明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

優しさの種類

2008-10-11 02:37:16 | 想い
何か自分が不愉快な想いをしたとき、
人のことを悪く思うのと、愚痴を言うのは簡単だ。

そう、とても簡単なこと。
だから人はそうする傾向にある。

ま、「人」なんてくくってしまったが、「私」のこと。

「浅はか」な自分にがっくりする。本当に。
まだまだ修業が足りんな。
いや、私みたいなのはいくらやっても無駄か。

たいしたことではないのだけどね。

取引先の人にメールである質問をしたら、トンチンカンな返答が帰ってきた。
お金が絡む話だったので、はぐらかしているか、答えないつもりか、私を怒っているかだと思った。

そのメールを読んでからひどく気分が悪かった。
ずっとブツブツ一人で文句を言いながら、拗ねていた。
酒も今日は飲まない日のはずなのに、破って飲んだ。
(飲むための口実にしたのかもしれないが)

その人は、前もちょっとやりあった一件がある人で。
やっぱり苦手だと決め付けた。
でも、せいぜい「大人らしく」ふるまおうと、相手の気持ちには気付かない馬鹿のふりをして、再度質問を繰り返した。

そうしたら、返事がきた。
思いやりのある内容だった。
書きにくそうに書いた最後に、「わかってください。オフレコで」とあった。

経費が厳しい会社での立場上、私にああいうトンチンカンな返答をせざるを得なかったのだとわかり、読んだ瞬間に、カッと顔が熱くなった。
それを察することもできず、とぼけた質問を繰り返した自分があまりに恥ずかしくて。

自分のいじけた、ゴマ粒くらいの小さな心に嫌気がさした。

自分の人生って、こういうことの繰り返しのような気がする。
結局は成長できていないんだろうといつも思う。

そういえば、昨日も彼にキレたな。
「なんで、手を洗った後、いちいち新しいタオルを使うの!毎日替えて清潔にしているのに、私が手を拭いたタオルは使えないのか!」と。
またキレた。

私の夫はみんなに自慢したくなるくらい素晴らしいが(Love is blind)、夫にキレることは3つだけあって。
先ほどのタオルのことと、「トイレのドアを開けっぱなしで用を足すな」と「歯磨きをしながら洗面所から出るな」。

この件に関しては、一度、「人生でこんな屈辱を味わったことはない!!」と泣きながらキレた。
離婚しかねない勢いだった。
彼はびっくりしていた。
何を怒っているのか、わからないようだった。

人生において見たことがなかった彼の「無礼な言動」を、あやに深刻な顔で訴えたら、
「かおりちゃんは、お上品に育てられてるから。そんなん別に珍しくないで」とたしなめられた。

それで、今度は私がびっくりした。

そうなのか。
私が変わっているのか。
これは思い出すだけで屈辱で身が震えるほどのことではないのか。
その場に、彼も一緒にいたのがまずかった。
「あやさんも、普通やって言ってたやろ」と開き直る。
一応、私も我慢しようと試みる。
だけど、やっぱりダメだった。昨日は久しぶりにキレた。

他人と暮らすってのは、難しいもんだ。
結婚すると成長するって、本当だな。
自分と全く違う文化をもった人間と、新しい文化を築いていく、そんな感じだ。
文化と文化の融合。

我慢したり、譲ったり、話し合ったり、時には激しくぶつけあったりしながら、新しい文化を作り上げていく。

昨日、タオルのことであんなにキレまくったのに、
朝、「原稿見て」と頼んだら、会社に遅れても見てくれた(それもどうかと思うが)。
おかげで、連載最終回も1発OKが出た。

表現が悪すぎて、これを読んだら彼が怒ってくるかもしれないが、
本当にいい意味で、彼の「間の抜けたような」優しさに出会うたびに、
私は衝撃を受ける。

こういう種類の優しさって、私は持ち合わせていない。
自分がもってる優しさって、道端に咲いている小さな花を飛び越えて、そのことを「私って、優しいでしょ?」と人々に念を押し、「そうですね」と無理やり言わせて満足するような種類のものだ。

