碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

週刊ポストで、「朝日新聞デジタル版」について解説

2021年06月30日 | メディアでのコメント・論評

 

 

 

朝日新聞デジタル版 

月に記事300本から50本に激減で

「隠れ6倍値上げ」

 

27年ぶりの月ぎめ購読料値上げを発表した朝日新聞。7月1日から朝刊と夕刊のセットは現在の月額4037円から4400円となる。同じタイミングでデジタル版の“隠れ値上げ”が行なわれていたことはあまり知られていない。

朝日新聞の記事をウェブ上で読める「朝日新聞デジタル」にはこれまで、月額980円で月に300本の有料記事を読める「シンプルコース」と、紙面と同じレイアウトで有料記事を無制限に読める月額3800円の「プレミアムコース」があった。

その「シンプルコース」のサービス内容が9月8日から変わる。値段は月額980円と変わらないが、閲覧できる記事が300本から50本と、6分の1に減る。それに合わせて、スマホのアプリ版では気に入った連載記事の続きをすぐに読める機能などが増えるという説明だ。加えて記事本数が無制限の「スタンダードコース」(月額1980円)が新設されるという。

怒りを露わにするのが神奈川在住の70代男性だ。

「読み終わった新聞を捨てに行くのが億劫になったので、最近デジタル版で一番安い980円のプランに加入して、パソコンで読んでいた。でも9月から50本しか読めないなんて、実質6倍の値上げじゃないですか。スマホアプリを充実させると言っても、スマホを持っていないから意味がないし、コースを変えたら1000円も余計にかかる」

メディア文化評論家の碓井広義氏はこう話す。

「どの新聞社も紙の購読者が減少し、デジタル版の購読者を拡大しようとしているなかで、アプリの機能を充実させたのは、新聞を紙で読んでこなかった若者へのアプローチだと思います。しかし、今まで安いと思ってプランに入っていた読者にとっては事実上の値上げになってしまった。若者にとっても、月額500円ほどにしなければ財布を開かないのでは」

朝日新聞社に聞くと、「デジタル版のサービス内容変更につきましてはHPでお知らせした通りです」(広報部)と回答。

今年の3月期連結決算では売上高が前年比16.9%減で、純損益は441億円の大赤字となった朝日新聞。この改革は起死回生の一手となるか、はたまた傷口を広げるか。

(週刊ポスト 2021年7月9日号)


言葉の備忘録235 我は我・・・

2021年06月29日 | 言葉の備忘録

 

 

 

 

 

 

「我は我、人は人なり、猫は猫」

 というのが

 僕の人生訓というか、

 基本的な生き方です。

 

 

 村上春樹 

(TOKYO FM「村上RADIO」2021.06.27放送より)

 

 

 


沖縄タイムスに、『氏名の誕生』の書評を寄稿

2021年06月28日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「沖縄タイムス」に、書評を寄稿しました。

 

「夫婦別姓」へ新たな視点

尾脇秀和著『氏名の誕生』

ちくま新書 1034円

 

最近、ニュースなどで「夫婦別姓」という言葉を見聞きすることが多い。現在の法律では、結婚すれば夫婦どちらかの苗字(みょうじ)(姓)に統一することになっている。しかし実際に改姓するのは96%が女性だ。事実上、女性は選択権を奪われている。

一方、「夫婦別姓」は結婚後もそれぞれの苗字を使うことを指す。国会でもようやく議論が活発化してきた「選択的夫婦別姓制度」が導入されれば、女性が抱える違和感や抵抗感も緩和される可能性がある。

思えば、当たり前のように使っている「氏名」はいつ、どのようにして生まれたのか。その問いに答えてくれるのが本書だ。日本近世史が専門の著者によれば、江戸時代の庶民は、現代人のように「苗字(姓)+通称(名)」を絶対不可欠の人名の形と見てはいなかった。名前は「通称」だけで十分であり、「苗字」は戒名の院号のような修飾的要素だったという。

