ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳句はナンてったって〝タノシイ!〟

2018年12月09日 | 俳句

 久し振りに(?そう、忘れていたんです)〝身を切るような〟寒さを実感しています。水道の水も〝手がちぎれそう…〟 何てったって最低気温1度なんですから~。今さらに十何度という有難さを思い知らされています。これからはこんな日が続くのでしょうね。いやいや、これはまだマシな方かも…。そのうち零下何度という日もあるでしょうから。

 昨日は午後と夜の部のダブル句会でした。それで、疲れて早々と寝てしまい…、目が覚めて眠られなくなったので、ブログ書いています。ただ今五時過ぎ。炬燵に入って足はぬくぬくなんですが、エアコンは掛けていませんので、背中から冷えが迫ります。

 今回はどちらの句会もとても盛り上がりました。午後の部の兼題は〝凩(こがらし)〟、夜の部は〝海鼠(なまこ)〟でした。

 それより句会が始まる前にまず盛り上がり…。実は1月の教室が5日なんです。それで、これはまだ松の内なので、新年句会ということにと。

 午後の部は、〝お正月ですからお洒落して来ましょうね。そして、その辺をブラブラして1句詠み、後はお抹茶でも点てて頂きましょうか…〟と。こういう話になると、もうみなさん賑やかで、想像できるでしょ!ここは男性3名、私を入れて女性12名の計15名。

 夜の部は、17時からですので例年何処かの会場で食事付きの句会をしています。来年も皆OK!こんな話になるとすぐに纏まります。ここは、男性3名女性8名の計11名です。これはまたまた、来年のオタノシミ!

 句会の方も、これまたとても面白かったんですよ。午後の部の兼題「凩」で、次のような句が出ました。〈凩や追わるるごとく街をゆく

 私が〝この句、まるで…紋次郎みたいやね~〟と言うと、みな爆笑!アレッ、一人笑わずにキョトンと。そうなんです、まだ40代の人でした。〝じゃあ、夕日のガンマン…〟またまた大笑い!これも通じません。時代劇も西部劇も世代が違うから…、ということは私たちみんな古いということですね~。これ、夜の部でも話すと、やっぱり通じなかったのが2人…30代と40代でした。

 〝これではまるで何か悪い事でもして街を出てゆく感じでしょう?〟と言うと、〝いや風が強かったから、後から押されて…〟とは作者の弁。そう、でも〝追わるる〟という語がもたらすイメージが悪いんですよ。それでは〈凩に押されてゆくや…〉と直しましょう、〝そうすればこの句は良いも悪いも下五で決まります〟〝ではこの下五を皆さんで考えてみましょうか〟と言うと…。さあ、このブログ読んでいるあなたも考えてみて下さいね。

 さてどんな答えが出たでしょう?

 〝養老院、病院へ、介護施設、デイサービス…〟ナント、ナント皆年寄りばかり。(爆笑) 男性群からは、〝赤提灯、縄暖簾〟と。〝もうこんなのしか出ないの~。じゃあ若い人は?〟と、結局これといったのが出ませんでした。 もちろん夜の部の人にも考えてもらいましたよ。すると、〝宇部の街、公園へ、飲み屋街、ピアノ塾、美容院…ウ~ン…警察署(大笑)〟など。でもそれぞれの個性が出るんですね。とても面白い!では~と、最後に私がとっておきを言うと、みんなの爆笑が止まりませんでした。それは何かって?(もったいぶるナヨ…) ハイ、ハイ、〝本宅へ〟です。

 夜の部では主人も参加していますので、エエッと、私と主人の顔を見比べて…。イヤイヤ、これは創作ですよ。俳句は事実だけを詠むものではありませんから。事実だけということになると限界があるし、報告的になるし、面白くもない…だから想像の翼を広げて遊ぶ世界があってもいい!そして、そこに一つのドラマが生まれるとしたら、五七五のたった十七音で小説が書けるということ。これ以前にも言いましたよね。だから面白いんです。

 いかがでした?今日は誰もが〝俳句がたのしい〟と、ニコニコして、最後に〝今年はお世話になりました。来年もよろしく〟といって別れました。言われてみれば今年最後の句会なんでした。

 写真は菊ですが、名前が分かりません。これも勝手にはびこって、今年は異常気象でいつまでも咲いています。集まって咲くとそれなりに可愛い菊ですよ。 

 

