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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

優しい人に憧れる

2009-01-17 00:14:51 | 想い
自分が何を書きたいのか、よくわからない日がある。
だけど、無性に何かを書きたくて。

「書く」ということを仕事にして、
言葉でご飯を食べられるようになってから、
もう随分長い年月が経つ。

だけど、未だに「書く」ということは、
自分の「収入の手段」というよりは、
どこか気のおけない親友のようなもので。

今日は少しだけ淋しい気分で、これを書いている。
慰めてほしかったのだろう。
たぶん。
「書く」ということに。

私は「優しさ」について考えている。

本当に想っている人がいて、何か力になりたいと考えているのに、
自分は何もできない、ということのほうが極めて多い。

これは一体なぜなんだろう。

私は人生においてあまりいい評価はされたことがないが、
自分に対する最大の褒め言葉としては、
「情が深い」とか、「熱い」とかがある。

でも、「優しい」とは生まれてこのかた言われたことがない。
それはたぶん、優しくないからだ。

周りの人はいともたやすく「太陽さん」になって、
力づくではなく、相手が自ら動けるようにサポートしているのに、
私はいくら想いがあっても「北風さん」のように、
力づくで人を動かすことしかできない。

以前は「想い」さえあればいいのだと思っていた。
「想い」こそが人を動かすのだと。

でも、決してそうではない。

今日はそんなことをふと考えた。
なぜなら時間がありすぎたのだ。

朝、早くから取材に行って、お昼過ぎには帰れるはずだったのに、
すぐ横の駅で人身事故が起き、1時間も足止めをくらった。
何もすることがなく、考えたことを人にメールしたり、
自分自身に問いかけたり、忙しい毎日にはありえない貴重な時間を得た。

こういう「ふと訪れた休息」というのは大事なのかもしれないな。

自分がなぜやさしくなれないのか、
なぜこの間のように夫とケンカをしてしまうのか、
ということを考えた時、
以前読んだ本の中に答えがあったなぁと思い出した。

「自分の正しさを主張するより、他人との調和を大事にしたほうがいい」
「自分以外の人がみんな正しいと思うべき」

その本にはそう書かれていて、
なんだか目からウロコ状態だった。

私はとにかく「正しいこと」が好きだ。
それも自分の価値観のみ!!(基本は一般的だけど)

だから、ケンカをしても言うのは
「私は正しい」とか「私が間違ってるなら謝る」とか、
そんなことばかり。

どっちが正しいか?

白か黒か?

私は物事を二通りにしか考えることができない。
そして、少なくとも正義感は強い。
だから、正しさばかりを求めてしまうのだ。

ケンカした時夫によく言われるのは、
「正論やと思う。でも、みんながかおりみたいに正論通りにできるわけじゃないねん」

これを言われると、
いやいや、正論を批判するのは間違ってるやろ?と、また正論を繰り広げてしまう。

でも、私の好きな「正しい or 間違い」からいけば、
いろんな場面で私が間違っていたのかもしれないな。
それは夫に対しても、友達に対しても。

こんなにも優しくなりたいと思うのに、
いつまでたっても優しくなれない自分は、
やっぱりどこか欠落しているんだろうなと、
いつもの結論に辿り着く。

あまり時間があるのもよくない。
こういう嫌な結論に辿り着いてしまうほど
時間をもてあますのはよくない。

でも、今日はいい取材ができたな。
すごくいい企業さんだった。
富田林にある、設計・開発・金属プレス加工などをしている会社。
同じような工場で働くなら、こういう会社を選んだらいいのになぁと思った。

ここも自動車には関係ある会社。
決して不景気のあおりを受けていないわけではない。
でも、「こういう時期だからこそ」と、求人をする。
それは、「いい人材を確保」して、自社を「拡大したい」からだ。

ピンチはチャンス。

この使いふるされた言葉を実践できる会社は、
勤める本人さえ前向きであれば、前向きに仕事ができる会社だ。

いろんなものを作っているけど、わかりやすい例のひとつで、
「蛍光灯のパチッと留める部分」を作っていると聞いたとき、
あ~、世の中はいろんな人の想いで運営されているんだなぁと思った。

世の中に「不必要な仕事」なんてないのだから、
できるだけ人を大切にしてくれる会社で働くことが幸せなんだろうなと思った。

まあ、会社勤めを知らない私が言うことではないけれど。

10年前までは、自分には才能があると密かに思っていた。
大学の頃なんて、未来は輝いていた。
まだそういう勘違いを捨てきれず、
たまーに、何か書いてみようかな……なんて思う。

今年も芥川賞と直木賞が発表された。
また、うちの能天気なおかんからの「かおりちゃんの直木賞はまだ?」
なんて、罪深いフレーズの留守電が入ってないかとドキドキする。

昔はいろんな人が応援してくれていた。
でも、今はもう何も書けない。

何も物語が生まれない、空っぽの自分がいるだけ。
就職もせず、「何か」を書きたかった自分は一体どこに行ってしまったのか。
あの「何か」は一体なんだったんだろう……。

なんてね。
もう酒で流せば終わりなんだけど。

様々な人間模様

2009-01-05 19:19:38 | 想い
生徒を見ていると、いろんなことを思う。

A、B、Cと、学力レベルごとにクラスを3つに分けているのだが、
どの時代もAクラスは比較的おとなしい。
特に入試が近づくこの時期になると、ある程度の自覚というか、焦りらしきものが芽生え、なんやかんや言いつつも真剣さが増す。

進学塾ではないので、Aクラスといってもたいしたことはないのだが、
それでも何と言うか・・・「選ばれた者」といった自負もあるのだろう、
なんとなく自信とプライドをもっているように見える。

一番下のCクラスと大きく違うのは、真剣さではない。
Cクラスはまた違った意味で(高校にいけるかどうか!)焦りがあるので真剣だ。

勉強なんてしたこともなかったくせに、1日6時間以上も塾に毎日来て勉強している。
ちゃんと来て座っているだけでも褒めてやりたくなるやつらだ、
6時間も勉強するって、私が思っている以上にしんどいんだろうなぁと同情的にもなる。

これも毎年のことだが、なぜかCクラスはみんな仲良くなる。
3つの中学から集まっているのにすぐに親しくなり、前からの友達のように遊んでいるというケースが多い。
あまりいろんなことを深く考えないから、警戒心がないのだ。
共感できることも多いのかもしれない。

今年も例に漏れず、冬期講習に入ってから急に仲良くなり始めた子らがいる。
休み時間になると、きゃっきゃと遊んでいる。
なかなか微笑ましい。

しかし、今年のCクラスはどうもいつもと違う。
統制する人間(講師)がいないと、すぐに混乱を招く。
放っておいて、きゃっきゃと遊んでくれていたら楽ちんなんだけど、そうもいかず、いつも目を光らせていなければならない。

原因は、はっきりとしていている。
「いじめ」だ。
「いじめる人間」と「いじめられる人間」がいる。
もちろん、いつも注意してはいるけれど、どうしても自分の目が届かない時もある。それが怖い。

よく「いじめられる側にも原因はある」というようなことが言われるが、これは全くおかしな理論ではあるけれど、「なるほどな」と思うことはある。
「原因」というよりは、「要素」というのか。
先ほど書いたように、Cクラスの生徒は警戒心が少なく、あまり物事を深く考えない。
だから、すごく単純で、「異質なもの」を嫌う。

いじめられている子のことは、私はすごく好きなんだけど、
好き嫌いではなく、「変わっているな」とは感じている。
パソコンオタクで、その分、逆に中学生にしてはすごく広く世界を知っている。
パソコン繋がりのような(オフ会?)友達もいるようだし。
話していると、ある意味大人っぽいところも感じる。
だから、オタクだろうが何だろうが、「自分」というものをちゃんと持っているので、それが他の中学生から見ると何か異質に感じるらしい。