しかも庶民にとっての「苗字」は、自分から他者に示すものでもなかった。公的に登録されてはいないが、地域や所属する集団では周知されており、名乗るのではなく、呼ばれるものだった。つまり江戸時代の「苗字」は、現代の「氏名」の「氏」のあり方とは、全く異なる「常識」のもとで存在していたわけだ。

それを変えたのが明治維新であり、明治政府である。近代的な中央集権国家を形成するために、日本中の人々を「国家」の構成員である「国民」にする必要があった。「氏名」は国民を一元的に管理・把握する最高の道具だ。特に1873(明治6)年に施行された「徴兵令」を厳格に実行するには必須だったのだ。

 約150年前に国家によって創出された「氏名」の形。「夫婦同姓」は管理する側にとって便利かもしれないが、個人の歴史やアイデンティティーにつながる苗字を使い続ける自由があってもいい。本書は今後の「夫婦別姓」議論に貴重な視点を提供してくれるはずだ。【碓井広義・メディア文化評論家】

(沖縄タイムス 2021.06.26)

 

 

 

 


読売新聞で『少しぐらいの嘘は大目にー向田邦子の言葉』が紹介されました

2021年06月27日 | 本・新聞・雑誌・活字

読売新聞 2021/06/20

 

読売新聞の書評欄で、

『少しぐらいの嘘は大目にー向田邦子の言葉』が

紹介されました。

評者は、

書評家の石井千湖さん。

ありがとうございます。

 

 

『少しぐらいの嘘は大目にー向田邦子の言葉』

向田邦子著、碓井広義編

 

「寺内貫太郎一家」など昭和の傑作ドラマの脚本家で、直木賞作家でもあった向田邦子の全作品から厳選した名言・名セリフ集。夫婦関係の亀裂をサンダルの汚れで表現し、思い出はネズミ花火にたとえる。透徹した観察眼で書かれた言葉は、いつ読んでも色褪(あ)せない。

(新潮文庫、605円)

 

 

 

 


デイリー新潮で、「宮沢りえ」について解説

2021年06月26日 | メディアでのコメント・論評

 

 

宮沢りえ

「三井のリハウス」CMに再登場、

誰もが思い出した

34年前の衝撃を振り返る

 

宮沢りえ(48)が、34年ぶりに「三井のリハウス」のCMで白鳥麗子として出演している。母となった麗子ママが娘(近藤華[13])に、「ママもあなたくらいの時に初めてリハウスしたの」と語ると、まだ14歳のぽっちゃりしていた頃の彼女も登場。

これを見て、本当に可愛かったんだよなあ、と感慨に浸る方も少なくないだろう。当時の衝撃をご存知ない方のために、改めて10代の頃の宮沢りえを振り返る。

さっそくSNSでも、CMについて語られている。

《ドラマゆるキャン見てたら合間に流れた「三井のリハウス」のCMに軽い衝撃を受けた。あの時のりえちゃん可愛かったなぁ。》

《やっぱりあの頃の宮沢りえって半端ないな》

《最初のCMでは「誰だ、この美少女は!?」ってみんな思ったもんです。今や大女優の風格も。この映画刺激的でした。》

美少女という概念を作った

実は、宮沢りえの芸能活動は、このCMが初めてではない。小学校5年のときに明星食品「チャルメラ」のCMに出演。以後、ケンタッキーフライドチキンやコカ・コーラ、キットカットなど、特に台詞もないCMモデルとして活動していた。

