ち破った。


 宇都宮氏に対しては、黒田・毛利の連合軍二万騎で攻めたが大敗して退いた。そこで孝高(官兵衛)は宇都宮鎮房と和を講じ、鎮房の娘を孝高の子長政に嫁がせることで停戦し、まず中津城の完成に力を注いだ。


城が完成した天正十六年、黒田長政と宇都宮千代姫の婚約成立を祝うため、孝高(官兵衛)は宇都宮父子を中津に招いたが、これがかねてからの謀略で、宴会たけなわの頃、城中にひそませていた武士たちは一斉に鎮房と従者を襲い、これを皆殺しにした。


さらに千代姫と従臣たち数十人を広津川原で磔にして殺した。黒田長政は直ちに宇都宮氏の本城に攻め込んでこれを制圧したので、宇都宮氏はここに滅亡した。
慶長五年(1600)、関ヶ原合戦ののち、その功績で黒田氏は筑前五十二万石に封ぜられ福岡へ移った。」




中津城の外や中には、鎧やかぶとを身につけてホラ貝を吹く人もいて、にぎやかです。歴史資料館やお土産店もできています。最初は視聴率が悪いと言っていた「軍師 官兵衛」もこのところは上昇中です。



荒木村重に捕えられていたシーンや関ヶ原の戦いなどになるともっと上がっていくでしょう。また場面が九州に移れば(移るかな?)地元も盛り上がりもすごいものになるでしょう。



昼食は官兵衛にちなんだ贅沢な御膳ランチでした。

まめろしく

2014年05月12日 | Weblog
まめろしくドラマの影響すぐに受け
         部屋に漂う珈琲の匂い





土曜日のこと。午後からは、大分大学で「大分県学校心理士会」の総会と研修会が行われました。特別支援について、特別支援教育の現状について支援学校の校長先生が、提起してくれました。


「学校心理士」の資格を有する大学の先生、小中学校、高等学校の先生が集まり、5時近くまで会が持たれました。



日々、現場にいる中で、いろんな方から専門的な話を聴く中で多くのことを学びます。部活の応援などに行っていたので、眠たさが上回るのではないかと思っていましたが、席がなくて、発表する先生の真ん前だったことと分かりやすい話に意識を保ちながら受講することができました。



インクルーシブ教育のシステム、障害のある子どもたちの状況などを特別支援教育の専門家の先生から系統的に話を聞くことができました。


法律も変わり、障害をもつ人に配慮するのが当たり前だという社会づくりが始まっています。



「分ける教育」から「含む教育」へと転換しています。完全に社会がそうなっているのかと言えばまだまだです。理想を少しずつ現実にしていかなければなりません。



終わってから大分に住んでいる子どもと会おうとしましたが、時間が合わず、ふられ?、買いたい物があったので、だれがいつから名付けたかわかりませんが、「わったん」(わさだタウン)に行きました。



ロフトも出店していました。いろいろ店の中を見て回りました。すると、BSで放映されていた「珈琲屋の人々」で高橋克典さんが珈琲を入れていた布のフィルタがあったので、衝動買いをしました。


「布は、冷蔵庫の中で水につけて・・・。」使う時に「水から出して・・・」「よく絞って」なるほど・・・。帰ってからすぐに使ってみました。それなりに美味しい珈琲を入れることができます。


昨日の夜、夕方金網のフェンスを張ったりしたので、疲れて、ぐったりしているときに、高校時代の下宿の後輩が来ました。今は小学校の先生をしています。これもくされ縁です。

彼らが悪さしたばかりに、かばおうとして、いらぬ正義感をだしたばかりに受験の大切な時期に下宿を追い出され、路頭に迷わせたいわくつきです。いろんな青春時代の思い出を共有しています。

