今日12月3日は、「聖ザビエル祭」で、初冬の季語です。日本最初のキリスト教伝道者、フランシスコ・ザビエルの永眠した日、カトリックの祝日になっているそうです。ザビエルは1506年スペインのザビエル城に5人兄弟の末っ子として生まれ、イエズス会の創設者イグナチウス・ロヨラの感化を受け聖職につき、東洋伝道に従事し、1552年中国サンチアン島にて46歳で没しました。
乳母車ザビエル祭の鐘へ押す 有馬ひろこ
ザビエルは、1549年8月15日に日本への第一歩を鹿児島に印し、その後薩摩、平戸を経て周防山口でも同僚のフェルナンデス修道士らと伝道しました。1551年には堺、京都へと赴きますが、戦乱のため布教するのを諦めて、また周防山口を訪れます。そして、西国一の大大名といわれた大内義隆を頼り、山口を伝道活動の拠点とします。その義隆から与えられた無住の寺を説教所として布教活動を行い、約六か月を山口で過ごしています。そのザビエルが山口で布教活動を開始した時から数えて400年目の記念として、1952年(昭和27年)に「山口サビエル記念聖堂」が山口市に建てられました。(山口ではなぜかザビエルと濁らずに〝サビエル〟といいます)
初代の聖堂は、ザビエルの生家で、スペインのナバーラ州パンプローナ近郊にあるザビエル城を模して建てられたもの。市民にも広く親しまれていましたが、1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼しました。しかし、内外の多くの善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に現在のように再建されました。
再建された聖堂は、イタリア人神父のコンスタンチノ・ルッジェリと建築家ルイジ・レオニのデザインによるもので、高さ53mの2本の塔とテントを模した大きな屋根が全体を覆う構造をもちますが、これについては「神が私たちと一緒におられるしるしとして、教会の形をテント(幕屋)にし」「二つの塔が天にのびることによって、サビエルを記念するだけではなく、現代の人々に神様のことを強く思い出させる形」を意識したものだと言われています。
私が結婚してこちらに来た時、初代の聖堂を見てその森厳さに感動したことをよく覚えています。その印象が強かったので、新しい聖堂にはどうしても馴染めず、人を案内しても当分違和感がありましたが、今ではそれが当り前のように馴染んでしまいました。
ちなみに隣の山陽小野田市には、キリスト・イエズス宣教会が設立母体となって1962年に創立された「サビエル高等学校」があります。昔は女子校でしたが、今は男女共学になっています。写真は新旧の「山口サビエル記念聖堂」です。(写真はお借りしました)