疏水第一トンネル東口の鉄扉の由来

2009-09-20 20:04:08 | 琵琶湖疏水
  大津運河を案内するとき、第一トンネルの東口洞門に半開きで付いている赤色の鉄扉について質問を受ける。現在では琵琶湖の水位コントロールが容易になったので、この鉄扉は無用となったが、歴史の証人として残されている。
                
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 琵琶湖治水沿革誌より当時の様子を回顧してみると、
明治29年(1896)の8月末から9月上旬にかけて暴風雨と大雨が重なり、琵琶湖の水位が異常に上昇し、9月8日には三保ヶ崎の量水標が327cmに達し、明治18年(1885)の大洪水より55cm越えたので、京都水利事務所の大津閘門番所が閘門を閉鎖し、閘門が破壊されたときに京都市が浸水することを恐れて、トンネル洞門に土嚢を積んで塞ぎ応急処置をとった。
  9月13日には過去最高の388cmに達し、地元の大津町が浸水し、閘門の開放を巡って争いとなった。京都市側は、将来の大出水に備えて東口洞門に恒久的は鉄製門扉を設置し、契約量の水の引き取りと蹴上発電所の運転に必要な水を確保するため、鉄扉の4ヶ所に孔を開けた。
 その後、琵琶湖の水位の異常上昇を防ぐため、瀬田川の浚渫、南郷洗堰・瀬田川洗堰・バイパス水路の設置などで調整施設が整い、この鉄扉の必要性はほとんど無くなったと推定される。

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