例えば、アニメの女の子の絵を携帯の待ち受けにしていたら、何か言われるだろうとだいたい予想がつくんだけど、別にそのことを隠すわけでもない。
結果、予想通り、おちょくられる。

ふと、自分の子供時代を思い出すわけだ。
別にアニメの女の子には興味がなかったが、まあ、ちょっとマニアックではあった。
どうも自分の趣味嗜好は一般の子供と違うらしいと感じていた。
そこでどうしたかといえば、一生懸命に芝居をしていたわけだ。
できるだけ一般的な、大多数の人々と同じになるように。
「異質なものは排除される」ということを幼いながらに感じていたからだ。

そういう面から言えば、その生徒のほうが私より根性がある。
ただの「いじめられっこ」ではなく、やられても絶対に言い返すし、やり返す。
ものすごく自己主張の強さを感じる。
それがまたいじめっこにしては面白くないのだろう。
でも、その自己主張の強さに私自身は救われている。
なんというか……、オタクの強さを感じるんだなぁ。
何もない子よりもずっと、この子は充実した人生を送れるような気がして。

何でもそつなくこなせて、劣等感をもったことのない人は別だけど、
そうでない人間にとって「好きなものがある」ってことは絶対的に強い。
そのことを私は知っている。
その「好きなもの」があって、やっと「そつない人間」と同じ土俵に立てるのだ。
「劣等感」って、プラスにもマイナスにもすごく大きな幅で振れる。

「いじめっこ」のほうはどうかといえば、またこれがかなり歪んでいて。
「高校受かったら、この塾に火つけたるねん」と言っているのを聞いたときには、なんだかやりきれない気持ちになった。
怒るとかでもなく、そんなことを冗談でも言ってしまう、この子の心はどうなっているんだろうかと心配になった。
ちょっと泣きそうになった。
(前に日記に書いた、私と授業中に言い合った生徒だ)

でも、この間、こんなことがあった。

年末の私の最後の授業の日。
いじめられてる子が私に「お正月に○○に行くねん」と言ってきた。
○○とは、新しくできた大きなショッピングモール。
「そうなんや~、何買うの?」などと話をしていると、
いじめっこのほうが急に話に入ってきた。
「○○? そこ、俺の母さんが働いてるねん」

彼の両親は離婚していて、お母さんは離れて暮らしている。

「あっ、そうなん?何してるの?」
私が聴くと、
「そこの中にあるネイルとかエステとかやってるところで働いてるねん」
と教えてくれた。
「そうなんや~。カッコイイなぁ、私もネイルやってほしいわ~、あんたの先生ですって言ったら安くしてくれるかなぁ(←言うことがせこい)」

いつものこの子なら、「あほか」とか「先生なんかやっても無駄やわ」とか、憎まれ口でもたたきそうなところなのに、そのときは「う~ん、俺もわからんわ。俺、母さんと離れて暮らしてるから。親別れてるし」とまともに答えてくれて、
「俺も正月に会いに行くねん」
と言ったその顔はすごく嬉しそうだった。
この子のそんな顔を初めて見た。

私はなんだかせつなくなってしまって。
この間、偶然聞いた、ある講師が言っていた言葉を思い出した。

あんまりよく話は聞こえていなかったんだけど、誰かのことを生徒が悪く言ったようだった。
すると、その講師が、
「あいつに責任はない。あいつを取り巻く環境が悪いだけ。家庭や社会が悪いだけで、あいつには責任はない」
と力説していた。

それを聞いたとき、うん、うんと頷く自分と、「そうやろか……」と首をかしげる自分とがいた。
それは、その講師とは接している生徒の数が違うからだ。
私はたぶん直接受け持った生徒だけでも500人は超えている。
いろんな生徒を見てきた。
家庭環境が悪い生徒も山ほど。
だけど、どんなに悪い環境にあってもいい子もいるし、何の問題もない家庭に育っていても人を傷つけることが平気な子もいる。

環境が人を育てる。
これはもちろんそうなんだけど、これだけじゃない。
いろんな要素がある。
離婚している友達もいるが、その子供はめちゃくちゃ優しいし、曲がってもいない。

また、本人の才能みたいなものも影響する。
例えば、劣悪な環境に育ったとしても、運動神経がよかったとする。
野球部に入る。
仲間ができる。
目標ができる。
打ち込める楽しい毎日がある。

同じような環境に育った子が、運動神経が悪かったとする。
野球部に入る。
すぐ辞める。
暇ですることがない。
悪い仲間とつるむ。

まあ、これもすごく短絡的な話ではあるけれど、
私が言いたいのは、環境だけが人を決めるのではないということ。
その子がもっているものや出会いや、いろんなことが要素になって、人を作り上げていく。
一面ではかれるものではない。

今日、今年初めての授業のとき、そのいじめっこのほうがなぜかいつもいじめている子に向かって普通に話しかけた。
「なあ、お前、○○に行ったんか?」
「行った」
「なんか買ったん」
「なんも買わへんかった」

私がそこで話に加わった。
「あ、行ったんや~」

すると、いじめっこが言った。
「俺も行ったで。でも、俺は母さんに会いに行っただけやけど」

お母さん元気だったの?とか、楽しかった?とか、何か言いたかったのだけど、わざわざその話をして、またちょっと恥ずかしそうに嬉しそうにお母さんのことを話すその子を見ていたら、何を言ってもバカな大人みたいで、どうしても言葉が出なかった。
「そうか~」
って、結局バカみたいな返答のみ。

もし、この子の両親が離婚していなかったら、この子はもう少し優しくなれたんだろうか?
そんなことを思う。
でも、答えはわからない。
離婚がこの子の性格形成にどれほど影響していたのかわからない。
それは本当に人それぞれなんだ。
もっと細かな環境の一つひとつや、元々もっている性質や才能や・・・いろんなことが混じり合って、人格というのは形成されるのだろうから。

でも、一つだけわかっているのは、
この子はお母さんが好きなんだろうな、ということ。
たぶん、淋しい想いもいっぱいしたんだろう。
お母さんはネイルサロンのオーナーをやっているらしく、そのことを私に言うとき、ものすごく誇らしそうな顔をした。「オーナーやねんで」って。

若干15歳。
でも、もう15歳。
いろんな想いがある。

そんないろんな想いを抱えた15歳が入り乱れる中で、あまり世の中に出てから役立ちそうもない因数分解などを教える毎日。
もう少し役立つことを教えてあげられたらいいのだけど。

そして、実は、相変わらず私のほうが教えられることばっかりだ。
いろんな想いと、いろんな人間模様を見ながら、自分自身を見つめ直す。
世の中を見つめ直す。

あけましておめでとうございます

2009-01-02 23:52:13 | 想い
あまり、読者の方に対して日記は書かないのだけど、
今日はちょっとご挨拶を……。

改めまして、皆様、あけましておめでとうございます!!

更新しない日が続いても、毎日100くらいアクセスがあるのを見ると、本当に申し訳ない気持ちになります。
きっとその方たちの多くは、世の中にこんなふうにブログとかmixiとかが流行る前から私の日記を見てくださっている方なのではないかと思っています。
いつもありがとうございます。

おそらく今年で10年目になるのでは?

