碓井広義ブログ

<上智大学教授のメディア時評> 見たり、読んだり、書いたり、話したり、時々考えてみたり・・・

表参道「本の場所」で・・・

2018年04月15日 | 本・新聞・雑誌・活字













萩原健太さん(音楽評論家)、川崎徹さん(小説家)と・・・




東日本大震災から7年目の「3月11日」に

2018年03月11日 | 本・新聞・雑誌・活字

東日本大震災から7年目の「3月11日」に

東日本大震災から7年。決して短い年月ではありませんが、被災した方々の物心両面の痛手は十分に癒えないまま、被災地以外での記憶の風化が著しいように思えます。

猪瀬直樹『救出~3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』(河出書房新社)の舞台は、地震と津波に襲われた当時の宮城県気仙沼市です。浸水して孤立した上、火の手が迫った公民館に、446人の被災者が取り残されました。そこには大人だけでなく、保育所の園児71人がいたのです。

震災の特徴の一つは、津波によって道路が寸断され、火のついたがれきが漂い、誰がどこへ逃げているか、連絡が取れないことです。公民館に集まった人たちも同様でした。家族の安否どころか、自分たちの存在と状況を外部に伝えることも難しい。また伝わっても必ず救助されるとは限らない。それほどの大災害でした。

著者は当事者たちへの丹念な取材を行い、この日、誰がどこで、どのように震災と遭遇し、公民館で何があったのかを浮き彫りにしていきます。緊急避難における行動は、いわば葛藤の連続となります。右か左か、どこへ逃げるのか、一瞬の判断が明暗を分けることもある。それは消防士も、町工場の社長も、幼い子供たちの命を預かる保育士たちも同様だったでしょう。

最終的に公民館の避難者たちは、翌日、東京消防庁のヘリによって救助されます。しかし、それまでの一昼夜、彼らは自身の不安を抑え、互いに声を掛け合い、知恵を出し合って助けを待ったのです。読後、「希望」という言葉が絵空事ではなく浮かんできました。

しかし、なぜ東京消防庁のヘリだったのか。そこには奇跡的ともいえる情報のリレーと、想像力をフルに働かせた人たちの的確な判断、そして迅速な対応がありました。当時、東京都の副知事だった著者もまた、大きく関与しています。

後に都知事を辞した際、著者は「政治家としてアマチュアだった」と述べました。本書は「ノンフィクション作家としてのプロ」が書いた、災害と生存をめぐる緊迫の記録であり、信じるべき個の力への讃歌だといえます。

(2018.03.11 シミルボンに寄稿)

シミルボン



今年の11月25日 「三島由紀夫の命日」のこと

2017年12月06日 | 本・新聞・雑誌・活字


三島由紀夫の命日である「11月25日」。

5年前の11月、当時コラムを連載していた「東京新聞」に、以下のような文章を寄稿しました。


42年後の「11月25日」

十一月二十五日は三島由紀夫の命日だった。自決したのは昭和四十五(一九七〇)年。当時私は高校一年で、意識して作品に接したのは没後からだ。

やがて三島自体に興味を持ち、毎年この日の前後に、私が“三島本”と呼ぶ、その年に出た三島関連の「新刊」を読む。

たとえば二〇〇二年の橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』。〇五年は中条省平の編著『三島由紀夫が死んだ日』。椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』は〇七年だ。

一〇年には多くの三島本が出て、『別冊太陽 三島由紀夫』には川端康成宛ての手紙が載った。「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です」という言葉が印象に残る。

今年(*2012年)は柴田勝二『三島由紀夫作品に隠された自決への道』を読んだ。「潮騒」から「豊饒の海」までを分析し、その死の意味を探っている。

だが、これを読みながら気づいた。私は三島を理解したい一方で、未知の部分を残しておきたいらしい。新たな三島本でも謎が解明されていないことに安堵しているのだ。

先日の二十五日は日曜だったが、入試があり大学に来ていた。三島が自決した正午すぎ、たまたま上階にある研究室に戻った。

窓外には四谷から飯田橋方面にかけての風景。正面に背の高い通信塔が見える。そこに位置する防衛省本省庁舎、かつての陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に向かって合掌した。