そして87年、「三井のリハウス」に初代リハウスガールとして出演。引っ越しで転校してきた中学生が、教室で自己紹介する白鳥麗子を演じて、一気に人気が爆発したのだ。

確かに当時は衝撃的だった、と語るのはメディア文化評論家の碓井広義氏だ。

「ある年代以上の男性は皆、リハウスのCMを覚えているんじゃないでしょうか。今回のCMでは娘役の子も注目されているようですが、宮沢りえの当時の映像が出てくると、どうしてもそっちに思いがいってしまいます。彼女の登場は、白鳥麗子という役名通り、白鳥が舞い降りたようなインパクトがありました。ゴクミ(後藤久美子[47])とともに、美少女という概念を作った特別な存在だったと思います。以来、何十、何百人と“美少女”と呼ばれた子がいましたが、あのインパクトを超える子はいません」

実は碓井氏、宮沢りえを生で見たこともあるという。91年に放送され、彼女が蝶の“リエノアゲハ”や恐竜の“リエノザウルス”に扮した富士通のパソコン・FM TOWNSのCM撮影現場だった。

「当時テレビプロデューサーだった僕は、リハウスのCMから数年後、りえちゃんと会ってるんですよ。彼女は博物学者の荒俣宏さんと共演したのですが、僕は荒俣さん側のプロデューサーとして現場に入りました。CMに出演するのは2人だけなので、スタジオに入る人数は限られている。そこにりえちゃんが入ってきたんですけど、ポアッと光ったような、オーラを感じました。僕だってそれまで女優さんや俳優さんと仕事もしてきましたが、そこまでのオーラを感じたことはなかった。それを10代の女の子から感じたことにビックリしたのを、今でも覚えています。とてつもなく美しかったなぁ……」

政界まで夢中

当時、彼女はどの様に報じられていたのだろうか。彼女についての報道はごまんとあるが、象徴的なのが写真週刊誌「FOCUS」(90年6月22日号)だ。タイトルは「官邸騒然、りえチャン来る!!」である。

6月11日に首相官邸で開催された「内閣総理大臣招待・芸術文化関係者との懇談のつどい」に、彼女が招待されたのである。時の首相は海部俊樹氏だった。

《ことしの目玉は、何といっても写真中央、海部首相と握手している宮沢りえチャン(17)だった。宴も終わりに近づくころ遅れてやって来たというのに、りえチャン狙いの報道各社のカメラマンから「こっちこっち、早く総理の隣に寄って」と促されて、首相とガッチリ握手。長老・森光子も顔色なしの面持ちなのだ。カメラマンの中には、官邸や自民党の“公式記録”カメラマンもいたが、彼らだってお目当ては、やっぱりこのりえチャンだった。

「主催は官邸ですが、誰を呼ぶかの人選は、官房副長官室の事務方と相談しながら、実質的には党の広報委員会のスタッフが進めます。今年は1700人に招待状を送ったところ、約1400人から『出席』の返事がきた。その中に宮沢りえがいたものだから、若い職員は“やったァ”と大騒ぎ……」(自民党本部職員)》(「FOCUS」より)

永田町まで、宮沢りえに夢中だったのである。芸能記者は言う。

「リハウスガールを演じた翌88年、彼女はいきなり映画『ぼくらの七日間戦争』(菅原比呂志監督)の主役に抜擢され、女優デビューしました。来月、NHKのBSプレミアムで、早速この映画を放送するというので、何やらあざとさを感じますが、一方でカレンダーの“ふんどしルック”や、91年に発売された写真集『Santa Fe』でのヘアヌードも大ヒットとなり、他の追随を許さぬ存在となりました。これらは“りえママ”こと母の宮沢光子さんのプロデュースだったと言われています」

ところが、人気絶頂の彼女に転機が訪れる。

「92年に、当時、関脇だった貴花田(後の横綱・貴乃花)との婚約を発表するも解消したあたりから、彼女の勢いに変化が訪れます。90年代後半は芸能人との浮名が報じられるようになり、自殺未遂、激やせが報じられたこともありました。しかし、02年公開の『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞したあたりから、演技派女優として名を上げるようになりました。一方で結婚して一児をもうけるも離婚、りえママも亡くなりましたが、現在は元V6の森田剛と再婚し幸せな生活を送っています。今回の34年ぶりのCMは、波瀾万丈な彼女の人生の原点回帰とも言えるでしょう」

