自然と人間

2013-03-01 09:31:37 | ブログ

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ニョキ ニョキ芽を出した武蔵鐙これも実家から、もってきた、多年草でも

自分の場合2~3年で枯れさすが実家から持って来たものは枯れない。一人に成ってから植物に見ま守れている気がする。岩ヒバ、サネン花、青の熊竹欄、寒椿は今も咲いる、枇榔は40cm、他の欄など根がはみ出すが、

蛸みたいに身体を上に出し、足(根)で立つて宇宙人みたい、地植えなら3m以上に幹は直径20cmはなって居るだろう。が軽自動タイヤを鉢にしている。出た根に土をを被せたが、大きくなったら、枯れても燃えるゴミには出せない、自分もそうだが。この枇榔樹が軽自動車タイヤーからはみ出すころは自分も終末だろう、身体障害者が生きいてることに感謝すると言うように、妻が先に行きドウシヨウモナイ自分が残り。自分は今生きてる意味が見出せない。死もそうだ。IPS細胞で騒ぐ、自分には老衰してベッド介護も儘ならない今、介護人口は多くなる気がしてならない。

死ぬる時節には死ぬが良き候。と良寛も言ってる。諸行無常、諸法無我、

涅槃寂静。小猿のような人間がいくらバタバタしても津波は来る、隕石は落ちる。中東で戦争し、尖閣で喧嘩し。外国で死ぬと祈りを捧げ、我が日本の道路で交通事故死でも、国会で祈りの言葉は毎日だから面倒くさいのか?兎に角人間のする事はデタラメうんだモシタン