(東京新聞 2012.11.28)


そして、47年後の「11月25日」に・・・

今年の命日に読んだのは、篠原 裕『三島由紀夫かく語りき』(展転社)、山本光伸『私の中の三島由紀夫』(柏艪舎)などでした。

その中で最も興味深かったのが、三島由紀夫『告白 三島由紀夫 未公開インタビュー』(講談社)です。著者が本人(!)というだけで、読む前から揺さぶられるものがありました。

三島由紀夫の自決は昭和45年11月25日だったわけですが、その約9か月前に行われたインタビューが発見されたんですね。この本は、それを収録しています。

録音テープの中の三島が、「文章に余白がないこと」を自らの欠点とするなど、快活かつ率直に文学と人生を語っていることに驚かされました。インタビューの中で何度も話題になる、三島の『太陽と鉄』も併録されています。

今年の「11月25日」も、日中は、やはり大学で入学試験を行っていました。(最近の入試は多様化していて、何だか年中、入試をやっているみたいな感じです)

昼休みに研究室に戻り、窓から見える「市ヶ谷駐屯地」の巨大な通信塔に向かって、例年通り合掌しました。

ドラマ『陸王』の、あの”女優さん”が活写する「作家群像」

2017年11月05日 | 本・新聞・雑誌・活字


「うーん、上手いなあ」と思わずつぶやいてしまいました。といっても、現在放送中のドラマ『陸王』で見せている、達者な演技のことじゃありません。

阿川佐和子さんの『あんな作家 こんな作家 どんな作家』(ちくま文庫)です。

名だたる作家にインタビューして、エッセイ風の文章にまとめる。これって実は、なかなか難しい仕事ですよね。

読者って欲張りですから、作家の「人となり」と作品についてはもちろん、過去から現在(書いた時点での)までの軌跡や、「ここだけの話」も欲しがる。それを短い文章で、それも読ませる文章で仕上げるのですから。

ベースにあるのは、相手を構えさせず、媚びず、また慇懃にならずという、やっぱり阿川さんの「聞く力」だと思います。

単行本が講談社から出たのは1992年。60名近い作家が並んでいますが、四半世紀が過ぎた今、こうして文庫本で読むと、亡くなった方々も多い。松本清張、吉村昭、森瑤子、吉行淳之介、遠藤周作、井上ひさし、そして山口洋子も・・・・。

でも、この本の中では阿川さんのペンによって、実在しています。人物像も、肉声も、ここにある。ありがたくて、ちょっと不思議な感じです。

ところで、ってのもヘンですが、この本のタイトルは、童謡『汽車ぽっぽ』の歌詞「なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂」からきた、阿川さんお得意の駄ジャレだってことは、世間にちゃんと通じているのでしょうか(笑)。

確か、この『汽車ぽっぽ』を作詞・作曲した本居長世は、国学者・本居宣長の、直系じゃないけど子孫だったはず。余談ではありますが。

ある「本屋さん」をめぐる記憶

2017年09月15日 | 本・新聞・雑誌・活字



昨日、大学院の9月入試がありました。筆記試験と口述試験が終わり、研究室に戻った時、ふと「帰りに銀座の本屋さんに寄って行こう」と思ったんです。まだ明るい夕方。四谷から銀座まで、地下鉄でわずか8分。

ちょっとウキウキした数秒後、「そうか、あそこはもうないんだ」と気づきました。何十年も通っていた本屋さんは、もうずっと前になくなっていました。

忘れもしない、2008年5月のことです。当時、八王子にある大学にいたのですが、教授会が予定より早く終わり、久しぶりで銀座に出たのです。

びっくりしました。「旭屋書店」が消えていました。銀座数寄屋橋そばの、あの旭屋書店です。同じ場所が、まったく違う店になっていました。まるで浦島太郎の心境です。

その年の3月までの6年間、北海道の大学に単身赴任していました。とはいえ、帰京した際には、ちょくちょく顔を出していたのに、閉店をまったく知らなかった。不覚。残念。閉まる前に、店内をゆっくり見て回りたかった。

