碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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『新宿野戦病院』は、20年を経たクドカン「地元ドラマ」の令和進化形か!?

2024年08月23日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

『新宿野戦病院』は、

20年を経た

クドカン「地元ドラマ」の令和進化形か!?

 

宮藤官九郎(クドカン)脚本『新宿野戦病院』(フジテレビ系)の舞台は、新宿・歌舞伎町にある「聖まごころ病院」です。

ヒロインは日系アメリカ人の元軍医、ヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子)。

英語と日本語(岡山弁)のバイリンガルで、外科医を探していたこの病院で働くことになりました。

当初、新宿・歌舞伎町という「地域限定」の設定から、クドカン作品の『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系、2000年)や『木更津キャッツアイ』(同、03年)のような「地元ドラマ」を連想しました。

歌舞伎町の「異分子」

しかし考えてみれば、ヨウコにとっての歌舞伎町は、生まれ育ったとか、ずっと生活してきたという意味での「地元」ではありません。

聖まごころ病院の院長・高峰啓介(柄本明)の娘とはいえ、歌舞伎町に入り込んできた者であり、いわば「異分子」です。

ところが、その異分子が周囲に影響を及ぼし、変えていく。

その構造は、同じクドカン脚本の朝ドラ『あまちゃん』(NHK、13年)を思わせます。

一般的な朝ドラのヒロインたちは、さまざまな体験を重ねることで成長し、変化していく。

だが、『あまちゃん』の天野アキ(能年玲奈)は、ちょっと違いました。

東京から、母・春子(小泉今日子)の地元である北三陸にやって来て、成長はしたかもしれませんが、基本的に当人の本質は変わらない。

むしろアキという「異分子」に振り回されることで、徐々に変化していくのは周囲の人たちのほうでした。

それは北三陸の人たちも、戻った東京で出会った人たちも同様です。

その様子が想起させたのは、文化人類学者・山口昌男が言うところの「トリックスター」でした。

いたずら者のイメージをもつトリックスターは、「一方では秩序に対する脅威として排除されるのであるが、他方では活力を失った秩序を更新するために必要なものとして要請される」(山口『文化と両義性』)からです。

アキが北三陸に現れた時、地元の人たちにとっては「天野春子の娘」という〝脇役〟にすぎませんでした。

また、アキはアイドルを目指して上京しましたが、本当に待たれていたのは「可愛いほう」のユイ(橋本愛!!)であり、「なまってるほう」のアキは、いわばオマケ(笑)でした。

ところが、いつの間にか、人々の中心にアキがいた。

「トリックスターは脇役として登場しながらも、最後には主役になりおおせる」(山口『文化記号論研究における「異化」の概念』)のです。

降臨した「トリックスター」ヨウコ

ならば、ヨウコもまた、歌舞伎町という地元に降臨した、稀代のトリックスターなのかもしれません。

日系アメリカ人っぽい英語と、岡山生まれの日本人である母親(余貴美子)から受け継いだ岡山弁が入り交じるヨウコの語り。それはクドカンらしい〝発明品〟です。

見る側を引き込む、独特の迫力と不思議な説得力があります。

「(英語で)私は見た。負傷した兵士、病気の子供。運ばれて来るときは違う人間、違う命。なのに死ぬとき、命が消えるとき、(岡山弁で)皆、一緒じゃ!」

続けて、「(英語で)心臓が止まり、息が止まり、冷たくなる。(岡山弁で)死ぬときゃ、一緒。それがつれえ。もんげえつれえ」

もんげえつれえ(すごく辛い)からこそ、「平等に、雑に助ける」。

「Yes」か「No」の判断が難しい時も、英語の“Yeah”と日本語の”いや“のちょうど中間を狙った、「イヤ~」で乗り切っていく。

そんなヨウコの存在は、チャラ系医師の高峰亨(仲野太賀)をはじめ、患者も含めた周囲の人たちを少しずつ、だが確実に変え始めています。

クドカンが30代で書いた「池袋」「木更津」、40代の「北三陸」、そして50代での「新宿・歌舞伎町」。

『新宿野戦病院』は、20年を経たクドカン「地元ドラマ」の令和進化形と言えるのではないでしょうか。

 


『虎に翼』が、物語の中で丁寧に描いていく「多様性」

2024年06月15日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『虎に翼』が、

物語の中で

丁寧に描いていく「多様性」

 

今週(第11週)の朝ドラ『虎に翼』。10日(月)に放送された、ある場面が話題になりました。

判事として、食糧管理法や物価統制令に関する案件を担当していた花岡(岩田剛典)が、闇米を食べることを良しとせず、餓死してしまいました。

ショックを受けた轟(戸塚純貴)は路上で泥酔。そんな彼を、よね(土居志央梨)が、カフェ「燈台」に連れてきます。

「仕方あるまい、それがあいつの選んだ道ならば」と、無理に自分を納得させるかのような轟。

すると、よねが、

「ホレてたんだろ? 花岡に。花岡と最後に会った時、そう思った」

轟は「なにをバカなこと言ってんだ」と言い返します。

「バカなことじゃないだろ。ホレたハレたは、カフェで死ぬほど見てきたからな」と、よね。

そして、

「別に白黒つけさせたいわけでも、白状させたいわけでもない。腹が立ったなら謝る。ただ、私の前では強がる意味がない。そう言いたかっただけだ」

轟はふと真顔になり、

「俺にもよくわからない。でも、あいつがいなかったら、俺は弁護士を目指していなかった。花岡が帝大をあきらめて明律で共に学べると知った時は嬉しかった」

続けて、

「戦争のさなか、あいつが判事になって、兵隊に取られずに済むと思うとうれしかった。あいつのいる日本へ生きて帰りたいと思えた」

そう本心を語ったのです。確かに、見ていて一瞬驚きました。

しかし同時に、第4週で以下のようなシーンがあったことを思い出しました。

寅子(伊藤沙莉)たちが学生だった頃です。

ハイキングの最中に寅子と花岡が口論となり、寅子に突き飛ばされた花岡が崖下に転落。大けがをしました。

花岡は、男女が一緒に学ぶことには無理があると言い出し、寅子を訴えて「痛い目に遭わせる」などと暴言を吐きます。

聞いていた轟は花岡を諭すように、

「花岡……俺はな、自分でも信じられないが、あの人たちが好きになってしまった……あの人たちは漢(おとこ)だ。俺が、漢の美徳と思っていた強さ優しさをあの人たちは持っている」

さらに、

「上京してからのお前、日に日に男っぷりが下がっていくばかりだ。俺は非常に悲しい!」

今思えば、轟の中で、花岡はずっと特別な存在だったのです。

人が誰を好きであろうと、他者が否定してはならない。当然のことです。

しかし、当時はまだ、それを表明することが困難な時代でした。

そして、これも当たり前のことですが、そんな時代にも、さまざまな性的指向を持つ人たちがいたのです。

ドラマの中の登場人物である轟もまた、自然な存在と言えるでしょう。

10日に2人が話をしていた「燈台」の店内の壁には、よねが筆で書いた「憲法14条」がありました。

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

ここには「性別」とありますが、それは単に男女を指すだけではないことを伝えていました。このドラマは、物語の中で「多様性」を丁寧に描いています。

 


再放送希望!「向田邦子賞」を受賞した、ドラマ『グレースの履歴』の魅力とは?