この「日記」は、何もかも中途半端に生きてきた自分が、たった一つ継続していることかもしれないなぁと、最近は思っています。

だから、こうして世間に発表していると、いろいろ嫌な目にも遭うけど、
たぶんこれは続けていくんじゃないかな。

ライターとして仕事で文章を書くことも好きだし、
こうして個人的な想いを綴ることも好きだし、
とにかく「言葉」と向き合っていれば、
毎日が幸せな気がするのはどうしてなのかな。

とてもドキドキする

ドキドキできるものがあってよかったと、心から思います。

2008年は、またたくさんの良い出会いがあり、
ライターとしてもいい仕事に恵まれた年でした。
新聞のコラム連載、親友・ゆうちゃんとのコラボの実現、年間50社ほどの企業取材、1万字以上の長文記事、ホームページの企画・制作等……。

自由に、私の想いを書ける仕事も多く、
のぼせあがるほどの褒め言葉もたくさんいただきました
ライターを続けてきてよかったと、
やっと自分がやりたかった「フリーライター」らしくなれていると、
そんなふうにも思います。
取引先に嫌な人がいないというのもストレスがなくていいですね。

また、なりゆきでもう一度塾講師を副業でやることになってしまったけれど、
これは仕事というより趣味みたいなもので。
お金をいただいている以上、そして、人相手である以上、
プロ意識はもちろんあるけれど、
「趣味」だと思っていないとやりきれない部分もあるのは事実。

でも、やっぱりここでも講師・生徒含めて良い出会いがあり、
面白いことや考えさせられることがあり、
とても刺激的な毎日でした。

健康面では、夏に原因不明の腰・股関節痛で苦しんで、
この夏のことは一生忘れないだろうなぁと思っています。
それくらい辛くて苦しかった。
起きているときの意識のほとんどが「痛い」だったから。
あれが2ヶ月くらい続いた。

夏期講習とか取材とかやっていたけれど、
今思えば日常生活も困難だったのに、やりきったことが不思議なくらい
取材先でお辞儀すらできないほどだったのに。

きっと、普段「タフだ」「鋼鉄の女だ」「健康だ」と言っている自分を否定したくなかったのかもしれません。

でも、毎日駅までの暑い道のりを激痛に耐えて歩きながら思っていました。
「この苦しい夏のことは一生忘れないだろうなぁ」と。

自分は絶対に健康だと思って生きてきたけれど、
そんなことないとわかった夏。
よかったです。

2008年は本当にいい年でした。
感謝。

今年はもっといい年になるような予感が今からしています

今年もどうぞよろしくお願い致します。

なんだかなぁ……

2008-12-03 12:27:56 | 想い
今日明日に締め切りを迫られている仕事がないため、
どうも毎日をダラダラと過ごしてしまっている。

ダラダラ・・・

私には最も不似合いな言葉である。
嫌だな、こんな自分。

毎朝起きたときは「よし、今日は禁酒するぞ!」と誓うのに、
夜になれば杯を傾けている自分がいて。
後悔の日々。
「成功」は遥か彼方。

昨日でテスト対策は終わった。
なんとなく不完全燃焼だが、とにかく終わった。
次は冬期講習だなぁ。

塾は仕事というより趣味みたいなもんだからいいとして、
最近、私はこのまま「もの書き」として
やっていっていいのだろうかと思うことがある。

思考と文章の間が遠くなっているような気がして。
前はもう少し近くにあったはずなのに。
簡単に言えば、「想いが言葉になりにくい」ということだ。

原稿を書くのに、とにかくやたら時間がかかる。
そして、書き上げた原稿もパッとしない。
でも、今の自分にはこれで100%
自分の文章を好きになれなくなったなんて、初めてだ。

クリエーターなんて、基本的にナルシストじゃないとできないこと。
自分の生み出すものが愛しくて、好きで好きで。
そういう感情がないとやっていけないと思う。

最近、自分の作品を読み返すのがとても嫌だ。
どうも自分の中でしっくりこなくて。
これは一体どうしたことなんだろう。
いわゆるスランプか?!

そして、忙しさに関係なく、なんだかいつもある「追われている」感。
追われているのに全く進めていないような、そんな気分になる。
「ああ、今日もまた何もできなかったなぁ」と、
そういう後悔をもって一日を終えてしまうのだ。

どこかで切り替えなきゃとも思うんだが。


選択したのは二人の生活だから

2008-11-24 19:53:29 | 想い
昨日は久しぶりに夫の実家へ行った。
相変わらず、おとうさんもおかあさんも優しくて、
私は心地良く、楽しい時間を過ごした。

最近は、やっと「お手伝いのタイミング」もわかるようになって、
スムーズにいろいろこなすことができている。
「ヨメ」はやっぱり難しいこともいろいろあるけど、
でも、難しいご両親じゃなくてよかったと、いつも思う。

行きのバスで、自分が気に入った家を買えなかった怒りに任せて、
彼に昨日書いた日記の内容と同じことを話した。
(実際に話したから、あとでここに書いたのだが、
ちょっと感情的になっていたので削除しました。)

「成功して、自分で家を買う」
と言ったら、
「それもいいな」
と彼は言った。

他にもいろいろ話し合って、自分の気持ちもぶつけて、
とりあえずは解決した。
まだ当分、家探しは続きそうだ。

でも、今日になったら私はもうすっかり気力がなくなってしまっている。
ピークに達していた情熱と喜びが一気に崩れて、
一晩経って怒りもおさまったら、今度は脱力感だけが残っていた。

「自分の意見を主張すること」
「人と仲良く穏やかにやっていくこと」
この二つを同時にやるなんて無理なんだ。
どちらかを選ばなければならない。

若い時の私なら、100%前者だったけれど、
今は怒ったりぶつかったりするほうがしんどくて、
流されても、穏やかな時間を過ごしたほうがいいとさえ思ってしまう。
不思議なほど、今は脱力感だけがある。

彼も同じように、あきらめなければならないことがあり、
それを呑み込んで暮らしているのだから、お互い様。

そうやって、話し合って、時には我慢もして、
少しでもお互いが満足いくような「二人の生活」ができればいい。

気ままで自由な「一人の生活」を守ることより、
この世のほかのどんなことよりも「二人の生活」を優先すると、
お互いに選択したはずなのだから。
それは、そのほうが幸せだと判断したからだ。

「住めば都」と言うから、また愛せる場所が見つかるかもしれない。
そんな前向きな気持ちで、今はこの町のことを忘れるように努力する。
二人で仲良く暮らせたら、きっと他の土地でもがんばれるだろう。

庭のある家に住みたい

2008-11-18 23:28:24 | 想い
この何ヶ月か、時々「家」を見に行っている。
私もいつまで今のような稼ぎがあるのかわからないし、
できれば早めに買って、働けるうちに働いてできるだけ返しておきたいと思って。

「家」熱は上がったり冷めたりなんだけど、
今はかなり上がってきている。
(この間、同級生Yの豪邸を見たせいか?!)

今、ちょっといいな~と思っている中古のマンションがある。
できれば新築がいいし、できれば素敵な一戸建てがいいのだが、
あまり贅沢も言ってられない。
お金のこともあるけど、「気に入った物件」ってあんまり出会わないから、
「あ!ここ!」と思ったら決めてしまうほうがいいような気がする。

そのマンションは、実は1階。
マンションの1階って怖いし、考えたこともなかったのだが、
「庭付き」というところに惹かれてしまった。

私の実家は団地の1階で、結構ちゃんとした庭がある。
母の庭はそれはもう、四季折々の花を咲かせ、とても美しい。
子供の頃は芝生があって、そこにゴザを敷いて遊んでいたという思い出もある。
一人で、花と緑に囲まれて、空想の中で遊ぶのが好きだった。
今思えば優雅なことだ。

庭付きのマンションを見て、あの子供時代の自分が甦ってきて、
なんだかもうどうしても庭のある家に住みたいと思うようになってしまった。

母が張り切って花壇を一緒に作ってくれる様子が目に浮かぶようだ。
今の狭いベランダでの「無理やりガーデニング」ではなく、
本当にちゃんとしたガーデニングができる。

私はガーデニングがしたい。
庭でビールが飲みたい。

しかし、貯金ないな~
相変わらず……

今日打合せしてきた新しい仕事が来年から軌道に乗れば、
多少は蓄えもできそうな気がするが。

休むと下手になる

2008-11-13 19:52:41 | 想い
最近、更新が滞っている。

アクセス状況を見ると、それでも毎日100人以上の人が
習慣のように覗いてくれているのだとわかり、
ちょっと申し訳ないな~という気分になる。

どうも覇気がない。

めちゃくちゃ忙しいわけではないのだが、
なんだか余裕がない。

「書く」というのは、習慣にしないと全く書けなくなってくるから不思議だ。
自分の想いを文字にするという作業をしないと、
だんだん「思考」⇒「文字」の変換がうまくできなくなってくる。

例えば、楽器でも練習を休むと指が動かなくなったりするが、
それと一緒のような感じだろうか。

もの書きとして、これではいけない。
だから最近、仕事の文章も書くのが遅くなったのかもしれないな。
昔はとにかくスピードだけは誰にも負けなかったのだけど。

ちょっと気持ちを入れ替えて、
今日から毎日ブログを更新しようと思う。
乞うご期待!