当時、銀座では、しばらく前に「近藤書店」&「イエナ」が消えています。学生時代から、銀座に行ったときは、ほぼ100%入っていた本屋さんでした。洋書をちゃんと読める語学力がなくっても、イエナの店内を歩き回り、洋書を手に取り、洋雑誌の表紙を眺めるだけで十分満足でした。

梶井基次郎『檸檬』の主人公と丸善の関係じゃないけれど、イエナには、自分を刺激するまぎれもない「文化(の香り)」があったのです。

近藤書店も、2階の品揃えが好きでした。美術、映画、写真などのジャンルも充実。必ず収穫があったものです。それなのに、1,2階の近藤、3階のイエナが一緒に消滅してしまった。以来、私にとっての銀座は、随分寂しくなりました。「でも、まだ旭屋がある、教文館がある、文具の伊東屋もある」などと自分を慰めたりして。まったく効き目はなかったですが(笑)。

庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んだのは1969年、中学3年生のときです。この芥川賞受賞作の終盤、大事な場面で登場するのが銀座旭屋でした。地方の中学生にとって、「東京・銀座・旭屋書店」は想像するしかなく、いつかは行ってみたい憧れの場所となりました。

18歳で上京して以降、銀座まで行って、旭屋書店に立ち寄らないことは、ほとんどありません。その銀座旭屋が無くなってしまった。

当時の銀座には、すでにヴィトンだろうがブルガリだろうが、思いつく限りの有名ブランド店がありました。それなのに、イエナも近藤書店も旭屋もない。路上で、「いいのか、それで!」と声に出すわけにもいかず、しばらく舗道に立っていました。雨が降りはじめて、仕方がないので、伊東屋と教文館を目指して4丁目交差点方向へ歩き出しました。

伊東屋で、ファーバーカステルのシャープペンシルとマルマンのスケッチブック50周年記念グッズなどを買いました。教文館では、開高健さんの『一言半句の戦場』を手に入れ、それで少し元気が出ました。家まで帰るエネルギーを2つの店でもらい、地下鉄の駅へと向かったのです。

もう10年近くも前、2008年5月のささやかな記憶です。

赤坂真理『東京プリズン』は、問題作であり続けている

2017年09月01日 | 本・新聞・雑誌・活字



赤坂真理さんの長編小説『東京プリズン』のテーマは、天皇の戦争責任と戦後問題です。2年にわたり「文藝」に連載されていたころから、すでに問題作として話題になっていました。

ここには2人の「私」が存在します。1980年のアメリカに留学している15歳の「私」から、2009年の日本で45歳となっている「私」に電話がかかってくるのです。

奇妙ですが、あるリアリティを伴った“過去の自分”との会話。電話口で彼女の母親を演じるうちに、かつての戦勝国で、敗戦国から来た少女として体験したいくつもの出来事が「私」の中で甦ってくる。また母親が抱えていた心の闇も少しずつわかってきます。

物語の後半に置かれた、留学中の主人公が参加する授業の内容が秀逸です。それは「東京裁判」を再現したディベートであり、彼女が「天皇の戦争責任」を追及する立場で議論が進むという複雑な構造となっています。そこで語られるのは、戦後の日本人が棚上げにしてきた国家論であり、戦争論であり、天皇論なのです。

この小説の主人公の名はマリ・アカサカ。少女時代にアメリカへ留学していた著者が感じ、その後も考え続けてきた「戦後社会」への違和感を、見事に文学作品として昇華させた意欲的な長編です。

戦後72年の夏に、「戦後史」について考える

2017年08月23日 | 本・新聞・雑誌・活字



孫崎 享:著『戦後史の正体 1945-2012』(創元社)の主旨は極めて明快です。戦後の日本は、常に存在(君臨?)する米国からの圧力に対して、「自主」路線と「対米追随」路線の間で揺れ動いてきた、というのです。

しかも著者は、外務省国際情報局長や駐イラン大使を歴任した、日本外交の内幕を知る人物。政治家や官僚がすべて実名で登場する刺激的な一冊となっています。

記述は編年体であり、敗戦・占領の時代から始まっています。敗戦後、吉田茂の「対米追随」路線と、重光葵の「自主」路線が激しく対立していました。重光は当然のごとく追放されます。また自主路線派だった芦田均も、わずか7カ月で首相の座を追われました。