2024年05月27日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

再放送希望!

「向田邦子賞」を受賞した、

ドラマ『グレースの履歴』の魅力とは?

 

優れた脚本を手掛けた作家に贈られる、「向田邦子賞」。

主催は東京ニュース通信社などで、前年度に放送されたテレビドラマの脚本を対象に選考されています。

先日、第42回「向田邦子賞」が発表されました。受賞したのは、源孝志(みなもと たかし)さんです。

作品は、2023年3月19日~5月7日放送の『グレースの履歴』(NHK BSプレミアム、全8話)でした。

「大人のドラマ」の秀作

主人公は製薬会社の研究員、蓮見希久夫(滝藤賢一)です。

子どもの頃に両親が離婚し、唯一の肉親だった父も他界。家族はアンティーク家具のバイヤーである妻、美奈子(尾野真千子)だけでした。

仕事を辞めることを決意した美奈子は、区切りの欧州旅行に出かけます。ところが、旅先で不慮の事故に遭い、急死してしまう。

希久夫は現れた弁護士から、実は美奈子が命にかかわる病気の治療を続けていたことを告げられます。

呆然とする希久夫に遺されたのは、美奈子が「グレース」と呼んでいた愛車、ホンダS800でした。

希久夫がグレースのカーナビに触れると、履歴に複数の見知らぬ場所が表示されます。

日付によれば、美奈子が走ったのは欧州に旅立つ前の一週間。彼女は希久夫に出発日をずらして伝えていたことになります。

一体、誰に会いに行ったのか。疑ったのは、愛人なのか恋人なのか、男性の存在でした。

希久夫は、何かに突き動かされるように、履歴に記された街に向かってグレースを走らせます。

藤沢、松本、近江八幡、尾道、そして松山。待っていたのは希久夫自身の過去であり、美奈子の切実な思いでした。

このドラマ、今は亡き愛する人が仕掛けた謎を追う、いわば「ロードムービー」です。

古いクルマでの移動だからこそ味わえる、美しい日本の風景。

歴史のある街に暮らす、かけがえのない人たち。

画面の中には、ゆったりとした時間が流れています。

受賞記念の一挙再放送を!

また、このドラマ全体が「再生の旅」でもあります。

そこには人生の苦みや痛みもあるのですが、まさに再び生きるための旅であり、「出会いの旅」なのです。

しかも、主人公だけの「再生の物語」ではありませんでした。

それを深みのある映像と、絞り込んだセリフで構成することによって成立させています。

滝藤賢一さん、尾野真千子さんの静かな演技が印象に残ります。まさに、「大人のドラマ」でした。

誰かを大切に思うこと。誰かと共に生きること。その意味を深く考えさせてくれる1本でした。

原作・脚本・演出は、いずれも源孝志さん。

本作同様、脚本・演出を手掛けた作品に、新感覚チャンバラドラマ『スローな武士にしてくれ~京都 撮影所ラプソディー~』(NHK・BSプレミアム、2019年)などがあります。

極上のエンタメとしての〝源ドラマ〟は、それ自体が一つのジャンルと言っていいでしょう。

向田邦子賞の受賞記念として、『グレースの履歴』の一挙再放送を熱望しつつ、源さんの新作を待ちたいと思います。

 


『らんまん』や『ブギウギ』とはひと味違う、『虎に翼』から「目が離せない」理由とは?

2024年05月20日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『らんまん』や『ブギウギ』とはひと味違う、

『虎に翼』から「目が離せない」理由とは?

 

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)の主人公には二つのタイプがあります。

一つは架空の人物。もう一つが実在の人物をモデルにしたものです。

最近は後者が続いていますね。『らんまん』は植物学者の牧野富太郎。『ブギウギ』は歌手の笠置シヅ子でした。

放送中の『虎に翼』は、三淵嘉子(みぶち よしこ)がモデルです。

大正3年生まれの嘉子は、昭和13年に現在の「司法試験」に合格。

日本初の女性弁護士・判事であり、司法界の「ガラスの天井」を次々と打ち破ってきた女性です。その軌跡は戦前・戦後を貫く、試練の「女性史」でもあります。

実は放送開始前、朝ドラのヒロインとしては「堅苦しくないか」と懸念していたのですが、それは杞憂でした。

第一の功績は、主人公・猪爪寅子(いのつめ ともこ)を演じる伊藤沙莉さんです。

世間の常識が、まだ「女性の幸せは結婚にあり」だった時代。自己主張する女性が疎(うと)まれていた時代。寅子は自然体で自分の道を切り拓いていきます。

納得がいかない事態や言動に接したときに、寅子が発する「はて?」という疑問の声は、彼女の生き方の象徴でしょう。

芯は強いのですが、どこか大らかな寅子のキャラクターを、伊藤さんが全身で表現しています。

「社会性」と「共感性」の朝ドラ

次に、この作品がヒロインだけを追う朝ドラではなく、同時代を生きる人たちも丁寧に描く「群像劇」になっていることです。

これまで、寅子と共に学ぶ女性たちの人物像をきちんと造形してきました。

華族の令嬢である桜川涼子(桜井ユキ)。弁護士の夫がいる大庭梅子(平岩紙)。

朝鮮半島からの留学生、崔香淑(ハ・ヨンス)。そして、いつも何かに怒っている勤労学生の山田よね(土居志央梨)。

単なる「周囲の人」ではない彼女たちの存在が、物語に広がりと奥行きを与えています。

しかし、最終的に弁護士の資格を得たのは寅子だけでした。

大学が主催した祝賀会。新聞記者たちの前で、寅子は抑えてきた思いを口にします。

「高等試験に合格しただけで、女性の中で一番だなんて口が裂けても言えません」

続けて・・・

「志(こころざし)半ばで諦めた友。そもそも学ぶことができなかった、その選択肢があることすら知らなかった、ご婦人方がいることを私は知っているからです」

さらに・・・

「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない、男か女かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います……いや、みんなでしませんか? しましょうよ!」

寅子は、そう呼びかけました。

ユニークな主人公“個人”が際立っていた『らんまん』や『ブギウギ』とはひと味違う、見る側を引き込むような「社会性」と「共感性」がこのドラマにはあるのです。

物語は中盤に差し掛かってきました。「女性の弁護士」というものが奇異な目で見られていた時代に、一人の「弁護士」として歩み始めた寅子から、やはり目が離せません。

 


第61回「ギャラクシー賞」入賞作品、NHKスペシャル「未解決事件File.10 下山事件」とは?

