『銀河帝国興亡史[3] 第二ファウンデーション』 アイザック・アシモフ (ハヤカワ文庫)
第1部が「ミュールによる探索」、第2部が「ファウンデーションによる探索」となっているが、これらの初出タイトルがそれぞれ、“Now You See It”、“― And Now You Don't”というのが素晴らしい。このままの方がよかったのに。
そのタイトル通り、第二ファウンデーションの正体を探るミステリ。
第1部では、銀河帝国を乗っ取り、ファウンデーションまでもを支配したミュータント、ミュールによる第二ファウンデーションの大規模な探索。そして、第2部では、ミュールが倒れた後に再興したファウンデーションで、ひとりの科学者の妄執と、その娘の冒険による第二ファウンデーションの探索が描かれる。
解説によると、アシモフは銀河帝国興亡史シリーズのプロットについて、行き当たりばったりだったと語っている。まさに、そんな感じ。おそらく、第二ファウンデーションの正体がこんな形になるとは、アシモフも当初は考えていなかったに違いない。
というのも、第二ファウンデーションの人々はミュールと同じような精神操作の能力を持つという妙な設定が、あまりにアシモフっぽくないからだ。どちらかというと、ヴォークトやハインラインのような感じ。さらに第2部の主人公が16歳の少女というのもハインラインのジュブナイル的。
第二ファウンデーションは第一ファウンデーションが失敗した場合の保険でも、第一ファウンデーションを囮とした本体でもなかった。その真実は、第一ファウンデーションを含め、銀河帝国とその周辺諸国の歴史がセルダン・プランから外れないように操る影の秘密結社だったのだ。なに、その陰謀論(笑)
でも、そうすると、銀河帝国の歴史はセルダンが心理歴史学で予見したものではなく、第二ファウンデーションに操作された歴史ということになるので、はたしてセルダンの予見が当たっていたのかどうかわからなくなるという矛盾をはらんだ結末になってしまっているのではないか。
もともと、セルダンの予見は銀河帝国が崩壊して3万年にわたる暗黒時代(知識や科学技術が失われた時代)が訪れるという危機だ。これを、1千年に縮めるために、セルダン・プランが練られ、その実現のためにファウンデーション(第一と第二)が作られたのだった。
しかし、第一ファウンデーションだけでも暗黒時代は防げたように思うのだが、第二ファウンデーションは何のために必要だったのか。たとえば、ミュールの支配が続いたとして、そのままでも科学技術が失われる暗黒時代が到来するようなことはなかったのではないかと思える。
最後にに否定された、「実は第二ファウンデーションなんか無かった」という説が個人的には一番納得がいく説明だった。第二ファウンデーションが存在するという人々の思いが、希望や倫理を生み出す礎になっていたのではないか。
個人の未来は予見できないが、集団の未来は数学によって予見できるとする心理歴史学の存在は、ともすれば(ひとりの力は小さいという意味において)自由意志の否定にも取れるが、精神操作を可能とする第二ファウンデーションの存在は、さらに自由意志を輪をかけて否定する。その意思は本当にお前の中から生まれてきたものなのか。ミュールや第二ファウンデーションに操られたものではないのか。
そう考えると、なんだかうすら寒い結末のようにも思えるのだけれど。
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