塩次伸二さんのご冥福をお祈り致します

2008-10-22 02:54:15 | 想い
ショックだ。

最近、自分のことでばたばたしていて、
ろくにネットも見ていなかったら、
かなり遅れて今日、塩次伸二さんが亡くなったことを知った。

しばし、呆然。

言葉なし。

いや、だって、ついこの間、くんちょうさんのライブで、
客席で一般客に混じって観ていて、
途中で呼ばれて1曲弾いてくれたんだ……

本当についこの間。
相変わらずカッコいいギターだった。

1ヶ月前くらい。

なのに、もうこの世にいない。
あのギターはもう聴けない。
嘘だろ……

こうやって、偉大なるブルースマンが亡くなっていく。
人の運命なんてわからないものだな。
もっともっとブルースを弾きたかっただろうと思うと、
本当にせつない。
もちろん、私ももっと聴きたかった。

まだなんだかうまく言葉にできないな……

ただ、ご冥福をお祈り致します。。。
素敵なブルースをありがとうございました。

今日は喪に服す意味で、ウエストロードのCDと、
妹尾さんと塩次さんのセッションCDを聴きます。

優しさの種類

2008-10-11 02:37:16 | 想い
何か自分が不愉快な想いをしたとき、
人のことを悪く思うのと、愚痴を言うのは簡単だ。

そう、とても簡単なこと。
だから人はそうする傾向にある。

ま、「人」なんてくくってしまったが、「私」のこと。

「浅はか」な自分にがっくりする。本当に。
まだまだ修業が足りんな。
いや、私みたいなのはいくらやっても無駄か。

たいしたことではないのだけどね。

取引先の人にメールである質問をしたら、トンチンカンな返答が帰ってきた。
お金が絡む話だったので、はぐらかしているか、答えないつもりか、私を怒っているかだと思った。

そのメールを読んでからひどく気分が悪かった。
ずっとブツブツ一人で文句を言いながら、拗ねていた。
酒も今日は飲まない日のはずなのに、破って飲んだ。
(飲むための口実にしたのかもしれないが)

その人は、前もちょっとやりあった一件がある人で。
やっぱり苦手だと決め付けた。
でも、せいぜい「大人らしく」ふるまおうと、相手の気持ちには気付かない馬鹿のふりをして、再度質問を繰り返した。

そうしたら、返事がきた。
思いやりのある内容だった。
書きにくそうに書いた最後に、「わかってください。オフレコで」とあった。

経費が厳しい会社での立場上、私にああいうトンチンカンな返答をせざるを得なかったのだとわかり、読んだ瞬間に、カッと顔が熱くなった。
それを察することもできず、とぼけた質問を繰り返した自分があまりに恥ずかしくて。

自分のいじけた、ゴマ粒くらいの小さな心に嫌気がさした。

自分の人生って、こういうことの繰り返しのような気がする。
結局は成長できていないんだろうといつも思う。

そういえば、昨日も彼にキレたな。
「なんで、手を洗った後、いちいち新しいタオルを使うの!毎日替えて清潔にしているのに、私が手を拭いたタオルは使えないのか!」と。
またキレた。

私の夫はみんなに自慢したくなるくらい素晴らしいが(Love is blind)、夫にキレることは3つだけあって。
先ほどのタオルのことと、「トイレのドアを開けっぱなしで用を足すな」と「歯磨きをしながら洗面所から出るな」。

この件に関しては、一度、「人生でこんな屈辱を味わったことはない!!」と泣きながらキレた。
離婚しかねない勢いだった。
彼はびっくりしていた。
何を怒っているのか、わからないようだった。

人生において見たことがなかった彼の「無礼な言動」を、あやに深刻な顔で訴えたら、
「かおりちゃんは、お上品に育てられてるから。そんなん別に珍しくないで」とたしなめられた。

それで、今度は私がびっくりした。

そうなのか。
私が変わっているのか。
これは思い出すだけで屈辱で身が震えるほどのことではないのか。
その場に、彼も一緒にいたのがまずかった。
「あやさんも、普通やって言ってたやろ」と開き直る。
一応、私も我慢しようと試みる。
だけど、やっぱりダメだった。昨日は久しぶりにキレた。

他人と暮らすってのは、難しいもんだ。
結婚すると成長するって、本当だな。
自分と全く違う文化をもった人間と、新しい文化を築いていく、そんな感じだ。
文化と文化の融合。

我慢したり、譲ったり、話し合ったり、時には激しくぶつけあったりしながら、新しい文化を作り上げていく。

昨日、タオルのことであんなにキレまくったのに、
朝、「原稿見て」と頼んだら、会社に遅れても見てくれた(それもどうかと思うが)。
おかげで、連載最終回も1発OKが出た。

表現が悪すぎて、これを読んだら彼が怒ってくるかもしれないが、
本当にいい意味で、彼の「間の抜けたような」優しさに出会うたびに、
私は衝撃を受ける。

こういう種類の優しさって、私は持ち合わせていない。
自分がもってる優しさって、道端に咲いている小さな花を飛び越えて、そのことを「私って、優しいでしょ?」と人々に念を押し、「そうですね」と無理やり言わせて満足するような種類のものだ。

いつも「どうよ?私って、どうよ?」と自己主張しなければ気がすまない。
人の評価でしか自分を認めきれない。

最上表現をすれば、泳げないのに溺れている人を見たら飛び込んでしまう類の、熱血馬鹿的な優しさはあるかもしれないが、彼のような「太陽さん」的な、「あしたのジョー」のぶらり戦法的な、無防備さによって、相手を自ら降伏させたり、ひるませたりするような、ああいう類の優しさはもちあわせていない。
(※太陽さんは、イソップ童話の『太陽と北風』の太陽のこと)

仕事でも、家庭でも、自分の未熟さに気付くことばかりだ。

人生って、人って、そんなもんか?
キチキチ考えすぎなのかな。
おおらかに生きたいと思うが、歴史上、そう思う人間がおおらかに生きられたためしはないと思う。

なんか、「肩の力を抜いて」なんて言われるのが一番嫌だ。
それができるようなら、こんなことをブログでボヤいてなんかいない。
ガチガチになっていた私の肩ですら、拍子抜けした瞬間にすっと力が抜けるような、そんな優しさをもった人に自然と惹かれてしまうのかもしれないな、とよく思う。

彼だけではなく、私の友達とか周りの人って、そういう人が多い気がする。

今日、雄弁になっているのは、酒のせいだけではない。
今、「再読フェア」を実施中。

読書量は少なくはないほうだと思うが、私は基本的に「再読」をしない。
それでも図書館や人に本を借りるのを嫌うのは、好きな文章だけを読みたいからだ。
「あの場面」とか、「あの一文」とか。
それを読みたいがためにあえて購入するのだが、一から読み直すという習慣はない。

今までに再読したことがあるのは数作品しかない。
再読というより、毎年のように読む本は3作品。
村上春樹の『国境の南、太陽の西』
モンゴメリの『エミリー』シリーズ
サン・テグジュペリの『星の王子様』

谷崎潤一郎の『蘆刈』や灰谷健次郎の『兎の眼』も数回読んだ。
でも、本当にそれくらいだ。

でも、「再読フェア」を開始した。
今日は佐藤多佳子の「しゃべれどもしゃべれども」を読んだ。
久しぶりに「家」で本を読んだ。
いつも電車の中でしか読まないのだけど、やめられなくなって読んだ。

