神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] わたしを離さないで

2010-06-25 10:49:18 | SF
『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ (ハヤカワepi文庫)




ヘールシャムと呼ばれる寄宿舎のような場所で暮らす児童たち。そこですごした子供時代の回想と、目の前で明らかにされた非情な現実。キャシー、ルース、トミーの(嫐)3人の思春期を描いた私小説風な体裁だが、胸に重くのしかかるディストピア小説でもある。

中心のネタとなるものは衝撃的な結末というよりは、SFではありふれたネタに過ぎない。科学技術的にも遠い未来の話ではなく、もうひとつのありえたかもしれない現代である。この世界が実現されないのは科学技術の問題ではなく、純粋に倫理的問題が未解決だから。

衝撃的なのはクローンによる臓器提供という非人道的システムではなく、それを運命として静かに受け入れる彼らの姿だ。普通なようでいて、ちょっと違うへールシャムでの寄宿舎生活も、しかし、「フツーの処」はまったく異なると聞いたとき、それはいったいどんなところなんだろうと暗鬱とした気分にさせられる。

子供たちは提供者となることに何の疑いも持たず、自分たち以外の提供される側の人間たちを嫉みもせず、提供者の味方だという団体も彼らを解放しようとするわけではない。“まともな”人間は彼らを見て見ないふりをするか、蟲を見るような目つきで見て恐れる。

それでも、子供たちは提供者としての将来を受け入れながら、エミリー先生やマダムの力で“保護”され、友情を育み、喧嘩をして、仲直りして、恋に落ち、思春期を過ごしていく。3人の関係は、ただ仲良しなだけではなく、消えない確執を込めた幼馴染同士である。それがゆえに、キャシーが語るルースとの別離や、トミーと夢見た“猶予”の生々しさが心を打つ。

癇癪持ちのトミーは子供時代から抑えていた癇癪をラスト付近で解き放ち、そして運命を受け入れる。白い空と草原に代表される、あくまで静謐な描写の積み重ねの中で、きわめて情動的なこのシーンのコントラストも印象に残る。

SFとはifの文学であり、この小説はたったひとつのSF的ifから生まれた胸に迫る重苦しい小説である。そして、その重苦しさというのは、決して空想の中だけにあるものではない。直接的な臓器移植の問題だけではなく、非人道的差別や、いわゆるレールの上を走ることまで、いろいろな事柄のアナロジーとして読むことができる。そしてまた、彼らが浮世離れした特別な人間ではないということも、この物語を身近な「何か」に置き換えてみてしまうという感覚にひと役かっているようだ。

ついでに、なんだか映画化されて、10月1日からアメリカで公開されるらしい。しかし、SFスリラーとして宣伝されているのがなんとも……


6月24日(木)のつぶやき

2010-06-25 00:11:10 | つぶやき
18:44 from Tween
28時間労働から帰ってきて、速攻で寝てさっき起きた。明日は13時までに出社すればよい。さて、これからどういうタイムスケジュールにすべきか。
18:49 from Tween
iPhone4を買えなかった人は、同日発売のauのWindowsPhoneを買えばいいよ!ケーキを食べればいいじゃない的な意味で。
22:36 from Tween
なんだか寝たり起きたりでよくわからない状態になってきたw とりあえず、イタリア戦寝ながら見るか。
23:24 from Tween
スロバキアきちゃったー
23:25 from Tween
またもやイタリア必死だなw状態になるのか!
23:49 from Tween
イタリアは得点の入りそうな感じがしない。いったいどうなっているやら。ニュージーランドはがんばってるね。このまま負け無しで終われるかも。
by kats_takami on Twitter