仕方なく?珈琲を入れてあげました。まめろしいね。」




まめろしもせにゃ、体もなまる。そんなこんなこともあった土日です。新しい週もがんばらなくっちゃです。

人の動きも軽く

2014年05月11日 | Weblog
好天のハッピーサンデーうずうずと
           人の動きに笑顔ものぞく






先月は週末になると天気が崩れることが多かったのですが、このところ、暑さも感じるほどにいい天気が続きます。今日は、日田市で気温が30度を超える日本一の記録でした。中津でも27~8度の暑さでした。



5月の爽やかな天候の中、日曜日にいろんな催しが行なわれました。楽しく、でもちょっぴり疲れた一日でした。 



午前中は、家の近くの球場で耶馬溪中学校と八屋中学校との野球の練習試合が行なわれました。応援に行きました。


毎日、しっかりと練習しているだけに、試合ごとに生徒たちが成長しているのが見えます。相手のチームの投手は、速球を中心にカーブを織り交ぜて投球を組み立てています。かつては、歯が立たなかったのですが、



先生たちから日々の練習でしっかりとトレーニングを受け、食らいついていきます。


前半戦は互角の勝負でした。後半、ミスが出て失点をしましたが、今後につながるゲームができたと思います。チャンスも何度か作ることができ、チーム力も上がってきています。


次の行事に移動。



今日は、地域の母の日の行事です。地域の男の人たちが甘口、中辛、辛口の3種類のカレーやサラダを作り、地域の方たちを公民館に招待をするという取り組みです。野球場から公民館に着くと、もうほとんどできあがっていました。


エプロン姿の男性陣が奮闘をしていました。



12時ごろ、地域の人たちがやってきました。休みで帰省している人たちも食べにやってきました。今日のお値段は「スリーコイン」ということですが、カレーにサラダに、イノシシの肉に、セリなどのゆがいたものに・・・とご馳走でした。


作る側は時間がかかりますが、食べに来る人は、食べて団欒をして、いい時に帰るので、負担を感じることはないかも知れません。


特に高齢者の方たちは、家で一人で食べるというのではなく、みんなで楽しく食事をすることができる時間です。



片付けまでして帰りました。




しかし、ここからが疲れました。腹がいっぱいになったところで、鳥獣被害対策用の金網フェンスの補修作業がありました。さすが動きが鈍くなりました。この冬の湿った雪で金網の上に倒れた竹などを切りだしたりしました。




耕された田んぼに倒れて眠りたくなる気分でした。それでも冬の寒さと違って動きも軽くなります。ふだんは仕事が優先になっていますが、時には優先順位の高さが地域になることも大切なのかも知れません。いろいろお世話して下さっている方々に感謝です。



このような日曜日でしたが、出張や教育合宿などもあり、今週はまた忙しくなりそうです。がんばろう。

男女のソフトテニス大会

2014年05月10日 | Weblog
コートには若人の声が渦巻いて
            一球一打コートに跳ねる






最高の初夏の天候。スポーツするには、ちょっと暑いのですが、中学生の若者たちには影響はありません。


市総体が近づいてきて、今日も部活は練習試合や公式試合が行なわれていました。


朝学校に行くと、野球部は、何人かの指導者が来てまとまって練習をしていました。


サッカー部は、三光中学校、山国中学校と合同で練習。3チームが合同チームを結成しています。グランドには懐かしい三光中学校の生徒、お家の方たちが来ていました。

野球にサッカーにグランドは活気がありました。



今日は、「上毛町ふれあいソフトテニス大会」が行なわれる日です。個人戦です。男子は、三光総合グランドのテニスコート、女子は、上毛中学校のコート、ふれあい公園のコートで開催されます。耶馬溪中学校のグランドをあとにして、三光のコートに行きました。


耶馬溪中学校の男子ソフトテニス部の練習には行く機会はありますが、公式試合を見るのは初めてです。



三光テニスコートは、たくさんの生徒、応援の人たちで埋まっていました。耶馬溪中学校からもお家の方が応援団としてやってきていました。2ペアの試合を応援しました。



学校の姿とは、また違った頼もしさを感じます。ボールをしっかりと追いかけていました。一球、一球、声も出ていました。気迫あふれたプレーが続出しました。女子の応援も行くので、最後まで見ることはできませんでしたが、勝利の瞬間にも立ち合うことができました。



