碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

寺山修司は今も実験室の中にいる

2009年02月28日 | 本・新聞・雑誌・活字
           キャンパス内のマックにも雪(昨日)


2月は今日でおしまい。

「2009年2月の最後の日に読む本」として選んだのは、『寺山修司著作集3 戯曲』だ。

真っ赤な箱入り。厚い。重い。奥付を見ると、初版発行が昨日、2月27日となっている。

それにしても、新刊である。寺山修司が亡くなったのが1983年。26年という時間が過ぎても、評伝や研究書だけでなく、こうして本人の書いた著作物が出版されるところが、すごい。

監修者に山口昌男さんが加わったこの著作集。全5巻の予定なのだが、先月、なぜか2巻目から出始めた。

第2巻はシナリオやドラマで、これも貴重なラジオドラマを読むことが出来て嬉しかったが、この第3巻は、寺山の基軸となる「戯曲」である。

「青森県のせむし男」がある。
「毛皮のマリー」がある。
「毒身丸」もある。

そんな中で、今回、戯曲として初めて読んだのが「観客席」だった。

これが実に刺激的なのだ。

舞台というより、本当に観客席を含めた会場全体を使っている。そして、劇中には「観客を演じることになっている俳優」や、「俳優をやっていただいている観客」や、舞台監督や劇場支配人も登場するのだ。

途中で、(本物の)観客が、「観客席」には、(自分のような本物の)観客だけでなく、俳優もいることに(当然)気がつく。

面白いのは、その気がついてから後の観客の心理も計算に入れながら、寺山が劇を構成していることだ。

観客は思う。一体、何人くらいの俳優が「観客にまぎれ、整理番号をもらって列をなして入場してきた」のだろう。もしかしたら、自分の隣の席の男も、俳優なのではあるまいか?