2024年05月07日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

第61回「ギャラクシー賞」入賞作品、

NHKスペシャル

「未解決事件File.10 下山事件」とは?

 

先日、第61回ギャラクシー賞の「入賞」作品を、主催の放送批評懇談会が公表しました。

テレビ部門の入賞作品には、計14本のドラマやドキュメンタリーが並んでいます。

その中から1本の「大賞」が選ばれ、5月31日に行われる贈賞式で発表される予定です。

今年3月に放送されたNHKスペシャル「未解決事件File.10 下山事件」は、大賞の有力候補と思われる1本です。

日本がまだ占領下にあった1947年7月。行方が分からなくなっていた国鉄の下山定則総裁が、列車に轢かれた死体となって発見されます。

その後、犯人はもちろん、自殺か他殺かも特定されないまま捜査は打ち切られ、迷宮入りとなりました。いわゆる「下山事件」です。

〈戦後最大のミステリー〉に挑む

NHKスペシャルの「未解決事件」シリーズは、これまでに「グリコ・森永事件」や「地下鉄サリン事件」などを扱ってきました。

前回は「松本清張と帝銀事件」であり、最新作が〈戦後最大のミステリー〉と呼ばれてきた下山事件です。

この事件に関しては、松本清張「日本の黒い霧」をはじめ、近年の柴田哲孝「下山事件 最後の証言」や森達也「下山事件」などで様々な考察が行われてきました。

現時点で、番組としての新たな視点や知られざる事実を提示できるのか。そこが注目ポイントでした。

下山事件を担当した主任検事の名は布施健。

後に検事総長として「ロッキード事件」の捜査を指揮し、田中角栄元首相を逮捕したことで知られる人物です。

制作陣は、布施たちが残した700ページにおよぶ膨大な極秘資料を入手。これを4年かけて分析し、取材を進めてきたのです。

浮上してきたのは、ソ連のスパイを名乗り、下山暗殺への関与を告白した「李中煥」(り・ちゅうかん)という人物の存在。

やがて、李がGHQの秘密情報組織「キャノン機関」の密命を受けていた可能性が明らになっていきます。

検察をも翻弄した彼は、いわゆる「二重スパイ」だったのです。

さらに制作陣は、キャノン機関に所属していた人物をアメリカで発見します。李の写真を見せると、面識があったと証言しました。

またGHQの下部機関であるCIC(対敵情報部隊)にいた人物の遺族とも面談。本人が「あれは米軍の力による殺人だ」と語っていたことを聞き出します。

米ソ対立が深まる中、米国は有事の際に国鉄を軍事輸送に使うことを計画していました。下山亡き後の朝鮮戦争では、それが実施されます。

事件は、米国の「反共工作」の中で起きていたのです。

番組は、森山未來さんが布施検事を演じたドラマ編と、ドキュメンタリー編の二部構成。

両者は互いに補完し合いながら、現在の日本社会に繋がる「戦後の闇」に光を当てて見事でした。

 


『虎に翼』初回で、「日本国憲法」が描かれていた意味とは?

2024年05月06日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『虎に翼』初回で、

「日本国憲法」が描かれていた意味とは?

 

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』。

第5週は、昭和11(1936)年の1月から10月にかけて行われた「共亜事件」の公判を軸に、物語が展開されました。

最終的に、猪爪寅子(伊藤沙莉)の父・直言(岡部たかし)を含む、16人の被告人全員が無罪。

寅子にとっては、父を心配すると同時に、「法律とは何なのか」を考え続けた日々でした。

この第5週が幕を閉じた5月3日は「憲法記念日」です。

「日本国憲法」は昭和21(1946)年11月3日に公布され、翌22(1947)年の5月3日に施行されました。

4月1日に放送された、このドラマの初回。その冒頭を思い起こします。

『虎に翼』と「日本国憲法」

画面には、川面(かわも)が映し出されました。水の流れに乗っているのは、小さな笹舟です。

川岸の流木に腰を下ろしている、一人の女性。寅子でした。

モンペ姿の寅子は、手にした新聞を見つめています。その紙面にあるのは、公布された「日本国憲法」の文字。

そして、「第14条」の文章を読む寅子の肩が、微かに震えます。泣いているのでした。

尾野真千子さんによる「語り」の声が、初めて視聴者の耳に聞こえてきます。

「昭和21年に公布された憲法の第14条にこうあります……」

画面は、寅子の父・直言が作っていたスクラップブック。

「初の女弁護士誕生へ・猪爪寅子さん」という、新聞記事の見出しが見えます。

さらに映像は敗戦後の東京の点描となり、語り手は第14条を朗読していきます。

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

歩いて行くのは、ツイードのスーツ姿となった寅子です。

向かった先は、当時司法省の各課が間借りしていた、法曹会館。

再会するのが、後に最高裁長官となる桂場等一郎(松山ケンイチ)でした。

初回は、そこから昭和6年へとさかのぼって寅子のお見合いシーンとなり、昭和11年の「現在」に至る、というわけです。

このドラマが、日本国憲法と様々な「差別禁止」が明記された第14条から始まったこと。

そこに脚本の吉田恵里香さんをはじめ、制作陣の強い意思を感じます。

また第14条の前に置かれた、「個人の尊重・幸福追求権」を示す第13条。

さらに「家庭生活における個人の尊厳と両性の平等」という第24条。

こうした憲法の精神が『虎に翼』という物語を支えており、今後ますます重要な要素となっていくはずです。

 


【ドラマ10年館】 ちょうど10年前、2014年5月は 「池井戸ドラマ」の同時多発

2024年05月03日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

【ドラマ10年館】

ちょうど10年前、

2014年5月は

「池井戸ドラマ」の同時多発

 

「十年一昔(じゅうねんひとむかし)」という言葉があるように、10年は一つの区切りとなる時間です。

短いようでいて、それなりに長い10年。忘れていることも、ずいぶん多いのではないでしょうか。

たとえば、10年前の今月、どんなドラマをやっていたのか。

この【ドラマ10年館】では、記憶に残る作品を振り返ってみたいと思います。

杏主演『花咲舞が黙ってない』

10年前の2014年5月。

『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)と日曜劇場『ルーズヴェルト・ゲーム』(TBS系)という、2本の池井戸潤原作のドラマが放送されていました。