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最後の〝皇帝ダリア〟

2018年12月07日 | 俳句

 今日は予報通りの寒い一日となりました。午前中は家のことや手紙の整理などをしていて、余り寒さが分かりませんでしたが、午後からリハビリに病院へ出かけましたら、寒いのなんの…。ああ~やっぱり冬だと痛感しました。

 今夜の最低気温3度、明日の最高気温も8度と、これからはしばらく最高気温が10度以下の日が続くようです。これが普通なのかも、今日は外に出て風に吹かれていると体の芯まで冷えました。明日は午後から夜まで俳句三昧の日ですので、きっと疲れるでしょう。特に寒いと体が強張るからか、余計に首や肩が凝りますので、また頭痛が起こらないといいんですが…。

 昨日ブログUPしてから写真が届きました。有り難うございます。さて、載せようかとも思ったのですが、皆さんの顔がしっかり写っていましたので、取りやめました。顔のぼかし方などを知りませんので…ゴメンナサイ!

 先日の〝野葡萄〟の実。青、紫は知っているけど白はまだ見たことがな~い…などと書きましたが、今日出がけに見ると白い実…というより青色が抜けて白くなりつつあるのを見つけました。ということは、この実は紫から青、青から白へと変っていくものなのかも知れませんね。でも、調べてみるとWikipediaでは「果実は、熟すと光沢のある青色や紫色などに色づく、又は白色をするが食味は不味い。白い実は本来の実であり、青色や紫色の実は虫が寄生している寄生果である。」とありました。しかし、他の資料を見ると、〝変色する〟と書かれたものが多かったですね。ただ、白から青、紫、赤へとなっていたり、紫から青、白へというのもあってどれが正解か分かりませんでした。でも、我家で観察する限りでは、後から白くなるようですので、それが一番信用できるかも。ただし、〝野葡萄〟にもいろいろな種類があるのかも知れませんし…。今までは山などに出かけた時見つけていましたので、分からなかったのですが、今回のように自宅にあれば毎日眺めて観察できます。だから、こうだと確信を持って言えることはいいですね。

 しかし、この野葡萄は不味くて食べられないのですが(私はまだ食べたことな~い)、とてもよい薬草とかで、特に肝臓病には効能が著しいと言って、販売もされていました。写真撮ったのですが、今見てみると…しっかりボケていました。明日もう一度撮り直しますので、ゴメンナサイ!

 代わりに〝皇帝ダリア〟。台風にやられて倒れたのを主人が根元からバッサリ剪ったのに、そこから小さな芽が伸びてやっとこの一本だけが花を咲かせました。健気でしょ!誉めてやって下さい。この寒さで今日は最後の一花になっていましたが…。

 

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俳画教室の忘年会

2018年12月06日 | 俳句

 昨日は午前中に月1回の通院で薬を貰って、序でにインフルエンザの予防接種をして貰いました。午後は健康体操…しばらく休んでいましたので、〝珍しい…〟などと言われて、ちょっと反省!何事も継続が大事ですものね~。

 今日は昼過ぎまで雨が降り夕方には止みました。このところそこそこの気温で、エアコンをつけずに済んでいますので、アリガタイです!予報では明日ぐらいから寒くなりそうだと…最低気温が6度らしい。

 今日の12時からは俳画教室の忘年会がありました。毎年どこかで行うのですが、今年は全日空ホテルの中にある中華料理店でした。教室があるのは第2第4木曜日、だから教室のない第1木曜日にということ。

 今回は参加者20名のグループでしたので、円卓の個室。3つのテーブルにそれぞれ席について…開始です。次々と美味しいご馳走がでて、話も弾み最後のデザートを食べ終わったところで、いよいよミニ講話。

 実は、俳句の指導をしているということで、何でもいいからこの場で話をして欲しいと前から頼まれていたのです。さて、さて何を話そうかと思いながら考えては来たのですが…。日頃の俳句教室の生徒さんとは違いますので、ちょっと緊張しました。

 結局、俳画の仲間ですので〝俳句と俳画の共通点〟について話しました。端的に言えば、どちらも〝余白〟が大事だと言うこと。

 そもそも俳画とは、日本画の一形式で、俳諧味のある洒脱な略筆の墨絵や淡彩の小品画をいいます。だから油絵などのように絶対に重ね塗りをしません。日本画の一形式といっても本格的な狩野派や円山派のような装飾的な大和絵とも違います。ある時は一筆で球体であることを分からせたり、描いてない部分にある無数の枝や花など…全てを書き切らずに全体を想像させるというところ、俳句の省略、即ち〝言わずに語る〟というところと同じなのです。

