明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

私はOKじゃない、それでOK!

2007-06-18 21:55:57 | 想い
もしかしたら、もう随分長い間、私は落ち込んでいるのかもしれない。
なんとか忘れようとして、でも時々それはまた浮上してきて、その繰り返し。

自分のことを話すのは好きだし、おしゃべりな私だけれど、意外に本当に自分の心を苦しめていることというのは、口に出せない。
たぶん、一般的な人がそうであるように。

でも、それは秘密主義なわけではないし(私にヒミツシュギなんて言葉は縁遠い!)、自分のことは自分で解決しようとか、そんな立派なことを考えているわけでもない。

上手に話せるのなら、話したいし、誰かに聞いてもらいたいのだけれど、うまく話せない。言葉が見つからない。
それが正しい理由だ。

文章にしてもいいのであれば、いくらでも上手に相談ができるのだけれど、それすら去年、禁じられてしまい、書くこともできない。
そして、本当に大事なことは、いつだって言葉にならない。

彼がときどき、「かおりー、なんか悩んでるのか?何でも話してや」と優しく声をかけてくれるのだけど、私は「別に・・・」としか答えられない。
この感情を言葉に表すのなんか無理だ。

この間、ポツポツと少し自分の性格について悩んでいることを話したことがあったのだけど、私がそういう話をするのは非常に珍しいことで、彼も少しおどろいていた。
その内容は、もう長い間自分の中で考えに考え続けたことで、かなり言葉としてまとまっていたから、ゆっくり吐き出していくことができたように思う。

今のこの気持ちも、そういうふうに時間をかけて、ゆっくり言葉にして話せたらいいのだけれど、とりあえず今は形にはならない。
ただ、今日、自分の中で1つの区切りはついたような気がしている。
自業自得だといわれれば、そうかもしれないし、不可抗力だと思えば、そう言い張ることもできるような気がする。

いろんな意味でショックは大きかったけれど、もう忘れようと思っている。
反省すべき点は、今後に生かしつつも。
「損得の前に善悪がある」
この言葉を実践しようとしても、その「善悪」の判別が人それぞれであれば、必ずしも良い結果にはならない。

昔、中学生のときかな、ある友人に、こんなことを問われた。
「大阪に、ゴジラが現れたとする(←どんな設定や?)。私は建物の下敷きになり、あなたに逃げてほしいと言ったとする。あなたは一人なら逃げられる。さて、どうする?」
ちなみにこの友人は、中学生でこんなことを聞くくらいだから、ちょっと変わっていた。今はどうしているのか知らない。

私は言った。
「逃げられるとしても、やっぱり最後まで、あなたを助けようとする」と。

そうすると、彼女は「それは間違っている」と言った。
「それは、私の気持ちを無駄にすることになる。そこは、自分だけでも逃げることが優しさなんだ」と。

彼女の言いたいことはとてもよくわかる。
だけど、私はやっぱり万に一つの可能性にかけて、最後まで彼女を救い出そうとするだろうと思った。たとえ、二人とも死ぬことになっても。

今日、20年ぶりくらいに、こんなことを思い出した。
人にとっての「善悪」の価値観は違う。

だから、「私なら・・・」と思う。
私なら、いろんなものを失っても、人の想いを大事にしたいと。
それが自分の「善」。
でも、そうでない人もいる。人の想いをつぶしても、守らなければならない大事なものが他にあると。
それはその人の「善」。

「損得の前に善悪がある」なんて、それを実践する人によって異なり、あまり意味などもたないことだと、今日初めて思った。

中3のときのあやが手紙で私のことをこう書いた。
「無謀かつ情熱的」だと。
20年経った今でも、これ以上に私のことをぴったり言い当てた言葉は見当たらないと思っている。
(「オッサンと少女が同居している」というのは次点)

ゴジラが現れて、建物の下敷きになっている友を、私はやはり今でも置いて逃げることはできない。
それが、友の願いであり、愛であったとしても。
結局それは、自分本位、自己満足、自己愛の表れなのかもしれないが。

それでも今は、こういう生き方も、決して間違いではないと思っている。

今年、ひのき(私が教えていた塾)が人材不足でヤバイという状況になったときも、戻るつもりでいた。
結局、大丈夫だったのだけど、ある人に話したら、「結婚するんやし、自分のことをもっと考えや」と優しい言葉をもらった。
だけど、私は忠犬ハチ公だから。