「池井戸ドラマ」の同時多発です。

これはもちろん、前年に放送された池井戸さん原作の『半沢直樹』の大ヒットを受けてのことです。

まず、『花咲』は『半沢』を想起させる銀行ドラマでした。

問題を抱えた支店を指導する「臨店班」に所属する女性行員・舞(杏)が、毎回、行く先々で問題解決のために奔走する。

彼女の最大の魅力は、たとえ相手が上司であれ顧客であれ、間違ったことや筋の通らぬことに関しては一歩も引かないことです。

『花咲』は、そんなヒロインが言いたいことを言う、ガチンコ勝負ドラマでした。

もしもビジネスパーソンが、仕事場で「言いたいことを言う」を実践したら大変なことになるでしょう。

だからこそ、何でも口にする舞は危うくもあり、痛快でもある。

ただし、良くも悪くも『半沢』のような重厚感や奥行きを持つドラマではありません。

あくまでもライト感覚で楽しめる、勧善懲悪物語です。

舞が「お言葉を返すようですが……」という言葉をきっかけにたんかを切るのは、いわば水戸黄門の「印籠」のようなもの。

1話完結で見終わってすがすがしい、というパターンにも安心感がありました。

唐沢寿明主演『ルーズヴェルト・ゲーム』

一方の『ルーズヴェルト・ゲーム』は、中堅の精密機器メーカーが舞台でした。

大手の下請けとして成り立っていることもあり、経済情勢だけでなく、発注元の思惑にも揺さぶられています。

社長の細川(唐沢寿明)が、いかにして苦境を脱していくかが見どころでした。

このドラマの特色として、企業ドラマであると同時に、野球ドラマでもあることが挙げられます。

当時、社会人野球がきっちり描かれるドラマというのは珍しく、異色のスポーツ物にもなっていたのです。

会社のお荷物的な存在である野球部が、会社と同様、「逆転勝利」をつかむことができるのか。

チーフ・ディレクターは福澤克雄さん。視聴者の興味を引っ張る力技は、すでに突出していました。

池井戸作品には、企業小説と呼ばれるものが多い。

しかし、主軸はあくまでも企業内の人間模様であり、そこで展開される人間ドラマです。

また、山あり谷ありの起伏に富んだ物語構成と、後味(本なら読後感)の良さも池井戸作品の持ち味です。

その意味で、ドラマとの相性がとてもいいことは、当時も現在も変わりません。

 


【ドラマ10年館】10年前、2014年4月のドラマは「ハードボイルド」だった

2024年04月22日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

【ドラマ10年館】

10年前、

2014年4月のドラマは

「ハードボイルド」だった

 

「十年一昔(じゅうねんひとむかし)」という言葉があるように、10年は一つの区切りとなる時間です。

短いようでいて、それなりに長い10年。忘れていることも、ずいぶん多いのではないでしょうか。

たとえば、10年前の今月、どんなドラマをやっていたのか。【ドラマ10年館】と名づけたコラムで、印象に残る作品を振り返ってみたいと思います。

 

『MOZU~百舌(もず)の叫ぶ夜~』

優れた海外ドラマのような骨格

 

『MOZU~百舌の叫ぶ夜~』の3人(番組サイトより)
『MOZU~百舌の叫ぶ夜~』の3人(番組サイトより)

2014年の春ドラマで、「真打ち登場!」といった感がありました。『MOZU~百舌の叫ぶ夜~』(TBS系)です。

12年の『ダブルフェイス』と同様、WOWOWとの共同制作でした。

東京の銀座界隈で爆発が起きます。テロの可能性が高い。爆弾所持者と思われる男(田中要次)と、現場に居合わせたという公安の女性刑事(真木よう子)の関係は不明です。

また犠牲者の中に、元公安で現在は主婦の千尋(石田ゆり子)がいました。彼女の夫は公安部特務第一課の倉木(西島秀俊)です。

妻の死の謎を解こうとして動き出す倉木。捜査一課の大杉(香川照之)も独自の捜査を進めていきます。

テロ組織vs.警察、刑事部vs.公安部、西島vs.香川などいくつもの対立軸があるのですが、それをさばく脚本(仁志光佑)と演出(羽住英一郎)の手際がよく、飽きさせません。

『ダブルフェイス』もそうでしたが、優れた海外ドラマのようなしっかりした骨格を、俳優たちが見事に体現化していました。

さらに繁華街の爆発現場、けが人が収容される病院なども、予算と人員をしっかりと投入しており、手抜きがありません。

たとえば、感心したのは、捜査本部となった大会議室の片隅に水とコーヒーのサーバーが置かれていたことです。しかも、残量がわずかで使用感があるのです。

ほんの一瞬しか映らないし、アップになるわけでもありません。しかし、こうした細部こそがドラマのリアリティーを下支えしていることを、制作陣は熟知していたのです。

 

『ロング・グッドバイ』

日本にマーロウを現出させる素敵な“暴挙”

 

『ロング・グッドバイ』の探偵(番組サイトより)
『ロング・グッドバイ』の探偵(番組サイトより)

 

2014年4月のNHK土曜ドラマは、浅野忠信主演の『ロング・グッドバイ』。

よもや「原作=レイモンド・チャンドラー」の文字を、日本のドラマで見られるとは思いませんでした。

一見、無国籍な街のたたずまい。丸みを帯びたデザインのクルマ。ずっしりと重そうなダイヤル式電話機。三つ揃えに帽子の男たち。

そして、誰もが当たり前のように燻(くゆ)らすタバコの煙。この雰囲気、オトナの男なら、思わず「うーん、いいねえ」と唸ってしまいそうです。

ドラマの中では細かい説明がないので、「ここはどこ?」「時代はいつ?」と思うかもしれません。

原作のハードボイルド小説『長いお別れ』が、米国で刊行されたのは1953(昭和28)年でした。

敗戦からの復興を経て、日本でテレビ放送が始まったこの頃が舞台らしいと推測します。

ドラマの中にも「新聞社や出版社を複数抱え、テレビ局までつくった」という大物実業家(柄本明)が登場。私立探偵の浅野が対峙していくことになる、巨魁ともいうべき人物です。

初回では、女優のヒモのような男(綾野剛)と浅野の奇妙な友情が描かれました。やがて綾野は殺されてしまうのですが、それぞれの生き方や2人の微妙な距離感にも、どこか原作の雰囲気が漂っています。

演出は『ハゲタカ』『外事警察』などの堀切園健太郎。音楽はその盟友で、『あまちゃん』の大友良英。

日本にフィリップ・マーロウを現出させようという、素敵な“暴挙”に拍手でした。


「花咲舞」はもちろん、『虎に翼』の「寅子」や「よね」も黙ってない!

2024年04月19日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

「花咲舞」はもちろん、

『虎に翼』の

「寅子」や「よね」も黙ってない!