女子の応援に橋を渡って、福岡県の上毛中学校に行きました。1ペアがここで試合を行ないます。お家の方も応援しています。4月の終わりの中津近郊球技大会の時よりまた試合運びがよくなっています。


惜しくも敗れましたが、これから期待できる試合でした。会場がたくさんあるので大変です。次は、上毛町のふれあいコートです。テニスコートがたくさんあります。



3年生ペアの試合を応援することができました。動きも軽やかで相手を圧倒しました。相手がつけ入れる隙も与えず、自分たちのペースを試合を展開していきました。



2時から大分大学で研修があったので、最後まで生徒たちの応援ができず残念でしたが、躍動感あふれる生徒たちのプレーを堪能することができました。明日も練習試合がある部もあります。

市総体に向けて、どの部もチーム力が上がってきています。



部活動生活が残り少なくなってきた3年生に、市総体、県総体の中ですばらしい思い出を創ってほしいと思います。応援を続けていきたいですね。

小学校訪問

2014年05月09日 | Weblog
あったかな授業広がる複式の
           子どもの瞳輝き放つ





最初に赴任した豊田小学校は、当時全校児童が1500人近くいました。大、大規模の学校でした。大きくなりすぎてそれから沖代小学校と分離しました。3年間勤務させてもらいました。それから・・・。



今度は、全校児童50人ちょっとの西谷小学校へ。まだ豊田小学校の経験しかなかったので、人数の違いにとまどいました。


西谷小学校に赴任した年に、いきなり複式学級を担任しました。16~7人という人数の多い複式学級です。授業の形態が「わたり」?「AB方式」?すべての言葉がちんぷんかんぷんでした。



しかし豊田小学校と同じように、西谷で2つの学年の担任として忘れられない素敵な思い出をたくさん創ることができました。



昨日、町の小学校、中学校の会議で山移小学校という学校に行きました。かつては、たくさんの子どもたちがいた学校も今は、ほんのわずかな児童になっています。この学校を訪れたのは、自分自身が小学校以来です。

家が建材店を営んでいたので、父と一緒にトラックに乗って配達に行った思い出があります。その校舎は今はなく、プレハブの校舎で子どもたちは、生活をしています。



会議をする前に、授業を見て回りました。6年生は1人です。先生と6年生の子どもががんばって算数の授業を行なっています。


複式学級もありました。違う学年2人のクラスです。先生が一つの教室で2つの学年をあっちいったりこっちいったりしながら、教えています。これが「わたり」の授業です。子どもたちも一生懸命に勉強をしています。

笑顔たっぷりです。いい表情です。思わず西谷小学校時代のことを思い出しました。



外を見ると、農園で違う学年の生徒が頑張って畑の手入れをしています。学校全体が暖かい空気に包まれています。

今は、全国的に学校の統廃合が進んでいます。地域の農村部は過疎化が急速に進み、複式があるような学校は統合や廃校になっています。そのことでまたさらに過疎化が進むといった悪循環です。

この傾向はさらに続くでしょう。仕方がないこともありますが、寂しく感じます。何が原因でこのような地域の実態になっているのか分かりませんが、限界集落が至るところに散在しています。



山移小学校のような小さな学校でも、学校が地域にあるという存在は大きいものがあります。子どもたちの声が響くだけでも、地域に元気をもたらせます。



今は、廃校になった西谷小学校勤務時代、春は、ぜんまい採り。その収益で本を買っていました。「ぜんまい文庫」と名付けていました。

学校の敷地の横の田上さんところのビニールハウスに毎年招待されて「いちご採り」


夏になれば、川で魚のしゅわづかみ、しじみ採り。秋は、「鼻繰茶園」への遠足。冬は、お宮の階段でのそり。四季折々の季節をしっかりと感じていました。もちろん、勉強もみんなで頑張っていました。少ない人数でもエネルギーはめいいっぱいありました。