いつも「どうよ?私って、どうよ?」と自己主張しなければ気がすまない。
人の評価でしか自分を認めきれない。

最上表現をすれば、泳げないのに溺れている人を見たら飛び込んでしまう類の、熱血馬鹿的な優しさはあるかもしれないが、彼のような「太陽さん」的な、「あしたのジョー」のぶらり戦法的な、無防備さによって、相手を自ら降伏させたり、ひるませたりするような、ああいう類の優しさはもちあわせていない。
(※太陽さんは、イソップ童話の『太陽と北風』の太陽のこと)

仕事でも、家庭でも、自分の未熟さに気付くことばかりだ。

人生って、人って、そんなもんか?
キチキチ考えすぎなのかな。
おおらかに生きたいと思うが、歴史上、そう思う人間がおおらかに生きられたためしはないと思う。

なんか、「肩の力を抜いて」なんて言われるのが一番嫌だ。
それができるようなら、こんなことをブログでボヤいてなんかいない。
ガチガチになっていた私の肩ですら、拍子抜けした瞬間にすっと力が抜けるような、そんな優しさをもった人に自然と惹かれてしまうのかもしれないな、とよく思う。

彼だけではなく、私の友達とか周りの人って、そういう人が多い気がする。

今日、雄弁になっているのは、酒のせいだけではない。
今、「再読フェア」を実施中。

読書量は少なくはないほうだと思うが、私は基本的に「再読」をしない。
それでも図書館や人に本を借りるのを嫌うのは、好きな文章だけを読みたいからだ。
「あの場面」とか、「あの一文」とか。
それを読みたいがためにあえて購入するのだが、一から読み直すという習慣はない。

今までに再読したことがあるのは数作品しかない。
再読というより、毎年のように読む本は3作品。
村上春樹の『国境の南、太陽の西』
モンゴメリの『エミリー』シリーズ
サン・テグジュペリの『星の王子様』

谷崎潤一郎の『蘆刈』や灰谷健次郎の『兎の眼』も数回読んだ。
でも、本当にそれくらいだ。

でも、「再読フェア」を開始した。
今日は佐藤多佳子の「しゃべれどもしゃべれども」を読んだ。
久しぶりに「家」で本を読んだ。
いつも電車の中でしか読まないのだけど、やめられなくなって読んだ。

酒を飲みながら小説を読んでいたら、何度か泣けてきて困った。
酔っているからかもしれないが、小説ってのはなんて面白いんだろうかと思って。

物書き視点から言えば、こういう表現にぐっと惹かれる。

「村林はどこかの児童公園で一人寂しくブランコをこいでいるのだ。よくドラマにそういうシーンがある。なぜか必ずブランコだ。すべり台では陽気すぎるし、砂場では陰気すぎる」

すげぇ、すげぇなと、下品な言葉と一緒にため息が出る。
自分なら絶対に書けない。
どこが?と思う人はいると思う。
どこが?と聞かれても答えられない。もうこれは感性の話。

続きを読みたくて仕方なくて、そのくせ、終わりに近づくと終わるのが怖くて残りの分厚さを確かめて。
久しぶりにそういう経験をした。
泣かなくていい場面で涙が止まらなくて。
声に出して笑って。

読み終わったら、打ちのめされるように力がなくなって、
こんな文章を延々と書き続けている。

小説はいいな。本当にいい。
私は文庫の後についている「解説」とかが大嫌い。
褒めてはいるが、なんかもういいって!という気持ちになる。
「感動した!」それでいいじゃないか。
それ以上のことを綴ってどうなる?

・・・なんて言いながら、大学時代は文学の研究なんかして、
堀辰雄の書いた一文一文を分析して、あーでもない、こーでもないと、
学科の人々と言い合っていたのだけどね。

「学問」でやる人を批判する気は全くない。
評論家、結構! 文学者、結構!

ただ、あの「解説」は小説の余韻を消す。確実に。
売られていないケンカも買いたくなる。

「再読フェア」、明日は沢木耕太郎の『壇』を読もう。
罵倒されるのを承知で言えば、こういうものを書きたかったと、ライターとして思うわけで。
内容とか、文章とかじゃなく、最後の最後で打ちのめされる、あの一文。

それは、チャップリンの『街の灯』のラストシーン、
花売りの娘の「あなたでしたの?」
あのセリフのよう。

いつかああいう、優しさと悲しさをきちんと捉えられる「眼」で、
作品を書けるといいのだけど。

今日は書きすぎた。
長々とすみません。反省。

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6 コメント

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みんなちがって、みんないい (あや)
2008-10-11 11:47:05
今日の日記おもしろかったわ~(いや、いつもおもしろく読ませていただいとります、はい)。人は自分にないものに魅かれるんやろなあ。だから、私もかおり麻薬のと、り、こやん?
こないだ雑誌に載ってた「性格別適職診断」やったら、夫婦で見事に正反対の結果出てん。若い頃は似た者同士と思っていたけど、最近わりとよく、実はお互いに補完しあっていたんやなあと思う
そう、どっちがいい、悪いじゃなくてね
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Unknown (かおり)
2008-10-12 15:43:53
ありがとう。
やっぱり「今日はこんなものを食べました」「今日はこんな仕事をしました」って日記より、想いを綴ったほうが面白いのかな。
彼も「今日の日記面白かった」と言ってました。
私はといえば、書き終わるとすごくすっきり(笑)

そうそう。
似てるところはもちろんあるんだけど、
「性格」ってのは実は正反対なのかもしれないね。
それは私も感じるわ。
その「性格別適職診断」私もやってほしいなー。

あやも彼と同じく、「間の抜けたような」優しさをもってるんだよね(失礼!)
そういう人と一緒にいると、私は自然に闘争心を失ってしまう・・・

夫婦でも友達でも、補い合うのがいいのかもしれないね
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Unknown (うり)
2008-10-13 02:20:21
分かるなあ。

私は性格的にひねくれてて冷静なので、逆に感動しいだったり、熱いタイプの人に惹かれることが多い。
私が一生懸命作った垣根を、ぴょん、と何もなかったように飛び越えて私をそこから連れ出してくれるような人に。

だけど、気がつくと私の周りにはちょっとオトナな対応ができる人が多い。それはそれでもちろんイイんだけど、たまーにこういう子どもみたいな人に出会うと、なんだかすごく惹かれるんだなあ~

ちなみに、ウチのダンナもどっちかというと熱い人だなあ・・・マジメすぎてちょいと面白みに欠けるが

ところで、かおりさんのブログの魅力はその「ボヤき」だったり「想い」にあると思うのよ。
私はなんか、カッコつけてしまってなかなか曝け出すことが出来ないんだなあ~・・・。
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Unknown (かおり)
2008-10-14 11:09:23
みんな自分とは違う人や、
自分の足りない部分を補ってくれる人を
求めてしまうのかもしれないね。

恋愛は特にそうかも。
趣味とかは似ているほうが面白いかもしれないけど、性格はちょっと反対くらいのほうがうまくいくような気がする。

うりさんは冷静だよねぇ。
文章読んでてもそう思う。
だから、例えば社会批判的なこととか書いていても、嫌な気がしない。「ふむふむ」って感じ。
私があまりそういうのを書かないのは、すぐ感情的になっちゃうから・・・。
読む人によっては嫌な気持ちになるだろうな、と思うので控えてる。

ほんまはめっちゃ書きたいことあるんやけど(笑)
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Unknown (とおりすがり)
2008-10-16 00:26:46
突然失礼しますっ。
トンチンカンと感じたメールに悩んで同じ質問を送ったこと、全然反省することないと思いますけど?

はじめから、あなたにそういう行動を取らせないように相手の方は返事をするべきですよ、普通に考えて。

あなたがとても“いい人”なのだと思います。
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Unknown (かおり)
2008-10-18 23:49:53
ありがとうございます。
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