それにしても可愛かったなぁ……。【デイリー新潮取材班】

(デイリー新潮 2021年6月24日 )


【書評した本】 小林信彦『決定版 日本の喜劇人』

2021年06月25日 | 書評した本たち

 

進化と熟成が止まらない 

著者80年の「喜劇人の記憶」

 

小林信彦『決定版 日本の喜劇人』

新潮社 3960円

 

途轍もない本が出た。何しろ、ここまでに半世紀の時間がかかっているのだ。雑誌「新劇」で、本書のベースとなる連載が始まったのは1971年。翌年に『日本の喜劇人』(晶文社)として出版された。古川緑波にはじまり、榎本健一、森繁久彌、藤山寛美など、著者が「自分の眼で見た」喜劇人たちが並んでいる。  

彼らの笑いの何が新しく、どんな意味や価値を生み出し、それが現在とどう繋がっているのかが明確に記されていた。しかも喜劇人への愛情や敬意と共に、著者の冷静かつ透徹した眼差しがそこにある。貴重な証言であり、評論であり、同時代批評であり、すこぶる〈おかしい〉読み物でもあった。

驚くのはその後だ。77年に『定本 日本の喜劇人』(同)が出る。前作にはなかった「日本の喜劇人・再説」と「ヴォードヴィル的喜劇人の終焉」の2章が加えられた。また5年後の82年には、「高度成長の影」という終章を持つ『日本の喜劇人』が新潮文庫として登場する。  

しかし、この本の進化と熟成は止まらない。2008年、箱入りの全2冊で定価9500円という大著『定本 日本の喜劇人』(新潮社)が出現したのだ。ここでは「日本の喜劇人2」というブロックを設け、植木等、藤山寛美、伊東四朗の3人に言及している。また、すでに単行本化されていた渥美清や横山やすしについての文章も読める豪華版だった。  

13年を経た今回、「決定版」の名を冠したのが本書である。これまでの終章は、最終章「高度成長のあと」として書き換えられた。タモリ、ビートたけし、志村けん、さらに大泉洋にまで目を向けており、過去と現在を広く見通すことが出来る。  

ものの良し悪し、本物とは何なのか。著者の過去80年におよぶ「喜劇人の記憶」が共有され、次代へと継承されていく。〈笑い〉を創る人、伝える人、そして楽しむ人。それぞれにとってバイブルとなる一冊だ。

(週刊新潮 2021年6月17日号)

 

 

 

 


「シェフは名探偵」は、新ジャンルかもしれない

2021年06月24日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

「シェフは名探偵」テレビ東京系

「ヒューマン・グルメミステリー」は

新ジャンルかもしれない

 

西島秀俊主演「シェフは名探偵」(テレビ東京系)が始まった。料理する西島といえば、「きのう何食べた?」(同、2019年春)のシロさんを思い出す。だが、今回はフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」を仕切るプロの料理人だ。

タイトルだけ見ると、シェフは世を忍ぶ仮の姿で、実は犯人を追いつめる敏腕探偵といったイメージが浮かぶ。

しかし、このドラマでは殺人事件が起きたりはしない。主人公の三舟忍(西島)は料理の腕はもちろんだが、記憶力と洞察力が抜群。その能力を駆使して、客が抱える悩みや問題を解決していくのだ。

たとえば好き嫌いの激しい客、粕谷。秘書の百合子は、妻の手料理が大雑把なのは愛のない証拠だと言い、粕谷を奪おうとする。三舟は妻の調理法は夫の健康を守るためだと見抜き、百合子の暴走を防ぐ。この時の三舟のセリフがいい。「一つの料理をシェアするのはレストランだけで」。

物語の舞台は、ほぼ店内のみ。いわゆる「ワンシチュエーション・ドラマ」だ。2組の客のエピソードを並行して走らせる構成。三舟、スーシェフの志村(神尾佑)、ソムリエのゆき(石井杏奈)、ギャルソンで語り手の高築(濱田岳)たちのやりとりが生き生きしていて飽きさせない。

美味そうな料理と心和む謎解き。「ヒューマン・グルメミステリー」は新ジャンルかもしれない。

(日刊ゲンダイ「TV見るべきものは!!」2021.06.23)


「大豆田とわ子」のいない火曜日に考える、あのドラマは何だったのか?