時代の変化の中で、効率化が進み、地域が衰退しています。50年先、100年先でも地域に人が戻ってくるような時代がやってきて欲しいと感じます。

地域に生きる者の心からの願いです。

田舎の会議

2014年05月07日 | Weblog
夕暮れの畑の作業影も伸び
         石垣座り井戸端会議





ゴールデンウィークの最後の日、ふだんなかなかできない庭の草取りなどをしました。かなり生えています。草をとったり落ち葉を吸い取り機で吸いとったりと、けっこうな作業です。庭の石の間には、まだ水害で川の水があがったときの木切れなどがあります。砂もたまっているところがあります。今日が明日に、明日が・・・となってこの休みでかなりの木切れはなくなりました。



近所の方が、「珍しいことをしよるなあ。」と声をかけてくれます。確かに珍しいことなのかも知れません。




塀越しに声がするので、塀の上からのぞくと、田んぼに水をまいています。すごい面積の田んぼなので、じょろで水をまくのも大変です。



時間もあったので、水路から水をくみあげるのを手伝いました。体を鍛えるため?手伝って、あとから高菜やたまねぎなどをいただきました。いただけるものなら、いつでも手伝います・・・。




その田んぼの向こうには、畑に水をやっている人も。そこまで行ってみました。「器機がすごいですね。」水を運ぶための戦車みたいなリヤカーがあります。また物を運ぶ一輪車ではなく二輪車?三輪車的な・・・器機もあります。

物珍しさに見入っていました。

「博多の方に行って買ってきた。」


仕事を退職してから、夫婦でしっかり農業にいそしんでいます。「365日、しっかり時間がある。」  




夕方外に出れば、畑や田んぼでの近所のコミュニケーションが始まります。

というような休みを過ごし、再び今日から仕事が再開されました。

ゴールデンウィークの再会

2014年05月06日 | Weblog
居酒屋ののれんをくぐった向こうには
            三十年前の笑顔が並ぶ






ゴールデンウィークも今日で終わり。天気も大きく崩れることがなく、さわやかな初夏の季節を感じる休みとなりました。



しかし、何をしたか・・・となると、特に何かをしたということもなく、だらだらとした時間を過ごしました。




また明日から、勤務ということで、それもエネルギーの補給と自分なりに納得しながら、また明日から頑張っていこうと思います。



そんな中でも嬉しいことがいくつかありました。それは、懐かしい人との再会です。結婚式があったので、その中でも再会がありました。また帰省してきて会うことができた人もいます。 



ゴールデンウィークの中ごろの3日、教師になり豊田小学校で初めて担任をしたクラスの生徒2人と会いました


その内のひとりのとしたかくんは、市内に住んでいるので、何かにつけて会います。高校までずっと野球を続けてきました。


昨年は、OB野球の市の予選で対戦をしました。こちらは投手。彼に気持ちよくヒットを打たれました。こうして教えた生徒と対戦できるのは、こちらの年齢による衰え・・・☆でそんなに長くは続かないと思いますが、野球を通しての交わりも「たから」です。



そのとしたかくんが、「りょういちが帰ってきているので会いましょう。」と連絡がありました。懐かしい。いつごろからでしょうか、どこに住んでいるのか分からなくなってしまいました。


今でも覚えているのですが、彼が高校生の時、駅の近くのお好み焼き屋で偶然に会ったのが最後でした。りょういちくんのお母さんが、としたかくんの近くに家を建てたことが分かり、お好み焼き屋以来の20数年ぶりの再会となりました。



その日は、結婚式があったので、居酒屋に着いたのが夜遅かったのですが、2人が待っていてくれました。



「おーっ、おーっ、そんなにふけていない。」指をさしながら・・・
最初の言葉がそれかい。
「よぼよぼしているかと思った。」
2番目の言葉がそれかい。



しかし、20数年ぶりの再会がとても嬉しく思いました。サッカーをしていて、スポーツマンのりょういちくんでした。今は、福岡の方で塾の講師として子どもたちに勉強を教えているそうです。