 

「強い群像劇」であること

NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』。主人公は、法律を学ぶ猪爪寅子(いのつめともこ、伊藤沙莉)です。

これまで、昭和6年のお見合い事件。昭和7年の明律大学女子部への入学。2年生になった昭和8年の「法廷劇」騒動などが描かれてきました。

その特徴を挙げるなら、朝ドラでは珍しい「強い群像劇」になっていることでしょう。

ヒロインである寅子だけでなく、共に学ぶ女子学生たちの人物像もきちんと造形しています。

華族の令嬢である桜川涼子(桜井ユキ)は、語学に秀でているだけでなく、行動やファッションが雑誌などで伝えられる有名人。

最年長の同期生で、既婚者の大庭梅子(平岩紙)には弁護士の夫と3人の息子がいます。

朝鮮半島からの留学生、崔香淑(ハ・ヨンス)は日本語が堪能。兄の勧めで進学しました。

そして、短髪・男装で異彩を放つ同級生がいます。いつも何かに怒っているかのような表情と、遠慮会釈もない言動で不穏な空気を漂わせる、山田よね(土居志央梨)。

単なる「周囲の人」ではない彼女たちの存在が、物語に広がりと奥行きを与えています。

「戦前社会」の中の女性

第3週では、よね自身が、その生い立ちから現在までの軌跡を寅子たちに語りました。戦前社会の中で、女性であることからくる生きづらさを人一倍背負ってきたことが明かされたのです。

それは、よねがこれまでに発した言葉の中に凝縮されていました。

「女は常に虐げられて、ばかにされている。その怒りを忘れないために、あたしはここ(裁判の傍聴)に来てる」

さらに、「そもそも男と女、同じ土俵に立ててすらいなんだ!」

当時の女性には参政権がありませんでした。家督(家族の代表者としての地位)も基本的には継げません。遺産も相続できません。

姦通罪(配偶者が別の異性と性交渉をもつことで成立する罪)も女性だけに適用されます。一方、夫は家の外に「囲い者」の女性が何人いようと、問題視されません。

この時代の民法では、女性は戸主である父親や夫の庇護下に置かれる存在であり、社会的には、はるかに不平等な立場だったのです。

寅子やよねも黙ってない

よねは、「あたしは本気で弁護士になって世の中を変えたいんだよ!」と訴えます。

「あたしには(涼子のように)お付きの子もいない。日傘や荷物を持たせたりしない。(梅子のように)おにぎりを人に施す余裕も、(香淑のように)働かなくても留学させてくれる家族もいない。大学も仕事も一日も休まず必死に食らいついてる。だから、余裕があって恵まれたやつらに腹が立つんだよ」

憤りを抑えられない、よねは・・・

「この社会は女を無知で愚かなままにしておこうとする。恵まれたおめでたいアンタらも大概だが、戦いもせず現状に甘んじるやつらはもっと愚かだ」

すると、寅子が「それは絶対に違う!」と反論します。

「いくらよねさんが戦ってきて立派でも、戦わない女性たちや戦えない女性たちを愚かなんて言葉でくくって終わらせちゃ駄目。それを責めるのは、もっと駄目!」

脚本家・吉田恵里香さんによるセリフが見事でした。

「戦わない女性たち」や「戦えない女性たち」をも巻き込んでいく姿勢こそ、モデルである三淵嘉子の思想であり、主人公・寅子の基本理念でもあるからです。このドラマのテーマが浮上してきます。

『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)の初回。花咲舞(今田美桜)は、常に女性を見下す銀行支店長に怒っていましたが、90年前の寅子やよねも黙っていません。

 


朝ドラ『虎に翼』のスタートダッシュで、伊藤沙莉が見せた秀逸なヒロイン像

2024年04月09日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

朝ドラ『虎に翼』のスタートダッシュで、

伊藤沙莉が見せた秀逸なヒロイン像

 

4月と10月の改編期、NHK朝ドラの新たなヒロインと出会います。

女性であることは分かっていますが、毎回「どんな人なんだろう、どんな人生を歩むんだろう」と興味と期待がふくらみます。

最近は実在の人物をモデルとした主人公が続いていますね。『らんまん』は男性でしたが、植物学者の牧野富太郎。『ブギウギ』では歌手の笠置シヅ子でした。

モデルは三淵嘉子(みぶち よしこ)

そして今回の『虎に翼』は、三淵嘉子がモデルです。

牧野富太郎や笠置シヅ子と比べると、誰もが「ああ、よく知ってるよ」という人物ではありません。しかし、なかなか凄い女性なのです。

大正3年(1914)生まれの嘉子は、昭和13年(1938)に現在の「司法試験」に合格。太平洋戦争が始まる1年前、昭和15年(1940)に日本初の女性弁護士の一人となります。

戦後は、まだ占領期の昭和24年(1949)に裁判官(判事補)。テレビ放送が始まる前年、昭和27年(1952)に初の女性判事。

そして、「あさま山荘事件」が起きた昭和47年(1972)には、初の家庭裁判所所長に就任しました。

司法界の「ガラスの天井」を次々と打ち破っていった嘉子の軌跡は、戦前・戦後を貫く「試練の女性史」でもあるのです。

とはいえ、実際の嘉子の人柄がどうだったのかはともかく、「初の女性弁護士」「初の女性判事」と言われると、ちょっと怖そうというか、堅そうというか、ややひるんでしまいそうな感じになりませんか?

ヒロインの強い「個性」と「協調性」

このドラマでは、嘉子をモデルにしたヒロインは猪爪寅子(いのつめ ともこ)。

演じるのは、伊藤沙莉さんです。朝ドラでは、『ひよっこ』(2017年)での安部米店の娘、さおりが印象的でした。

また同じNHKのドラマ10『これは経費で落ちません!』(2019年)も記憶に残っています。主人公の森若沙名子(多部未華子)が所属する経理部の同僚、佐々木真夕。

どちらも、沙莉さんにしか出来ない個性的な役柄であり、女性の妬みやそねみもユーモラスに演じて見事でした。

スタートしたばかりの『虎に翼』でも、沙莉さんが演じることで、「初の女性弁護士・判事」から来る、堅苦しいイメージのヒロインにはなっていません。

世間の常識が、まだ「女性の幸せは結婚にあり」だった時代。自己主張する女性が疎(うと)まれていた時代に、寅子は自分なりの幸福を求めていきます。

納得がいかない事態や言動に接したときに、寅子が発する「はて?」という疑問の声は、彼女の生き方の象徴とも言えるでしょう。

強い「個性」を持ちながら、周囲を巻き込む「協調性」もそなえている。芯は強いのですが、どこか大らかな寅子のキャラクターを、沙莉さんは全身で表現しています。

極端なことを言えば、伊藤沙莉という主演俳優を得たことで、今回の朝ドラの成功は半分約束されたのではないか。そんな予感を抱かせてくれる立ち上がりでした。

 


『おっさんのパンツ』が、『不適切』に迫る「昭和のおじさんドラマ」である理由

2024年03月09日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

『おっさんのパンツ』が、

『不適切』に迫る

「昭和のおじさんドラマ」である理由

 

気がつけば、今期ドラマの「おじさん」たちが元気です。それも、ただのおじさんではない。

昭和を生きてきたおじさん。アイデンティティーのベースに昭和があるおじさん。メンタルが昭和なおじさん。つまり「昭和のおじさん」です。

『不適切にもほどがある!』(TBS系)がそうですが、原田泰造主演『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』(東海テレビ・フジテレビ系)もまた、出色の「昭和のおじさんドラマ」です。

