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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

今週の「読んで、書評を書いた本」 2013.10.20

2013年10月20日 | 書評した本たち

小林秀雄の“新刊”を入手した。

『読書について』(中央公論新社)。

もちろん独自に編集されたものだが、こうやって“新たな本”として
書店に並ぶのはいいことだと思う。


この中の文章で、好きなエピソードがある。

「国語という大河」と題した1編。

小林が、娘から国語の試験問題を見せられる。

よくわからない文章だと言うのだ。

読んでみると、なるほど悪文で、文意が通らない。

わかりませんと書いておけばいい、と言う小林に、娘は笑う。

実は、「この問題は、お父さんの本からとったんだって、先生がおっしゃった」からだ。

「おやじの面目まるつぶれである」と書く小林が可笑しい。

今年は小林の没後30年だ。




さて、今週の「読んで、書評を書いた本」は、次の通りです。

堂場舜一 『Sの継承』 中央公論新社

黒井千次 『漂う~古い土地 新しい場所』 毎日新聞社

* 書いた書評は、
  発売中の『週刊新潮』(10月24日号)
  読書欄に掲載されています。


詩人・加島祥造のドキュメンタリーと「巨匠」

2013年10月20日 | テレビ・ラジオ・メディア

いいものを見た。

ETV特集「ひとりだ でも淋(さび)しくはない~詩人・加島祥造
90歳~」
である。

信州・伊那谷の自然の中で暮らす詩人・加島祥造さん(90歳)の言葉が、この時代をどう生きるか悩める人々から注目されている。ベストセラーとなった詩集「求めない」、「受いれる」の中で加島は言う。会社や家庭の中で求めすぎる心を転換してバランスをとり、ありのままの自分を受け入れるとずいぶん楽になると。

もともと加島さんは横浜国大の英文学教授だった。ノーベル文学賞作家ウィリアム・フォークナーやアガサ・クリスティの数々の翻訳で名声も獲得。しかし、なぜか心は満たされず、逆に息苦しさを感じて生きていた。

そんなとき、野山で自由に遊び回っていた幼少期の頃の感覚を思い出せという内なる声が聞こえた。60歳になった加島は、我慢の限界に達し、社会から飛び出す。そして、たどり着いたのが伊那谷だった。その大自然に触れるうち、自分の中に可能性を秘めた赤ちゃんのようなもう一人の自分、いわば「はじめの自分」がよみがえった感覚を感じたという。

その後、伊那谷で暮らすうちに、なぜか詩が湧いて出てき、また、絵も描けるように変わっていった加島。精神のバランスも徐々に取れるようになっていった。

そんな加島さんの元を訪ねるようになったのが、政治学者の姜尚中(63歳)。順風満帆に見える姜だが、実は、4年前に長男を26歳の若さで亡くした。それがきっかけとなり、60歳を過ぎて、このままの人生を送っていいのか、何が自分にとっての幸せなのか考えるようになったという。そんなときに偶然出会ったのが加島さんだった。それ以来、たまに伊那谷を訪れて、加島とのやりとりを繰り返している。

わがままと言われようと、ただ命に忠実に向き合ってきた加島。番組では人生の晩年をどう生きるか、今もあがき続ける90歳の日々を見つめる。



加島さんの本はすいぶん読んできた。

とはいえ、共感しながらも、簡単にその境地に近づけるはずもない(笑)。

番組で見る最近の加島さんは、ますます遥かな道を歩んでいる、という印象だ。

亡くした”大切な女性”の話も含め、「ああ、加島さんらしい90歳だなあ」と思いながら、なんだか嬉しかった。

見終わって、いい気分でいたので、エンドロールをぼんやり眺めていた。

NHK福岡の制作だったが、ディレクターの名前は見逃してしまった。

けれど、「編集 吉岡雅春」という文字は目に入ってきた。

吉岡さんは番組編集者だ。

知る人ぞ知る、天才的編集者。

私もお世話になった、テレビ界の大先輩。

今は、主にNHKスペシャルで、その名を見ることが出来る。

30年前、新人のアシスタント・ディレクターとして、吉岡さんに初めて会った。

その際、先輩のディレクターから、吉岡さんのニックネームが「巨匠」であることを教えられた。

出会った時から、すでに巨匠だったわけだ。

そして私がディレクターになってからも、何度もお世話になった。

取材が不十分な時、その指摘は厳しく、私はすごすごと「追撮」に出かけた。

編集作業に少し疲れたり、私が煮詰まったりすると、吉岡さんはキャッチボールをしようと言う。

黙ってボールをやりとりしながら、こちらも打開策を考えるのだ。


巨匠は、今でも、ディレクターとキャッチボールをしているのだろうか。