神なる冬

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[SF] ベガーズ・イン・スペイン

2010-06-04 11:23:24 | SF
『ベガーズ・イン・スペイン』 ナンシー・クレス (ハヤカワSF文庫)




ナンシー・クレスの日本独自編集による短編集。初訳は表題作のみということだったので、買わなくていいかと思っていたのだが、その表題作が星雲賞のノミネートリストに上がっていたの読んでみた。

これがすごい。たしかに、ヒューゴー&ネビュラダブルクラウンだけはある。そして、続く「眠る犬」も、「ベガーズ・イン・スペイン」の直後に読むと、これまた表裏一体になっていて面白すぎる。

上記ふたつの作品は《無眠人》シリーズとして、連作化されているようなので、ぜひこの先を読んでみたいと思った。


「ベガーズ・イン・スペイン」
遺伝子操作により、睡眠をまったくとらない子供が生まれる。この子供たちは天才的な能力を示した。それを知った富豪は人工授精により、無眠の子供を得るが、受精卵を母胎へ戻す際に、母親はノーマルな子供も授かっていた。かくして、無眠人と有眠人の二卵性双生児が生まれる。

物語は二人の少女の成長と、彼らを取り巻く社会の変遷が絡み合って進む。

いろいろな分野で才能を示す無眠人たちを、社会は恐怖と嫉妬で迎え撃つ。まさに、出る杭は打たれる。自分と違うものを差別し、その差別は正当化される。

そこで出てくることわざ(?)が表題の「Beggars in Spain(スペインの乞食)」。

持てるもの(無眠人)が持たざるもの(有眠人)へ施しを与えるのは当然のことなのか。ひとりやふたりの乞食ならば、1ドルを与えることはできても、100人の乞食にそれぞれ1ドルを与えることはできるのか。誰にも何も渡さないという選択肢はどこから線を引けるのか?

このくだりを読んだときに、頭をよぎったのは、まさしく現代日本の社会問題。勝ち組/負け組、福祉政策へのフリーライダー、ベーシックインカム、格差固定社会……

この短編では、無眠人たちが有眠人から迫害され、独自のコミュニティーへ立てこもるまでが描かれる。もちろん、日本はまだここまで行っていないが、この先がいろいろな意味で気になる。

小説としては双子と家族の関係が主眼になっていて、こちらに視点を持ってくると、まったく別な読み方ができるんだろうけど、今回読んだときには表題の意味が衝撃的過ぎた。


「眠る犬」
表題作の裏で、家族を無眠犬に家族を殺された少女が、仇敵である無眠犬を作り出した科学者を探し出し、復讐しようとする物語。

作中の大きなターニングポイントが表題作の結末付近に出てくる。復讐を否定していたはずの有眠人が仇相手の科学者の情報を主人公の少女に漏らすシーンは、表題作を呼んで入ればこそのゾクゾク感がある。

「戦争と芸術」
上官というか、主人公の母親がイヤ過ぎる。過緊張で気絶し続ける主人公も十分にウザイけど。いわゆるスパルタママの強烈なパターン。

「密告者」
プロバビリティシリーズの原型。こちらの方が、共有現実はまさしく空気(空気読め)として表現されているように思える。しかし、共有現実に関する説明が少なすぎて、プロバビリティシリーズ読んでないと共有現実がどんなものなのかわかり辛いのではないかと思えるのだが、こっちが先にでてるんだよね。

「思い出に祈りを」
長生きするには記憶が邪魔って、長生きする意味が無いんじゃないのか。

「ケイシーの帝国」
えーっ!という結末に納得できない。そういう選択もありなのか。

「ダンシング・オン・エア」
表題作と同じような遺伝子操作、デザイナーズベイビーの問題をテーマとしているが、執筆時期が早いためか紋切り型の問題提起になっていて、テクノフォビアとみなされても仕方が無いレベルではある。しかし、これを親子の問題として捕らえることにより、「戦争と芸術」と同じテーマへとたどり着いている。スパルタママ怖い。


ところで、「スペインの乞食」ということわざは本当にあるのか。googleで検索しても、ナンシークレスばっかり出てくる(笑)
ただ、スペインの物乞いは偉そうだという記述は見つけた。
無眠人と有眠人との対立を読むと、確かに施しを受けるほうが偉そうだが、日本の例ではどうだろうか?