舞台が、演じる者と、それを観る者とで成り立っていて、自分はその片側に安穏として座っているという、観客の「観客としての現実」が揺さぶられるのだ。とても寺山らしい。

寺山は自ら主宰する「天井桟敷」を“劇団”とは呼ばなかった。「演劇実験室・天井桟敷」である。

寺山修司にとって、短歌も、演劇も、小説も、映画も、ラジオドラマも、すべて実験だったのではないか。

実験とは、理論や仮説を一定の条件の下で試し、確かめてみることだ。安定や完成を目指すものではない。

“実験するココロ”を失ったとき、創造や表現は、自由とか、のびやかさとか、しなやかさとかを失うのではないか。

そこに、没後26年の今も、寺山作品が、観客や読者を刺激し続ける理由があるように思う。

寺山修司著作集〈3〉戯曲
寺山 修司,山口 昌男,白石 征
クインテッセンス出版

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誕生日の思わぬプレゼント

2009年02月27日 | 本・新聞・雑誌・活字

今日は、2月27日。ワタクシの誕生日だ。

54歳になった。父親の時代なら、間もなく定年である。

でも、「もうそんな歳になったのか」とは思わない。「まだ時間はあるよね」と思う。「これしかない」じゃなくて、「こんなにある」と考える。基本的に楽天家なのだ。

誕生日といっても、特別なことをするわけじゃない。

ただ、ある年齢に達して以来、まずは実家の母親に電話を入れ、感謝の言葉を伝えるようにしている。

照れくさいので、「おかげさまで・・・」くらいしか言えないが、気持ちとしては「この世に送り出してくれて、ありがとう」である。

誕生日の儀式の2番目は、これまた照れるが、我が家のおかみさんに感謝することだ。

何しろ、結婚記念日を忘れないためにと、私の誕生日に結婚式を挙げた。今日は、誕生日であり、結婚記念日でもあるのだ。

おかみさんにも「おめでとう」を。それから、「ありがとう」も。

誕生日の儀式その3は、これからの1年で、やりたいことの確認だ。

このとき、毎年、<人生の残り時間>を意識するようにしている。残り時間の中における貴重な1年、と考えるのだ。

ちょっと仕事の場合と似ていて、番組ならオン・エア、原稿なら締め切りから逆算して、今、何をすべきかを決めるような感じだ。

もちろん、いつエンドマークが表示されるか、それは分からない。

しかし、心身共に、現在のレベルがずっと続くはずもない。老いは、常に現在進行形だ。

やりたいことが、ある程度やりたいように出来る、そんな“時間”を大切にしたいと思う。

誕生日は、そんな自己点検・自己確認の日でもある。


実は(ってこともないが)出版社から知らせがあり、恥ずかしながら、我が『テレビの教科書』が<増刷>と決まった。

思いがけない「誕生日のプレゼント」を頂戴したような気分だ。

全国、どこの町に行っても、必ず本屋さんに立ち寄る。立ち寄れば、新書コーナーを見る。棚に、この本を見つけると、ほっとする。

でも、一方で、それは「まだ売れてない」とも考えられるし、著者の心境は複雑である。

最近は、本来置いてあるはずの大型店でも、なかなか発見できなかった。いわゆる品薄だったわけで、私はともかく、読んで欲しい人たちの手に渡らないのは、残念だ。

それも今回の増刷で改善される。有難いことです。

「改訂版」とか、「増補版」というわけではなく、あくまでも<増刷>なので、内容自体は手を加えられない。出した時点と変わらない。

ただし、本の奥付やカバーに印刷される「プロフィール」は最新のものになっている。少しだけだが、積み重ねたものが反映されるようで、嬉しい。

とにかく、この本を読んで下さった皆さんに、増刷御礼。感謝です。

テレビの教科書―ビジネス構造から制作現場まで (PHP新書)
碓井 広義
PHP研究所

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NHKの爆発と銃弾

2009年02月26日 | テレビ・ラジオ・メディア

今日は、2月26日。曇り空だ。

73年前、1936年(昭和11年)のこの日、東京は雪だった。

陸軍の反乱部隊が、当時の政府首脳や重臣を襲撃するという大事件が起きた。「2・26事件」である。


NHK福岡で爆発事件があったのは22日のことだ。

それに続いて、今度は、福岡、長野、札幌、そして代々木の本体と、各地のNHKに銃弾が送られてきた。

送り主は「赤報隊」を名乗る何者かだ。

一体、これは何なんだろう。

福岡の爆発は、幸いなことに、建物を破壊するような本格的なものではなかった。そして、銃弾もまた、実際に撃ち込んできたわけではない。

「本気でやろうと思えば、爆破も銃撃も出来るんだよ」という示威行為に見える。つまり、“脅し”や“警告”だ。

しかし、何に対する脅しや警告なのかが、よく分からない。

手がかりは、やはり「赤報隊」なのか。

ここ数週間、『週刊新潮』が連載した、朝日新聞襲撃事件の「自称・実行犯」による手記が話題になっている。

ライバル誌である『週刊文春』が、その真偽に疑問を投げかけ、次に、いわば当事者である朝日新聞が23日の紙面で「検証」という形の反論記事を掲載した。

まあ、ざっくり言えば、「虚報」であるという主張だ。

新潮側は、今日発売の号で、これに反駁した。「虚言をそのまま掲載」したわけではなく、朝日の記事は「まず結論ありき」で、「手記は間違いだらけ」というイメージ操作に過ぎない、と書いている。