 では、俳画と賛の俳句との関係はどうかというと…。私が俳画を始めたばかりの時、疑問に思ったことがありました。〝紫陽花の絵になぜ紫陽花の句を付けたらいけないのだろうか?〟と。それは、俳画というものは、俳句への「匂いづけ」であるのが望ましく、だから賛はその絵の説明になるものでなく、作品を見た人の想像に広がりを持たせるようなものが良いとされているからなのです。

 中村不折と交流して、画も嗜んでいた正岡子規が、次のように書き記しています。「画だけでは何だか物足らぬといふやうな場合に俳句の賛を書いて、その趣味の不足を補ふ事は悪い事ではない。それ故に或画に賛をする時にはその賛とその画と重複しては面白くない。」と。更に、「要するに画ばかりでも不完全、句ばかりでも不完全といふ場合に画と句を併せて、始めて完全するやうにするのが画賛の本意である。」とも書かれています。だから、賛の句が先にあればそれに響き合うような画を、画が先にあればそれを補うような俳句を賛に選ぶことが大切だという話を、皆さんに致しました。

 まあ、俳画教室では先生の書かれた手本を見て練習しますので、賛を選ぶということは無いのですが、ただ俳句が一文字・一音を大切にして詠むように、俳画もたった一本の線であっても重要なのだという話、更に俳句も俳画も余白に余情や余韻が生まれるという話には皆さん納得されていました。

 慌てて家を出ましたので、今日はスマホを忘れてしまいました。それで写真が撮れないので、Sさんにお願いして撮った写真を送っていただくように頼んだんですが…まだ届きません。仕方がないので、今日先生に頂いたお土産の煎餅とフクロウの鈴の写真で我慢して下さいね。一緒にSさんより毎年頂く〝バッタ〟も、いやこれは〝コオロギ〟かも。他に幹事さんちの〝ギンナン〟や〝藍染のハンカチ〟。何だかクリスマスのプレゼントみたい!これで来年も良い年になること間違いなしですね。(鬼が笑う ウフフ…)

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〝冬菊〟のまとふは…

2018年12月04日 | 俳句

 今日は朝からしっとりと雨に濡れて…でもひどい雨ではないので大したことはなく、とても暖かな1日でした。時々雲の切れ間からは日も差してきたりと、ハッキリしない空模様でしたが、午後車に乗ると久し振りに車内温度が25度になっていました。気象庁の発表でも下関が26.2度の真夏日だなどと言っていましたからね~。

 今日の午後は俳句教室で、兼題は〝寒菊・冬菊〟。キク科の多年草で、油菊を園芸化したもの、12月~1月頃黄色い花をつけるとありますが、それより俳句では遅咲きの菊が咲き残っているのを冬菊・寒菊として詠むことが多いようです。

  冬菊のまとふはおのがひかりのみ

 これは、水原秋櫻子先生の代表句の一つです。『秋櫻子俳句365日』の12月6日の項に、この句について水原春郎先生が次のように解説されていました。

 八王子でいつしかもう四年目の秋を迎える。世の中も次第に静かになってきた。庭に色々の花の種をまき、楽しむ余裕がもてるのはうれしい限りである。コスモスや鶏頭は素人でも世話できるが、菊となるとそうはゆかぬ。隣の畑をもっているA氏が、親切に根分けからすべて引受けてくれる。

 薄紫と黄色の秋菊がすむと純白の冬菊が咲く。秋ならば周囲の花のひかりが菊と相映じて、互いに美しさを加えることも出来るが、冬菊はただ己の光があるだけで、助けてくれるものはない。その孤高な、寂しい光に父は魅せられる。

 「馬酔木」の第二の黄金時代を迎える前の苦しいころ。過剰な解説となるかも知れぬが、冬菊は秋櫻子自身と考えられないだろうか。最後に頼りになるのは自分自身であり、自分を磨くこと、それが第一である。 (昭和23年作・句集『霜林』所収)

 油菊というのを私は知りませんでしたので、ネットで写真を見ると、先日磯菊が黄色になって…と載せた写真によく似ていました。もしかしたら原生種であるこの油菊に戻っていったのかも…。写真は先日の〝俳句の集い〟が行われた文化会館の隣の〝渡辺翁記念会館〟とその公園のメタセコイア・欅の紅葉です。向こうに写っているチャペルは結婚式場です。