子どもたちとしっかりと関わりながら、社会の一線で活躍をしていることでしょう。



としたかくんとともに3人で当時の思い出の話に花が咲きました。楽しい時間が過ぎました。2人ともあの頃の雰囲気を持ったままです。



ゴールデンウィークが始まって間もなく、三光の時の生徒だったとしやくんとひろしくんが、時間は違ったのですが、学校に会いに来てくれました。仕事で頑張っている様子を話してくれました。




「成長した姿に会える喜び」を感じられるのは、一教師としての幸せだと思います。

厳かな幸せな結婚式

2014年05月05日 | Weblog
厳かな神社の境内風そよぎ
          二人の旅立ち 雅楽が響く





一昨日、部活の野球の試合を見た後、親戚の結婚式にいとこや家族と参加させてもらいました。大分市の春日神社で結婚式・結婚披露宴がありました。お父さんの大悟法先生が生きているならどれほど喜んだことかといろんな姿からそう感じました。



先生とは、親戚でもあり、野球の師匠でもありました。小学校から中学校に勤務が変わり、野球部の監督をはじめてからいろいろ指導をしていただいたし、いろんな野球に携る方を紹介していただきました。




三光中学校時代、教えた生徒に大型の投手がいました。これ以上もう自分の指導では限界であると思い、先生に教えを請いました。先生はすぐに明豊中学校と練習試合を組んでくれました。明豊中学校が耶馬溪町民グランドに来てくれました。



自分の子どもがいた耶馬溪中学校にも声をかけ、明豊中学校が三光中学校と耶馬溪中学校と練習試合をしてくれました。

先生も帯同してくれ試合を行いました。ピッチャーが直さなければならないことをこと細かく図入りでノートに書いてくれました。



それ以来明豊中学校と練習試合をすることが多くなりました。明豊中学校が主催する大会や明豊が行く福岡の大学の大会などにも誘ってもらいました。現在、ソフトバンクフォークスでレギュラーになっている今宮選手が率いる明豊中学校のチームとも、何度か対戦をさせてもらいました。



元プロ野球の選手やコーチの方などにも会わせていただきました。晩年、どさっと資料を袋などから出し、「文章などがおかしいところはチェックしておいてくれんないかのう。」と数百枚の紙を渡されました。



資料に目を通しながら、先生のこれまでの野球人生、野球観、野球理論などに文章を直すことより書かれている内容に感動しました。校正よりもきっと「早く読んで勉強を」ということだったのかも知れません。のちに出版された「野球林」という本です。



結婚披露宴には、当時の野球関係者の方々も何人か来られていました。懐かしく感じました。



お相手の方は、特別支援学校の先生です。同じ職場で知り合ったと言います。偶然にも教えた生徒のしゅんくんの大学時代の後輩であり、同じサッカー部に所属していました。しゅんくんとも久しぶりに会って話をすることができました。



だんなさんになられる方は見る限りとても気さくで優しそうな方です。春日神社神殿での挙式は厳かでした。雅楽を奏でる方について参集殿から境内を通って神殿まで新郎新婦と結婚式参列者は列を作って歩きました。

チャペルの結婚式もよくありますが、みんなが見える中での神社での結婚式もいいものです。披露宴会場は神社の中にあるとは思えないきれいな会場でした。



幸せそうな二人の姿をしっかりと見ることができました。



昨日、少しだけ家の方に行かせてもらいましたが、結婚式・披露宴が終わり、ちょっとほっとした二人の中のいい姿をみることができました。



初夏の季節に先生への思いをはせた時間でもあり、またハッピィな空気を吸わせてもらったいい時間を過ごせました。

GWの練習試合

2014年05月04日 | Weblog
砂埃舞いあげながらしら真剣 
           白球睨む一投一打 
 





ゴールデンウィークもいよいよ本格的になってきました。今年のゴールデンウィークは天気もよくて最高の休みとなっています。しかし、中学校では部活動も大会や練習試合などが行なわれています。それぞれの部の生徒たちは躍動しています。