そして冷戦の開始、朝鮮戦争の勃発により、アメリカの対日政策が変化します。アメリカは、日本に経済力をつけさせ、その軍事力も利用することを狙ったのです。

やがて安保条約が結ばれましたが、それはひたすら米国側に都合のいい内容でした。講和条約は安保条約成立のためであり、その安保条約は米軍を日本に駐留させる行政協定を結ぶために必要だったのです。

「日本の最大の悲劇は、占領期の首相(吉田茂)が独立後も居座り、占領期と同じ姿勢で米国に接したことにある」と著者は言います。読み進めるうち、その後の日本が、いかに敷かれたレールを走ってきたかが、はっきりとわかってきます。

確か今夜は隅田川。花火大会の夜に起きた殺人事件『罪火』

2017年07月29日 | 本・新聞・雑誌・活字


確か、今夜は隅田川の花火大会。

雨は大丈夫なんだろうか。

「花火大会の夜」に殺人事件が起きるのは、大門剛明:著『罪火(ざいか)』(角川書店)です。 

この作品、『雪冤』で横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をダブル受賞した著者の受賞第1作でした。

殺人事件を犯人の側から描く「倒叙ミステリー」に挑戦しています。

事件が起きたのは「伊勢神宮花火大会」の夜でした。犯人は35歳の元派遣社員・若宮忍。被害者は恩師である町村理絵の娘で中学生の花歩です。

若宮には、少年時代に過失で人を殺してしまった過去があります。一人で暮らす彼を、何かと支えてくれたのが町村母娘でした。では、なぜ花歩を殺したのか。

町村理絵と若宮が知り合ったのは、「修復的司法」と呼ばれる、事件の加害者と被害者の関係を調整する活動を通じてでした。

若宮を援助し、その更生を信じてきた理絵。一方、人生を諦め、荒んだ心のままに生きてきた若宮。二人の対比が鮮やかです。

緻密に描かれる、犯人の心理や犯行のプロセスも、「倒叙物」ならではの緊張感に満ちています。

1960(昭和35)年6月15日に・・・

2017年06月15日 | 本・新聞・雑誌・活字
当時の新聞紙面


安保改定阻止を叫ぶ全学連主流派学生約2万人が国会正門前で集会の後ジグザグデモ、国会構内で抗議集会を行おうと衆院南通用門に押しかけた。これを阻止しようと警官隊は放水で応戦したが約1000人の学生が構内に突入。衝突した際に、東大生、樺美智子さん(22歳)が死亡した。負傷した学生406人が病院に収容され、175人が逮捕された。警官隊175人も負傷した。「6.15事件」と呼ばれる。

(毎日新聞 昭和のニュースより)


・・・樺美智子さんが亡くなってから、57年目の6月15日。

もしも生きていらしたら、今年の秋に80歳になっていたはずです。

合掌。

『立花隆の書棚』は、「本の本」として突出した一冊

2017年05月21日 | 本・新聞・雑誌・活字


本が、生活空間を脅かし続けています。なんとかしなくてはと思いつつ、本は今日も増えるばかりです。

しかも、「さあ、今日こそ少しでも片付けよう」と動き出した途端、困った本を見つけてしまいました。立花隆:著『立花隆の書棚』(中央公論新社)です。

「本についての本」というか、「本の本」として、突出した一冊と言えます。厚さは5センチ。小さなダンベル級の重さ。全ページの3分の1近くを占めるカラーグラビア、それも本棚ばかりの写真です。

膨大な本が置かれた自宅兼仕事場(通称ネコビル)をはじめ、所蔵する本が並ぶ“知の拠点”が一挙公開されています。ああ、こんなふうに、自分が持つすべての本の「背表紙」を見ることが出来たらシアワセだろうなあ、と泣けてきました(笑)。

読者は写真を見ながら内部を想像しつつ、この館の主の話に耳を傾けることになります。まず驚くのは、医学、宗教、宇宙、哲学、政治など関心領域の広さでしょう。各ジャンルのポイントとなる書名を挙げながらの解説がすこぶる興味深いのです。

