【旧書回想】
「週刊新潮」に寄稿した
2021年5月後期の書評から
田澤拓也『1976に東京で』
河出書房新社 1980円
開高健賞作家の自伝的青春小説である。青森出身の「私」が、出版社に就職したのは1976年の春。週刊誌編集部での新人時代と、70年に入学してからの学生時代が交互に語られる。学内のマドンナだったKとの同棲、そして学生結婚。だが取材や原稿書きの面白さを知った頃、2人の関係が揺らいでくる。また新たな女性Fの出現も、私を大きく変えていく。昭和の東京を漂流する、若き魂の物語だ。(2021.04.30発行)
岸 惠子
『岸惠子自伝―卵を割らなければ、オムレツは食べられない』
岩波書店 2000円
女優・岸惠子の凄さは美貌と演技力だけではない。知性と思い切りの良さが加わっていることだ。共演の鶴田浩二を知らずに挑んだ初主演作。『君の名は』で大スターとなるが、自由を求めてノイローゼに陥った。またフランス人映画監督との恋を成就すべく、名作『雪国』を自身への訣別の作品にして海を渡った。信条は、「うまい女優」であるより「いい女優」であれ。波乱に富んだ88年だ。(2021.05.01発行)
田村景子:編著『文豪たちの住宅事情』
笠間書院 1980円
作家の住居は仕事場でもある。安息の地であると同時に戦場だ。どこに住むのか。どんな家で暮らすのか。それは作品にも関わってくる。志賀直哉が自己を見つめた、尾道の棟割長屋。谷崎潤一郎が『細雪』に取り組んだ、神戸の和風木造住宅。池袋の家の土蔵を書斎とした江戸川乱歩。寺山修司は青森から上京した母と渋谷NHK裏のアパートに住んだ。仮の宿から終の棲家まで、家と文学の伝説が語られる。(2021.05.10発行)
森 秀治『探偵はここにいる』
駒草出版 1650円
ホームズや明智小五郎から名探偵コナンまで。活字や映像で探偵は根強い人気を誇る。本書は実在の探偵たちを取材したノンフィクション。リアルな活動の内幕に迫っている。圧倒的に多いのは浮気調査だ。対象者を尾行し、証拠の動画を撮り、浮気相手の名前や住所などを割り出す。彼らはなぜ探偵になったのか。依頼者の人生にどこまでコミットするのか。人間という多面体の実像が浮かび上がる。(2021.05.13発行)
著者・編者:ロザムンド・キッドマン・コックス
『世界一の動物写真』
日経ナショナルジオグラフィック社 3960円
世界的権威を誇る自然写真コンテスト「ワイルドライフ・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー」。本書はその50周年を記念して出版された写真集だ。一流のプロから優れたアマチュアまでの受賞作品が収められている。氷原で寄り添う大きなクマと小さなキツネ。イソギンチャクの隙間から外をのぞくクマノミ。南極の夕暮れを背にする皇帝ペンギンたち。奇跡のような一瞬だからこその美しさだ。(2021.04.19発行)
石原慎太郎『あるヤクザの生涯 安藤昇伝』
幻冬舎 1540円
安藤昇は特攻隊の生き残りだ。いずれ必ず死ぬなら「したい放題をし尽して死ねばいい」と覚悟を決めた。戦後の渋谷を席巻した組長が自らを語る形で書かれた、ノンフィクションノベルだ。学生中心の愚連隊が異色のヤクザ組織へと成長する過程がスリリングだが、武器は「知」と「血」だった。横井英樹襲撃事件や安藤組解散の真相。映画俳優としての自分。さらに女たちとの交情も実名で明かされる。(2021.05.10発行)
紀田順一郎:監修、荒俣宏:編『平井呈一 生涯とその作品』
松籟社 2640円
戦後、欧米の怪奇文学をわが国に紹介した功労者、平井呈一。編者の荒俣は中学時代から平井の薫陶を受けてきた。そんな愛弟子が、師匠の生涯を調べ、新事実も掘り起こして書き上げたのが「平井呈一年譜」だ。精緻にして膨大な記述は、分厚い本書の半分を占める。さらに平井の未発表作品、評論、随筆、解説などが収められている。翻訳家・研究家の枠を超えた、文人としての実像が立ち現れる。(2021.05.19発行)