昭和のおじさんの「成長物語」

主人公の沖田誠(原田)はリース会社の室長。「男が上を目指さないでどうする!」などと部下を叱咤激励(しったげきれい)してきました。

いや、それだけではありません。「お茶は女の人がいれたほうがおいしいだろ?」や「そんなんじゃ嫁に行きそびれるぞ」といった発言も日常的でした。

しかし、メンタルが昭和な本人には当然の言動も、部下たちにとってはパワハラやセクハラだったりします。

家庭内でも同様です。推し活を楽しんでいる妻の美香(富田靖子)を「こんな女みたいな男どこがいいんだか」とからかう。

また息子の翔(城桧吏)の友人で、ゲイの大学生・五十嵐大地(中島颯太)には、「君といて(息子に)ゲイがうつったら困る」などと暴言を吐いていました。

そんな誠ですが、大地と話をするうちに、自分の中で何かが変わり始めていく。そして、大地に勧められた、モラルの「アップデート」を試みようとするのです。

しかし、凝り固まった偏見をなくし、倫理観とマナーを更新するのは簡単なことではありません。

失敗を重ねる誠の姿に、見る側もつい自身を投影してしまう。昭和のおじさんの「成長物語」として秀逸なのです。

ある日、誠は気づきます。性別や性的指向は「おっさんのパンツ」みたいなものだと。何をはいても誰の迷惑にもならない。あくまでプライベートなことであり、公表する必要もない。

それに家族だって自分とは違う人間だ。他者が大事にしているものを自分の尺度で否定してはいけない。それは、このドラマの根幹にかかわる「発見」でした。

原作は練馬ジムさんの同名漫画。藤井清美さんの脚本が原作のメッセージをしっかりと伝えています。

昭和のおじさんが挑む「アップデート」

人は誰も自身の人生の積み重ねを経て、今を生きています。

「おじさん」と呼ばれる年齢になれば、良くも悪くも自分の価値観は出来上がっており、それをベースにあらゆる判断を行っているのです。

しかし、その価値観や物事の判断基準は本当に正しいのか。自分が知らない、もしくは知ろうとしない新たな常識を棚上げにしてはいないだろうか。

このドラマを見ていると、ふと自分にも問いたくなります。

いつの間にか、世の中には十分理解しているとは言えない事象や言葉があふれています。誠もそうでした。

妻の「推し活」、息子と「LGBTQ」、娘(大原梓)の「二次元LOVE」、そして部下が愛用する「メンズブラ」等々。

誠は、「若いころは当たり前に分かった流行が分からなくなっている。いつ変わったのかも知らない。どう変わったのかも説明できない」と心の中でつぶやきます。

自分とは無関係だと切り捨てるのか、それとも知ろうと努力するのか。誠は、自分にとって一番大切な「家族」と共に生きていくためにも、「アップデート」を決意したのです。

とはいえ、昭和的なものを無条件に排除するのではありません。時代とズレてしまった部分の価値観を必要な分だけ更新していくのです。

それは昭和のおじさんに限った話ではないでしょう。世代や性別などにかかわらず、「なかなかアップデートできない」という人は少なくないはずです。

抱えている常識は古めで、偏見にも縛られている誠ですが、情は厚くて真っ直ぐなところがあります。

そんな男が「出来るところからやってみよう」とトライするドラマだからこそ、すべての人にとってのケーススタディになり得るのだと思います。

「昭和のおじさんドラマ」のその先へ

『不適切』も『おっさんのパンツ』も、昭和と令和のギャップが物語の基盤となっています。

前者はSF(サイエンス・フィクション)の要素を生かした「ツッコミ型」であり、後者はリアルな現在(いま)と向き合う「ヒューマン型」。

そのアプローチは違っても、「笑い」という武器は共通しています。

見る側は、昭和のおじさんたちが巻き起こす、「衝突」や「理解」や「受容」といった展開を笑いながら楽しめばいい。

その先に見えてくるのが、「令和」という時代の、世代を超えた歩き方なのではないでしょうか。

 


『不適切にもほどがある!』の時代設定は、なぜ「1986年」なのか?

2024年03月05日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

昭和のおじさんドラマ

『不適切にもほどがある!』の時代設定は、

なぜ「1986年」なのか?

 

バック・トゥ・ザ・1986

昭和のおじさんドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)。

主人公の小川市郎(阿部サダヲ)が、娘の純子(河合優実)と暮らしている「1986年(昭和61年)」とは、一体どんな年だったのか。

5月、海外の純資産額で日本が世界一になったことが報じられます。また9月の国土庁発表では、東京23区内の商業地で40%も地価が上昇。「狂乱地価」といわれました。

10月に売り出されたNTT株も人気を集め、11月になるとサラリーマンの生涯賃金が大卒で2億円を超えていきます。

では、テレビの世界はどうだったのか。

前年に始まった『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の成功で、民放各局がワイドニュースに参入。同時に、ニュース番組のキャスターに女性が相次いで起用されていきました。

『モーニングショー』(同)の美里美寿々(現・田丸美寿々)さん、『NNNライブオンネットワーク』(日本テレビ系)の井田由美さん、そして『ネットワーク』(TBS系)の三雲孝江さんなどです。

今年4月、三雲さんの娘である星真琴さんが、NHKの看板報道番組『ニュースウオッチ9』のメインキャスターに就任するのも不思議な符合です。

ドラマのヒット作には、市郎も話題にした『男女七人夏物語』(TBS系)がありました。ひょんなことで出会った、結婚適齢期の男性3人と女性4人の恋愛模様。複数の男女の誰と誰が結ばれるのかを予想させる展開は、後のトレンディドラマの原型です。

また、『な・ま・い・き盛り』(フジテレビ系)も話題となりました。ヒロインは中山美穂さん。人気アイドル主演の連続ドラマの先駆的作品でした。

バラエティーでは、今年3月に幕を閉じる『世界ふしぎ発見!』(TBS系)や、視聴者参加のゲーム番組『風雲!たけし城』(同)がスタート。

さらに、過去のドラマやアニメなどの名場面をネタに盛り上がる『テレビ探偵団』(同)もこの年に登場しています。

市郎と純子、世代の異なる2人が生きている86年。今では、どこか揶揄するような口調で語られてしまう「バブルの時代」です。

しかし、好景気にわく社会も、高視聴率番組が林立するテレビ界も、そこに生きる人たちも、今より元気だったことは確かなのです。

クドカンにとっての「1986年」

宮藤官九郎さんが、過去の舞台を1986年(昭和61年)にしたのはなぜでしょう。

この年、70年(昭和45年)生まれの宮藤さんは、16歳の高校1年生でした。

ドラマの中の市郎の娘・純子は高校2年生で17歳。宮藤少年の同世代として、同じ時代の空気を吸っていることになります。純子には、当時の宮藤さん自身が投影されていると言えるでしょう。