昨日は、三光中学校で野球部の練習試合が行なわれました。応援に行きました。懐かしいグランドです。すでに試合が始まっていました。両チームともまとまって試合が行なわれています。


耶馬溪中学校は、毎日一生懸命に放課後練習してきて、力をつけてきています。お家の方たちもたくさん来ていました。きっと生徒たちの動きに頼もしさを感じられたことでしょう。


指導する先生が2人いて、さらに主審は事務の先生がわざわざ来てくれていました。生徒たちの活動を応援しています。


三光中学校も地域の方が指導者となってまた新しいチームを創ってきています。生徒たちも生き生きと試合に臨んでいました。



試合は耶馬溪中学校が先制をして、有利に試合を進めていました。しかし、じりじりと三光中学校が追い上げて、一進一退の試合となりました。エース同士の対決です。



双方ともに力をつけて、引き締まった試合を行いました。終盤、耶馬溪中学校が2点追加点を入れて試合を決着させました。両チームのピッチャーがフォアボールもほとんどなくて、安定した投球で試合を作っていきました。このようなゲームをこれからも行ないながら、さらにパワーアップしていくことを期待しています。




もう一試合見たかったのですが、大分市で結婚式があるので、後ろ髪を引かれる思いで、急いで式場に向かいました。いい天気の中での試合。生徒の頑張りを見ることができて、嬉しく思いました。


生徒たちのさわやかな戦いにいいエネルギーをもらうことができました。

感動の忘れたバット

2014年05月01日 | Weblog
失敗もこれから生きる糧となる 
         大地を駈ける頼もしい子たち






このところ、毎日のように出張のオンパレード。ゆっくりと学校にいることができません。明日は、何もないことを願っていますが、ちょっとお疲れモードとなっています。



そんな中で、ちょっとマイモードの感動、感激。


先日、朝あいさつ運動に立つために、いつもの場所に行こうと、グランドを歩いていると、野球のバックネットにバットが置かれています。雨に濡れています。



きっと休み日の練習で直し忘れたのかも知れません。手に取りました。



しかし、直しに行くのもどこに直していいのか分かりませんし、また職員室まで戻ると遠いしということで、バスから降りてくる生徒を待ちました。



バットを抱えてバスを待ちました。野球部の生徒たちが降りてきました。
「バットがバックネットのところに出ていたよ。」
と言うと、
「直し忘れたのかも知れません。ありがとうございます。」
と野球部の2年生たち。



おっ、朝からさわやかな気持ち。



「直したつもりやったのに、なしかなあ。」
ではありません。いきなり、「ありがとうございます。」です。



逆に生徒たちから学ばされます。


自分が中学生だったら、「なしかなあ。」か「おれが出したんじゃねえ。」かも知れません。今日の生徒の気持ちのいい言葉だけで一日が終わったような気がしました。



これがさらに続きます。3年生のキャプテンが校長室をのぞいてきました。
「少しいいですか。」「どうしたのかな。」
「今日は、バットをありがとうございました。」
お礼を言いに来ました。すごすぎる。



2年生だけで話が終わるところが3年生のキャプテンのところまで通じている。さらに自分が中学生だったら、さっとバットを部室に直して、あとは知らん顔というところでしょうか。これが、3年生まで話がいっている。



2年生の態度もそしてそれを受けてお礼を言いにきた3年生もすごすぎる。


野球部のキャプテンは女子なのです。これもまたすごいことです。



さらに話が続きます。野球部の担当の先生と廊下ですれ違うときに、「今日はバットをありがとうございました。」すごすぎる。どこまで話がいっているのか。



失敗はつきものですが、自分たちでしっかりと反省をしながら、失敗をみんなで共有しています。技術とともに大切な「こころ」を生徒たちが身につけていることを嬉しく思いました。こちらこそ「ありがとうございました。」