2021年06月23日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム
 
 
 
 
「大豆田とわ子」のいない火曜日に考える、
あのドラマは何だったのか?
 
 
「大豆田とわ子」のいない火曜日
 
今日(6月22日)は火曜日。でも、「大豆田とわ子」には会えません。
 
松たか子主演『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)は、先週、最終回を迎えました。
 
「大豆田とわ子」のいない火曜日に、『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマは一体何だったのだろう、と考えてみます。
 
正直言って、「ああ、終わっちゃったのか」という喪失感があるほど、このドラマは気になる作品でした。
 
なぜ、気になったのか? 
 
その理由はシンプルで、「見たことがないもの」だったからです。
 
まずドラマらしい波乱万丈、もしくは起伏に富んだ、「大きな物語」がありません。
 
脚本の坂元裕二さんが丁寧に描いたのは、とわ子(松)と別れた夫たち(松田龍平、角田晃広、岡田将生)の「関係性」です。
 
そして重視していたのは、登場人物たちの「対話」でした。
 
「対話編」というドラマ作法
 
このドラマは、全編が対話ベースだったと言っていい。
 
しかも彼らの言葉には隠れたニュアンスが仕込まれており、まるで警句や格言を集めた一冊の本のようでした。
 
とわ子の「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてない」という持論。
 
また、とわ子の親友・かごめ(市川実日子)が看破した、「(誰かを)面倒くさいって気持ちは好きと嫌いの間にあって、どっちかっていうと好きに近い」の真実。
 
このドラマで登場人物たちが発するのは、こうした単純そうな言葉です。しかし微妙かつ細やかに震動して、見る側の心にしみこんでくるように出来ていました。
 
平明にも見えるのですが、実はねちねちとしつこく、強靭な骨格を持った言葉です。
 
坂元さんは、対話の形でそれぞれの「思想」を生み出し、同時に人物の動きをそれに伴わせ、ドラマとして必要なだけの筋の面白さを組み立てていきました。
 
いわば、プラトンの著作のような堂々の「対話編」です。
 
「人生の肯定」というテーマ
 
そして、このドラマの基調には、「人生の肯定」というテーマがありました。
 
とわ子をはじめとする主要人物たちが、実際に人生を肯定できているかどうかはともかく、「人生を肯定したい」と思って生きていることは確かです。
 
しかも自分の人生だけでなく、他者の人生をも肯定しようとする姿勢でした。
 
とわ子たち4人は、自分の流儀を守ろうとするという意味で、明らかに、十分過ぎるくらい「面倒くさい」人たちです。
 
明るい暗いで言えば暗いかもしれません。
 
けれど、その暗さを土壌として、それに育てられつつ突き抜けて、人生の肯定に達しようとしていました。
 
自ら選んで1人で生きること。
 
夫婦や恋人の関係を超えて2人で生きること。
 
さらに、大切な亡き人とも、一緒に生きていくこと。
 
それらを丸ごと肯定してみせるドラマなど、やはりこれまでにはなかったのです。
 

【気まぐれ写真館】 「夏至」の空

2021年06月22日 | 気まぐれ写真館

2021.06.21


小林亜星さんが命を吹き込んだ、昭和の頑固おやじ「寺内貫太郎」の言葉

2021年06月21日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

 