酒を飲みながら小説を読んでいたら、何度か泣けてきて困った。
酔っているからかもしれないが、小説ってのはなんて面白いんだろうかと思って。

物書き視点から言えば、こういう表現にぐっと惹かれる。

「村林はどこかの児童公園で一人寂しくブランコをこいでいるのだ。よくドラマにそういうシーンがある。なぜか必ずブランコだ。すべり台では陽気すぎるし、砂場では陰気すぎる」

すげぇ、すげぇなと、下品な言葉と一緒にため息が出る。
自分なら絶対に書けない。
どこが?と思う人はいると思う。
どこが?と聞かれても答えられない。もうこれは感性の話。

続きを読みたくて仕方なくて、そのくせ、終わりに近づくと終わるのが怖くて残りの分厚さを確かめて。
久しぶりにそういう経験をした。
泣かなくていい場面で涙が止まらなくて。
声に出して笑って。

読み終わったら、打ちのめされるように力がなくなって、
こんな文章を延々と書き続けている。

小説はいいな。本当にいい。
私は文庫の後についている「解説」とかが大嫌い。
褒めてはいるが、なんかもういいって!という気持ちになる。
「感動した!」それでいいじゃないか。
それ以上のことを綴ってどうなる?

・・・なんて言いながら、大学時代は文学の研究なんかして、
堀辰雄の書いた一文一文を分析して、あーでもない、こーでもないと、
学科の人々と言い合っていたのだけどね。

「学問」でやる人を批判する気は全くない。
評論家、結構! 文学者、結構!

ただ、あの「解説」は小説の余韻を消す。確実に。
売られていないケンカも買いたくなる。

「再読フェア」、明日は沢木耕太郎の『壇』を読もう。
罵倒されるのを承知で言えば、こういうものを書きたかったと、ライターとして思うわけで。
内容とか、文章とかじゃなく、最後の最後で打ちのめされる、あの一文。

それは、チャップリンの『街の灯』のラストシーン、
花売りの娘の「あなたでしたの?」
あのセリフのよう。

いつかああいう、優しさと悲しさをきちんと捉えられる「眼」で、
作品を書けるといいのだけど。

今日は書きすぎた。
長々とすみません。反省。

夢見通りに佇んで。

2008-10-04 00:22:09 | 想い
今日、塾で、授業態度が悪い生徒を叱ることにした。
居残りさせて、堀先生も入れて4人の講師で囲んで。

ひのきにはやんちゃな子はいるが、
この子はどちらかというとそういうのではなくて、
正直、もう少しタチ悪い
同じ学校の子に聞くと、学校では大人しいらしいが、
塾では人がかわったようにはしゃぎ、偉そうにし、
自分勝手にふるまう。

「もっと勉強したい」と積極的になっている生徒もいるので、
授業の邪魔ばかりするこの子を、今のうちに厳しく躾けようという想いで、今日は残した。

4人の講師に囲まれ、最初にこの子が言ったのが、
「わかってるねん」
だった。
まだこちらは何も言ってないのに……。

完全に目が泳いでいて、あせっている。
泣くかな?と思った。
でも、泣きはしなかった。
ただ、「わかってるねん」と言うのを聞いて、
なんだかせつなくなってしまった。

たぶん、わかってるんだろうな……と思って。

わかってるんだけど、あんなふうにしかふるまえない。
自分をうまく表現できない。
すれた態度をとることでしか、人の注目を集められない。

前々から気付いてはいたけれど、「わかってるねん」という
言葉を聞いたら、なんだか不憫で仕方がなくなった。
大人ですら、自己表現が下手な人はたくさんいる。
ましてや14、15歳では、難しいんだろうな……。

ただ、その不器用さに同情して許してやることが教育ではない。
本気で向き合って、「あんたのこと考えてるよ!」と
わかってもらうことしかできないけど、
少しでも「自分のまま」で、素直に生きたほうが
自分自身も楽になれるし、人にも愛されるってことを
知ってほしいなぁと思った。

次からちゃんとやる、と約束させて帰らせた。

ふぅ。
子供と付き合うのは大変だ。
今の3年生は本当に問題児が多いから、毎回いろんなことが起きる。
落書き、カギぶっ壊し事件、いたずら(盗み)、うるさすぎ……。
いろいろあって大変

でも、まあ、その都度、話をしていくしかない。
反対に「やる気ありすぎ」の生徒もいて、
このやる気にどうやって応えていくかも一つの課題。
こういう課題は向き合っていて楽しいけどね。

今日は久しぶりに宮本輝の『夢見通りの人々』を読んだ。
新しく読む本がなくなったので(いつも鞄に本が入ってないと落ち着かない)
仕方なく、家にある本を再読することに。
選んだのがこれだった。

15年ぶりくらいに読んだけど、やっぱり初期の宮本輝っていいなぁ
特にこの夢見通り・・・は、ベスト3に入る好きな本。

人間の弱さやみずぼらしさ、ズルさ、不器用さなど、陰の部分を描いているのに、
なぜか宮本輝の小説に出てくる人々は、皆いとおしい。
この「いとおしさ」が作品の魅力でもある。

私は自分が文章を書くときでも、リズムを大切にする。
自分が「好きなリズム」というのがあって。
宮本輝の文章は、リズムが自分の理想通りだから、読んでいて心地良い。
難しい言葉を使わず、できるだけ簡単に、だけど、1行1行に熱がこもってる。
それを私は感じる。

久しぶりに読んで、昔読んだ時と同じ感想をもった。
「こんな小説を自分も書きたかった」

以前、夫にこの小説を貸したとき、夢中になって読みきった彼が言った言葉はこうだった。
「これは、俺が書きたかった小説や

自分と全く同じ感性に、思わず苦笑い。
「え?!そうなの?!」という驚きと、
「やっぱりな……」という納得の想いとで。

昔、お互いの書いた小説を交換したとき、
お互いが「これは自分が書いたものでは?」と疑った。
そういう感性って、言葉には表しにくいものだけど、
自分の書いた「小説」というものを通して、実感した。
感性が似てるってのは、こういうことなのか、と。

今、私は毎日、不器用な子供たちと触れ合って、
いろんな仕事をしている人を見て、
たくさんの想いと生きる様を書いているのだから、
そういうのをまた小説にできたらいいのになぁと、久しぶりに思った。

何か爆発的に自分の中から「書きたい」という想いがあふれてきたらいいのにと想うのだけど、心は静まり返っている。

少しだけ懐かしい気分で、あの頃の自分を振り返る。
いくらでも物語を生み出せた自分は、もういないのかな。

悩める若者へのおせっかい

2008-09-10 01:04:47 | 想い
今、企業向けの新聞のコラムを書くための資料として、
若い求職者が参加するセミナーにちょくちょく顔を出している。
そこでセミナー終了後、「お話聞かせてください」とつかまえて、
いきなりインタビュー。
生の声を資料にして、コラムを書いている。

そこで出会ったある若者。
すごく感じがよかったし、協力的で、いろいろ話してくれた。
大学を卒業したものの就職が決まらず、悩んでいる最中。
聞けば、自分がやりたいことと、親が自分に望んでいるものとが違うという。

「自分は何をやりたいの?」と聞くと、
「塾講師がやりたいんです」と言う。
でも、塾講師の経験は全くないらしい。
ただ、介護の仕事を目指したりと、とにかく「直接人の役に立っていると感じられる仕事がしたい」のだという。

ふと思いついて、ひのきに誘ってみた。
まだ塾講師の経験がなく、漠然と「やってみたい」と考えているなら、一度見学してみて、自分に合うかどうかを考えてみればいいと思ったのだ。
休職中でアルバイトもしていないようなので、もしやってみたければ、正式に採用が決まるまでアルバイトもしてみたらいいし、本当に塾講師がしたいならそれに対しても協力できるかなと思ったのだ。