 

 

 

 

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今日は〝聖ザビエル祭〟

2018年12月03日 | 俳句

 今日12月3日は、「聖ザビエル祭」で、初冬の季語です。日本最初のキリスト教伝道者、フランシスコ・ザビエルの永眠した日、カトリックの祝日になっているそうです。ザビエルは1506年スペインのザビエル城に5人兄弟の末っ子として生まれ、イエズス会の創設者イグナチウス・ロヨラの感化を受け聖職につき、東洋伝道に従事し、1552年中国サンチアン島にて46歳で没しました。

  乳母車ザビエル祭の鐘へ押す   有馬ひろこ

 ザビエルは、1549年8月15日に日本への第一歩を鹿児島に印し、その後薩摩、平戸を経て周防山口でも同僚のフェルナンデス修道士らと伝道しました。1551年には堺、京都へと赴きますが、戦乱のため布教するのを諦めて、また周防山口を訪れます。そして、西国一の大大名といわれた大内義隆を頼り、山口を伝道活動の拠点とします。その義隆から与えられた無住の寺を説教所として布教活動を行い、約六か月を山口で過ごしています。そのザビエルが山口で布教活動を開始した時から数えて400年目の記念として、1952年(昭和27年)に「山口サビエル記念聖堂」が山口市に建てられました。(山口ではなぜかザビエルと濁らずに〝サビエル〟といいます)

 初代の聖堂は、ザビエルの生家で、スペインのナバーラ州パンプローナ近郊にあるザビエル城を模して建てられたもの。市民にも広く親しまれていましたが、1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼しました。しかし、内外の多くの善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に現在のように再建されました。

 再建された聖堂は、イタリア人神父のコンスタンチノ・ルッジェリと建築家ルイジ・レオニのデザインによるもので、高さ53mの2本の塔とテントを模した大きな屋根が全体を覆う構造をもちますが、これについては「神が私たちと一緒におられるしるしとして、教会の形をテント(幕屋)にし」「二つの塔が天にのびることによって、サビエルを記念するだけではなく、現代の人々に神様のことを強く思い出させる形」を意識したものだと言われています。

 私が結婚してこちらに来た時、初代の聖堂を見てその森厳さに感動したことをよく覚えています。その印象が強かったので、新しい聖堂にはどうしても馴染めず、人を案内しても当分違和感がありましたが、今ではそれが当り前のように馴染んでしまいました。

 ちなみに隣の山陽小野田市には、キリスト・イエズス宣教会が設立母体となって1962年に創立された「サビエル高等学校」があります。昔は女子校でしたが、今は男女共学になっています。写真は新旧の「山口サビエル記念聖堂」です。(写真はお借りしました)

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宇部市芸術祭〝俳句の集い〟

2018年12月02日 | 俳句

 今日の予報は晴れのちくもりで、夜が雨でしたが、宇部市芸術祭〝俳句の集い〟が終わって帰る4時過ぎにはポツポツと降り出してしまいました。11時に集合して、席題と詠み込みを決めます。今年は席題が「風呂吹」、詠み込みは「紙」です。

 12時から受付開始、13時投句締切で、開会。最初は「学生の部」事前投句の講評と表彰式。小・中学生から195句の応募がありました。例年に比べると学生の部も一般の部も応募数がかなり減っていましたが、一般の部はもしかしたら選者の徳田千鶴先生(ホトトギス同人)が急逝された影響があるのかもしれません。

 優秀賞は中学生の部10句、小学生の部3句でした。小学生受賞の句、〈あんどんの光がゆれる夏の夜〉で、〝あんどんという言葉をよく知っていましたね〟と、選評の先生が聞くと、本人は恥ずかしがって答えないので、付き添いのお父さんが〝夏休みの工作で一緒に作ったんです〟と。ああ、そういう体験があって出来た句…なるほどと思いました。大人でも子供でも同じですね。何もない所からは俳句は生まれません。やはりその人の歩んできた人生から生まれたもの、それが一人だけのものではなく多くの人々に受け容れられ、広く普遍的なものへと深まっていった時初めて佳句として認められるのでしょう。もちろん俳句も自己表現の一つですので、自分さえ分かればそれでよし…と思う人がいてもそれは自由です。また、小説にSF小説があるように仮想現実で遊ぶ俳句があってもいいかも知れません。それぞれの立場や考え方で創作するのですから、これこそ絶対にこうでなければならないということは誰にも言えないことでしょう。なのに…やり方が違うからといって人を非難するということは、その人にそれだけの値打ちが本当にあるのかと疑ってしまいます。いらぬことを書いてしまいました。人はひと、我はわれです、気にせずにいきましょう。中学生の部では、〈出番待つ日永の隅の薄い月〉の句が印象に残りました。季語の〈日永〉がよかったですね。