また、市郎は1935年(昭和10年)生まれと設定されています。86年には51歳。そして宮藤さんは今年53歳です。市郎が、現在の宮藤さん自身とリンクする。50代は立派な「昭和のおじさん」なのです。

さらに、市郎が2024年(令和6年)にも生きていたなら、御年89歳になっているはずでした。残念ながら、1995年の阪神淡路大震災に巻き込まれたことが明かされています。

昭和10年生まれで思い浮かぶのが、宮藤さんにとっては脚本家の大先輩である、倉本聰さんです。

86年に51歳だった倉本さんは、ドラマ『ライスカレー』(フジテレビ系)を手がけています。若者たちがカナダでカレー屋をはじめる物語でした。時任三郎さん、陣内孝則さん、そして中井貴一さんなどが出演した作品です。

ちなみに、今年2月に亡くなった小澤征爾さんも昭和10年生まれでした。市郎の「生年設定」は、敬愛する先達(せんだつ)たちへのオマージュかもしれません。

 


「昭和のおじさんドラマ」という〈新ジャンル〉になった『不適切にもほどがある!』

2024年03月02日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

 

「昭和のおじさんドラマ」という

〈新ジャンル〉になった

『不適切にもほどがある!』

 

「昭和のおじさんドラマ」の真骨頂

1月ドラマというより、早くも「今年のドラマ」全体の収穫かもしれません。宮藤官九郎脚本『不適切にもほどがある!』(TBS系)です。

主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は、中学校の体育教師をしていた1986年(昭和61年)から、2024年(令和6年)の現在へとタイムスリップしてしまう。

生粋の「昭和のおじさん」である市郎は、「令和」の世界で出会うヒト・モノ・コトに驚きながらも、ぬぐえない「違和感」に対しては、「なんで?」と問いかけていきます。

初回の見せ場の一つが、居酒屋で会社員の秋津(磯村勇斗)がパワハラの聴き取りを受けている場面でした。

秋津は部下の女性への言動が問題視されており、「期待しているから頑張って」がパワハラだと専門部署の社員。当の女性は会社を休んだままです。

隣りの席で聞いていた市郎が、思わず口をはさみます。

「頑張れって言われて会社を休んじゃう部下が同情されて、頑張れって言った彼が責められるって、なんか間違ってないかい?」

専門社員は、「何も言わずに寄り添えばよかった」と答えます。

しかし市郎は、

「気持ち悪い!なんだよ、寄り添うって。ムツゴロウかよ」

ムツゴロウって(笑)。さらに、

「冗談じゃねえ!こんな未来のために、こんな時代にするために、俺たち頑張って働いてるわけじゃねえよ!」

この「昭和のおじさんドラマ」は、昭和のおじさんが令和の世界で笑われるという話ではない、という宣言でもありました。

「コンプライアンス全能」の現代社会に、笑いながら疑問符を投げつける「確信犯的問題作」なのです。

市郎が体現する「昭和」

バリバリの「昭和のおじさん」である市郎。

86年当時、本人にとっては「当たり前」の言動も、令和の今、ドラマの中で見せられると驚くことばかりです。

自宅でも学校でもバスの中でも、市郎は常にタバコをふかしています。

確かに当時は、どこにも灰皿がありました。列車や飛行機の中でも吸うことが出来たのです。

野球部の練習では千本ノックで部員をシゴき、「バカ! ザコ!」と罵倒する。何かあると連帯責任で「ケツバット」です。

また、バスの中で女子高生のミニスカートを目にすれば、「痴漢してください、って言ってるようなもんだぜ。さわられても文句言えねえよ」と本気で注意してしまう。

さらに、「チョメチョメする気か!」、「10代のうちに遊びまくってクラリオンガールになるんだよ!」といった下ネタ系の台詞も連打されます。

当時を知る人たちは「そうだったなあ」と懐かしがり、若年層は「マジでこうだったの?」と驚きますが、つい笑ってしまうのは両者同じです。

しかもクドカンは、

「この作品には、不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します」

などというテロップを、わざわざ表示。その用意周到ぶりがナイスです。

市郎が揺さぶる「令和」

そんな市郎が、令和の世界で知り合った犬島渚(仲里依紗)を介して、テレビ局で仕事をすることになります。

情報番組の生放送シーンが秀逸でした。

番組司会者の「4股交際」が週刊誌のネット版に出ることが判明。

そこで司会者の代役(八嶋智人)を立てたのですが、今度は彼の発言がコンプライアンスに触れまくる。

プロデューサーの栗田一也(山本耕史)はパニックに陥り、CM後に「お詫びいたします」を連発。とんでもない生放送となったのです。

大混乱のスタジオに駆けつけた市郎は、解決策ともいうべき「ガイドライン」をミュージカル調で歌います。

「みんな誰かの娘。娘が嫌がることはしない。娘が喜ぶことをしよう」

どんな相手に対しても、その人が「自分の娘」だと思って行動し、発言する。

納得感のある見事な提案であると同時に、コンプラでがんじがらめの社会に対する、「柔らかな批評」となっていました。

市郎の基本理念はとてもシンプルで、どんなことも「話し合おうよ」です。

時代や世代や個人間に「ギャップ」があるのは当たり前。

「差異」を否定し合うのではなく、差異の存在を前提に話し合いを重ね、「共通解」を探りながら共存していこうというのです。

一見、コンプラ社会に対する異議申し立てと思われそうなこのドラマが持つ、とても大切なテーマと言えるでしょう。

さらに前回は、1986年を生きる市郎の「未来」についても判明。

ここで、95年1月17日の「阪神淡路大震災」を組み込んでくるところが、クドカン脚本の凄みです。

「昭和のおじさんドラマ」という〈新ジャンル〉を生み出した『不適切にもほどがある!』。終盤に向けて、やはり目が離せません。

 


『ブギウギ』ついに「第1話」とつながった、「ブギの女王」誕生の物語

2024年02月12日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

『ブギウギ

ついに「第1話」とつながった、

「ブギの女王」誕生の物語

 