今後、再び朝日がどう答えるか、注目だ。

今回の爆発と銃弾は、「赤報隊」という名称と、タイミングを考えると、この『週刊新潮』の記事の真偽問題や騒動との関連を思ってしまう。

いや、もちろん、単なる愉快犯の可能性だってある。

とにかく、朝日新聞襲撃事件とのつながりの有無を含め、きちんと捜査して欲しいものだ。

代々木のNHK放送センターだけでなく、NHK福岡でも、NHK札幌でも、知人たちが働いている。

NHK福岡の知り合いに、「大丈夫かい? 元気かい?」と問い合わせたら、こんな返事がきた。

  今度は実弾が送られてきたので、
  さすがに元気も無くします。

  「報道ステーション」によると、
  実弾が送付された4放送局の共通点は、
  「オリンピックゆかりの地」とのこと。

  福岡は立候補しただけなのに・・・。

その回の「報道ステ」は見ていないが、すごい想像力というか、大胆な推理というか。

東京(しかも代々木だ)、札幌、長野と並べて「五輪開催地つながり」と言われたら、確かに、立候補だけの福岡が気の毒だ。

いずれにせよ、<言論を暴力で抑えようとする事件>などでなければいいのだが。

「赤報隊」の正体―朝日新聞阪神支局襲撃事件 (新潮文庫)
一橋 文哉
新潮社

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この季節にドンピシャな警察小説『暴雪圏』

2009年02月25日 | 本・新聞・雑誌・活字

佐々木譲さんの新作『暴雪圏』を読了。

うーん、濃厚な中身にふさわしい、迫力のタイトルだ。

先週の札幌では、激しい雪のために、危うく帰りの飛行機が飛ばない、いや飛べない、ということになりかかったので、よけい切実感がある。

舞台は、北海道の十勝平野にある小さな町、志茂別(しもべつ)。

猛烈な吹雪のために、交通はマヒし、町は完全に機能を停止してしまう。

そんな状況の中で、何人かの男や女が、それぞれの事情を抱えて、町から“逃亡”を図ろうとしている。

暴力団組長の自宅を襲い、その妻を殺害し、現金を強奪した犯人たち。会社の金を盗み出したサラリーマン。不倫相手との関係を清算したい主婦。義父の歪んだ欲望から逃れようとする少女等々。