 今年から学校賞も設けましたので、修学旅行の時に生徒全員に俳句を作らせ、それを応募させられたF中学校の国語の先生が授賞式に来られていました。オメデトウございます。これをきっかけに市内の小・中学校にも広がっていくと嬉しいのですが…来年を楽しみにしましょう。

 他に宇部には常盤公園がありますので、今年もそこに投句箱を設置して、その中から特別賞として3人の受賞者が出ました。その中に〈あきさめだちょうこくたちがぬれている〉の句があり、賞状を取りに出たのは…、もちろん子供の句だとは分かっていましたが、まだ幼稚園ぐらいの可愛いお子さんで、お母さんと一緒に来られていました。賞状を貰って帰る時に、きっと教えられたんでしょう、それををふと思い出したかのように、一瞬立ち止り私たち選者へペコッとお辞儀をしたのが何ともカワイらしく…みんなの微笑を誘っていました。

 事前投句の一般の部の応募は138句、その中から最高の宇部市長賞は、〈シベリアを知る飯盒や蟻の列〉でした。山口県長門市の画家香月泰男の美術館での所産だそうです。わが教室のHさんも宇部市教育長賞を受賞。句は〈関門へ向く大砲にいぼむしり〉、下関のみもすそ川公園に関門海峡を睨んで長州砲のレプリカが5台並んでいますが、それを詠んだということでした。〈いぼむしり〉はカマキリのこと。他にも4名の入選、席題句でも優秀賞5名のうちの2名が入選と、我が教室のみなさんとても立派な成績をあげられました。メデタシ、メデタシです。ご苦労様!私も…疲れました。写真は、その〝俳句の集い〟の様子です。

 

 

 

 

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とうとう〝師走〟ですよ!

2018年12月01日 | 俳句

 いよいよ12月に突入しました。「十二月」は、仲冬の季語。陽暦の12月のことで、一年最後の月です。でも、昔から何の疑問も持たずに使っている「師走」という語、これは本当は陰暦12月の異称で、今の陽暦では1月ごろの時期に該当します。だから季語としても仲冬・晩冬にはいっています。しかし、師走の語源を〝経をあげるために師僧も走るほど忙しい〟とする説から、年末の多忙を表す語として定着したために、今では陽暦の12月にも使っているのです。

 また、一年最初の月は「一月」ですが、これも私たちに親しみがあるのは「正月」という言葉。初心者に俳句の指導をする時、一番悩むのがこの陽暦と陰暦とのズレが起こる新年の季語なんですよ。

 昔陰暦の時は大体立春が過ぎてから新年が来ますので、それに関する季語は春に分類して良かったんですが、今では陽暦で正月の行事を行いますので、ややこしくなったのです。その名残が年賀状などに書く、〝賀春〟とか〝初春のお喜びを申し上げます〟という言葉として用いられているのです。そういう混同を防ぐため歳時記には「春・夏・秋・冬」の外に「新年」という部を立てて5つに分けてあるのです。実際に正月が過ぎてから大寒が来るでしょう。その〝寒〟とかがつく季語は全て冬になりますから、句を詠む時は歳時記でしっかり確かめてから季語を使うようにしましょう。

  路地ぬけてゆく人声や十二月    鈴木真砂女

  板橋へ荷馬のつゞく師走かな    正岡子規

 どちらの句も一年の最後の月を迎えて町中を慌ただしく往き来する人々の様子がよく見えてきますね。荷馬車なんて…懐かしい!

 写真は〝磯菊〟、晩秋の季語です。以前にも載せましたが、もう10年以上も前に貰った時は間違いなく磯菊でした。植え替えもしないでほったらかしでも毎年勝手に花を咲かせます。それはいいんですが、こうやってどんどん変化していくんですよ。これじゃあもう〝磯菊〟とは言えないでしょ!どれも元は同じだったので、葉には面影が残っていますが、花が黄色になったもの、更には白に赤みまでさしてきて……もう終りなのでしおれかけていますけど。だって12月ですものね~。

 

 

 

 

 

 

 

 

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