宮沢りえ
「三井のリハウス」CMに再登場、
誰もが思い出した
34年前の衝撃を振り返る
宮沢りえ(48)が、34年ぶりに「三井のリハウス」のCMで白鳥麗子として出演している。母となった麗子ママが娘(近藤華[13])に、「ママもあなたくらいの時に初めてリハウスしたの」と語ると、まだ14歳のぽっちゃりしていた頃の彼女も登場。
これを見て、本当に可愛かったんだよなあ、と感慨に浸る方も少なくないだろう。当時の衝撃をご存知ない方のために、改めて10代の頃の宮沢りえを振り返る。
さっそくSNSでも、CMについて語られている。
《ドラマゆるキャン見てたら合間に流れた「三井のリハウス」のCMに軽い衝撃を受けた。あの時のりえちゃん可愛かったなぁ。》
《やっぱりあの頃の宮沢りえって半端ないな》
《最初のCMでは「誰だ、この美少女は!?」ってみんな思ったもんです。今や大女優の風格も。この映画刺激的でした。》
美少女という概念を作った
実は、宮沢りえの芸能活動は、このCMが初めてではない。小学校5年のときに明星食品「チャルメラ」のCMに出演。以後、ケンタッキーフライドチキンやコカ・コーラ、キットカットなど、特に台詞もないCMモデルとして活動していた。
そして87年、「三井のリハウス」に初代リハウスガールとして出演。引っ越しで転校してきた中学生が、教室で自己紹介する白鳥麗子を演じて、一気に人気が爆発したのだ。
確かに当時は衝撃的だった、と語るのはメディア文化評論家の碓井広義氏だ。
「ある年代以上の男性は皆、リハウスのCMを覚えているんじゃないでしょうか。今回のCMでは娘役の子も注目されているようですが、宮沢りえの当時の映像が出てくると、どうしてもそっちに思いがいってしまいます。彼女の登場は、白鳥麗子という役名通り、白鳥が舞い降りたようなインパクトがありました。ゴクミ(後藤久美子[47])とともに、美少女という概念を作った特別な存在だったと思います。以来、何十、何百人と“美少女”と呼ばれた子がいましたが、あのインパクトを超える子はいません」
実は碓井氏、宮沢りえを生で見たこともあるという。91年に放送され、彼女が蝶の“リエノアゲハ”や恐竜の“リエノザウルス”に扮した富士通のパソコン・FM TOWNSのCM撮影現場だった。
「当時テレビプロデューサーだった僕は、リハウスのCMから数年後、りえちゃんと会ってるんですよ。彼女は博物学者の荒俣宏さんと共演したのですが、僕は荒俣さん側のプロデューサーとして現場に入りました。CMに出演するのは2人だけなので、スタジオに入る人数は限られている。そこにりえちゃんが入ってきたんですけど、ポアッと光ったような、オーラを感じました。僕だってそれまで女優さんや俳優さんと仕事もしてきましたが、そこまでのオーラを感じたことはなかった。それを10代の女の子から感じたことにビックリしたのを、今でも覚えています。とてつもなく美しかったなぁ……」
政界まで夢中
当時、彼女はどの様に報じられていたのだろうか。彼女についての報道はごまんとあるが、象徴的なのが写真週刊誌「FOCUS」(90年6月22日号)だ。タイトルは「官邸騒然、りえチャン来る!!」である。
6月11日に首相官邸で開催された「内閣総理大臣招待・芸術文化関係者との懇談のつどい」に、彼女が招待されたのである。時の首相は海部俊樹氏だった。
《ことしの目玉は、何といっても写真中央、海部首相と握手している宮沢りえチャン(17)だった。宴も終わりに近づくころ遅れてやって来たというのに、りえチャン狙いの報道各社のカメラマンから「こっちこっち、早く総理の隣に寄って」と促されて、首相とガッチリ握手。長老・森光子も顔色なしの面持ちなのだ。カメラマンの中には、官邸や自民党の“公式記録”カメラマンもいたが、彼らだってお目当ては、やっぱりこのりえチャンだった。
「主催は官邸ですが、誰を呼ぶかの人選は、官房副長官室の事務方と相談しながら、実質的には党の広報委員会のスタッフが進めます。今年は1700人に招待状を送ったところ、約1400人から『出席』の返事がきた。その中に宮沢りえがいたものだから、若い職員は“やったァ”と大騒ぎ……」(自民党本部職員)》(「FOCUS」より)
永田町まで、宮沢りえに夢中だったのである。芸能記者は言う。
「リハウスガールを演じた翌88年、彼女はいきなり映画『ぼくらの七日間戦争』(菅原比呂志監督)の主役に抜擢され、女優デビューしました。来月、NHKのBSプレミアムで、早速この映画を放送するというので、何やらあざとさを感じますが、一方でカレンダーの“ふんどしルック”や、91年に発売された写真集『Santa Fe』でのヘアヌードも大ヒットとなり、他の追随を許さぬ存在となりました。これらは“りえママ”こと母の宮沢光子さんのプロデュースだったと言われています」
ところが、人気絶頂の彼女に転機が訪れる。
「92年に、当時、関脇だった貴花田(後の横綱・貴乃花)との婚約を発表するも解消したあたりから、彼女の勢いに変化が訪れます。90年代後半は芸能人との浮名が報じられるようになり、自殺未遂、激やせが報じられたこともありました。しかし、02年公開の『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞したあたりから、演技派女優として名を上げるようになりました。一方で結婚して一児をもうけるも離婚、りえママも亡くなりましたが、現在は元V6の森田剛と再婚し幸せな生活を送っています。今回の34年ぶりのCMは、波瀾万丈な彼女の人生の原点回帰とも言えるでしょう」
それにしても可愛かったなぁ……。【デイリー新潮取材班】
(デイリー新潮 2021年6月24日 )