彼らは、運命の糸に操られるように、雪に埋もれたペンションに吹き寄せられてくるが、そこは、完全なる密室と化してしまう。

そして、この町にいる警察官は、たった一人。川久保篤巡査部長だけだった。

2006年発表の『制服捜査』(新潮文庫、今月の新刊)で登場した川久保。彼は、豪腕刑事やスーパーマン的警察官ではない。いや、だからこそ、いいのだ。

単身赴任で“駐在所”勤務の巡査部長。当たり前のことを、当たり前のように考え、実行していくだけのように見える川久保。彼は、一体どうするのか。

冷たい雪嵐の中で、物語は徐々にヒートアップしていく・・・。

いやあ、面白かった。夢中で読んでしまった。

北海道を、その自然のすさまじさを熟知している佐々木さんだけに、雪の怖さが、読む者にびんびん伝わってくる。

一旦、雪や風が猛威を奮い始めれば、人間の知恵も、思惑も、愛情も、欲望も、何ひとつ通用しない。そんな極限でのサスペンスであり、人間ドラマだ。

暴雪圏
佐々木 譲
新潮社

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制服捜査 (新潮文庫)
佐々木 譲
新潮社

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木佐彩子サンで<客寄せ>のNHKワンセグ

2009年02月24日 | メディアでのコメント・論評

NHKが、4月から、サイマル放送(アナログとデジタルで同じ内容を流す放送)ではない<独自のワンセグ番組>を開始するという件で、『週刊新潮』の取材を受けた。

番組名は「ワンセグ2」。ちょっと「第2日テレ」みたいだね。

平日の昼、12時~12時40分までの放送は「ワンセグランチボックス」だ。コンテンツとしては、「大河ドラマダイジェスト」や「ケータイ大自然」といったものが並ぶ。


さて、その内容などは結構なのだが、私が注目するのは「番組ナビゲーターに元フジテレビの木佐彩子」というキャスティングのほうだ。

これの“読み方”は色々あるだろうが、NHKの<民放視聴者取り込み路線>の一環だといえる。

特に、昨年から続いているNHKとフジテレビの“協力”というか、 “相互扶助”というか、“融合”というか、とにかく両者の<すり寄り現象>の一つだ。

さだまさしのラジオ番組。「紅白歌合戦」でのフジの中村アナ&目玉マークの登場。3月に予定している“相乗り”番組等々。

NHKとフジの<仲良し作戦>は、着々と進行している。

このご時世で、あらゆるジャンルにおいて「強いもの同士がくっついて、もっと強くなる」が行われている。

もちろん、公共放送であるNHKと、民放のフジテレビが合併することは無理だが、「業務提携」というほどオーバーではない「業務協力」は可能なのだ。

この場合も、NHKがフジを“選んだ”と見るのが正しいだろう。

視聴者層でいえば、40代、50代以上に関して、NHKは圧倒的に強い。今後は、20代や30代を増やしていくことが命題となる。

その意味で、フジテレビを“活用”しようというのがNHK側の狙いだ。

そのうち、フジを辞めてフリーになったお嬢さんたちが、大挙してNHKに登場、なーんて状況になるかもしれない。

まあ、「ワンセグ2」自体、いずれは<有料化>するのが狙いでしょう。まずは、木佐サンで“客寄せ”、というわけです。

『おくりびと』ではなく、『三国志』

2009年02月23日 | 映画・ビデオ・映像
映画『おくりびと』がアカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。

おめでとう! って、まだ観てないけど。

関係者の知り合いとしては、脚本の小山薫堂さんがいる。

93年に、日本テレビで放送した『生まれてはみたけれど』を制作する際、構成作家である薫堂さんに「シナリオ」をお願いした。

このときは伊武雅刀さんと山本耕史さんの二人芝居が軸だったが、薫堂さんはいずれ本格的な脚本を書いてみたいと言っていた。

あれから16年。

いやあ、アカデミー賞作家の誕生である。拍手だ。


さて、『おくりびと』ではなく、『三国志』を観てきた。

2部作という大作である『レッドクリフ』。4月には第2部が公開されるので、まあ、1部の復習と2部の予習を兼ねた練習問題(?)みたいなつもりだったのだ。

ところが、これがよく出来ている。もちろん、かなり“駆け足”な展開ではあるけれど。

主人公は、魏・呉・蜀の三国のうち、蜀を治める劉備に仕えた武将・趙雲。これをアンディ・ラウが演じている。

また、趙雲を支えながら、いずれ裏切ることになる兄貴分・平安がサモ・ハン。魏の王・曹操の孫娘で、後に趙雲と対決する曹嬰にはマギー・Qという配役だ。

いくつもの戦闘シーンも見せ場がたっぷりだし、趙雲の人間性もしっかりと描かれている。

この作品、タイミング的に、『レッドクリフ』シリーズとかぶらなければ、もっと人気を呼んだかもしれない。

原作は「三国志演義」。

その中の趙雲にスポットを当て、さらに平安という“狂言回し”を設定したのは、ダニエル・リー監督のお手柄だろう。

三国志演義〈1〉 (ちくま文庫)

筑摩書房

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イーストウッド監督の新作『チェンジリング』に、唸る

2009年02月22日 | 映画・ビデオ・映像
映画『チェンジリング』を観た。

クリント・イーストウッド監督&アンジェリーナ・ジョリー主演。これだけで、相当強い“引き”がある。

だが、観る前は、ちょっと気が重かった。

何しろ、扱われているのが実際にあった「子どもの失踪」事件だ。誘拐をはじめ、子どもが対象となった犯罪を描く映画は、その出来不出来以前に、観ていて辛い。しんどくなるのだ。

しかし、この作品は、そんな“ためらい”を超えていた。観てよかった。

舞台は1928年のロサンゼルス。

アンジェリーナ・ジョリーは、電話局で働きながら、9歳になる一人息子・ウオルターを育てている。母子二人の幸せな生活。

それが、ある日、壊される。突然、ウオルターがいなくなってしまうのだ。

夜になっても、帰ってこない。事件か、事故かも分からない。警察に連絡するが、「子どもがいなくなった場合は、大抵、翌朝帰ってくる。24時間経過しないと、捜索は行わない」とニベもない返事。