小林亜星さんが命を吹き込んだ、

昭和の頑固おやじ「寺内貫太郎」の言葉

 
先週はじめ、作曲家の小林亜星さんが5月30日に亡くなっていた、という訃報が伝えられました。
 
音楽の世界で有名だった亜星さんですが、その顔と名前を全国的に広めたのは、1974年に出演した1本のドラマでした。
 
向田邦子さんが脚本を手掛けた、『寺内貫太郎一家』(TBS)。
 
演技経験のなかった亜星さんが快演した貫太郎は、東京下町で墓石などを彫っている「石屋」です。
 
気に入らないことがあれば怒鳴り、ちゃぶ台をひっくり返して家族に鉄拳を振います。
 
でも、どこか懐かしい「昭和の頑固おやじ」そのもので、亜星さんの貫太郎は、ちょっと素敵でした。
 
妻・里子が加藤治子さん、娘・静江は梶芽衣子さん、そして息子の周平に西城秀樹さん。
 
また沢田研二のポスターを見ながら「ジュリ~!」と身をよじる貫太郎の母・きんを樹木希林さんが演じて、人気を博しました。
 
家族の日常を喜劇的に描くホームドラマでありながら、人生の深淵をのぞかせてくれた『寺内貫太郎一家』は、平均視聴率が30%を超えていました。
 
実はこの頃まで、ホームドラマと言えば「母親」でした。
 
50年代の終りから約10年も続く人気を誇ったドラマシリーズ『おかあさん』(TBS)はもちろん、70年代前半のヒット作『ありがとう』(同)も母親を中心とする物語でした。
 
その意味で、「父親」を中心に据えた『寺内貫太郎一家』は、かなり画期的だったのです。
 
貫太郎のモデルが向田邦子さんの父・敏雄さんだったことは、作者自身が明かしています。
 
石屋ではなく保険会社勤務でしたが、その性格やふるまいには彼女の父の実像が色濃く反映されていました。
 
また、向田さんのエッセイなどを読むと、貫太郎の妻には向田さんの母が、そして貫太郎の母親には向田さんの祖母の姿がどこか重なって見えてきます。
 
ここでは、小林亜星さんが具現化した昭和の頑固おやじ、寺内貫太郎の「忘れられない言葉」をいくつか、その場面と一緒に振りかえってみたいと思います。
 
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貫太郎「洗濯物の干し方にも、つつしみってもンがあるだろ! 昔はタライ別にしたってくらいだぞ!」
きん「(吹き出して)男ものと女もののパンツ一緒に洗ったからってさ、別に赤んぼが出来るわけじゃあるまいし」
貫太郎「よく恥しげもなくそういうことを……お前たちがそういう気持でいるから、子供たちが恥知らずなマネをするんだ! 以後気をつけろ」
 
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貫太郎「近頃の若い奴らみたいに、ちょいといいとなりゃすぐくっついたり出来る時代じゃないんだ。どんなに惚れてたって、男は戦争に行かなきゃなんなかった……個人が泣いたってほえたって、どうにもなんないだよ。戦争ってもンが、こう生木(なまき)を裂くみたいに男と女を……(引き裂く身ぶり)」
 
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里子「お父さん、それじゃ、お父さんは上条さん(*藤竜也さんが演じた静江の恋人)を許すつもりだったんですか」
貫太郎「誰が許すといった。あんな野郎は大きらいだけどな、それでも、強情なだけ見所があるよ」
 
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里子「お父さん、ないんですか」
貫太郎「なにが……」
里子「若い時ですよ。年上の女の人に夢中になったこと……」
貫太郎「ないよ!」
里子「本当に? 本当にないかしら」
貫太郎「うむ」
里子「あるでしょ?」
貫太郎「そういやあ、小学校の時」
里子「女の先生でしょ」
貫太郎「うむ」
里子「キレイな人でした?」
貫太郎「世の中にこんなキレイな女の人がいるのか、と思ったけどなあ。何かの時に、ションベンする音きいて……」
里子「……今は、なつかしい思い出でしょ?」
貫太郎「………」
里子「みんなそうなんですよ」
貫太郎「フン!」
 