でた。
私のおせっかい。

深く関わる必要がない人とも、出会うと「何かの縁」と思って、
自分ができる限りのことをしてしまう。

その日は名刺を渡して終わった。
でも、また今日別のセミナーに取材に行ったら、その人がいた。
これは運命?!
その人も嬉しそうに近寄ってきて、「あれからいろいろ考えて、本当にいいんだったら一度見学させてください」という話になった。

いろいろ塾の話をして、いつ見学に来てもらうかを約束して別れた。

別れた後、うーん、こんなこと勝手に決めてよかったかなぁと不安になる。
だけど、思い直す。
堀先生はいい加減なところもあるし、無茶もするけど、基本的に人を大事にしてくれる。
だから、絶対大丈夫だと思って、電話をした。

これまでの経緯を話し、今度見学に来てもらって、もしかしたらアルバイトしてもらってもいいかと、おそるおそる聞くと、拍子抜けするくらいあっさり、
「いいよー」
と言う。
「ほんまですか?」と念を押すと、
「いいよ、だって人助けやん」
と何でもないように言った。

その言葉を聞いて、あー、こういう人だから、私はひのきを見捨てないんだなぁと思った。
そうなんだ。
まあ、いろいろ無茶を言ったり、講師を困らせたりもするけど、やっぱりこういう返事をしてくれる人だから、どんなことがあってもこちらは全力を尽くしてしまう。
こういうのが、ひのきの原点なのかもしれないし。

私も、なんで深く立ち入る必要のない人に
こんなふうに関わってしまうのかなと思うけど、
でも、生きていて出会う人なんてほんの一握りで。
何かしら自分がその人の役に立てたらと、つい考えてしまう。
これがおせっかいで、むしろ相手に嫌がられたり、相手を傷つけたりしてしまうことも多々あった。
だから、別にこれを自分の長所とは思わない。
ただ、長所だろうが短所だろうが、これが私であって、もうこの私を受け止めるしかないと、そんなあきらめ(?)がある。

10人におせっかいして、1人でもよかったと思ってくれたら、
まあ、いいかなと、そんなくらいの気持ちかな。

悩める若者を少しでも救えたらいいのだけど。
ひのきを見て、何か自分のステップにしてくれたら嬉しいな

私の音楽ルーツ

2008-08-08 23:02:33 | 想い
さっき、休憩でビールを飲みながらテレビを観ようとつけたら、ミュージックステーションにサザンが出ていた。

私はサザンって、特別好きでもないし、嫌いでもない。
いい曲はいっぱいあると思うし、桑田さんの声も好きだ。
日本が誇れるアーティストであるとも思う。

何気に観ていたら、みんなが選んだサザンの好きな歌ベスト20みたいなのをやっていて、懐かしい曲がいろいろと流れた。
それでわかったのだけど、私は1978年(サザンのデビュー)~1980年代前半の曲が好きだ。
「好き」というか、曲を聴いた瞬間に何かを感じる。
yaya(あの時を忘れない)、いとしのエリー、勝手にシンドバッド、海、栞のテーマ、MISS BRAND-NEW DAYなどなど。
なんでだろうと考えたら単純な話。
ちゃんとサザンを聴いていたのが、小学生の頃だけだからだ。
やはり、10歳前後に聴いていた曲というのは、自分の身体にしっかり染み付いている、というのか、なんだか切れないもののような気がする。

それに、小学生にとったら、やっぱり「勝手にシンドバッド」なんて、衝撃だったし。
この狂ったように歌っている人は一体何なんだろうかとも思った。
そうかと思えば、しっとりとした曲も歌う。
そのギャップというか、今から思えば音楽性の幅の広さが、あの頃の私には印象深かった。

ちなみに、1980年代後半~1990年代の流行の音楽を私はほとんど知らない。
自分の人生で、「音楽の鎖国」と言っている時代だ。
日本人の9割が耳にしたことがあるような音楽も聴いたことすらない。
かなりマニアックに生きた時代だった。
(ブルースオンリー!)

今日、懐かしい「海」や「栞のテーマ」なんかを聴いていて、小学生の頃の自分を思い出した。
たぶん、1980年以降に生まれた人にはわからない感覚だと思うし、1960年代生まれの人ともまた違うかなと思う。

私が小学生の頃は、ようやく「レンタルレコード」というのが小さな町にもでき始めたのだが、「当日返却」で確か350円くらいはしたと思う。
小学生の私は、お小遣いやお年玉で月に1枚借りるのがやっとだった。
お姉ちゃんやお兄ちゃんがいるような友達はかなり重宝されていて、そういう年上のお金をもっている人が借りて録音したテープを借りてダビングする、それが一番手っ取り早く音楽を手に入れる方法だった。
ダビングのダビングのダビングなんてことはざらにあり、ノイズでいっぱいのカセットテープを必死に聴いていた。

それも、お金がないので、輸入物の100円テープ。(すぐ伸びる)
マクセルやソニーのテープは大事なミュージシャンにしか使わなかった。
それでも小学生の頃に200本くらいはあったと思う。
お年玉も親からの誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも、すべてをレコードとカセットテープに費やしていた。
(1台でダビングができるカセットレコーダーが発売されたのもこの頃。それまでは友達とカセットレコーダーを持ち寄り、息を潜めてレコーダーからレコーダーへ音を移していた)

私の武勇伝だが、小学生の時はオフコースがあまりにも好きすぎて、書初めの授業で「小田和正」と書いて怒られたということもあった。
誕生日プレゼントにオフコースの「はじめの一歩」という自叙伝を買ってもらったという記憶がある。
それくらいオフコースが好きだった。

オフコースはブルースじゃないが、ある意味、この行動がブルースである(笑)。

でも、今の自分の音楽のルーツをたどれば、いくつかの要素がある。
まずは小学5年生の時に初めて聴いた佐野元春。
時代は「ニューミュージック」だったのだけど(今の人にわかるのかしら?)、佐野元春はその中で異色だったし、かなりの衝撃だった。
初期の頃はジャズの要素やロックの要素を十分に取り入れていたし、何よりあの声に惹かれた。

それから、テレビで見たYMO。
なんだこの音は、と思った(シンセサイザーという楽器を初めて知った)。
そして、坂本龍一と一緒に忌野清志郎がやっていた、「いけないルージュマジック」。
今でいうビジュアル系?!
男が化粧して、キスしてる。
あれはもう子供ながらに衝撃映像だった。
「ベイベー、oh ベイベー いけない、ルージュマジック♪」
あのリズムが自分の中に染み付いて離れなかった。
(今思えば、R&Bなんだなぁ)

そして、中学生で知ったビートルズ。
友達の友達のお姉ちゃんの友達が音源というカセットテープでもダビングしてもらって、あの頃にほとんど全てのアルバムを聴いた。
今思えば、清志郎やビートルズに惹かれていたのも、やはり彼らのルーツが黒人音楽にあるからなんだろうなぁと思う。
その頃はそんなこと全く知らなかったけれど。

中学の頃、熱狂的だったのは、あとは尾崎豊。
今でも忘れない。今はなき大阪球場での伝説のライブ。
今から23年前のことだ。14歳の時、徹夜して並んで行った。(2100円だった)
何気なく読んでいた音楽雑誌に紹介されていた尾崎豊。
デビューアルバムを発売したという話が書かれてあって、その小さなインタビュー記事を読んだ瞬間に、なぜだか「ああ、これだ」と思い、次の日にお年玉を持って高槻のレコード屋に走った。
まだ、誰も尾崎豊という存在を知らなかったときだ。

夫とも話していたのだが、夫はリアルタイムでの尾崎を知らない。
時代背景も違う。
校内暴力と偏差値教育(今よりずっと)が共存していたあの時代を知らない人と、それをリアルタイムで感じている者とは、尾崎の聴き方は全く違うと思う。
まさに、救世主だった。あの頃はカリスマなんていう洒落た言葉もなく、本当に救世主だった。ある種類の人間にとっては。
単純に自由になりたかった。たぶん、尾崎もそうだ。