23歳、大学4回生だった。
作家になると就職活動もせず、ふらふらして、酒ばっかり飲んでいた私を、救ってくれたのは、ひのきだった。
子供たちの未熟さと優しさを、生きていくことのひたむきさを、不器用な人間のせつなさを、そして、そういうことと触れ合うことの大切さを、教えてくれたのはひのきだった。
私はひのきと出会わなければ、ずっと自分の中の優しさを知らなかった。
未熟な子供たちと接することで、私は自分の中にある優しさに気付くことができた。ひのきにいれば、いつも少しだけ優しくなれた。

私にとっては、灯りのともる家だった。
この世でたった一つの居場所だった。

今は、ここに本当の灯りのともる家がある。
長い間の、両親との確執もなくなったように思う。
だからといって、あの頃受けた恩は絶対に忘れることができない。
あのとき、ひのきがなければ、たぶん、今の幸せもないからだ。

話がずれたが、以前の私とは違い、完璧ではないおかしな自分のことも、少しだけ認め、好きになれるようになったように思う。
向上心をもつことは大事だけれど、完璧になる必要など、きっとない。
たぶん、以前なら、今日はやりきれない夜だった。
だけど、今の私は起こった全てのことを日記に書かなくても自分の中で折り合いをつけられるし、いろんなことを前向きに捉えることができる。

去年、社内報を辞めたとき、私は本当に辛かった。
大好きだったひのきを辞め、今まで中途半端にしていて迷惑をかけていた社内報の仕事に全力を注ごうと決めた時だっただけに、ショックも大きかった。
辞めなければならない理由というのがわからず、モヤモヤした時間を過ごした。
辞めてから、取引先(社内報の会社の大元)の社長の意向だったと、こういう結果になってごめんと言われ、なぜ最初にそれを話してくれなかったのかと、不思議だった。
何でも白黒はっきりしないと気がすまない私にとって、「辞めなければならない理由」がはっきりしないことで疑心暗鬼になり、とても苦しい時間を過ごしたからだ。
どんな理由であれ、理由さえわかればよかったのだ。
元々、いつ切られても仕方のないフリーの身。
ただ、信頼関係があると信じていたから、「切られる」ということは想定せずに、いつも全力で優先して仕事をしていた。
だから、やめることが決まってからの3ヶ月間は本当に辛かったな・・・
人生でも忘れることのできない3ヶ月間だ。

だけど今になれば、辞めてよかったと心から思う。
社内報の仕事は大好きだったし、本当に心から、会社の発展を祈っている。
忘れた日は1日だってない。
それでも、自分は結果的に辞めてよかったんだと今は思える。
所詮、組織の中でやっていくには不向きな人間だし、長くいればいるほど、迷惑をかけただろうし。

いろんなことがうまくできている。
いや、自分の心次第なのかもしれない。
愚痴や不満を言い続ければ、そういう空間しか生まれないし、感謝をすれば、また感謝したくなるような状況が生まれる。

ひのきを辞めた、社内報を辞めた、そういう自分にとって大きな変化も、良しと捉えれば、それは「良し」となる。
あの頃も幸せだったことは確かだし、今、全く違う状況の中で、それでも幸せなことも事実。
世の中のことは、白か黒かじゃないんだな。
グレーの部分が大半で。
私はもっとそれを受け入れなくてはならないと思う。

読んでいる人にとっては、何を言いたいのかわからないかもしれないが、今日これを書くことによって、随分救われた。
たまにはこんな日記もいい。
また明日、がんばろうや。
ねぇ。

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2 コメント

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連投すんません (うり)
2007-06-20 08:41:00
私はいつも言うことがあるんだけど、
物事が起こって、それが良かったか悪かったかなんて、終わってみないと分からないんだよね。

だからいつも、何か悪いことが起こってもその善悪はつけないようにしてるんだ。
その結果が、結局何をもたらすか分からないから。

だけど、いいことだけはとりあえず喜んで、楽しんでおく。
そんな感じですw

それにしてもラブラブだにゃー。
うらやますい♪
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いえいえ、嬉しいです (かおり)
2007-06-20 09:02:24
私も数年前くらいから、やっとそういう考え方ができるようになってきた。
以前は、すべてを二分して、どちらかに振り分けていたけれど(例えば、いいか悪いか)、最近はなるべくどちらにも置かないようにしている。

というか、本来物事は、うりさんも書かれているように、ニュートラルなものなんだよね。
善でも悪でもない。
それを、結果としてどちらに判断するかは、まさに自分次第。

少しずつそういう考え方ができるようになってきたように思います。
まだ難しいときもあるけどね。

うん、とりあえず、ラブラブだね(笑)
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