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貫太郎「結婚式ってのは、顔見世興行じゃないんだぞ。未熟な夫婦でございますが、末長くよろしくという挨拶すんのに、なんで客から金とるんだ! 金がないんなら、自分ちでやれ!」
 
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貫太郎「犬、飼ったことあるだろ」
里子「娘時代に飼ってましたけど、それがどうかしたんですか!」
貫太郎「自分ちに犬がいても、ヨソの犬見りゃ、ちょこっとなでたりするだろ?」
里子「それが浮気だっていうんですか!」
貫太郎「何もなかったんだから……怒るこたアないだろ」
里子「……そんなもんじゃありませんよ、女の気持は」
貫太郎「………」
 
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貫太郎「私、生まれついての気短かで、よく娘にも手をあげました。それも今日でおしまいでしょう。明日からは、ここにおります婿(むこ)が……上条君、私のかわりに遠慮なくぶん殴って……どうか、娘をよろしく……」
 
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作曲家、小林亜星さん。
 
1932年8月11日 ~2021年5月30日。享年88。
 
合掌。

【気まぐれ写真館】 「父の日」にキーホルダー、感謝!

2021年06月20日 | 気まぐれ写真館

 


産経ニュース「向田邦子さん関連本」記事で・・・

2021年06月20日 | 本・新聞・雑誌・活字

 

 

コロナ禍で「ごく普通の日常」に共感 

没後40年の向田邦子さん関連本続々

 

人気ドラマの脚本を手掛け、エッセーを書き、短編小説で直木賞受賞…と目覚ましい活躍をしていたさなかに飛行機事故で51年の生涯を閉じた向田邦子さん(1929~81年)。

8月で没後40年を迎えるのを前に、関連本が相次いで出版されている。昭和はもちろん、平成を超え、令和となった今も、作品が読み継がれ、注目される向田さんの魅力とは-。

『向田邦子ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)は、末妹の和子さんが向田さんのエッセーの中から、家族、食、旅、仕事などテーマ別に50編を精選した1冊。昨年3月の刊行から1年余で16刷9万1200部と好調だ。

紀伊國屋書店によると、購買層で最も多いのは向田さんのドラマをリアルタイムで見ていた50代以上だが、次いで多いのが30~40代、また20代も約1・5割いる。

向田さんの活躍を知らない世代にも支持が広がっていることについて、筑摩書房宣伝課の尾竹伸さんは「向田さんが多方面で活躍し、エッセーを書いていたのが30~40代。

とくに女性は、仕事に没頭しながらもおしゃれを楽しみ、おいしいものや旅を愛した向田さんの暮らしや生き方のセンス、自立した姿勢に共感しているのではないでしょうか」と話す。

同書が刊行された昨年3月は新型コロナウイルスの感染が日本で拡大し始めたころ。翌4月には首都圏で緊急事態宣言が発出され、外出自粛が呼びかけられた。「コロナ禍という状況が向田作品のよさを再認識するきっかけになっているのでは」と指摘するのは、新潮社出版部の田中範央さんだ。

『向田邦子の恋文』(平成14年)や『向田邦子 暮しの愉しみ』(15年)の編集に携わった田中さんは、コロナ禍の今だからこそ、向田作品が描く「ごく普通の日常」がより魅力的に見えるのではないかという。

「向田作品の舞台は戦時中や家父長制の残る昭和。今と比べると決して暮らしやすいわけではないが、親子の情愛はずっと深かったはず。コロナ禍でこれまで当たり前と思っていた暮らしが当たり前でなくなる中、昭和の頑固(がんこ)親父や優しい母親の姿に触れることでほっとしたいと思った人が多かったのではないか」