しかしそれ以上に、時折り挿入される「本の未来」や「大人の学び」についての言葉が示唆に富んでいます。

「現実について、普段の生活とは違う時間の幅と角度で見る。そういう営為が常に必要なんです」。そして、それを促してくれるのが紙の本なのだと、この”知の巨人”はおっしゃるのです。

片付けるより、読むのが先だということになってしまいました。

シナリオで再び味わう、ドラマ『カルテット』

2017年05月07日 | 本・新聞・雑誌・活字



ドラマ『カルテット』(TBS系)の脚本は、『Mother』(日本テレビ系、10年)『最高の離婚』(フジテレビ系、13年)などを手がけてきた坂元裕二である。

坂元裕二:著『カルテット1、2』(河出書房新社)は、このドラマのシナリオ集だ。

メインの役者が松たか子、松田龍平、高橋一生、満島ひかり。チーフプロデュース・演出は、『重版出来!』『逃げるは恥だが役に立つ』の土井裕泰。今、振り返っても、出演者も制作陣もかなり豪華だったのだ。

二重の“密室”というドラマ空間

4人のアマチュア演奏家が、カラオケボックスで出会う。バイオリンの真紀(松)と別府(松田)、ヴィオラの家森(高橋)、そしてチェロのすずめ(満島)である。偶然かと思ったが、実はそうではなかった。

彼らは、世界的指揮者である別府の祖父が持つ軽井沢の別荘を拠点に、弦楽四重奏のカルテットを組むことになる。簡易合宿のような、ゆるやかな共同生活が始まった。「冬の軽井沢」、そして「別荘」という二重の“密室”という設定が上手い。ドラマ空間の密度が濃いものになるからだ。

夫が謎の失踪を遂げたという真紀。それは果たして本当に失踪なのか、それとも事件なのか。夫の母親(もたいまさこ、怪演)から、真紀に近づいて動向を探ることを依頼されたのが、すずめだ。彼女は子供時代、父親(作家・高橋源一郎、びっくりの快演)に従って、詐欺まがいを行っていた経験をもつ。家森は何やら怪しげな男たちに追われていたし、単別府の事情や本心も不明のまま物語は進んでいった。

台詞の“行間を読む”面白さ

そんな4人が、鬱屈や葛藤を押し隠し、また時には露呈させながら、互いに交わす会話が何ともスリリングなのだ。それは1対1であれ、複数であれ、変わらない。見る側にとっては、まさに“行間を読む”面白さがあった。ふとした瞬間、舞台劇を見ているような、緊張感あふれる言葉の応酬は、脚本家・坂元裕二の本領発揮だろう。そして、台詞の一つ一つがもつ”ニュアンス”を、絶妙な間(ま)と表情で見せてくれる、4人の役者たちにも拍手だ。

このドラマは、サスペンス、恋愛、ヒューマンといった枠を超えた、いわば「ジャンル崩しの異色作」と言える。ここには、『重版』の黒沢心や、『逃げ恥』の森山みくりのような、つい応援したくなる“愛すべきキャラクター”はいない。だが、4人ともどこか憎めない、気になる連中なのだ。

いい意味で独特の暗さもあり、元々幅広く万人ウケするタイプのドラマではない。しかし続きが見たくなるドラマ、クセになるドラマとしては、前クールの中でピカイチの存在だった。


<追記>

5月7日(日)
午前5時30分~6時

「TBSレビュー」で、
ドラマ「カルテット」について
話をさせていただきます。

映画と現実がリンクした、松方弘樹主演『北陸代理戦争』

2017年05月03日 | 本・新聞・雑誌・活字



俳優の松方弘樹さんが亡くなったのは、今年の1月21日。気がつけば、3ヶ月以上がたちます。伊藤彰彦『映画の奈落~北陸代理戦争事件』(国書刊行会)を読み返すには、いい時期かもしれません。

1977年2月、深作欣二監督作品『北陸代理戦争』が公開されました。松方弘樹さんが実在の組長をモデルにした主人公を演じた、東映実録やくざ映画です。

実はその公開から2ヶ月後、映画の中で殺人事件が起きるのと同じ喫茶店で、なんと本当に組長が射殺されるという事件が起きました。いわゆる「三国事件」です。

なぜ、映画と現実がリンクするような事態が発生したのか。フィクションであるはずの映画は、進行中のやくざの抗争に、どのような影響を与えたのか。著者は丹念な取材と作品分析によって真相に迫っていきます。

