閑散とたたずむ城も賑わいを
大河ドラマで登城大勢
学生の頃から、大河ドラマを欠かさずに見ていました。そして、そのドラマのゆかりの地を訪れるのが楽しみにしています。昨年は、大河ドラマの「八重の桜」で「新島襄旧宅」に行きました。
「江」では「養源院」、「龍馬伝」では「亀山社中記念館」・「風頭公園」「料亭花月」などそのドラマの年に行くのがマイブームです。
先日、親戚の人たちがやってきました。「中津に来たなら、中津城に行ってみたい。」ということで、今NHK大河ドラマで「時の城」になっている中津城に行くことになりました。ふるさとが、まさか大河ドラマのゆかりの地になるとは・・・。
1年前では考えられないような人出となっています。道路も少し整備をして、貸切バスも何台が駐車場に止まっています。
資料によると、
「中津城は1587(天正15)年、九州を平定した豊臣秀吉に豊前六郡を与えられた黒田官兵衛(如水)が、その本拠として築城を開始したのが始まり。
周防灘と山国川の河口デルタを利用した天然の要害を目指しますが、在地勢力の反発や文禄・慶長の役などによって築城工事は進まず、関ヶ原の戦いで功績が評価された黒田官兵衛・長政親子は筑前52万石に大抜擢され、中津の地を去りました。」
「黒田氏の入国を喜ばない宇都宮・野仲一族、これに随従する宇佐・下毛の諸将たちに対して孝高は討伐の軍を起こし、上毛郡日隈城を手始めに諸城を攻略して、野仲氏の籠もる長岩城の堅城を打ち破った。
宇都宮氏に対しては、黒田・毛利の連合軍二万騎で攻めたが大敗して退いた。そこで孝高(官兵衛)は宇都宮鎮房と和を講じ、鎮房の娘を孝高の子長政に嫁がせることで停戦し、まず中津城の完成に力を注いだ。
城が完成した天正十六年、黒田長政と宇都宮千代姫の婚約成立を祝うため、孝高(官兵衛)は宇都宮父子を中津に招いたが、これがかねてからの謀略で、宴会たけなわの頃、城中にひそませていた武士たちは一斉に鎮房と従者を襲い、これを皆殺しにした。
さらに千代姫と従臣たち数十人を広津川原で磔にして殺した。黒田長政は直ちに宇都宮氏の本城に攻め込んでこれを制圧したので、宇都宮氏はここに滅亡した。
慶長五年(1600)、関ヶ原合戦ののち、その功績で黒田氏は筑前五十二万石に封ぜられ福岡へ移った。」
中津城の外や中には、鎧やかぶとを身につけてホラ貝を吹く人もいて、にぎやかです。歴史資料館やお土産店もできています。最初は視聴率が悪いと言っていた「軍師 官兵衛」もこのところは上昇中です。
荒木村重に捕えられていたシーンや関ヶ原の戦いなどになるともっと上がっていくでしょう。また場面が九州に移れば(移るかな?)地元も盛り上がりもすごいものになるでしょう。
昼食は官兵衛にちなんだ贅沢な御膳ランチでした。
大河ドラマで登城大勢
学生の頃から、大河ドラマを欠かさずに見ていました。そして、そのドラマのゆかりの地を訪れるのが楽しみにしています。昨年は、大河ドラマの「八重の桜」で「新島襄旧宅」に行きました。
「江」では「養源院」、「龍馬伝」では「亀山社中記念館」・「風頭公園」「料亭花月」などそのドラマの年に行くのがマイブームです。
先日、親戚の人たちがやってきました。「中津に来たなら、中津城に行ってみたい。」ということで、今NHK大河ドラマで「時の城」になっている中津城に行くことになりました。ふるさとが、まさか大河ドラマのゆかりの地になるとは・・・。
1年前では考えられないような人出となっています。道路も少し整備をして、貸切バスも何台が駐車場に止まっています。
資料によると、
「中津城は1587(天正15)年、九州を平定した豊臣秀吉に豊前六郡を与えられた黒田官兵衛(如水)が、その本拠として築城を開始したのが始まり。
周防灘と山国川の河口デルタを利用した天然の要害を目指しますが、在地勢力の反発や文禄・慶長の役などによって築城工事は進まず、関ヶ原の戦いで功績が評価された黒田官兵衛・長政親子は筑前52万石に大抜擢され、中津の地を去りました。」
「黒田氏の入国を喜ばない宇都宮・野仲一族、これに随従する宇佐・下毛の諸将たちに対して孝高は討伐の軍を起こし、上毛郡日隈城を手始めに諸城を攻略して、野仲氏の籠もる長岩城の堅城を打ち破った。
宇都宮氏に対しては、黒田・毛利の連合軍二万騎で攻めたが大敗して退いた。そこで孝高(官兵衛)は宇都宮鎮房と和を講じ、鎮房の娘を孝高の子長政に嫁がせることで停戦し、まず中津城の完成に力を注いだ。
城が完成した天正十六年、黒田長政と宇都宮千代姫の婚約成立を祝うため、孝高(官兵衛)は宇都宮父子を中津に招いたが、これがかねてからの謀略で、宴会たけなわの頃、城中にひそませていた武士たちは一斉に鎮房と従者を襲い、これを皆殺しにした。
さらに千代姫と従臣たち数十人を広津川原で磔にして殺した。黒田長政は直ちに宇都宮氏の本城に攻め込んでこれを制圧したので、宇都宮氏はここに滅亡した。
慶長五年(1600)、関ヶ原合戦ののち、その功績で黒田氏は筑前五十二万石に封ぜられ福岡へ移った。」
中津城の外や中には、鎧やかぶとを身につけてホラ貝を吹く人もいて、にぎやかです。歴史資料館やお土産店もできています。最初は視聴率が悪いと言っていた「軍師 官兵衛」もこのところは上昇中です。
荒木村重に捕えられていたシーンや関ヶ原の戦いなどになるともっと上がっていくでしょう。また場面が九州に移れば(移るかな?)地元も盛り上がりもすごいものになるでしょう。
昼食は官兵衛にちなんだ贅沢な御膳ランチでした。