『暮しの~』は向田さんのライフスタイルを特集したムック本で、毎年のように版を重ねており現在24刷7万1000部。

また、新潮社が今年4月に出版した名言集『少しぐらいの嘘は大目に-向田邦子の言葉』(碓井広義編)は、2カ月で4刷2万4000部とこちらも好調だ。

向田さんが亡くなったのは、短編集『思い出トランプ』の中の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞を受賞してから約1年後。当時、脚本家やエッセイストとしてすでに高い評価を得ていたものの、作家としてはまさにこれからという時期で、生前に出版されていた単行本はわずか5冊だった。

死去後、週刊誌に連載していたエッセーやドラマの脚本、対談集などが相次いで出版され、亡くなった8月には毎年のように女性誌などで特集が組まれてきた。

さらに、向田さんが愛した本やファッション、旅、食へのこだわり、美術品など、さまざまな切り口から向田さんを紹介する本が刊行され、ロングセラーとなっているものも少なくない。

多くの向田作品を扱っている文春文庫の一番人気は『父の詫び状』で、旧版と新版を合わせ累計153万4000部(単行本や全集・電子書籍除く)。同書は向田さんが初めて出したエッセー集で、すぐ怒鳴る父親を中心に、古きよき中流家庭の日常が描かれ、生活人の昭和史としての評価も高い1冊だ。

文藝春秋文春文庫部の北村恭子さんは「亡くなって40年もたつのに、向田さんの作品にはちっとも古びない魅力がある。人間の本質を描き、自分に正直で噓がないところに大きな魅力を感じている人が多いのではないでしょうか」と話す。

7月には『文藝別冊 向田邦子 増補新版』(河出書房新社)、『向田邦子シナリオ集』(ちくま文庫)の出版も予定されている。

筑摩書房の尾竹さんは「向田作品は、世の中が変わっても変わらない人間のささやかな事柄、人間の原点を、やさしい言葉で綴っている。これを機会にぜひ手に取ってもらいたい」と話している。

(産経ニュース 2021.06.19)

 

 

 

 


【気まぐれ写真館】 お台場で、ガンダムと再会

2021年06月19日 | 気まぐれ写真館

 


【気まぐれ写真館】 野生の子ダヌキたちに遭遇

2021年06月18日 | 気まぐれ写真館


「ひきこもり先生」癖ある主人公は佐藤二朗にしかできない

2021年06月17日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

NHK「ひきこもり先生」

癖ある主人公は佐藤二朗にしかできない



メタボ気味の冴えない中年男、上嶋陽平。実は11年も「ひきこもり」を続け、現在は焼き鳥屋の店主だ。そんな主人公が、ふとしたきっかけで公立中学校の不登校クラス「STEPルーム」の非常勤講師となる。先週から始まったNHK土曜ドラマ「ひきこもり先生」だが、こんな癖のある役、佐藤二朗以外の誰が演じられるだろう。

他者と接することが苦手な陽平の店には、客へのメッセージを書いた張り紙が並ぶ。「店主には話しかけないで」「注文は注文書に」「代金は席に置いて帰って」「サービスはしません」そして「すみません」。

しかし、シングルマザーの母親との軋轢で不登校になった生徒、奈々(鈴木梨央)が少しだけ心を開いたのは、相手が陽平だからこそだ。「話、聞いてくれて、ありがとう」と告げて、歩道橋から飛び降りようとする奈々。「生きよう!」と何度も呼び掛けて引き留める陽平。スクールソーシャルワーカーの磯崎(鈴木保奈美)に「関わるなら本気で!」と背中を押され、講師を引き受けた。

初回は陽平が初出勤する朝で終わり、その活動は次回からが本格的スタートだ。STEPルームの生徒は13人。家庭の事情も本人の性格も異なるが、共通しているのは、磯崎が言うところの「不登校の問題は命の問題」であるということだ。佐藤二朗にしかできない「先生」が動きだす。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2021.06.16)