自分が何を書きたいのか、よくわからない日がある。
だけど、無性に何かを書きたくて。
「書く」ということを仕事にして、
言葉でご飯を食べられるようになってから、
もう随分長い年月が経つ。
だけど、未だに「書く」ということは、
自分の「収入の手段」というよりは、
どこか気のおけない親友のようなもので。
今日は少しだけ淋しい気分で、これを書いている。
慰めてほしかったのだろう。
たぶん。
「書く」ということに。
私は「優しさ」について考えている。
本当に想っている人がいて、何か力になりたいと考えているのに、
自分は何もできない、ということのほうが極めて多い。
これは一体なぜなんだろう。
私は人生においてあまりいい評価はされたことがないが、
自分に対する最大の褒め言葉としては、
「情が深い」とか、「熱い」とかがある。
でも、「優しい」とは生まれてこのかた言われたことがない。
それはたぶん、優しくないからだ。
周りの人はいともたやすく「太陽さん」になって、
力づくではなく、相手が自ら動けるようにサポートしているのに、
私はいくら想いがあっても「北風さん」のように、
力づくで人を動かすことしかできない。
以前は「想い」さえあればいいのだと思っていた。
「想い」こそが人を動かすのだと。
でも、決してそうではない。
今日はそんなことをふと考えた。
なぜなら時間がありすぎたのだ。
朝、早くから取材に行って、お昼過ぎには帰れるはずだったのに、
すぐ横の駅で人身事故が起き、1時間も足止めをくらった。
何もすることがなく、考えたことを人にメールしたり、
自分自身に問いかけたり、忙しい毎日にはありえない貴重な時間を得た。
こういう「ふと訪れた休息」というのは大事なのかもしれないな。
自分がなぜやさしくなれないのか、
なぜこの間のように夫とケンカをしてしまうのか、
ということを考えた時、
以前読んだ本の中に答えがあったなぁと思い出した。
「自分の正しさを主張するより、他人との調和を大事にしたほうがいい」
「自分以外の人がみんな正しいと思うべき」
その本にはそう書かれていて、
なんだか目からウロコ状態だった。
私はとにかく「正しいこと」が好きだ。
それも自分の価値観のみ!!(基本は一般的だけど)
だから、ケンカをしても言うのは
「私は正しい」とか「私が間違ってるなら謝る」とか、
そんなことばかり。
どっちが正しいか?
白か黒か?
私は物事を二通りにしか考えることができない。
そして、少なくとも正義感は強い。
だから、正しさばかりを求めてしまうのだ。
ケンカした時夫によく言われるのは、
「正論やと思う。でも、みんながかおりみたいに正論通りにできるわけじゃないねん」
これを言われると、
いやいや、正論を批判するのは間違ってるやろ?と、また正論を繰り広げてしまう。
でも、私の好きな「正しい or 間違い」からいけば、
いろんな場面で私が間違っていたのかもしれないな。
それは夫に対しても、友達に対しても。
こんなにも優しくなりたいと思うのに、
いつまでたっても優しくなれない自分は、
やっぱりどこか欠落しているんだろうなと、
いつもの結論に辿り着く。
あまり時間があるのもよくない。
こういう嫌な結論に辿り着いてしまうほど
時間をもてあますのはよくない。
でも、今日はいい取材ができたな。
すごくいい企業さんだった。
富田林にある、設計・開発・金属プレス加工などをしている会社。
同じような工場で働くなら、こういう会社を選んだらいいのになぁと思った。
ここも自動車には関係ある会社。
決して不景気のあおりを受けていないわけではない。
でも、「こういう時期だからこそ」と、求人をする。
それは、「いい人材を確保」して、自社を「拡大したい」からだ。
ピンチはチャンス。
この使いふるされた言葉を実践できる会社は、
勤める本人さえ前向きであれば、前向きに仕事ができる会社だ。
いろんなものを作っているけど、わかりやすい例のひとつで、
「蛍光灯のパチッと留める部分」を作っていると聞いたとき、
あ~、世の中はいろんな人の想いで運営されているんだなぁと思った。
世の中に「不必要な仕事」なんてないのだから、
できるだけ人を大切にしてくれる会社で働くことが幸せなんだろうなと思った。
まあ、会社勤めを知らない私が言うことではないけれど。
10年前までは、自分には才能があると密かに思っていた。
大学の頃なんて、未来は輝いていた。
まだそういう勘違いを捨てきれず、
たまーに、何か書いてみようかな……なんて思う。
今年も芥川賞と直木賞が発表された。
また、うちの能天気なおかんからの「かおりちゃんの直木賞はまだ?」
なんて、罪深いフレーズの留守電が入ってないかとドキドキする。
昔はいろんな人が応援してくれていた。
でも、今はもう何も書けない。
何も物語が生まれない、空っぽの自分がいるだけ。
就職もせず、「何か」を書きたかった自分は一体どこに行ってしまったのか。
あの「何か」は一体なんだったんだろう……。
なんてね。