私はあんなに好きだった尾崎を3枚目のアルバムまでしか聴いたことがない。(本当のファンではないのかも)
夫がいくつか曲名を挙げたけれど、それも知らなかった。
でも、確かにあの頃の、社会や自分の存在に疑問を感じて生きていた私には、尾崎は救世主だった。
「自由になりたくないかい?」
この問いかけの意味が、実感としてわかる世代だ。

尾崎の思い出でいえば、中野と仲良くなったきっかけも尾崎だった。
中3のとき、同じクラス、隣の席になった。
私が下敷きに尾崎の切抜きを挟んでいるのを見て、中野が聞いてきたのだ。
「尾崎、好きなん?いいよね」

※あの頃は透明の下敷きに切抜きを挟むのが流行っていた。
変わった友達で、石坂浩二とマンガの三国志の「諸葛孔明」を挟んでいた人がいた。なんちゅう趣味だ。

今別に中野と尾崎の話なんかしないが、20年来の友情は続いている。

この間、夫とブルーハーツの話もしていたのだけど、まさに私の高校時代がバンドブームで。
ブルーハーツに夢中になった。
でもまたこれも、ルーツはブルースなんだなぁ。

そして、本当にブルースに近づいたのは、高校のとき。
もんちゃんが「憂歌団」と「泉谷しげる」を教えてくれた。
憂歌団は、まさにブルースだったし、あの頃の泉谷はロックだった。
どちらも本当にカッコよかった。
一緒にライブに行ったりして、そのうち私のほうがのめりこんだ(笑)。

今でもあの頃の泉谷のライブをもう一度観たいとよく思う。
バックバンドがまたすごくて、ドラムは村上“ポン太”秀一、ギターはRCサクセションのチャボこと仲井戸麗市など、そうそうたるメンバーだった。
泉谷はめちゃくちゃで、ものすごくワイルドでカッコよかった。
(今は好々爺になってるけど・笑)

憂歌団は解散するまで何度もライブは行ったけど、いつもよかったなぁ。
勘太郎のギターも最高で。
客はみんな「あほー!」って怒鳴ってて。
20年変わらずやり続けた曲が重みがあって。

こうやって思い返せば、いつも音楽が共にあった。
私は声が耳障りだし(アニメ声?)、楽器も根性なしで何もできなかったから、音楽の道には進まなかったけれど、自分の好きな音楽を「聴く」という情熱はかなりのものだったと思う。音楽を「やらない」人間としては稀に見るほど。

夫もそうだが、1980年代生まれ以降の人を見ていると、「音楽」というものに対する概念が全然違うような気がする。
それは、「必死さ」というのか。
(あくまでも聴くという意味での。必死に音楽をやっている人はもちろんいる)
ダビングのダビングのダビングの、音源が誰かわからない人のカセットテープを必死に聴いていたという時代をもっていない。
レコードをターンテーブルにのせ、スプレーをかけて誇りをブラシで取り、そっと針を落として聴いていたという経験もない。
それが悪いという意味ではもちろんない。(苦労したもんがいいということじゃない)
単純に、違うんだなぁという感慨。

今や音楽は何でもダウンロードでき、youtubeで映像までタダで見られる。
そういうことが当たり前と思って生きてきた人とはやはり何かが違うような気がする。
音楽を「消費」できない自分が未だにいる。
(同じ世代でも音楽は消費するものと思っている人もいるけれど)

そして、また、私より前の時代の人とも違う。
憧れのミュージシャンが言うのだ。
「僕が学生の頃は、ラジオから流れてくるビートルズを必死に聴いていました」と。
その状況に私は憧れた(笑)。

「かおりって、ほんまに(音楽の幅が)狭いよなぁ」と夫が言う。
いや、私も昔は広かったのよ。
それこそ、周りの友達よりもずっと。
いろんな音楽を聴いてきて、途中で知ってしまったのだ。
自分が求めている音楽が何なのか。
それを知ってしまったら、後はもう何でもよくなってしまったというだけのこと。
極端な話、限られた人生なのに、好きかわからない音楽を100曲聴くよりも、大好きな音楽を1曲聴いて死にたい。
そういう感じだ。

この間、ファッツボトルを聴いていても思ったのだけど、
1970年代に青春時代を過ごしたかった。
今が40代後半くらいだったらどんなにいいかと。
ウエストロードとか、サウスとか、ブレイクダウン、ソーバッド・レビュー、めんたんぴん、スターキング・デリシャスなんかをリアルタイムで見られた人というのは本当に羨ましい。
8・8ロックデイを生で見たかった!!

まあ、そう言っても仕方ないので、私は今ある音楽を聴くだけ。

今日、偶然、サザンの懐かしい曲を聴いていたら、こんなことを考えた。
長々とすみません。

選択する

2008-08-07 00:58:19 | 想い
自転車操業の日々が続いている。
腰のせいで、何をやっても時間がよけいにかかる。
気持ち的にもしんどい。

昨日の夜は、かどやとびりけんに行って、
美味しいお料理とお酒を味わって、
非常に楽しい時間を過ごした。

けれど、胃も弱っていて、珍しくびりけんの料理を食べ切れなかった。
不覚

今日は近くの整形外科へ行って、レントゲンをとってもらった。
やはりヘルニアかもしれないということで、来週、念のためMRIで再検査。

コルセットをつけて、湿布を貼って、
なんとか自分を騙し騙し、仕事をやっている。

とにかく明日が納期のものを必死に片付けるだけの、
本当に自転車操業の日々。
なんだかもう精神的にやられている。

思い切って、お盆明けの仕事(新案件)は全部断ることにした。
そうすると、思いも寄らないところから、また仕事を頼まれる。
初めて仕事をもらうところなので、断れない。
8月末~9月にかけての仕事ということなので、とりあえず引き受けた。

でも、他の仕事が来そうなところには、今日思い切って休業宣言をした。
とりあえず8月いっぱい。
初めてだよ……こんなこと……
ハードルはかなり高く、
「他のライターさんが辞めたところで困ってる」とか、
「もう頼むつもりでスケジュールを組んだところだ」とか、
私の情をほだすようなことを言われる。
いつもの私なら「じゃあ……」と強く断れないところだが、
「体調が悪いんで……、絶対安静なんです」と断りきった!

8月いっぱい、体を治すことを考えようと思う。
整体の先生のところの仕事がたまってきていているのだが、
「ゆっくりでいい」と言われるのに甘えてしまい、
自転車操業生活の犠牲になってしまっている。
今日やらないといけないことだけで精一杯で、ずっと後回し。
これも気になって仕方がない。
8月後半は他を全部断って、この仕事に集中しよう。
こうやって、自分自身で重ねていってしまっているストレスを
どんどん解消していかなくては。

昨日、かどやに
「私やったら、そんなに腰痛かったら、今日飲みに行くのなんて断るけど」
と言われた。
この間のバーベキューのときも、あやとふみこに、
「中止になるかと思った」
と言われた。

そうか、そういう選択肢もあったのか……と思った。

私の中では
「約束だから」
それしかなかった。
「断る」ということを思いつかなかった。

それに、友達に会うと、元気が出るからいいんだ。
これで仕事だけだったら、本当にまいってしまう。
精神的には、やっぱり元気になれる。

ただ、仕事でも約束でも、「断る」という選択肢をもたないと、
最終的には自分自身が追い込まれていくのかもしれないな、とも思う。
特にこんなふうに体が弱っているときは。

昼間、体が思うように動かなくて、涙が出ることがある。
それはだいたい、靴下とかレギンスとかを履くときだ。
前にかがめないので、座っても自分の足先に手が届かないのだ。
痛くて痛くて、なんだか情けなくて、子供みたいに泣いてしまう。
何分もかかって、はぁはぁ言いながら、やっと履ける。