結局、待っても待っても息子は戻らない。月日が、むなしく流れる。

ところが、5ヵ月後に、警察から「見つかった」の知らせ。大喜びで迎えに行くジョリー。だが、目の前に現れた少年は、彼女にとって、全くの他人だった。

しかし、警察は「母親の精神的な混乱」で片付けようとする。<腐敗の温床>のようにいわれていた当時のロス市警にとって、手柄を否定されるわけにはいかなかったのだ。

ジョリーは、その少年が別人であることを証明すべく、歯科医に当たるなど、手を尽くす。

それでも警察は認めない。むしろ、「本当の息子を探して欲しい」と訴える彼女を疎ましく思い、結局、精神病院に強制入院させるのだ。

うーん、ひどいぞ、警察。

その裏で、隠されていたこの事件の真相が、徐々に明らかになっていく・・・。

まず、アンジェリーナ・ジョリーがいい。どこまでもあきらめずに我が子を求め続ける母親を好演している。

そして、イーストウッド監督。

物語の“語り口”は堂々としており、落ち着いた映像(撮影は「硫黄島からの手紙」のトム・スターン)と共に、観客を悠々とリードしていく。もはや巨匠の風格です。

また音楽も監督自身が担当していて、ジャズをベースとした、いくつもの“いい曲”が流れるのも魅力だ。

確かに、しんどい実話ではあるが、ある“救い”に到達することで、この「一人の母親の物語」を見終わったとき、じわりとした感動がある。

嵐の札幌で生放送

2009年02月21日 | テレビ・ラジオ・メディア
            uhb水野悠希アナウンサーと


一か月ぶりの札幌に来ている。

先月はなかった雪がある。道路も凍っている。それどころか、雪が降り止まない。天気予報によれば「嵐」だそうだ。

ずんずん降る。昨日から千歳の空港も閉鎖だ。


昨日の午前中は、uhb北海道文化放送の「のりゆきのトークDE北海道」。テーマは「一芸奥さま大集合!」だった。

「落語」を一席、の奥さま。「バルーンアート」を披露する奥さま。「ドールハウス」を見せてくださる奥さま・・・。

皆さん、立派な「一芸」をお持ちで、感心。

思えば、私自身、自慢できる芸など、なーんもない。ほんとに、ない。困ったもんである。

番組終了後、いつもの古書探しで、おなじみの石川書店。

今回の”掘り出し物”は、「世界の歴史」全17巻揃い(中央公論社・昭和37年)だ。

学生時代、中公バックス版にお世話になったが、こちらは、きれいな単行本・箱入り。思わず買ってしまった。じっくり読みたい。

午後は、HTB北海道テレビ「イチオシ!」。

こちらは、オクラホマの藤尾さんが四国・松山の物産展から中継だ。そして、「金曜玉手箱」というコーナー。今週は海産物問屋が直接経営する激安店などを紹介していた。

その中に、「はねもの」と呼ばれる規格外商品の店があった。中身は変わらないのに、見た目で処分されるはずものが、ちゃんと生かされる。これって、立派なエコでしょ。

ニュースでは、小泉元首相の発言をめぐるドタバタ劇をめぐってコメントした。

終って、夜は札幌の友人にして番組制作者F氏との企画談義。一番楽しい時間だ。


そうそう、「トークDE北海道」の水野悠希アナウンサーが、映画紹介のサイト「みずのゆきのちょこっとcinema」を始めました。

http://www.uhb.co.jp/an/mizuno_cinema/index.php

ぜひ、お立ち寄りを!


今日は、16時15分から、FMノースウエーブで「なんてったって大人塾 リターンズ」の生放送。

さて、今夜の飛行機は飛ぶんだろうか。

「ありふれた奇跡」ふたたび

2009年02月20日 | テレビ・ラジオ・メディア
この冬の連ドラで、ほぼ欠かさず見ているのは、結局「ありふれた奇跡」である。

うーんと面白いかと聞かれると困るが(いや、面白いのだが)、どうにも“気になる”のだ。

それは、やはり他のドラマと雰囲気が違うからで、しかも、回を追うごとに、どんどん違ってきているからだろう。

昨夜も、仲間由紀恵が子どもを産めない体だ、というので、彼女を好きな加瀬亮が「子どもは、いらない」と言い出し、仲間の両親(岸部一徳・戸田恵子)と祖母(八千草薫)たちが怒ったり、困惑したり・・・。