連続テレビ小説『ブギウギ』の第19週(2月5日~9日)。

愛助(水上恒司)を失った悲しみを抱えつつ、歌手としての復活へと向かうスズ子(趣里)が描かれました。

スズ子を支える人たち

強く印象に残ったのは、スズ子を支えてくれる人たちの存在の大きさです。

スズ子に頼まれた新曲に取り組む、羽鳥善一(草彅剛)。

初めての育児で手いっぱいのスズ子を見て、「きょうのあなたの仕事は休むこと」と家事を引き受けてくれた、羽鳥の妻・麻里(市川実和子)。

愛子を引き取りたいという申し出を断られても、困った時に助けるのは「当たり前や」と言ってくれた、愛助の母・トミ(小雪)。

弱っているはずのスズ子を励ますために香川から上京し、「孫より我が子のほうがどんだけ可愛いか」と語っていた、父・梅吉(柳葉敏郎)。

そして、「私は、(自分の子どもに)こんなまねできなかったから」と、スズ子の稽古中に愛子の面倒をみてくれた、先輩歌手・茨田りつ子(菊地凛子)もいました。

多くの人たちの後押しで、歌手・福来スズ子は再びステージに立つことになったのです。

「東京ブギウギ」創作の実話

ドラマでの羽鳥は、満員電車に揺られている最中に、ブギのリズムとメロディがひらめきました。

これは、ほぼ実話です。

モデルである作曲家の服部良一は、昭和22年夏のある日、都心から西荻窪の自宅に帰るため、中央線の電車に乗っていました。

その頃の服部は、笠置シヅ子から頼まれた新曲のことが頭から離れません。

情緒たっぷりの哀しい歌ではなく、明るくて楽しい流行歌を作りたいという思いがあり、それが「ブギ」でした。

車内で揺られていた服部の中で、ある瞬間、レールの震動とエイトビートのリズムがシンクロしたのです。

電車を降りて駅近くの喫茶店に入り、紙ナプキンに音符を書き込む服部。ドラマと同じです。

もちろん、まだ歌詞はありません。服部は、上海時代に親しくなった同盟通信社の記者・鈴木勝に作詞を依頼します。

鈴木は、仏教学者の鈴木大拙の養子。日英ハーフのバイリンガルであり、独特の感性を持つ人物でした。服部は、そこに期待したのです。

昭和22年(1947)の9月10日、コロンビアのスタジオで「東京ブギウギ」のレコーディング。

録音室には、これもドラマと同じく、近くの米軍クラブから下士官たちがギャラリーとして来ています。異例のことですが、鈴木の声かけによるものでした。

GIたちは、シヅ子の強烈な歌声とブギのサウンドに合わせて体を揺らし、歓喜したのです。

同じ9月に、大阪の梅田劇場のショーに出演したシヅ子は、そこで「東京ブギウギ」を初披露し、拍手喝さいをあびます。

「ブギの女王」誕生!

ドラマでは、「東京ブギウギ」初披露は昭和23年(1948)1月の東京。「日帝劇場」でのワンマンショーになっていました。

楽屋で、愛子にキスをしているスズ子。

そのかたわらにいて、「あなたの下手な歌を、お客さんが待ってるでしょ?」と声をかけたのは、りつ子です。

すると、そこに羽鳥が顔を出しました。

「僕だって早く指揮棒振りたくてズキズキワクワクしてるんだ。さあ、行こう! トゥリー、トゥー、ワン、ゼロ!」

羽鳥に促されたスズ子が、愛子に言います。

「お母ちゃん、お客さんとズキズキ、ワクワクしてくるわ!」

この場面は、昨年10月2日に放送された、第1話の冒頭で描かれていたエピソードであり、ここでしっかりとつながったのです。

ステージに飛び出したスズ子。その躍動感にすべての観客が巻き込まれていきます。まさに「ブギの女王」誕生の瞬間でした。

そして、羽鳥が言っていたように、「東京ブギウギ」はスズ子の復興ソングであると同時に、日本の復興ソングになっていきます。

 


『ブギウギ』スズ子(趣里)を守った、 愛助(水上恒司)「命がけの手紙」

2024年02月05日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

水上恒司さんが演じた、村山愛助

 

『ブギウギ』スズ子(趣里)を守った、

愛助(水上恒司)「命がけの手紙」

 

第18週(1月29日~2月2日)の連続テレビ小説『ブギウギ』。

スズ子(趣里)は、大きな「喜び」と深い「悲しみ」の両方に遭遇しました。

お腹の中で大きくなっていく、赤ちゃん。

その一方で、「(病気を)絶対治して、結婚するで」と言っていた愛助(水上恒司)が、危篤に陥ったのです。

それでも最後の力をふり絞って、スズ子に宛てた手紙を書きます。

泣く、母のトミ(小雪)。

一文字ずつ、鉛筆を動かす愛助。その目元のアップ。

水上さんの静かな熱演が光ります。

その頃、スズ子は出産のときを迎えていました。痛みに耐えながら、頑張るスズ子。その顔のアップ。

そして、赤ちゃんが無事に生まれます。女の子でした。しかし、愛助は亡くなってしまいます。

愛すべき者の「誕生」と、愛する人の「死」。喜びと悲しみが交差する、荘厳な瞬間が丁寧に描かれていました。

愛助の死を知って、打ちのめされるスズ子。

「……なんで……やろ。なんで……ワテの大切な人は……早よういなくなってしまうんや……なんで……ワテも死にたい」

そう訴えるスズ子を、山下(近藤芳正)が泣きながら、たしなめます。

「あんたは……ボンの分まで生きなあかんのです! 生きてください! 頼んますわ! ワシらがでけることは何でもします! 何があっても支えますから……次に死ぬ言うたらドつきまっせ!」

ようやく、スズ子は愛助の手紙を開いて、読み始めます。

「スズ子さん、僕はスズ子さんに出会えて、ほんとうに幸せやった。約束を守れなくて、ほんとうに申しわけない。生まれてくる子が男の子やったら、名前は兜(かぶと)にしてください。僕みたいに弱い子になって欲しくないから、その名前や。生まれてくるんが女の子やったら、名前は愛子にしてください」

さらに・・・

「スズ子さん、つらいことがあったら、歌ってください。そして今、スズ子さんの横で、かわいい顔をしている赤ちゃん、見てください。その子は、僕らの宝物や。きっと、その子と一緒なら、何があっても生きていけるはずや。ほんまに……ごめんなさい」

愛助と愛子の名を呼び、手紙を抱きしめて、泣き出すスズ子。

看護婦長の東(友近)が部屋に入って来て、愛子をスズ子に渡しました。

母親を見て笑う、かわいい赤ちゃん。スズ子は涙を流しながら決心します。

「愛子、お母ちゃんな、あんたと一緒に生きるで! なあ、愛子。かわいいなあ」

スズ子の泣き笑いです。

そのあと流れたのは、以下のような映像でした。

愛助とスズ子と愛子の親子3人が、家の縁側に並んで座り、あたたかな陽光をあびています。青空の下、愛助がシャボン玉を吹き、愛子もうれしそうです。そうそう、「ラッパと娘」も聴こえてきます。

それは、ベッドで愛子と共に眠る、スズ子の夢でした。切なくも、温もりに満ちた夢。スズ子の顔には、やさしい微笑みが浮かんでいました。

愛助が命がけで書いた手紙は、スズ子と愛子の命を守り、明日へと送り出したのです。

「つらいことがあったら、歌ってください」という愛助の言葉通り、スズ子が運命の一曲「東京ブギウギ」に出会う日も、そう遠くありません。