健康っていうのは、失ってみて初めてその価値がわかるものなんだなぁ。
靴下を履くのがこんなに辛い日が来るなんて、思ってもみなかった。
ポジティブに、「健康の大事さがわかってよかった」と思う。
ずっと「鋼鉄の女」だったから、こういう痛みを経験したことは、
本当によかったと思う。
これでもうひとつ、人に優しくなれるだろう。
(今までは病人に対して厳しかった)

勇気を出して、仕事を断る。
そして、8月いっぱいかけて整体の先生のところに通ったり、
安静にしたりして、体を治そう。

これはきっと、いいことなんだと思う。
びりけんのマスターの「お告げ」もそうだった。

「そろそろ仕事を選択していく時期が来ている」

腰痛も、勇気のない私を後押ししてくれるためのものだと思えば、
ちょうどいいタイミングだったし、必要なものだったんだ。
ものごとにはすべて、意味がある。

雑談。

2008-08-01 22:49:44 | 想い
どうやら熱帯夜が続いているようだが、ありがたいことに我が家の夜は涼しい。
まだクーラーをつけて寝たことは一度もないし、窓を開けていれば扇風機すらいらない夜もある。
昨日も最初は扇風機をつけていたのだけど、寒くて眠れず、消して布団をかぶって寝た。

世間では「エアコンのタイマーが切れるたびに目が覚める」といった話も聞く。
そう考えると、本当にありがたいことだ。
おかげで、7月の電気代も5000円程度だった。
(夜だけでなく、昼間も私はクーラーをつけることがない)

これはたぶん、土のおかげだと思う。
家の横が田んぼなので、入ってくる風が冷たいのだ。
アスファルトなんか全部はがしてしまえば、日本はもっと涼しくなるのに。

我が家は酒飲みだが、わりとエコ家庭で、
休みの日でもあまりクーラーをつけず、二人で首に保冷剤を巻いて過ごしたりする。
これが意外に効くのだ。
まあ、昼間っから冷たいビールは飲むけどね

腰の具合は、良くなったり悪くなったり。
昨日は久しぶりに授業も取材もなく、湿布を貼って過ごしていたら、かなり良くなった。仕事もバリバリはかどった。
それが、今日は朝から授業で、その後、取材。
帰って来たら、また悪化していて、しばらく座ることもできなかった。
また湿布を貼って、少し休んで、今は少しマシ。

仕事は、全く途切れることがなく、次から次へと入ってくる。
なくなったら営業しようと思っているのだが、なくなるどころか延々と続くので、この2ヶ月ほど営業もしたことがない。

みんな私のスケジュールを管理しているんじゃないかと思うほど、
うまい具合にちょっと空いた隙間にも仕事をねじこんでくる。

男に生まれたかったなぁとよく思う。
そうしたら、家のことなど気にせず、バリバリ仕事ができるのに。
夫は仕事が忙しくなれば、それに集中して何時まででも働ける。
私は、仕事がどんなに押してきても、洗濯や掃除をさぼるわけにはいかない。
料理は「食べてきて!」で済むけれど、それでも自分が食べた後は片付けもあるし、ゴミ捨てもある。

だいたい私は夜中の11時~12時くらいに床掃除をする。
1日の汚れを拭い去るように、フローリングの床を拭いていく。
夏は裸足でいるので、足の裏がベタベタするのがイヤなのだ。
それでも、毎日拭いているのに、必ず汚れる。なぜなんだろう。

今週はお弁当をさぼっているので、せめて朝ごはんはちゃんとしたものをと思い、それから料理もする。
そんな後にまた仕事をするので、結局寝るのは2時、3時になる。
朝になれば彼の朝ごはんを作って、洗い物をして、花に水をやって、洗濯をして、それからやっと自分の仕事ができる。

別にこれは彼に対する文句ではない。
私は男の人が家事をするなんて大嫌いなので、分担しようなんていう考えは全くない。
家事は結婚する前からずっとやってきたことだし、特に負担に感じているわけでもない。
ただ、「夫」という存在ができて、それをそばで見ていると、本当に羨ましくなるのだ。仕事をする身として。
朝はギリギリまで寝ていて、座れば朝ごはんが出てくる。
洗濯はしなくても、いつも洗いたての洋服があって。
帰ってくれば、いつも部屋はピカピカで。
ゴミの日を気にしなくてもよくて。
仕事に集中できる。

昔から言っているけど、本当にお手伝いさんを雇いたい。
雇う余裕がないうえに、家がちゃんとしていないと気がすまないから、仕方なく自分でやっているが、誰かやってくれるならどんなにいいかと思う。
仕事に集中したい。

でも、家事も好きなんだなぁ、これが。
床を磨いているときが、本当に落ち着く。
そう考えると、やっぱりこの生活がベストなのか?!

毎日、そんなことを思いながら、床を磨いている。
もうすぐまた床磨きタイムがやってくる。

こんな意味のないことを延々と考えているのは、
十分な仕事ができないことがストレスになっているからだ。

例えば、塾の夏期講習に新しい生徒が入ってきて、
その生徒がまたとんでもないおバカさんで。
因数分解をやったことがないのに、二次方程式を教えても意味がない。

相談して、個別の選択授業をとってもらうことにしたが、
その子を自分では見る余裕がない。
本当なら、私が教えたいのだ。
自慢じゃないが、おバカを教えることに関しては誰にも負ける気がしない。
さっさと教えて、できるようにしてあげたい。

今日も授業のときに、前はみんなが1枚終わるまでに2問くらいしかできなかったプリントが、3分の2くらいまで終わることができた。
「だいぶん進んだやん!」
と私が言ったら、まんざらでもないようで、
「前よりできるようになった」と嬉しそうだった。

そういうのを見ていると、なんとかしてあげたいと切実に思う。
思うのだけど、時間がない。
このジレンマ。

今、新しい講師を3人育てている。
みんないい人ばっかりで、それに関しては何のストレスも不安もない。
ベテランの講師がみんな抜けて、ひのきはどうなるんだろうかと心配していたが、なんということはない。
自分が抜けたときも思ったけれど、組織ってそんなもんなんだなぁ。
中心人物が抜けたって、誰かがちゃんと代わりをやって、まわり続ける。
今年も私がいなくても、たぶんやっていけただろう。
私の役割は、ひのきの精神を伝えることと、より生徒に満足してもらうことであって、まわらなくてつぶれてしまうということはなかっただろうと今は思える。
それくらい、みんないい人ばかりで、熱心にやってくれている。
夏期講習も順調だ。

仕事はうまくいっている。
ライター仕事はもちろん楽しい。
まだ、自分がこの世界で求めてもらえていることを感じられる。

だけど、ふと、立ち止まる。
自分が書きたかったものはなんだったのか。
次に仕事が落ち着いたら書いてみようと思ったときから、仕事が止まらなくなった。
これは、まだ私にライターを続けろというサインなのか。
それとも、これを断ち切っても書く勇気をもてということなのか。

そんなことをよく考える。

文章を書かなくなる生活。
それは一体どんなものなんだろう。
まだ想像はつかない。

ご飯を食べたり、息をしたりするのと同じように、ずっと書き続けてきたから。
私には守りたいものが多すぎる。
理想が大きすぎて、現実の自分のもっている力に失望することが多い。
「想い」だけでは、人は動けないものなんだろうか。
あれもしたい、これもしたいで、何もできない、ただ生活に追われている自分がいる。

夏の声

2008-07-22 23:29:56 | 想い
夏の声が聞こえるような、夕方ってある。

昼間の暑さが嘘のように、冷たい風が吹いて、
なぜかひっそりと、人陰もなく、
うるさかったセミも静まって、
さわさわと木々の葉がすれる音だけが聞こえる。

あんなに青かった空が曇りかけ、今にも雨が降りそう。
だけど、湿度は高くなく、うんと伸びをしたくなるような空気。

食材の入ったエコバッグを提げて公園の横を通るとき、
思わず立ち止まり、桜の木を見上げる。

ああ、夏の声。

全神経が過敏になって、いろんなものを受け止める。
なぜだか泣きたくなる。

こんな時間が、私は好きだ。