もしかしたら、普通のドラマだと、すーっと通過してしまうような、各人物のココロの内側を、じわじわと描いていく。

登場人物たちの心情を伝えるのにケータイメールの文章を使う手法も、さすが山田太一さんだ。倉本聰さんの“手紙”に相当する。

何より、各場面に、まるで舞台のような緊張感がある。それぞれのセリフが舞台劇のように聞こえるのだ。

今どきのドラマ風の、あまりにも小刻みなカメラ割り(というか、多すぎる切り返し)や、過剰な音楽が無いせいかもしれない。全体に抑制された演出、映像が好ましい。

ストーリー的にも、どこまで行くのか、どこまで見せるのか。とても気になる。まだまだ先が読めない。読めないことが、ちょっと嬉しい。

ドラマの合間に、auのCMで、ちょくちょく仲間由紀恵が出てくるのは困るけどね。

岸辺のアルバム (光文社文庫)
山田 太一
光文社

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今日、明日と、北海道のテレビ・ラジオに出させていただきます。

詳しい出演情報は、下記にあります。

http://www.teu.ac.jp/information/2009/013600.html

インサイトに試乗してみた

2009年02月19日 | クルマ

ホンダの新型ハイブリッド車、インサイトに試乗してみた。

横からの見た目は、確かにプリウスに似ている。しかし、正面はまさしくホンダ車の顔だ。全体は、写真で見たときの印象よりコンパクトな感じ。

乗り込む。

適度な広さ、というか適度な狭さで、頭の上はそんなに余裕はない。でも、圧迫感はない。たぶん、そういう最小限必要な容積の設計をしてるんだろう。

エンジンスタートは普通にイグニッションキーで。

動き出す。

インサイトは、「エコの状態」を、デジタルのスピードメーターの数字のまわりに、<色>で表示する仕掛けだ。

一番エコな走りはグリーン。その次に緑青。そして、あまりエコじゃなくなると(つまりアクセル踏みすぎだと)ブルーになる。

だから、走り出しも、その<色>が気になって、そっと、やさしくアクセルを踏んでいる。 こりゃ、“エコ走り”になるよね。

ハンドルは、これまた軽すぎず、重すぎず。アクセルは、トヨタ車ほど軽くない。でも、欧州車と比べると軽い。

CVTは、とても“いい子”で走る。入ってくる音も、うるさくない。いや、静かなほうだ。

これまでのところ、不満はない。よく出来てます。

で、坂道。

これは、結構強く踏み込まないといけない。

ただ、ぐっと踏めば、当然、<色>がさっとブルーに変わる。つい「ごめんね」とか、謝りたくなる(誰に?)。

このエコのカラー変化が、反省からくるストレスではなく、<お楽しみ>になればいいんだな、と思う。

ディーラーのご近所を一周して、ご帰還。

駐車スペースで、ギアをバックに入れる。すると、自動的に、クルマ後部のカメラが作動し、後方の映像が見えた。ほほ~、こりゃ便利。

カーナビはオプションだけど、この後方カメラとETCがセットで付いてくるそうだ。お得かも。

係りの方の説明によれば、“売りもの”の燃費については、実質燃費でいうと、リッター14キロから19キロ。むろん、高速だと25キロくらい軽くいくそうだ。

ふーん、14キロから19キロかあ。

何しろ、うたい文句が「10・15モードで30キロ」だ。期待が大きい分、何となく不服感が残る。でも、まあ、そういうもんなんでしょう。

しかし、実質が最低の14キロだとすれば、現在使っているクルマから乗り換えて、つまり、<ベースモデルのGタイプ189万円+カーナビ+諸経費=約240万円>を支払って、何年乗ればモトが取れるのか。

いや、元を取るとか取らないではなく、時代の潮流、クルマ社会の最先端としてのハイブリッドを味わう、エコな生き方を選ぶ、ということなのかも。

こりゃ、考えどころです。

報道のエンタメ化がキャスターを滅ぼす!?