本書から見えてくるのは、巨大な山口組に挑もうとした北陸の組長・川内弘の生き方であり、新たなやくざ映画の地平を切り開こうとした脚本家・高田宏治の執念です。

その時々のスキャンダルや事件をライブ感覚でつかみ、映画に取り込んできた東映。この『映画の奈落~北陸代理戦争事件』は、その東映を舞台とする”影の映画史”でもあります。

”鎮魂の月”最後の日に読む、いとうせいこう『想像ラジオ』

2017年03月31日 | 本・新聞・雑誌・活字


2011年以来、”鎮魂の月”となった3月も終わります。

今月最後の日に読むのは、いとうせいこうさんの小説『想像ラジオ』(河出書房新社)です。

これまでに、地震や津波を取り込んだ形の文芸作品がいくつも生まれました。

しかし、これほどのインパクトを持つものはないのではないでしょうか。


主人公は、ラジオパーソナリティであるDJアーク。

被災地から、不眠不休で放送を続けています。

しかし、そのおしゃべりや音楽を聴こうと、ラジオのスイッチを入れても無理なのです。

DJアーク自身が言うように、「あなたの想像力が電波であり、マイクであり、スタジオであり、電波塔であり、つまり僕の声そのもの」なのだから。

想像ラジオには、リスナーからのメールも届きます。

「みんなで聴いてんだ。山肌さ腰ばおろして膝を抱えて、ある者は大の字になって星を見て。黙り込んで。だからもっとしゃべってけろ」。

DJアークは話し続けます。

遠くにいる妻や息子を思い、聴いている無数の人たちの姿を想像しながら・・・。


オーバーなことを言えば、『想像ラジオ』は、日本で生まれた“21世紀の世界文学”といえる、問題作の一つだと思っています。

そしてこの作品で、言葉のチカラ、文章のチカラ、文学のチカラを、しっかりと示してくれた、いとうせいこうさんに感謝です。


「3・11」を取り込んだ物語として

2017年03月11日 | 本・新聞・雑誌・活字


今年もまた、3月11日がめぐってきた。

もう6年なのか、まだ6年なのか・・・。


あの大災害を取り込んだ小説の一つに、相場英雄『共震』(小学館文庫)がある。

事件は東日本大震災から2年後、宮城県東松島市の仮設住宅で起きた。熱心に被災者対応を続けてきた県職員が殺害されたのだ。

大和新聞記者・宮沢賢一郎は驚きつつも取材を開始する。被害者である早坂とは面識があり、その温厚な人柄が印象に残っていたからだ。

一方、警視庁刑事部捜査二課管理官の田名部昭治もまたこの事件に引っ張り込まれる。毒殺された早坂の遺留品であるノートに自分の名前が記されていたのだ。

「震災復興企画部の特命課長」だったという早坂に関する記憶はなかったが、田名部は東北へと向かう。

物語はこの2人の動きと共に進んでいく。被災者たちに慕われていた早坂はなぜ殺されたのか。

その謎を追う過程で明らかになる復興支援の闇。

虚構をはるかに凌駕した、圧倒的な現実を小説に取り込む困難な作業に挑んだ著者の力作長編だ。

村上春樹『騎士団長殺し』のこと

2017年03月10日 | 本・新聞・雑誌・活字



仕事の合間に、村上春樹さんの『騎士団長殺し』をじっくりと読み進めています。

先月末、HTBの「イチオシ!」に出演した時、ちょうどこの本の発売が話題となったのですが、そこでコメントしたのは「できるだけ、まっさらな状態で読もうと思っています」ということでした。

村上作品に関しては、もう何年も前からそうなのですが、発売直後から、先に読み終わった人たちの“解釈”や“発見”や“評価”など、たくさんの情報が出てきています。

でも、そういうものに影響されたくないので、というかシンプルに楽しみたいので、この本についての情報に接するのを避けて、オーバーに言えば遮断してきました。

読んでいて、それで正解だったと思っています。

だから、中身の話は、ここでもしません(笑)。