かったかくんのホームページ

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「一輪車盛り上がりの時代」

2020年05月08日 | 大分県
大切にかけがえのないつながりを
    生きてく道に 勇気100倍


 
ちょっと西谷の方に行く機会がありました。
懐かしい風景です。


ネット上では、S介くんが休み中に帰省して、仏壇の前で勉強させたというようなことを書いていました。
何かにつけて、横やりを入れてくるS介くんに今日はちょっかいを~。
西谷は、S介くんたちを含めて多くの思い出が詰まっています。
 


S介くんたちは、4年生と6年生の2年間担任をしました。
この学年は、スポーツ大好きな子どもたちがそろっていました。


信じられないだろうけど、小学校2年生の時に5年生や6年生と真剣勝負のソフトボールの試合をしても勝つという学年でした。


上級学校でも、今でもスポーツの世界で活躍をしている子どもが多くいます。



4年生の時の思い出です。
S介くんは、今ではあまり面影・・・は・・・当時は、マラソンをさせれば、大分県チャンピオンでした。
6年生の時は、東京でのS&B杯全国大会にも参加しています。



4年生の時に、クラスで、
「一輪車で運動場の端から端まで全員で手をつないでいこう」
という目標を立てて、休み時間等に練習を積み重ねていきました。
 


一輪車や百人一首などは積み重ねれば、
「粘り強く頑張った。できるようになった。」
というような達成感があります。
そのことがまたほかの生活にも影響を及ぼします。


3か月後、最後Aちゃんがなんとか端まで行けるようになり、みんなで手をつないで行くことができました。
だれかができたのではなく、励まし合いながらみんながというところに意義がありました。
 


それから、この部隊の活動です。


秋には、「大分県一輪車大会」に参加をしました。
一輪車をもって、大分市へ。スラローム、一輪車マラソンなどいろんな種目がありました。
S介くんは持久力を生かして、1キロマラソンで断トツ1位で優勝。
大洲の河川敷を走りました。
 


ほかにも「かったかくん」の家まで一輪車で行きたいというので、サイクリングロードを一輪車に乗って、6キロの道を休み休みながらもみんなで来ました。


片道6キロ、往復で12キロです。
今は、無謀なことですが、タフです。


ちなみにかったかは、運動場の端から端まで位しか行けません・・・。
 


ここでおきたことは、やっぱり話題にことかかない、Kくんです。
ほかの人は、やりきれた思いがありましたが、Kくんは、すりきれた思いがありました。
往復12キロ。Kくんは、股のところがすりきれていたのが今でも語り草となっています。
 


一輪車部隊は、NHKの取材を受けたり、当時はちょっとだけ話題となりました。
 



S介くんたちが、風を切るように走っていた、泳ぐように蝶が舞うように一輪車に乗っていた姿が懐かしいです。
ですねっ☆彡