2009年02月18日 | メディアでのコメント・論評

月刊誌『サイゾー』3月号が発売された。

先日取材を受けた特集のタイトルは<”美人すぎる”キャスターたちがテレビに出まくる本当の理由>。

その中で、「大学教授が語るキャスター論」という解説が掲載されている。


大学教授が語るキャスター論①――東京工科大学・碓井広義教授

  報道のエンタメ化がキャスターを滅ぼす

女子アナとキャスターの大きな違いは、自分の言葉でハッキリと考えや意見を主張できるかということ。女子アナは原稿を正確に読むことを求められますが、キャスターは経験や知識によって、その出来事を語っていく必要がある。

そういった意味で、女性キャスターとして一番のお手本は、『きょうの出来事』( 日テレ) に出演されていた櫻井よしこさんですね。あの番組は単なる報道ではなく、「櫻井さんが語り、解説している」ということに意味があったと思います。

彼女ほどではありませんが、安藤優子さんや小宮悦子さんも、自分のスタンスで世界を見ている。だから、どんな番組に出演してもブレないし、私生活のトラブルがあろうと需要が絶えることはないんです。

一方で、滝川クリステルさんは、まだ見識と経験が足りないため、キャスターというイメージではないんです。

どうしてもヴィジュアル面ばかりが先行してしまい、気になるのは「今日の微笑具合は?」など、そういったことばかり(笑)。

単なる「肩書」といいましょうか、まだ本来の意味でのキャスターにはなれていないと思いますね。
 
同じような立ち位置で言うと、『NEWS ZERO』の小林麻央さんも一緒でしょう。まぁ、彼女の場合はキャスターというよりもタレントさんですけど。

その証拠に、報道番組に出演しているにもかかわらず、特定企業のCMに出演している。その企業に不祥事があった場合、きちんと報道できるのでしょうか? 

要するに、報道番組もエンタメ化しているんですよね。

真相をちゃんと掘り下げていくのが報道番組のあるべき姿なんですけど、今はどうすれば視聴者に受けるか、視聴率を稼げるかに重きを置くようになってしまった。本来のニュースの価値とは別の判断基準で、優先順位付けされるようになったんです。

TBSの小林麻耶さんが4月からのTBSの新報道番組のキャスターに抜てきされたのも、エンタメ路線の一環でしょう。

今後、テレビの縮小傾向はさらに進んでいきます。その中で、テレビの存在価値を見いだすとしたら、ジャーナリズムしかないと思うんですよ。

そうした時に、ニコニコ笑っているだけのお嬢様キャスターが生き残っていけるか。女子アナがアイドルとしてチヤホヤもてはやされる時代は、そう長くはないかもしれません。(談)


サイゾー 2009年 03月号 [雑誌]

