ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝冬菊〟のまとふは…

2018年12月04日 | 俳句

 今日は朝からしっとりと雨に濡れて…でもひどい雨ではないので大したことはなく、とても暖かな1日でした。時々雲の切れ間からは日も差してきたりと、ハッキリしない空模様でしたが、午後車に乗ると久し振りに車内温度が25度になっていました。気象庁の発表でも下関が26.2度の真夏日だなどと言っていましたからね~。

 今日の午後は俳句教室で、兼題は〝寒菊・冬菊〟。キク科の多年草で、油菊を園芸化したもの、12月~1月頃黄色い花をつけるとありますが、それより俳句では遅咲きの菊が咲き残っているのを冬菊・寒菊として詠むことが多いようです。

  冬菊のまとふはおのがひかりのみ

 これは、水原秋櫻子先生の代表句の一つです。『秋櫻子俳句365日』の12月6日の項に、この句について水原春郎先生が次のように解説されていました。

 八王子でいつしかもう四年目の秋を迎える。世の中も次第に静かになってきた。庭に色々の花の種をまき、楽しむ余裕がもてるのはうれしい限りである。コスモスや鶏頭は素人でも世話できるが、菊となるとそうはゆかぬ。隣の畑をもっているA氏が、親切に根分けからすべて引受けてくれる。

 薄紫と黄色の秋菊がすむと純白の冬菊が咲く。秋ならば周囲の花のひかりが菊と相映じて、互いに美しさを加えることも出来るが、冬菊はただ己の光があるだけで、助けてくれるものはない。その孤高な、寂しい光に父は魅せられる。

 「馬酔木」の第二の黄金時代を迎える前の苦しいころ。過剰な解説となるかも知れぬが、冬菊は秋櫻子自身と考えられないだろうか。最後に頼りになるのは自分自身であり、自分を磨くこと、それが第一である。 (昭和23年作・句集『霜林』所収)

 油菊というのを私は知りませんでしたので、ネットで写真を見ると、先日磯菊が黄色になって…と載せた写真によく似ていました。もしかしたら原生種であるこの油菊に戻っていったのかも…。写真は先日の〝俳句の集い〟が行われた文化会館の隣の〝渡辺翁記念会館〟とその公園のメタセコイア・欅の紅葉です。向こうに写っているチャペルは結婚式場です。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする