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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

精神的な疲れが……

2008-07-16 21:55:44 | 想い
ちょっと疲れています……

ジェイムス・コットンのライブのこと、
素敵なランチのこと、
浴衣のこと、
お酒のこと、
ガーデニングのこと、
ウイスキーセミナーのこと……
いろいろ書きたいことはあるのだけど、時間的に無理。

そして、精神的に疲れがたまっている。
いろいろ心配事があって(全部ひのきのことだけど)、
気付くと顔が険しくなっている。

仕事も次々入ってくるし、
嬉しいけれど、まわせるのかが心配。

こういう精神状態のときは、文章を書けないなぁ。
毎日150人くらい訪ねてきてくれているのに、申し訳ない。

3連休も仕事が多いけど、ちょっとは書けるかな?
またよかったら覗いてみてください。


ぎくしゃくみっともなく生きていく

2008-06-30 02:09:59 | 想い
今のぐだぐだのホームページになる前の、充実していた時の私のホームページには、本を紹介するページがかなりあった。
もう7年くらい前の話だ。
今もテキストで残しているのだが、佐藤多佳子の「しゃべれどもしゃべれども」のレビューが、今読むとなかなか良い。

今日、ある人のブログを読んでいたら、本のタイトルなどには触れられていなかったのだが、抜き出しているセリフが自分と同じ箇所だったので、1行で「しゃべれども~」だとわかった。
決して短くない小説の中で、抜き出したセリフが同じだったことに、戸惑いと嬉しさを感じた。

このブログの主というのは、夫の友達で、まだ3回しか会ったことがない。
でも、初めてゆっくりしゃべったときに、なぜか旧友に会ったような気持ちになったけど、なんとなくそのわけがわかった気がした。

以下、私のレビューをそのまま。

=================================================

『しゃべれども しゃべれども』佐藤 多佳子(新潮文庫)

★あらすじ
まだ若い噺家の今昔亭三つ葉。噺家としてはまだまだで、現在二ツ目。
短気で頑固だけれど、バカがつくほど正直でお人好し。
そんな三つ葉の従兄でテニスコーチの綾丸良は、子供の頃から吃音で、治っていたはずなのにまたうまくしゃべれなくなっていた。
無理やり頼まれ仕方なく、良の「しゃべりの先生」を引きうけることになった三つ葉だが、偶然、十河という女性と村林という小学生、それに元プロ野球選手の湯河原の3人が加わり、なんだかおかしな「落語教室」が始まった。
良をはじめとする4人は、それぞれ「しゃべる」ということの悩みを抱えている。また、他人とのコミュニケーションのとり方も下手くそだ。
そんなやっかいな連中の相手をしなければならなくなった三つ葉は、最初は本当に嫌々落語を教えている。しかし、根っからのお人よしのため、あれこれ世話を焼いているうち、4人に対して妙な親愛の情がわいてきて……。

★読んでみて
9月はいろいろと仕事で読まなければならない本があったのだが、他にどんな好きな本を読んだとしても、今月の1冊にはこの作品を挙げただろうと思う。
ネットで知り合った本間さんからのおすすめだったのだが、これは結構すごかった。
久しぶりの衝撃的な感動である。
「たまらん本」のリストに加えなくてはならない。

ストーリーは、噺家の三つ葉のところにひょんなことから4人の変わり者が集まってきて、落語を習うことから始まるのだが、とにかく三つ葉という主人公のキャラクターがいい。
読んでいて、「あーあ……」と止めたくなるほどバカ正直で、お人好し。歯切れのいい文体で、「俺」と、三つ葉の視点から書かれているので、彼の裏のない性格、考え方、行動に知らず知らずのうちにのめり込んでいる。
また、「しゃべる」ということに何らかの悩みを抱えている4人のキャラもかなり濃い。濃いうえにバラバラときている。最初はその気まずさにこちらまでひやひやする。
しかし、誰も憎めないし、このコミュニケーションの下手さは、純粋であるが故の不器用さなのだと気付くと、なんだかかわいらしくも見えてくるから不思議だ。

そして、少しだけ含まれている「ラブストーリー」。これがまた、なんとも不器用で純粋で、高校生の恋愛を思い出した時のように、少しノスタルジックな気持ちにさせてくれる。
ラストシーンは、どんな情熱的な恋愛ものよりも、心がしめつけられ、ホロリときてしまった。けれど、この「しめつけ」は決してせつない、苦しい感じではないのだ。なんというのか、寒い中、ずっと歩いていて、一杯の温かい紅茶を差し出されたときのように、ほっこりと心にしみいる優しく温かい「しめつけ」なのだ。

この物語は、「涙があふれる感動!」でもなければ、「興奮が止まらない冒険!」でもない。設定こそ変わっているが、日常のありふれたような平凡な物語である。
けれど、人物がそれぞれ一生懸命生きていて、三つ葉が相手のことを必死に思って動く姿からは何とも言えない心地よさを感じる。読み終わった後、ほぅっとため息をつきながら、自分の表情が優しくなっているのに気付く。そんな物語なのだ。
「読んだ人の心をあったかくする物語」そんな素敵な小説は世の中にそうそうない。
だからこそ、この「しゃべれども しゃべれども」は価値がある1冊なのではないだろうか。
「最近、いい本を読んでいない」
「なんだか心がギスギスする……」
そんな人に是非読んでもらいたいと思う。まだまだこんな素晴らしい本はあるし、人ってそれほど悪くない。優しいものなんだと感じられると思う。

★今月の名セリフ

「自信って、一体なんだろうな。
自分の能力が評価される、自分の人柄が愛される、自分の立場が誇れる、
そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、
自分で自分を”良し”と納得することかもしれない。
”良し”の度が過ぎると、ナルシシズムに陥り、
”良し”が足りないとコンプレックスにさいなまれる。
だが、そんなに適量に配合された人間がいるわけがなく、
たいていうはうぬぼれたり、いじけたり、
ぎくしゃくとみっともなく日々を生きている。」

このセリフはとてもいい。とても”人間”というものをよく表しているし、この物語に流れるテーマをも伝えていると思う。
自分で自分を”良し”とすること……。簡単なようで、難しいことだ。
もちろん私もうぬぼれたり、いじけたりして、みっともなく生きてる。
でも、それが「人間」というものであり、そんな人間だから、愛しいのだ。
そして、そんな人たちが集まって、なんやかやとぶつかったり、慰めあったりしながら生きていく……。
それはみっともないけど、素敵なことでもないか?
               
=================================================

毎月1冊本を選んで紹介していた。
その中で、いつも「今月の名ゼリフ」というコーナーを作っていた。

昔は本当に「しっかりと」文章を書いていたなぁ。
そのある人物のブログで、「あ、これって……」とすぐに気付いて、古いファイルの中から探して読んでみたのだが、昔の自分の文章って好きだ。

やっぱりちゃんと文章を書いていかないとダメだなぁと反省。

そして、このブログの主になんだか伝えたくなった。
きっとこれを読んでくれていると思うので。

ぎくしゃくみっともなく生きていくのって、
案外素敵なことかもしれないね。

文学といえば。

2008-06-06 00:57:48 | 想い
こんな物語を、いわさきっちのために書きたかった、と思った。
小川糸の「食堂かたつむり」を読んで。

どの本屋でも平積みにはなっているものの、賛否両論の小説だ。
幼稚であることは否めないし、誰にでも好かれる本ではないかもしれない。
「つまらない」と感じる人もいるのだろう。
ネットで書評を探したが、ほとんどボロクソに書かれていた。

ボロクソに書く人の感性とはたぶん私は違うのだろう。
文学にはいろんな要素がある。
それは一面性ではない。多面性だ。
息もつかせぬサスペンスを望む人もいれば、感動的でドラマティックなストーリーを好む人もいる。
また、「本」は知識を得るためのものとしか思っていない人もいるし、逆に「暇つぶし」であって、ただ「楽に」読めればいいという人もいる。
小難しく、評論家が研究したがるような本もある。

そういうことはわかっているうえで、あえて私が思うのは、「文学は人を幸せにするものであってほしい」ということだ。
偶然が重なって、フィクションの香りがぷんぷんするものだっていい。
「こんなうまくいくはず絶対ないさ」と思うようなものでもいい。
そういう文学しか受け付けない、という意味では決してなく、そんなものでも呼んだ後に「ああ、読んでよかった。幸せだ。これをあの人に読ませたい」と思えるかどうか。
私はそこを重視する。
そういう意味ではこの本は非常に的を得ていたのだ。

今日は朝から忙しい日で。
10時から大阪で取材。
13時から神戸で取材。
18時から京都で飲み会。

移動が多いのがわかっていたので、昼に梅田を通過した際、本を2冊購入。
その1冊がこの本で、京都での飲み会の前には読み終わっていた。

運よく、今日の飲み会はゆうちゃんといわさきっちと。
読みたてほやほやの本をいわさきっちに貸した。

今日の飲み会の店はかなりヒット。
日本酒のラインナップ良し。
「開運」「義侠」「磯自慢」「明鏡止水」「大治郎」「瑞冠」「波乃音」等。
料理もはずれなし。うまい。
雰囲気もよし。居心地良し。

最近、意志と反して忙しかったのだけど、こんなふうに気の合う仲間と一緒に、美味しいお酒と料理を味わうのは本当に楽しい。
久しぶりにリフレッシュした。

「これが終われば……」「これが終われば……」と思うばかりで、幸か不幸か次々に仕事が来て、もう一生終わらないような気持ちにさせられる。
来週も既に4件取材が入っているというのに、また今日「来週で空いてる日を教えてください」と電話があった。
……いつも思うけど、分散してくれないかななぜ固まる!!

この間からひたすら書いているけれど、
今、模索中。
今日、整体の先生と話していて、またいろんなことを考えてしまった。
私は一体何を求めているんだろう。
ただ、1つ進歩があったとするなら、こんなふうに「模索すること」ができ、「模索していること」を認められるようになったことだろう。
今度はどうしたって知りたいのだ。
自分が本当に進みたい道を。

「文学」も自分の中に蘇りつつある。
この間、三浦哲郎の「おおるり」の話を書いたけれど、あれ以来、自分の中で文学の匂いが強くなっている。

文学といえば。

びっくりしたのは、今、小林多喜二の「蟹工船」がどえらい売れ行きだとか。
噂には聞いていたけれど、今日、本屋に行ったら、なんと平積み!

みんなわかってる?
プロレタリア文学だよ……

確かに私は昔、「今の人が『蟹工船』も読まずに生きていることが残念だ」的なことを書いた記憶はある。
だけど、こんなふうに平積みにされる日が来るとは思いもしなかった。

プロレタリア文学……。
私はずっと近代文学を勉強していたのに、卒論のテーマを決めるときになって、突然転向し、中古中世の仏教説話を選択したという、異例の学生だった。(うちの大学では)
まあ、2年間フレンチを修業していたのに、いざ店をオープンしたら日本料理屋だった、くらいの衝撃があったようだ。

で、その近代文学を専攻していた時に、樋口一葉と堀辰雄とプロレタリア文学を勉強していたのだ。
「蟹工船」は衝撃だったし、小林多喜二の拷問の受け方、死に方、死体の腫れ方まで勉強した。
プロレタリア文学自体にはそんなに夢中にはならなかったが、宮本百合子の「貧しき人々の群」が好きだった。
そして、その当時、「私はプロレタリアだから」というのが、自分だけの流行語になった。

話が逸れたが、今、「蟹工船」が世の中で流行っているって……
一体どうなったの?日本は……

それもさておき、文学といえば。
私は文学評論なんてあまり読まない。
先ほども書いたように、大学のときはなりゆきで読んでいたけれど。

でも、今読んでいるのは、堀江敏幸の『書かれる手』という文学評論。
それもまた、批評している作品・人物がまったく私の範疇にない作家ばかりで。

「マルグリット・ユルスナール論」に始まり、竹西寛子、長谷川四郎、パトリック・モディアノ論などなど。
でもこれが不思議と面白いのだ。

「面白い」という表現はちょっと違うかもしれないが、これを読んでいて、「ああ、私って、本当に言葉が好きなんだな」と思った。
ストーリーが面白いとか、内容に共感できるとか、そんなことももちろん本を読む楽しみの1つだけれど、美しい文章を読むという行為が好きなのだ、たぶん。
堀江敏幸の文章は正確で美しい。
読んでいると、意味もわからないのに心地良いのだ。
こういう感覚は久しぶりだった。
まるで、いい音楽を聴いているかのような。

『文学』
最も憧れ、一番好きで、いまだに遠い世界。

20歳の頃、自分の内側を削り取るようにして言葉を紡いできた。
矛盾しているかもしれないが、削り取ったにも関わらず、書く前よりも恢復している自分に気付いた。

その感覚を味わいたくて、ずっと書き続けてきたんだと思う。

書けなくなってからも、あの快感を思い出しては拳を自分の胸にたたきつけた。
なぜ書けないのか。
なぜ。

ライターとしての成功なんて、あの快感の代償行為でしかないことには、もうずっと前から気付いていたはずだ。

それでも。
ライターの仕事をいやだと思ったことは1日とてない。
楽しい仕事しかしたくないから、こんな不安定な道を選んだのだし。

そんなことも踏まえながら、現在、模索中。

酒を飲んで帰ってきても、道中ですっかりさめきって。
これを書きながら飲むグレンフィディックが、まるで水のように喉を通過していく。
40度のアルコールが水のようって、一体いつからなんだろうな。
酒を人生の友に選んだ代わりに、文学を少し遠ざけたような、そんな気もする、今日この頃。

今日は若干、センチメンタル。

※センチメンタルって、死語だな~


抽象的な話ですが。

2008-05-20 11:25:28 | 想い
大勢の人と集まると、別に期待もされていないのに、
なぜかその場を盛り上げないといけないような想いに駆られ、
自分の本来のキャラ以上にはしゃいでしまう、
という悪いクセがある。

お酒も飲んでいるので、軽口をたたいてしまい、
たまには暴言も吐き、
翌朝になると、「あー、あんなこと言わなきゃよかった」とか、
「あー、あの言葉にあの人が傷ついたかもしれない」とか、
いろいろと反省し、もう少し大人らしいふるまいはできなかったものかと、
後悔する。

ただ、以前の自分と変わったなと思うのは、
こういう「一人反省会」を開催しても、くよくよしなくなったことだ。
「反省」はして、次回に生かせばいいが、
くよくよするという行為は何も生み出さないし意味がない。

だから、起こりがちなマイナス思想の連鎖をどこかで断ち切る。
よし、次は頑張ろうと。
それができるようになった。

それはさておき。
昨日は、この数ヶ月間、私を悩ませ苦しめていたことが少し解消された日だった。
とりあえず前向きにやっていこうという気持ちになれた。
そして、少なくとも自分が選んだ道は「自分にとって」正しかったと思えた。

人にはいろんな考え方があるし、生き方がある。
だからもちろん自分の生き方や選択肢がすべて正解だとは思わない。

私はいつも自分の人生の中で、困ったときに多くの人から手を差し伸べられた。
欠陥だらけで、人を傷つけもするし、大勢とつるむのも苦手だけれど、
こんな社会的に少しヤバイ自分であっても、
なぜか誰も私を見捨てなかった。
それどころかいつもあたたかく、強く、助けられてきた。

だから、私も周りの人が困っていれば助ける。
複雑な話じゃなくって、たぶん、ただそれだけのことなんだと思う。
大切なものを守っていこう。

逃げないということ

2008-05-15 22:23:49 | 想い
今日は久しぶりに一人居酒屋。



あっさりと、簡単に。
肉じゃが、水菜と大根のシャキシャキサラダ、こんにゃくの辛煮。
酒が進むなぁ。

最近、友達にスナックえんどうを送ってもらって、どうやって食べようかといろいろ考えてやってみた。


↑にんにく、ベーコンと炒めて。


↑卵とじでマヨネーズ味。

どちらも美味しかったけれど、レンジでチンして、そのままちょっとだけ塩をつけて食べたのも、えんどう本来の味が楽しめてよかった。



ガーデニングはといえば、現在、サニーレタスがいい感じに収穫できている。
パセリとイタリアンパセリもあるのだが、イタリアンパセリはびっくりするくらい育って、味が気になる……。

嬉しいのはミニトマトだ。


↑実がようやくなった。わかるかしら?
早く赤くなってほしいなぁ。


↑ベランダは現在こんな感じ。
以前、アップしたときの花は半分以上終わって、今はまた別の花が咲いている。

この間、彼の実家に行ったとき、徳島の田舎にいくらでも土地はあるという話が出た。
うちの実家も百姓の出身だから、田舎に田畑だけはある。
そのうち徳島に行って、自給自足で、現金は私が稼いで暮らすってのも悪くないか、と話した。
ネットができれば取材の仕事以外で月10万くらいは稼げるし。

「周りを気にせず、大音量でギター弾けるよ~
と言ったら、彼も「いいなぁ」と。

未来にはいろんな可能性がある。
もう少し気楽に生きてもいいのかもしれないな。

今日も整体の先生のところの取材で、今日は整体を受けたのだが、「ストレスがたまってる」と言われた。
簡単に言えば、ツボを押して経絡の流れをよくするのだけど、精神面の経絡の流れが悪いらしい。

前に東京でリンパマッサージを受けたときも、体に電気を通してコンピューターでどこが悪いか分析してもらったのだが、そのときも「かなりストレスがたまってますね。こんな人なかなかいないですよ」とまで言われた。

自分ではストレスなんてためないタイプだと思っているのだが。
内に秘めたり、我慢したり、言いたいことも言えなかったりするようなタイプではないので。

そして、今日は「かなり『いらち』でしょ?」とも言われた。
そんなこともツボでわかるらしい。
「全然そんなふうに見えないのにね~」と先生。

仕事ではわりと穏やかなのんびりした、おとなしい人に思われがちだ。
(本性を出したら仕事がこなくなるので

でも今日はその『いらち』もおさまる(一時的に)ツボも押してもらったので、なんだかホワンとしている。
そうやって冷静に比較してみると、いつもの自分は常に何かに焦っているような気がする。
今日はツボのせいか、ま、いいか、という気分。
それで一人居酒屋をやって、楽しくなっているところだ。

この間、ふと、びりけんに行きたくなって、ふらっと一人で行った。
オーラを見てもらったら、何も言っていないのに、
「そろそろ次の段階にきてるんちゃうか?新しい行動を起こすときやわ」
と言われた。

マスターは、はっきり言う人なので、私はいつも覚悟を決めて聞くのだけれど、ずっと何の疑いもなく、私に「書く」ということを勧める。
「勧める」というか、それが「当たり前のこと」のように言う。
いっそのこと「もう書くことはやめて、別のことやったほうが向いてるな」とか言ってもらえたら、なんだかふんぎりもつきそうなのだけど。

「書いていて、いいの?」
と聞いたら、
「いいやろ。もっとかおりちゃんにしか書けないものを書いたらいい」と言う。

今日も整体の先生に言われた。
「もっと自分を出して書いたらいい」と。

帰りの電車で、ふと思った。
「逃げ」だったのかもしれない、と。
長い間、「技術屋」ではなく「芸術家」としてのもの書きでありたいと思ってきたのに、いつからか「私は技術屋のほうが合っていた」と口にするようになり、人が求めるものをいかに近づけて書くか、ということばかり考えるようになっていた。
そして、それはうまくいっていた。

なのに、自分でも知らない間に「ストレスがある」と言われ、
気付いたら、無気力状態。

誠実に仕事はこなしているけれど、熱く、熱く、なれなかった。

逃げるのは、簡単なこと。
向き合うことは難しい。
だけど、何もしないままで終わるより、向き合って失敗しても、そこからまた新しい自分を始められるかもしれない、と思った。

ライターを12年もやってきたけれど、
実はまだ、私はスタート地点にさえ立っていなかったのかもしれない。

逃げて、逃げて、逃げて。
でも、なんか頑張って成功しているかのように見せかけている、
そんな陳腐な生き方をしていた。

少し、自分を見つめなおそう。

整体院のサイトが仕上がったら、次は先生のオリジナルのダイエット本を書くことに決まった。(出版もあるかも!)
今月は久しぶりに数十万単位のまとまった仕事が入ってきたのだけど、この本の執筆もある程度まとまったお金になりそうだ。
これは2ヶ月で書くつもりなので、この夏くらいから、思い切って仕事をすべて中断して、自分の書きたいものを書き始めてみようか。
6、7月の収入で、3ヶ月くらいは働かなくても大丈夫だろうし。

そんなことを、整体とお酒でホワンホワンとしながら、
軽い気持ちで思って書いている。

アホになる。

2008-05-09 18:32:31 | 想い
最近、どうも無気力だ。
「病は気から」というが、気力がないせいか、体調も悪い。

GWには、ちゃんとした風邪をひき、数年ぶりに「鼻がつまる」という経験をした。
鼻なんてつまったことがないものだから、口での息の仕方がわからない。
「く、くるしい……、酸素が足りない……
ともがいていたら、
「ほんま、大げさやな」と夫にあきれられた。

えー、えー、大げさですとも!!
普段、人一倍健康な人間が風邪をひいたときの苦しさなど、
あなたにはわかるまい!(←逆ギレ)

ということで、岩手旅行の最後は、ケンカ気味だった。

今はやっと風邪も治り、呼吸もできるようになったが、
やっぱりどうも体調が悪い。
というか、無気力……?

昨日からお腹をくだしっぱなし。
この2、3日、変な夢ばかり見るし、昼間もぐったりしている。

でも、よく考えてみると、仕事をしているとお腹をくだしてくるのだ。
仕事をしていないと元気なのに。
私、もしかして、仕事がイヤなだけ?

人生であまり仕事をイヤだと思ったことはないのだけど(嫌な仕事ならしない)、この間から書いているようにどうも「疑問」が湧いてくる。
今のこの状況に。
こうやってライターを続けていくことに。

今から1年半前、10年やってきたものが全部失われて、一気に路頭に迷った。
そこからこの1年、必死に営業を続けて、ようやくまともな収入を得られるようになった。
キャリアってありがたいなぁと実感したし、
新たな媒体で書くことも楽しかった。

もちろん、今も楽しい。

ただ、最近いろんなことを考えてしまう。
私が書きたかったものって、なんだったんだろう?

悶々と考える。
私に夢はもうないんだろうか?

そのほかもいろいろ疑問がある。
この「いろいろ」をここに書けたらスッキリするのだけど、
最近は書けない。
誤解を生んだり、不愉快になったりする人がいると思うので、
なかなか思っていることを書けない。
だから、悶々と考えるしかないのだ。

「アホになる。」

これ、大事だな。
前に何かの本で見たけれど。
考えすぎる、完璧主義、クソ真面目な人間は、たまにアホになるといいらしい。

「アホになる」というと言葉が悪いけど、
つまりは、何も考えないようにする、
もっと言えば、なるように任せるということだ。

アホになれない私は、パソコンの前で痛むお腹を押さえている。

ああ、せめて3の倍数と3のつく数字の時間だけでも、アホになれたら……。

うつくしきもの

2008-05-08 00:43:57 | 想い
今日はとても穏やかな優しい気持ちでいる。
自分の中から愛があふれてくる感覚を、久しぶりに味わった。

それは、無償の愛。

平安時代で言うところの「うつくしきもの」が私の心を捉える。
幼いもの、小さなもの、かわいらしいもの。

誰に習ったのでもなく、自然にそういう「うつくしきもの」を
守りたいと、愛しいと思ってしまう。

花が好きなのも、それに似ているかな。
ベランダの花たちを見つめているときの気持ちと同じだ。

今日はとても幸せな気分。

きらきら。

2008-04-14 14:08:42 | 想い
昨日は、久しぶりに彼とデート。
友達と遊ぶのは好きだし、大勢で集まるのもいいけれど、
たまにはこうやって二人きりの時間をもつのもいい。

毎日、1時間半くらいしか顔を合わせないし、
土日もどちらかは仕事に行ってしまうので、
本当に久しぶりに二人で長い時間を過ごした。

最近、私は元町に仕事で通っていて、いろいろ気になる場所があったので、
元町探索へ出かけた。

まずは「元町エビス」で1杯。
ワンコイン(500円)で、ビール1杯+串2本+小鉢という、お得なセットがある。これですっかりご機嫌の二人。

その後は、久しぶりに南京町を歩いて、豚饅やラーメンを食べ、
それから、点在する洋服や雑貨のセレクトショップを見てまわった。

いつもネットでチェックしているセレクトショップ。
買おうかどうか迷っていた洋服やカバンの実物を見られてよかった。

雑貨屋さんでは、かわいいホッチキスを購入。
駅の改札の切符切りみたいな形をしているのだ。
文房具のかわいいやつって、つい手が出てしまうなぁ。

それから、ガーデニング雑貨のお店では、タイムの苗を購入。
タイムってかわいいなぁ。香りもいい。お魚を焼くときに使おう。
本当はユーカリもほしかったけれど、こちらは我慢。
最近、ガーデンニング熱は上がる一方で、今一番欲しい物は「広いベランダか庭」になってしまったくらいだ。
どこか近くで畑を借りられないかしら……。
野菜とハーブを育てたい。

いろいろ巡って楽しんで、最後に焼酎を飲んで帰ってきた。
黒豚の角煮と、手作り薩摩揚げが旨かった!

帰ってからは、撮りためていたDVDを一緒に観た。
バラエティばっかりだけど、一緒に笑って。
こういう時間が楽しくて仕方がなかった。

ふと、私、淋しかったのかなぁ、と思う。
仕事で取材に出る以外は、ずっと一人で、誰とも会うこともないし。
「家族でご飯を一緒に食べないと精神的によくない」とテレビで言っていたが、彼と一緒に家でご飯を食べるのなんて、1ヶ月に2、3食じゃないだろうか?
平日はゼロだし。
朝も昼も夜も、私は一人でご飯を食べている。

別にそのことを淋しいと思ったことはなかったけれど、
一緒にテレビを観ているだけで異常に楽しいと思っている自分を冷静に見たら、
「あんた、淋しかったんか?!」と自分に問いかけたくなった。

でも、これからもずっとこんな日々が続くのだ。

彼はぺーぺーからすっかり中間管理職になってしまって、
チームの№2としての責任を果たさなければならなくなった。
大変だけど、きっとますます仕事が面白くなる。
頑張ってほしいなぁと思う。

私は私で、今月も1社契約できたし、
別件で、現在立ち上げ中のサイトにも関わることになった。
この間、顔合わせをしてきて、気に入ってもらえた様子。
こちらは夏頃から仕事が入るのではないかと思われる。
今月もこれで、目標達成!(今年の目標は月に1社以上、新規開拓)
また、単発でちょっとした仕事も入った。

仕事は順調だし、以前のように1つうまくいかなくなったら落ち込む……ということがなくなった。
ちょっとポッカリ仕事がない日が続いたりしても、「まあ、こんなときもあるさ」と落ち着いて日々を過ごせる。

そして、冷静に自分自身を見つめている。
実際、そうやっていたら、毎日はなんでもないようにやってくる。

最近、ふとした瞬間に、きらきらしたシーンが脳裏に浮かんで、
ああ、これを書いてみたいと思うこともある。
「書く」ということが生活手段になり、そのことでの葛藤も既になくなり、落ち着いて「私×書く」を考えられるようになったら、
もう一度、きらきらしたものを文章にしたいと思うようになった。

例えば、昨日の「元町エビス」でワンコインのビールセットを囲んでたとき。
まだ早い夕方4時。
彼と乾杯して、ワンコインで得られる時間を愛しく思った。
そういう何でもないシーンは、きっと何年経っても振り返ったときにキラキラしているはずなのだ。

それをここにこうやって、「昨日、彼と楽しく過ごした」と書くのではなくて、
なんだかもっと、ストーリーの中に落としこんで、
読んだ人がふと、自分の同じような「きらきらした時間」と重ねられたら、
それはもう私だけの「きらきら」じゃない。
いろんな人と、同じ想いを共有したいと思ったら、そこにはストーリーがなければダメなのだ。

物語を書くということをあきらめてから、もう何年経ったのだろう。
既に誰も私に「書かないの?」とは訊かなくなった。
私自身、もうそのことに何の執着もない。

ただ、以前とは全く違った意味で、書いてみようか、と思うこの頃。
精神的に元気になった母を見て、もう私が「成功する」必要がなくなったことを知り、私は自由になった。
成功するためではなく、生まれてきた自分の意味を知るためでもなく、
ただ、今日の楽しみのために書ければ。
仕事に関してはストイックだけれど、自分の想いを表現することにストイックになってしまったらいけないと私は思う。
感性は万人共通ではないからだ。

自分自身を解放して、自由になって。
その中であふれてきたものをぶつけられたら、
すごく楽しいだろうな。

皆に好かれるものを書きたいと思う気持ちが、この年になってようやくなくなったように思う。
ただ、きらきらした場面を、時間を、
綴っておけたらどんなにいいかと。
そんなふうに思うようになった、今日この頃。

目指すは「ストレスゼロ生活」!

2008-03-24 12:40:55 | 想い
また日曜まで仕事を持ち越してしまい(正確に言えば、今日の朝まで)、
「休日になったらやろう」と思っていたことは1つもできずに週末が終わった……。

今年の私の大きな目標は、

「オンオフをはっきりさせる」
ということなのだけど、ほとんどできていない状態。

最近、この「やろうと思っていたことができない」のが理由で、
随分ストレスがたまっていた。
ちょっとしたことですぐキレるし(中学生か!)、
ずっとイライラしていた。
(夫が一番それを肌で感じているはず……。ごめんね

いかん。いかん。
昨日の不必要な苛立ち方と、傍若無人な振る舞いには、
自分でもいよいよ嫌気がさしてしまって、
今日から気持ちを切り替えようと誓った。

人を不愉快にさせている自分、というのは、
自分でも不愉快なものだから。
それが嫌と言うほどわかっているのに、どうにもならないというのは、
「頑張ろう、頑張ろう」と思うだけじゃなく、
何かを変えようとしないとどうにかならない。

運よく、今週入るはずだった仕事を1本断ることができた。
私は基本的に「物理的にどうやったって不可能」という時以外は、
仕事を断るということがない。

この仕事は、最初はコピーだけと聞いていたのに、途中で急に「店取材も入れてほしい」と言われたので、「時間的に厳しい」とお断りした。
時間的に厳しいことは事実だが、「不可能」ではなかった。
ましてや6、7万にはなる仕事……、喉から手が出るほど金が欲しい、自称「金の亡者」の私としては、断りたくない仕事でもある。

以前の私なら、絶対断らない。無理してもやる。

でも、断った。

おかげで、この仕事のために空けていた2日間が
ぽっかりと空いた。

フリーで仕事をしていると、「仕事を断る」というのはすごく勇気がいる。
「これを断ったら、もう二度と仕事をもらえないかも……」と、
どうしても思ってしまう。
せっかく自分にまわしてくれている仕事なんだから、感謝して受けなければという謙虚な気持ちもある。

だけど、最近、ものごとの考え方と行動が変わった。

この会社からは、今までずっとタイトなスケジュールの仕事ばかりを依頼されていたが、嫌な顔もせず、土日をつぶしても引き受けてきた。
自分はずっと誠実に対応してきたつもりだ。
それで、一度断ったくらいで仕事が来なくなるようなら、そんな会社とは縁を切っても惜しくない。

それと、「何を優先するか?」だ。
今は、自分の気持ちが常に「プラス」へ向くほうへ、「楽しい」と思えるほうへ、「流れていこう」と思っている。

前の私だったら、この仕事を引き受け、またギリギリの生活の中でストレスがたまり、イライラし、「ああ、引き受けなかったらよかったよ」と後悔までしながら、過ごしていたんだろうなと思う。
もちろん、それと引き換えに、わずかな報酬と「断らずに済んだ」という自負は得られただろうが。
そして、それも「間違い」ではない。

ただ今、(急)成長中の私は学ぶ。
物事には、「どっちが正解」とかはないんだってことを。
自分の心がプラスになるよう、流れに乗っていくということの大切さを、この歳になって知るのであった!!

いやはや。

そんなわけで、ワーカーホリックからの脱出を願う私は、
とりあえず、今週はゆっくりと「ずっとやりたかったこと」を1つずつやり、
ストレスゼロ生活を目指す!

心が穏やかになれば、人(夫)にも優しくできるだろう。
そのほうが、人生は楽しいに決まってる。

ただ、まだまだ未熟者の私は、自分のこの選択肢を後悔しないよう、
ここに書いて確認しているわけである。
自分ひとりで、心の中での確認では若干不安なのだ。
……私、もう一息だな、ガンバレ。


私にとって一番「尊い」仕事。

2008-03-21 19:36:06 | 想い
昨日、「明治の人」の取材に行った。
103歳のおじいさん。

お孫さんから電話があり、「つい先日から急に具合が悪くなったので、来ていただいてもお話ができるかどうか……」とのこと。
どうしようかなと一瞬迷ったが、お孫さんの口調に「来てほしい」という想いが感じられたので、「お会いできるだけでもいいですよ」と返事をして、行ってきた。

心配は的中し、結局1時間半の取材で、おじいさんは一言もしゃべることはできなかった……。
それどころか、目を開けることもできず……。
「こんにちは。お話聞かせてもらえますか?」と、私も何度も呼びかけながら、とてもせつない気持ちになってしまった。

ご家族が皆さん恐縮されて、
「すみません、すみません」と頭を下げる。
「一ヶ月前までは一人暮らししていて、つい先日まで一緒に散歩に行ったりもできたんです。それが、本当にこの2、3日で急に……」
何度も謝られて、私の方が恐縮してしまった。

お孫さんが言う。
「ご迷惑をおかけするかもしれないとわかっていたんですけど、それでも身内以外の方が来られたら、もしかしたらまた話してくれるんじゃないかと期待してしまって……。本当にすみませんでした」

その気持ちが痛いほど伝わってきて、
祝日、雨、遠く奈良までという取材だったけれど、行ってよかったと思った。
もし行かなかったら、お孫さんはずっと後悔していただろうから。
「無理してお願いして、来てもらっていたら、もしかしたら話せたかもしれない」とか……。実際、そのようなことも言っていた。

とても苦労された立派なおじいさまで、どうしてもその生き様を形にしておきたかったとのこと。
「もう少し早く、『明治の人』を知っていたら……」と悔やまれていた。

帰り際、非常に落胆された様子で、「記事にはできないと思いますので、気になさらないでくださいね」と私に言う。
だけど、絶対に書こうと思った。
ご家族の話から、人となりや人生は少し見えた。
それをなんとか形にしてプレゼントしたい。
満足されるようなものにはならないかもしれないけれど、
せめて……、せめて……。

大学4年間通った奈良からの帰り道を久しぶりに辿る。
なんだかせつないなぁ。
ちくしょう、なんなんだ、このやりきれなさは……。

「明治の人」の取材に行くと、ご家族がみんなあたたかくて、
なんだかいつも優しい気持ちになる。
昨日もそうだ。
でも、プラス、せつなさ……。

「人の生き様を書きたい」なんて、傲慢な言い方だけど、
でも、やっぱり、見つめて、感じて、形にしたい。
それを求めてくれる人がいる限り。

「明治の人」は無報酬だから、私にとって一番安い仕事だけど、
なんだか一番尊い仕事なのだ。

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林社長が始めたこの「明治の人」の取組が取り上げられ、
朝日新聞に掲載されました。
↓掲載内容はこちらでも見ることが出来ます。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200803080058.html

興味のある方は、「明治の人」も覗いてみてください。
ちなみに、私が書いたのは、まだ第16回と第18回のお二人分だけです。
何回分か読まれるとわかるように、ライターがバラバラのため、
書き方も形式も揃っていません。
本にする際は、これらもリライトして統一しないといけないなと
林社長と話しています。

もし、明治生まれの方で取材してほしいという方がお近くにいらっしゃれば、ご連絡ください。全国どこでも構いません。
よろしくお願いします。

今回のことで、もう時間が残り少ないということをつくづく感じました。
100歳前後にもなれば、今日お元気でも、明日には語る力がなくなるかもしれないのです。
どうか、一人でも多くの方の生き様を形にできますように……。
そう望んでいるご家族の方の力になれますように……。

カンヅメ。

2008-03-15 10:03:14 | 想い
昨日は久しぶりに朝から雨が降った。
雨の日は恐ろしいほど静かだ。

珍しく天気予報が当たったので、前日までに洗濯をしておいて助かった。
やはり、2日は置けない。

洗濯の心配さえなければ、雨でも雪でも嵐でも、天気なんて何でもいいのだ。
そう思っている「乾燥機のない主婦」は全国にたくさんいるはず。
雨が続くと憂鬱になるのは、洗濯が乾かないのがイヤだから。
・・・ただ、それだけ。

むしろ、洗濯のない雨の日は、
家が水の中に沈んでいるような感覚を覚えて、
この静けさを愛しいとさえ思う。

家から丸3日、一歩も出ていない。
わずかな睡眠時以外は、ほとんどパソコンの前にいる。
久しぶりに「カンヅメ」を味わっている。

「イヤにならへんの?」と、彼。
「まったく」と、私。

仕事があれば、何日でも書き続けられる。
残念ながら、「そういうふうにできている」のだ。

仕事の忙しさに比例して、ブログの更新も増える。
情緒安定中。
MAXに安定している。

でも、昨日は後半、集中が切れた。
また「願ったとおりになった」からだ。

「時間足りない。あのフリーペーパー4ページ、どうにかならんかな……。来週やったら時間あるのに……」
と思っていたら、電話。

「すみません。あの4ページ、今回企画が変わったので、申し訳ないですが、手をつけないでください」とのこと。
これだけでもびっくりなのに、
「その代わりと言ったら何ですけど、8ページのが2本あるんで、これを来週お願いできません?」
と言われた。

ひぃぃー・・・

忙しい今週の仕事がなくなって、代わりに来週、4倍になって返って来たよ!
願ってもないことだ。

ああ、怖い・・・
本当に今月、人生の運を使い果たすんじゃないだろうか。
何もかもが願った通りに進む。

今日はまたビールが届くらしいし。
この間と同じ、5月に新発売のビール。
実はもう1年くらい、飲料メーカー「K」の仕事をしているのだが、
その関係者が「まだ味見してないですよね?」と送ってくれるという。
(味見は終わってるが……、いただこう)

どんどん集まれ、酒!(笑)

というわけで、その4ページがなくなったと聞いた瞬間、
「間に合うか?!」という緊張感がプツっと切れ、
全く集中力のない状態に……。

BBを聴きながら、日本酒を飲んでみたり……。
至福のひととき。

ああ、旅に出たいなぁ。
この間、母とおじいちゃんのお見舞いに行った時、母が聞いた。
「かおりちゃんは日本中を旅行してるでしょ?今まで行ったところで、一番きれいだったのって、どこ?」

すぐにふいと浮かんだのは、やはり東北だった。
「日本は縦に移動しやすくできてるけど、実は太平洋から日本海に向けて横断する景色が一番キレイやねん。福島・山形辺りが特にいい。あの辺りを横断すると、“桃源郷って本当にあるんだ”と思うよ」
と私は言った。

もしくは、5月の青森か。
あの新緑の美しさは他にない。
岩手の遠野、中尊寺、秋田の日本海側の五能線……。

自分の大好きな東北の景色が目に浮かぶ。

3日間、一歩も外へ出ていない私の心は、
遥か彼方へと飛ぶ。

ふと、人間は想像力があるから生きていけるんだ、と思う。

今日は、あと少ししたら、外へ出よう。

品格って何かな?

2008-02-22 22:39:22 | 想い
さっき、ふとテレビをつけたら「金スマ」で「女性の品格」の著者を取り上げていたので、見てみた。

坂東さん(著者)のことはとても素敵な人だと思うし、好感はもてる。
輝かしいキャリアのある、まさに「キャリアウーマン」で。
にこやかな顔を見ていても品格のある人だと思う。

だからこそ、こんな本は書かないでほしかったなぁと、個人的には思う。
読んでいないけど。
いや、もう少し詳しく言えば、全く同じ内容の本は書いてもいいが、「品格」という言葉をタイトルにはしないでほしかった。
まぁ、それは彼女のせいではなく、出版社サイドの問題だが……。

これはもう本当に私個人の偏った意見だけれど、「国家の品格」は読んだが、まさに日本の品格を表現していたと思う。
だけど、「女性の品格」は目次や取り上げられた内容を見る限り、「品格」に関することではなく、マナーや常識であるし、それを「品格」というふうに表してほしくない。
それに人間の品格というのは、生まれながらに身についた部分もあり、本を読んだくらいではどうにもならないのではないかと。
もちろん、常識やマナーは身に付くと思うが。

その番組では坂東さんの家も披露していたが、とても品格のある家ではなく、引き出しがモノであふれて閉まらないなど、ちょっとびっくりした。
でも、外で忙しくお仕事をされている方なので、家の掃除ができないなんてことは、別にいいんじゃないかと思う。(それと品格は関係ない)
だから、彼女はキャリアウーマンとしての生き方を伝授したほうがよかったんじゃないのかなぁ。私はすごく参考にしたい。
まあ、出版社に乞われて書かれたものだし、彼女に罪はない。

私が自分で品格があると思う人は、吉田兼好の『徒然草』の32段の話に出てくる女性である。
この段を読んでから、ずっとこの女性が私の中の理想だ。

以下、最初は書いたエッセイを全部載せていたのだけど、
昔書いた文章だし、コメントを見ると誤解もあったようなので、
内容だけを掲載しておく。

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9月20日頃のことである。
吉田兼好がある人(ここではAさんとしておこう)に誘われて、夜が明けるまで月を見ながら歩いていた。そのうちAさんが、「そうや、忘れとった。ちょっとあの家に用事があるんや。悪いけど、ここで別れよう」と言い出して、ある家の前で二人は別れた。
しかし、兼好は帰らずにその家の様子をうかがうことにした。なぜならその家は兼好の気持ちを引きつけるようなものでいっぱいだったからである。
庭は荒れているが、庭の木々や葉に露がたくさん、月明かりに照らされ輝いている。それに、来客があるからといってわざわざ焚いたのではないお香の匂いが静かに漂っていて、何とも控えめな様子である。それが兼好の心にしみじみと染み渡ってくる。
……こんな庭のある家に住んでいる女性は、一体どんな人なんや……
兼好の好奇心は高まる。
やがて、Aさんが用事を済ませて家を出てきた。その時、兼好はさっと物の陰に隠れて家の中の様子をうかがった。しばらく見ていると、この家の女主人はAさんを見送った後も戸を少し開けて月を眺めている。
……この女性は私が見ていることを知らないはずや。誰が見ていなくても、この女性はこんなふうに月を眺めてるんや……。
兼好はこの女性の控えめで風流な態度に感動した。

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いつしかこの女性のような人になりたいと、風流のわかる人になりたいと思ってきた。
だけど、品格と同じで、風流も後から勉強して身に付くものではない。
「風流」のわかる人と、「品格」のある人が同じという意味でこれを挙げたのではなく、「後から学べるものじゃない」ということを
小林秀雄の評論を交えて伝えたかったのだが、
なんだかうまく伝わらなかったようだ。
私の筆が未熟だった。

ただ、「女性の品格」に書かれているようなことができるような女性になることはいいことだと思う。もちろん。
何も間違ってないし、そういう女性は素敵だ。

私が言いたいのは、あの本に書かれていることが
「品格」なのかどうかということだけだ。

でも、「品格」という言葉にこだわりすぎたかもしれない。

※以上、多少文章を削除・補足しました。

イマジネーションとユーモアのセンス

2008-01-06 12:37:48 | 想い
新年早々、憂鬱になるような日記を書いてしまったので、
いきなり削除。

今年はなるべく「楽しい日記」を心がけようと思っている。

以前、中野が私のことを、
「一緒に飲んでしゃべってたら、こんなに楽しい人やのに。
あの日記だけを読んでいる人からは想像つかないやろなー」と
現実の私と、この日記の中の私の印象の違いを指摘した。

誰しも「陽」と「陰」の部分をもっているとしたら、
日記は確実に「陰」の部分が主張されてしまうんだと思う。
どちらも真実の私だけど。
それは、バランスをとるのにどうしても必要な作業だから。
でも、少しずつ生活の中でバランスがとれるように
変えていきたいと思うのだ。

豊かに生きていくために必要なものは、
イマジネーションとユーモアのセンス。

想像力があれば、人に思いやりをもてるし、
ユーモアのセンスがあれば
どんな苦難も人生の非常事態にすることなく乗り越えられる。

子供の頃に読んだ「あしながおじさん」の中に、
こんな意味の言葉があったっけ。

年末からずっと抱えている負の感情と、悪循環の思考回路。
これをなんとか断ち切ってしまわなくては。
とりあえず、年始の仕事を頑張ろう!

やっと鬱が晴れた

2007-12-20 21:33:01 | 想い
やっと「鬱」が晴れた。
昨日の夜くらいからマシになって、今朝になったら完全に晴れていた。

今回は長くて重くて、結構辛かった。
この10日くらいだろうか。
(つまらないブログは……、という日記を書いたくらいからだ)

普段は取材に出たり、友達と会ったりしたのをきっかけに晴れたりするのだが、今回は全くダメだった。
友達としゃべっていて楽しくても、心のどこかが重たくて。
なんだか笑顔もひきつるような、そんな感じだった。
ちょっとしたことに傷ついたり、イライラしたり。

あー、でも完全に回復!!

「鬱」はいつでも理由もなしに突然やってきて、
そして、突然去っていく……

今はたとえ辛いことを考えても、前向きな方向にしか考えられない。
暗く沈もうと思っても沈めない。
不思議だなぁ……

昨日のブログから文章を書くスピードとノリも全く違っている。
いろんなものが次から次へとあふれてくる感じだ。
何でもできる気がする。
目に映るものすべてが愛しい。美しい。
すごく呼吸をするのもラク。
家でも一人でニコニコして、歌ったり踊ったりしている。
(ちょっとアブナイ?!)
完全に躁鬱ですな……。
落ち込むとか悩むとか、そういう原因も何もなく、いつも突然なのでこれはもう防ぎようもない。

このままずっと「鬱」が来なければいいんだけどね。

だって、すごくラクなんだもの。
呼吸しやすいー

今年は、とりあえずワンステップ。

2007-12-13 14:42:08 | 想い
「天気のことで文句を言ってはいけない」と母に言われてきたけれど、
こんなに毎日陰気な空が続くと、やはりため息などついてしまう。
気分が少し暗くなる。

雨が多い国では、鬱病になる人が多いというのも頷ける。
私もなんとなく気分が盛り上がらない。
おまけに、ヒマだし。

今週は強烈にヒマなので、3つも忘年会を入れた。
1週間の労働、6時間程度(営業を除く)。
ここまで徹底してヒマだと、家で酒を飲む気にもならない。
これで飲んだら本気で堕落しそうだ・・・。

まあ、来週は忙しくなりそうだし、
今週は後々に繋がりそうな営業ができたので、よしとしよう。
この新案件ついては、もう少し具体的になったらここにも書こうと思う。
うまくいけば、結構自分の理想的な仕事ができることになる。
良い報告ができることを、願う。

昨晩は、忘年会ってことで、かどやと2人で京都「蜃気楼」へ。
お料理も美味しく、日本酒もなかなか良かった。
七本槍、蒼空、北島を飲む。
また、このお店の雰囲気や接客が好きだ。落ち着く。

かどやにいろいろ話を聞いていて、
自分の性質の根本的な解決にはならないにしろ、
気分が上向きになった。
上機嫌で帰ってきた。

仕事が少なくて、家にずっと一人でいたら鬱になる、という話をしたら、
かどやは「病気やな(笑)」と笑って、
「結婚もしたんやし、もう少しダンナに甘えたらいいのに」と言った。
そうやなぁ、それができればいいのだけど。

私は何を目指してるんだろう?
どこが頂点で、どれくらいの仕事をしたら満足できるんだろう?
彼などは「いいなぁ、そんなにちょっとしか働かないで、それだけ稼げるんやから」と、疲れて帰ってきた日などは羨ましそうに言う。
私は、1日12時間以上働くことに慣れていたから、彼をとても羨ましく思う。
お金の問題じゃなく、労働の問題。
完全なワーカーホリック。
労働していないと、不安。
不安なだけなら一般的なワーカーホリックだ。
私はそのうえ、「前世は奴隷だった」んじゃないかと思うほど、労働時間が短いと「罪深さ」を感じてしまうのだ。
実はこちらのほうが、根が深い。

「じゃあ、他の仕事もしたら?」と彼は言うし、私も思うのだけど、それは簡単じゃない。
労働したい気持ちと、ライターとしてそれが満たされるようになりたいと思う気持ちとの狭間でずっと頑張ってきたのだから。
信念を曲げるのはイヤだ。

元々ワーカーホリックだったけど、去年までは働ける環境があったから、なんとかやってこれた。
この1年は仕事量が激減して、本当にしんどかった。
でも、思う。
ワーカーホリックを治すには、今のこの環境は最適なんじゃないかな、と。

一人きりで過ごす膨大な時間と向き合えるようにならなければ、
自分の作品など書けるわけもない。
自分の心に向き合うのは、とても孤独な作業だというのに。

自分の心の壁を破ったおかげで、
「幸せ」も受け入れられるようになり、家族との確執もなくなった私。
次はこのいちいちいろんな場面で感じる「罪深さ」を克服したい。
せっかくそれができる環境なのだから。
(私にしては、かなり前向きな考え方!)

10年間やってきたペースが崩れて、いろいろ戸惑うことはあったけど、
でも、今のこの環境に慣れることが大切なんだろう。
慣れだ、慣れ。
まずはそこから。
だから、今年はまあ、こんな感じでいいんじゃないか。
とりあえずのワンステップ。

「前世は奴隷だった」説を自分の心で塗り替えられるように、
これでいいんだ、これでいいんだと、肩の力を抜いてみる。
「人は簡単に堕落なんかしない、しない」と呪文のように唱えてるなんて、
肩の力抜きまくっている人からしたら、ほとんど冗談かギャグである。

この「罪深さ」を基本的に抱いている自分を克服できたら、
また新しい世界が開けるような気がする。