サイゾー

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今日は「安吾忌」

2009年02月17日 | 本・新聞・雑誌・活字

思い出した。

2月17日。今日は「安吾忌」だった。

坂口安吾が、1955(昭和30)年の今日、49歳で亡くなったのだ。

昨日は大学院修士2年の「修士論文発表会」。今日は修士1年の「中間発表会」。

室内にこもって、発表を聞き、質疑応答、というのを繰り返していると、時間の感覚がなくなってくる。

休憩で外に出ると、寒い。そしてキャンパス上空は真っ青だ(デジカメでパチリ!)。


安吾の故郷は新潟。

日本海の荒波のイメージが浮かぶが、今日のような「抜けるような」という常套句を使いたくなる冬の青空もまたよく似合う。

合掌。

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)
坂口 安吾
岩波書店

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キアヌ・リーブスはどこへ行きたいのか

2009年02月17日 | 映画・ビデオ・映像
キアヌ・リーブス主演『フェイクシティ~ある男のルール』を観た。

「L.A.コンフィデンシャル」のジェームズ・エルロイ原作と聞けば、やはり気持ちが動く。

舞台は、もちろんロサンゼルスだ。キアヌは刑事。それも、本物のワルを、違法すれすれのやり方で潰していくような刑事である。

妻を亡くしている。彼女の不倫の果ての死。自分は酒におぼれている。勤務中も飲む(って、中川財務相か)。いつも、どこか鬱屈している。

以前パートナーだった警官が何者かに殺された。そこに居合わせたために、困った立場のキアヌ。

さあ、ここから真相を探るための孤独な闘いが始まる・・・。


キアヌ刑事、頑張ってます。

暗黒世界のエルロイっぽさも、悪くないです。

ただ、どちらも“それなりに”という感じだ。

それと、この映画の核心部分である“最大のワル”が、単純過ぎるというか、予想を超えないというか、観客が簡単に読めちゃうというか、うーん、惜しい。

キアヌは、ついこの前、『地球が静止する日』を観たばかりだが、急に主演作の連続公開である。

嫌いな役者さんじゃないから、映画館にも足を運ぶ。

だが、主演作としてのこの2本、いずれも後一歩だ。「なんだかなあ」とスッキリしない。

キアヌ、どこへ行きたいのだろう。

LAコンフィデンシャル〈上〉 (文春文庫)
ジェイムズ エルロイ
文藝春秋

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高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵

2009年02月16日 | 本・新聞・雑誌・活字
「エルサレム賞」というものの存在を、今回の村上春樹さんの受賞で知った。

イスラエル最高の文学賞。対象となるのは「社会における個人の自由に貢献した文学者」である。

村上さんの受賞は「欧米言語以外の作家では初めて」であり、世界的な注目度も高い。

日本でも、反イスラエルの市民団体が、 村上さんは受賞を返上すべき、という声明を出したりした。


15日の受賞式で、村上さんが行った記念講演。共同電によれば、その要旨は次の通りだ。

一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。

一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。


ガザ攻撃に対する批判は、単にイスラエルに向けただけのものではないだろう。

世界に対しても、自己に対しても、厳しい言葉、内容だと思う。

NHKの特集ドラマ『お買い物』に座布団1枚!

2009年02月15日 | テレビ・ラジオ・メディア
いいドラマを見た。

昨夜、21時からNHKで放送された『お買い物』である。

1時間13分の単発ドラマ。脚本の前田司郎さんは、確か岸田戯曲賞を受けた30代の劇作家だ。小説も芥川賞候補になったりしている。演出の中島由貴さんのお名前は、今回初めて知った。

ストーリーを書けば、こうなる。

福島の農村に暮らす老夫婦が、東京・渋谷に買い物に行く。夫(久米明)がクラシックカメラの展示即売会を見たくて、妻(渡辺美佐子)がそれに付き合った、という感じだ。

夫は、ずっと欲しいと思っていたカメラを見つけ、手に入れて大喜び。しかし、宿代がなくなってしまった。結局、孫娘(市川実日子)の部屋に泊めてもらう。翌日、二人は帰郷した。

それから何年かが過ぎて、夫は亡くなり、妻は、あのときのカメラで撮った写真と共に暮らしている。おしまい。

大きな事件も、びっくりするような出来事も起こらない。

そこにあるのは、老夫婦のユーモラスで滋味のある会話と、思わず微笑みたくなるような二人の“あり方”だ。きっといろんなことがあっただろう。でも、二人でやってきた。今も二人で生きている。

夫婦って、なかなかいいもんじゃないか。そんなことさえ思わせる。

実は、若い頃に一度、二人で東京に来たことがある。そのときの思い出を、それぞれが大切にしているのだ。でも、そのことだって、大仰でなく、ふわっとした描写で見せてくれる。

そうそう、もう一つ。市川実日子さんはこんなに“いい女優”だったのか、と感心した。渡辺美佐子さんとのカラミも自然で、実にいい場面となっていた。

全体に、上質な短編小説のような味わいだ。

「日曜劇場」ではなく、まだ「東芝日曜劇場」だった頃、単発ドラマの秀作がいくつも放映された。そんなテイストを思い出した。

現代版『東京物語』(もちろん小津監督の)といったら、ホメ過ぎだろうか。

今も昔も、こういうドラマはNHKでしか出来ない。

民放で、久米明と渡辺美佐子と市川実日子の3人だけのドラマを、ゴールデンタイムで放送するなど、あり得ないからだ。NHKならでは。

最近のNHKで気になるのは、いろんなジャンルの番組が、民放っぽくなっていること。NHKは、ヘンに民放寄りになるべきではない。むしろ、堂々と「NHKならでは」で行って欲しい。それがNHKの“生きる道”でもあると思う。

いやあ、いいドラマを見せてもらった。