もう酒で流せば終わりなんだけど。
だけど、無性に何かを書きたくて。
「書く」ということを仕事にして、
言葉でご飯を食べられるようになってから、
もう随分長い年月が経つ。
だけど、未だに「書く」ということは、
自分の「収入の手段」というよりは、
どこか気のおけない親友のようなもので。
今日は少しだけ淋しい気分で、これを書いている。
慰めてほしかったのだろう。
たぶん。
「書く」ということに。
私は「優しさ」について考えている。
本当に想っている人がいて、何か力になりたいと考えているのに、
自分は何もできない、ということのほうが極めて多い。
これは一体なぜなんだろう。
私は人生においてあまりいい評価はされたことがないが、
自分に対する最大の褒め言葉としては、
「情が深い」とか、「熱い」とかがある。
でも、「優しい」とは生まれてこのかた言われたことがない。
それはたぶん、優しくないからだ。
周りの人はいともたやすく「太陽さん」になって、
力づくではなく、相手が自ら動けるようにサポートしているのに、
私はいくら想いがあっても「北風さん」のように、
力づくで人を動かすことしかできない。
以前は「想い」さえあればいいのだと思っていた。
「想い」こそが人を動かすのだと。
でも、決してそうではない。
今日はそんなことをふと考えた。
なぜなら時間がありすぎたのだ。
朝、早くから取材に行って、お昼過ぎには帰れるはずだったのに、
すぐ横の駅で人身事故が起き、1時間も足止めをくらった。
何もすることがなく、考えたことを人にメールしたり、
自分自身に問いかけたり、忙しい毎日にはありえない貴重な時間を得た。
こういう「ふと訪れた休息」というのは大事なのかもしれないな。
自分がなぜやさしくなれないのか、
なぜこの間のように夫とケンカをしてしまうのか、
ということを考えた時、
以前読んだ本の中に答えがあったなぁと思い出した。
「自分の正しさを主張するより、他人との調和を大事にしたほうがいい」
「自分以外の人がみんな正しいと思うべき」
その本にはそう書かれていて、
なんだか目からウロコ状態だった。
私はとにかく「正しいこと」が好きだ。
それも自分の価値観のみ!!(基本は一般的だけど)
だから、ケンカをしても言うのは
「私は正しい」とか「私が間違ってるなら謝る」とか、
そんなことばかり。
どっちが正しいか?
白か黒か?
私は物事を二通りにしか考えることができない。
そして、少なくとも正義感は強い。
だから、正しさばかりを求めてしまうのだ。
ケンカした時夫によく言われるのは、
「正論やと思う。でも、みんながかおりみたいに正論通りにできるわけじゃないねん」
これを言われると、
いやいや、正論を批判するのは間違ってるやろ?と、また正論を繰り広げてしまう。
でも、私の好きな「正しい or 間違い」からいけば、
いろんな場面で私が間違っていたのかもしれないな。
それは夫に対しても、友達に対しても。
こんなにも優しくなりたいと思うのに、
いつまでたっても優しくなれない自分は、
やっぱりどこか欠落しているんだろうなと、
いつもの結論に辿り着く。
あまり時間があるのもよくない。
こういう嫌な結論に辿り着いてしまうほど
時間をもてあますのはよくない。
でも、今日はいい取材ができたな。
すごくいい企業さんだった。
富田林にある、設計・開発・金属プレス加工などをしている会社。
同じような工場で働くなら、こういう会社を選んだらいいのになぁと思った。
ここも自動車には関係ある会社。
決して不景気のあおりを受けていないわけではない。
でも、「こういう時期だからこそ」と、求人をする。
それは、「いい人材を確保」して、自社を「拡大したい」からだ。
ピンチはチャンス。
この使いふるされた言葉を実践できる会社は、
勤める本人さえ前向きであれば、前向きに仕事ができる会社だ。
いろんなものを作っているけど、わかりやすい例のひとつで、
「蛍光灯のパチッと留める部分」を作っていると聞いたとき、
あ~、世の中はいろんな人の想いで運営されているんだなぁと思った。
世の中に「不必要な仕事」なんてないのだから、
できるだけ人を大切にしてくれる会社で働くことが幸せなんだろうなと思った。
まあ、会社勤めを知らない私が言うことではないけれど。
10年前までは、自分には才能があると密かに思っていた。
大学の頃なんて、未来は輝いていた。
まだそういう勘違いを捨てきれず、
たまーに、何か書いてみようかな……なんて思う。
今年も芥川賞と直木賞が発表された。
また、うちの能天気なおかんからの「かおりちゃんの直木賞はまだ?」
なんて、罪深いフレーズの留守電が入ってないかとドキドキする。
昔はいろんな人が応援してくれていた。
でも、今はもう何も書けない。
何も物語が生まれない、空っぽの自分がいるだけ。
就職もせず、「何か」を書きたかった自分は一体どこに行ってしまったのか。
あの「何か」は一体なんだったんだろう……。
なんてね。
もう酒で流せば終わりなんだけど。